アンのように生きる・・・(老育)

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かけがえのない日本の片隅からの発信をライフワークとして、今は老いていくにも楽しい時間を作り出すことを考えています。

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父の想い

少し喧嘩をすると父も私も後悔があり、互いに牽制球を投げるように会話を選んでいる。
母のけがは幸い快方に向かっているが、気になるので毎日何かにかこつけて実家に出かけている。
それを黙認してくれている父もいる。
だが必要以上に心配したり母に手を出したりはしない。

母がここまで自分の力が出てきたのは父のおかげなので、所謂「人への悪戯な甘やかしはいけない・・」という父の教育理念のようなものも感じられる。手を貸すというのはある意味簡単で、じっとその人が自分で自分の身の回りのことをするのをまって、褒めたり認めたりすることこそ大事だ、というのだ。

そのことは身を以て教えられているので、ぐっとこらえる。

父は長いこと発達障害のあるお子さんたちを導いてきた。
ある時は厳しすぎるのではないか・・とも思ったこともあるが、その人の持つやる気を引き出すためにかなり先のことを想定して待つ・・という人だった。少し認知症の気配のある母のことをそれを知った上でなるべく進まない様に日常の生活の中で訓練を続けていた。

道路を渡るときの時間も店に着席するまでの時間も 私はつい手助けして早くしようとしてしまうのだが、それではいつまでも自分だけでできなくなるという。

しかし母の年になるとそれはもういのではないか・・と思うこともある。

父自身の老いのことも考える。こうして母と二人ではストレスもためているのではないかと思う。
私が舅を看ていた時もだれにもわからぬストレスというのがあった。

そういう時は他の人との会話が大いに役にたった。

そして今舅との暮らしを思い返すとそのストレスをほとんど改めて言葉にするほど大したものがないのに驚く。
両親の暮らしを見守るなどとは偉そうな態度なのだが、とにかく寄り添っていこうと思う。

明日は妹が病院に付き添ってくれる。
妹はどこか父方の亡き祖母に似ている感覚があるように思う。
それは二人の男の子を育てたという共通点だ。

父は妹のそんなところに一目置いている様子もあり、少し遠慮っぽいところが可笑しい。
そこにちょっと期待する今日の私がいる。

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母と近くの農協で好きな花を求めて植えている路地の小さな花壇
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by akageno-ann | 2016-04-14 22:10 | エッセ- | Trackback | Comments(0)