アンのように生きる・・・(老育)

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かけがえのない日本の片隅からの発信をライフワークとして、今は老いていくにも楽しい時間を作り出すことを考えています。

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2008年 04月 04日 ( 1 )

終わらない夏

第123話
納涼七夕の会は日本と同じように7月におこなわれることになっていた。

暑さは和らいだとはいえないが、人間の体感温度として高温に慣れるということはあるようだ。

北川は教務主任として学校の周りの設備のことを全て把握していなければならなかった。

その中で毎日行う気温のチェックは、校内の庭におかれた百葉箱の中の温度計によった。

五月中旬の最高温度は摂氏49度まで体験している。

この7月においてもこの年は日中42度を温度計は示している。

その日は学校付近が一時停電で、その上学校の自動発電機ジェネレーターの調子も悪く
子供たちも教員も午後はぐったりしていた。

それでもなんとか授業を終えて、スクールバスのエアコンの効いた空気の中で皆仮眠を取りながら家路についた。

北川が家にたどり着くと妻の声はせず、サーバントのファトマが出てきて

「マダムスリーピング」という。

この暑さで調子が悪いのか?と不安になった。


「大丈夫?」すぐに寝室に行って北川は怜子に声をかけた。

「ごめんなさいね。なんだか疲れが出たのね。」

「無理するな、今日は学校も停電で子供たちもつかれきってた。」

「暑い日は本当に大変よね。まだまだ続くものね。この暑さは。私も大分楽だから
起きるわね。」

その声を聞いて北川は安堵してシャワーを浴びに浴室に消えた。

シャワーを浴びながら、このまま怜子が元気を取り戻せば、大したことにはならないだろうと
さして心配はしなかった。

その夜の食事も元気に食べた彼女だがアルコールは控えていた。

脇の下の小さなしこりは大きくはならないが、触るとにぶくごつりと反応し、ほんの少し痛みがあった。

怜子はあまり気にしないようにした。

大きくなれば、また本当に悪いものであれば状況が変わってくる。

その時は先に日本に帰ろう。

そう決心したら気持ちがふっと楽になった。


翌週は納涼大会が学校の小さな校庭で行われた。

もとは個人の家だったというこの校舎の敷地は個人にしては広いが、学校としては手狭なものだった。

そろそろ日本人学校の新築工事の話も出始めていたが、このこじんまりとした環境は目が行き届いて安心だった。

盆踊りの練習も教員の地域性が出てなかなかにバラエティに富んでいた。

太鼓は北陸地方の教員が土地の鬼太鼓を真似して子供に指導し、当日は保護者が協力して縫った半被にはちまき姿で、集まったインド人の客たちも大喜びしていた。

踊りは東京音頭と炭坑節、櫓の上にインドの子供も乗せて指導しながら楽しむという催しには
インドの人々が音感が良く、踊りもうまくてびっくりさせられたり、鳥を80羽ほどさばいて竹串に刺し、炭火を用意して焼き鳥にすると、飛ぶように売れて人気があった。

この夏の祭の呼び物はなんといってもバザーだった。

こういう場所で暮らしていると、不要なものはないはずだが、それでも各家庭様々な不用品が拠出されて互いに物品交換になるのか・・と思いきや
インドの人々が日本のその品を珍しそうに眺めて買い求めていったりした。

日本人同士はどうしてもだしの素や醤油が出されるとあっという間に買い手がついた。

インドの人々は靴下、ストッキング、セーターの類はこの暑さの中でも貴重品としてすべて買われていった。

その売り上げは学校の備品の修理などに充てられた。
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                                         夏とともに・・つづく

「annと小夏とインド」
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by akageno-ann | 2008-04-04 08:16 | 小説 | Comments(22)