アンのように生きる・・・(老育)

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かけがえのない日本の片隅からの発信をライフワークとして、今は老いていくにも楽しい時間を作り出すことを考えています。

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2008年 04月 22日 ( 1 )

終章の2・・・・妊娠

インドを舞台にした日本人女性の生き方を綴る小説です。
1話だけでもお付き合いください。あらすじは下にあります。
この小説の冒頭は・・こちらへ


第133話

美沙の家のシーク教徒のオーナーのところに孫が生まれた。
目の大きな可愛らしい女の子だった。

何かお祝いをと思い、現金も相応しいとは聞いていたが、美沙は手作りの
毛糸のチョッキにした。

白い純毛で鈎針で編まれたそのチョッキは、難しいものではなかったが、目が揃っていて
心がこもっていることがわかったのか、オーナー夫人に大変喜ばれた。

美沙はこの時にはすでにある決意をしていた。

子供を持つことであった。
美沙はこのデリー赴任半年後に自分で妊娠に気づかぬまま、早期流産をしてしまった後悔があった。

インド赴任のための準備には自分が勤めていた中学校の退職の手続きも重なり知らないうちに体力を必要以上に消耗していた。

そしてデリーに渡るとすぐに様々に出会う異文化の中の生活に終われ、五月の夏休みころにやっとほっとしたものの、今度は夫が仕事上の忙しさから少々精神不安定になり、共に心を病む日々が続いていた。

しかし、そのころから親しくなり始めた北川夫妻、とりわけ怜子との交流によって美沙は心のよりどころができていたようだ。

そんな中の流産の兆候を初めて行った健康管理休暇場所のシンガポールで知り、幸い対処はよかったのだ。

怜子は美沙に

「若いのだからまた絶対にできるから」
と、励ましていた。インドで産むのなら看護士としての経験があるから手伝うのだとも
言ってくれていた。

しかし、美沙はデリーで産む自信もなく、また夫を残して日本に帰国して生むという勇気もなかった。

だが、2回の夏をデリーで過ごして、少しずつ自信がつき、またインドに嫁いだ日本の女性との出会いもあり、様々な知識が美沙の中に芽生え育っていたのだ。

しかし、美沙は子供をもたぬまま子宮癌に冒されていた怜子に対し、知らぬうちに遠慮をしていた部分であったのだ。

しかしどんな難しい話も不思議に自然に話すときが来るものなのである。

怜子は自分の判断で夫より少し早く日本へ帰国し、気になり始めたリンパ腫という
新たな癌の発病をきちんと調べなければならないと思っていた。

デリーの気温がすっかり下がるようになった12月の末のある日、少し高熱を出したことをきっかけに帰国の準備に入っていた。

在外教育施設派遣教員としての義務には、病気などで帰国するにも文科省への申請が必要であったのだ。

むろん、大きな病の危険性の高い怜子の申請は比較的早く許可された。

美沙はそれに併せて自分も怜子につきそって日本に一時帰国する旨、自分の体調についても不安があるために検査のための一時帰国を申請し、怜子のそれに少し遅れたが許可されていた。

「美沙さん、一緒に帰ってくれるのね、どうやって許可をえたの?」
怜子はそこのところを聞きたがった。

「怜子さん、私はいつか流産でお世話になりましたが、あの時小さな筋腫の存在も言われていたの。妊娠するにはその存在が大きくなっているようだと問題があるんですよ。」

「そうなのね。で?赤ちゃんもつ決心ついたのね・・」

「えぇ、挑戦しようと思います。だから今回一緒に帰国します。」

「そう、よかった・・・頑張ろうね。」

本来なら二人のこの立場の違いは厳しいものがあった。
一方は癌の再発を懸念し、もう一方は新しい命の可能性をかけるための帰国であった。

しかし互いに過ごしたこのデリーという特殊な地域での様々なかかわりから、互いが互いの立場を十二分に理解し思いやれるようになっていたのだ。

不思議な感覚であった。

二人は「赤毛のアン」で共感したように、腹心の友の意味をここで感じ取っていた。

少女時代を遠く昔に偲びつつ、デリーの地で育んだ友情に感動しつつそれぞれ、帰国の日のための準備をしていた。


                                    つづく


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by akageno-ann | 2008-04-22 22:23 | 小説 | Comments(14)