アンのように生きる・・・(老育)

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かけがえのない日本の片隅からの発信をライフワークとして、今は老いていくにも楽しい時間を作り出すことを考えています。

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2008年 08月 29日 ( 1 )

アフガンメロン

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アフガンメロンという名前で、デリーに出回っていました。

アフガニスタン・・私には神秘的な国と感じていた当時から戦いの途切れない国でした。

子供たちが子供の頃から銃をかつぐことを日常とし、兵士として生活する姿にも

同じ地続きで・・何故?と答を探します。

恐らくその子供たちは戦うことを当たり前と思ってしまっている・・
それはとても恐ろしいことです。

そのアフガンに農業技術の支援に行って戦禍に巻き込まれた日本人伊藤和也さん。
その命を賭して支援した灌漑用水、農業。

映像の中で「いとうさん、いとうさん」と呼ぶアフガンの人々の声が悲痛でたまりませんでした・

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第199章

ネパールのカトマンドゥで3日を過ごした翔一郎はネパールの貧しさの中で

健気に生きる若者たちに出会って、自分のデリーの日本人学校教員として

どれほどのことができたであろうか?

とインドという地であってもどこかぬくぬくと生活していることに気づかされ、

必死さにももっと違う形があるのではないか?と考え始めた。

その国の貧しさに目を閉ざしていてはいけない。

折角こういう地で生きているという意義を見出し子供たちを導いていかねば

本当の教育はできていないのはなかろうか?と思い始めた。

カトマンドゥ郊外の小さな小学校で女教師役をしていた女性の母がよくないというので
バイクの後ろに乗せて、急遽来た道を引き返した翔一郎は、
その女教師の素朴な直向さに
妻の美沙を重ねていた。

「そうだ、美沙はひたむきにあの地で頑張っているのだ。」

自分が来たくて来た在外の教育施設での仕事に困難を感じて
家庭というものには甘えてただ仕事に没頭していた自分は美沙が
だまって耐えてその地にあわせて暮らそうと努力していることを
ついなおざりにしていたのかもしれない。

決して不満をいう女ではない美沙は、静かに生活を進めていくうちに夫の翔一郎との

心の距離ができてしまったのだ。

妻なのだから当然と思ってしまった日常の煩瑣なことの対処も美沙はかなりきちんと
行っていた。

その上に友人を作り、招待したりされたりしてその都度料理や気の効いた話題を提供していた。

翔一郎自体は人付き合いがあまり得意でなくて、本意ではなかったが美沙任せにしていた。

この三年の月日に夫婦の絆が深まったという人々も多くいたが、翔一郎と美沙はもしかしたら
距離ができてしまっていたようだ。

子供のいない夫婦の思いがけない落とし穴は夫婦で悩む共通点が少なかったのだ。

互いが別々のことを考えていても、日常生活が成り立つようにまでこのデリーの土地に親しんでいたのだ。

暑さにも慣れてきていた。

カトマンドゥの一人旅をしながら、美沙の不在をあまり意識しなかったことに
翔一郎は我ながら驚いていた。

                                  つづく

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「小夏庵」
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by akageno-ann | 2008-08-29 22:05 | 小説 | Trackback | Comments(10)