アンのように生きる・・・(老育)

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かけがえのない日本の片隅からの発信をライフワークとして、今は老いていくにも楽しい時間を作り出すことを考えています。

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2017年 12月 13日 ( 1 )

祖父のこと

11月の秋祭りの翌日後片づけをしていると突然覚えのない東京の電話番号から電話があった。両親に何事かあったのか?とどきどきしつつ受けると懐かしいインドでお世話になった方からだった。それも遇然お祖父様が土佐の名士でいらっしゃったそうでその方のルーツを周りの方にすすめられて辿っていらっしゃるご様子だった。その折に私の故郷が土佐であることを30年たっても思い出してくださりとても嬉しいことだった。
私の祖父はやはり教員で、戦前の満州に渡って当時の現地の日本人学校で教えた人だったから 心配しつつも 私たち夫婦のインドの日本人学校行きに賛成してくれたのだった。
お電話でお話を聞きながらその方もお祖父様を深く敬愛されていることを感じ、自分でできることはしていこうと 私よりも15才も先輩でいらっしゃるが とても若々しく語られよい刺戟をいただいた。

それからまもなくして少し疲れから風邪気味になったので主事医にかかったのだが、そこでその医師のお祖父さまの足跡をご本にまとめられたことを知った。
しかも森鴎外と同じような歩みをされたかたで医師であり文学にも秀でた方であった。
亡き舅が書をよくする人だったのでそのお祖父様の漢詩の解読を頼まれたことがあり少し身近に感じさせていただいた。

不思議なものでそういう先祖に感するお話をいただくと我が身内のこともふと深く思い返すきっかけをいただいたように思える。

つい先日も突然祖父の夢を見たという方から「何か語りかけられているような気がして」 とお話いただくと、つくづくと家族のつながりを大切しなくてはと思い知らされ自分の中に内在する祖父母の思いがtelepathyのように浮かびあがってくるのを感じた。

「家族のために生きる」という基本をふまえて暮らせばそう大きな失敗はしないような気もし、祖父母に守ってほしいという祈りも強くしている私がいる。
大変な時代を明治大正昭和とふ生きぬき、そして平成二年に亡くなった祖父は私がインドから帰国して電話でその報告をした3週間後に急逝してしまった。
臨終の枕元で祖母にГあんたの一番会いたかった孫が帰ってきたよ」と言われて泣きくずれた日を強く思い出した…

父との葛藤のある今 あの日父と羽田から万感の思いで危篤の祖父のもとへ飛んだことも大切な父子としての思い出もある。

by akageno-ann | 2017-12-13 21:46 | エッセ- | Trackback | Comments(0)