アンのように生きる・・・(老育)

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かけがえのない日本の片隅からの発信をライフワークとして、今は老いていくにも楽しい時間を作り出すことを考えています。

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カテゴリ:エッセ-( 399 )

いつも「アンのように生きる」をお読みいただいて本当にありがとうございます。
介護の世界は私の中で大きく広がっています。
今日はエッセーを書かせていただきます。

今日は先日NHKテレビで偶然見ることができた ジル ボルト テイラー博士の著書「奇跡の脳」新潮社刊 竹内薫訳を紀伊国屋書店で見つけまして、購入しました。
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あの番組を見なかったら手にしなかったかもしれません。
こういう出会いにも感謝します。

久しぶりに心が震える感動を覚えつつ読み耽っています。

4月の小説に次のコメントがありました。
私はそれにすぐに気づきませんでした。
作日そのことに気づき、私と同じ感想を先に持ってくださって
ここに書かれていたことにも感動を覚えました。

CHILさんのコメントです。

「子を思う母親の愛情・・・について、
先日母から聞いた話です(母はテレビで見たそうです。)

外国の30代の女性で脳の研究しいていた方が
脳出血で倒れ、ほぼ赤ちゃんのように戻ってしまったそうです。
その女性の母親が、一から子育てをしなおしたそうです。
抱っこから初めて、文字を教え、
そして今女性は研究者として復帰されているそうです。
母親は数学者だったそうです。
母親の愛情はずっとずっと永遠に無償の愛なんでしょうね。

夫が倒れるのと、父親が倒れるのと、
やっぱりそれぞれの立場で全然違うのでしょうね(^^)」

CHILさんの父上も同様のご病気でリハビリを続けていらっしゃいます。

時々絵を掲載させていただいている髭じいさんです。

同じ病にかかる方が増えている時代に、テイラー氏は自分の脳卒中発症の日の朝の様子を克明に記しています。
そして同じ病をぜひとも未然に防いでほしい、と切に願っていらっしゃいます。
これは気になる方は是非お読みになった方いいと思いますが、私の従妹の発症の日の様子と重なる部分をお話したいです。
普段と変わらぬ日常の中で大きく前触れがあったのは二人とも頭痛のようです。

ジル博士は朝七時の出来事で、従妹は夜七時の出来事でした。
ジル博士は片目の奥に激痛が走ったと書かれていました。

また従妹の場合はひどく神経質にイライラしたようです。

ジル博士もまた左目がのろのろした速度でぴくついて苛苛したと書かれています。

従妹は来客中で客をもてなしていたのですが、たまらず自分の寝室に入ってほんの少しのつもりで
ベッドに横になろうとしたそうです。

物音がしたと、娘がいいましたから、おそらくベッドに完全に体が沈められずに落ちたのでしょう。
その衝撃が出血を多くしたと考えられました。

ジル博士はあまりの頭痛によろめきながらベッドから起き上がり、目を刺す様な光の流れを防ごうとして、自ら窓のブラインドを閉じたといいます。思考はできるのに、体が切りはなれていくような感覚があったといいます。

従妹はその前後のことを今もあまり思い出せないといいます。
ただ彼女は40代で高血圧の症状があったそうです。

気をつけていたのだけれど、その年の夏は特に暑く疲れがピークに達していたといいます。
そう彼女は6年前の8月30日午後7時頃倒れました。

ジル博士は1996年12月10日の朝7時だったそうです。

二人は真反対の季節と時間にそれぞれ発症しています。

私はこの6年を彼女のリハビリにつきあいながら奇跡を信じています。
それと同時に自分を始め私の周りの人々がどうぞ同じ目に会いませんようにと
願うものです。

ほんの少しのゆとりと心配りで防げたり、早めの処置ですぐに快復できるものがあるのですから、どうかそれぞれの健康を大切になさってください。

その日は突然に訪れ、全く違う生活になってしまう哀しみを味わうことのないように願うのです。

また深く読み進めて、お伝えしたいことができたときに、ここに書かせていただきます。

明日の健康の為に良い睡眠をおとりください。

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牧場公園
ブログひげじい~脳梗塞からの軌跡ひげじいさんの作品です。

 「ここに使われる絵や文章の無断転載は固くお断りいたします。
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by akageno-ann | 2009-05-11 23:38 | エッセ- | Trackback | Comments(8)
メキシコで発生した豚インフルエンザのニュースに連日心を奪われています。

今書いている小説の中でも平田夫妻がメキシコに在住するという設定ですので、他人事と思えません。

かつてインドのニューデリーに住んだ経験からも こういうニュースが日本に流れて、在外邦人に対するある種の不安をもたれることを危惧します。

どうか必要以上の恐怖感や偏見で考えないでいただきたいです。

在外邦人は日本大使館領事館の指示が細やかに出されています。

大抵の場合すぐに外出禁止が促され、そのことについて比較的早い段階で徹底されます。

どうしても現地の国民の暮らしの中には発展途上国の場合は衛生管理の方法に問題がある場合があります。

そういう場合は伝染病に対する認識の遅れや隔離の環境の手薄な点があって蔓延をふせぐことができないのです。

しかしWHOが乗り出すことによって、かなりの確立で封じ込めていくことは可能だと考えたいです。

異国でもまた日本人は日本人としてしっかりと対処する方法を考え励行します。

ですからこれから状況によって日本にその危険地域から帰国する人々が出てまいります。

各々が自分たちの考えに基づいて予防をすることは大切ですし、そういう場面に近づかないようにするのは大事なことです。

しかしそれにともなって当該地域から帰国する人々を誹謗中傷するようなことはあってはなりません。

かつてインドから帰国した人に向けて

本人は冗談だったといいますが、「マラリア蚊を連れ帰ってこないでね!」
と言った人がいます。

大人同士は まあその場で解決できますが、子供は大きな傷を心に残します。

どうぞそのようなことのないように皆でこれから もしかして訪れるインフルエンザの流行について

正しい知識を得て、身を守ってまいりましょう。

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埼玉医大国際医療センターのエントランスの絵・・全てのものが救われるように
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by akageno-ann | 2009-04-29 09:10 | エッセ- | Trackback | Comments(5)
前回までに書かせてもらったエッセーにまつわるお話です。

小学生の頃から愛読しているアンシリーズはいつの間にか私の中に浸透して、そしてその中の登場人物を自分の生活の中に求めたりします。
世話好きなアンの養母マリラの友人リンド夫人・・これはまあ結構身近にいるものです・・笑

しかし私が一番出会いたかったのは養父マシューカスバートでした。アニメから拝借しました
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口下手だけれど優しさの溢れる 仕事熱心で女の人に弱く、アンをこよなく愛し、アンを甘やかしたいおじいさんのような気持ちをもつマシューはアンが自然に一番愛する家族になっていました。
厳しさも大切だけれど、やはり子供は本当に甘やかしてくれる人からの愛情には気づくのだと・・思ったことでした。
このマシューの最期はなんと地元銀行の倒産を知らせる新聞を読んで、ショックを受け心筋梗塞を起こしたものでした。

あの頃日本の銀行は安泰で、銀行が潰れるなんていう話に心からびっくりしているという状態でした。
そういう時代に必死で生きて、結婚しなかったけれどアンという最愛の少女を我が子のように出来て死んでいけたのは彼の幸せな人生の終末だったと思えてしかたありません。

そんな風に私も実の祖父に愛され可愛がられた記憶もありますが、離れて暮らしたので、祖父との繫がりが薄かったようにも今思い返します。

それなのに、こんなに大人になってから祖父のような思いで交流できた一人の老紳士のことを私の中のマシューカスバートだと思えてきました。

その人は私にアンのことについて手紙を書き、自ら投函し、その翌朝早く旅立ったのでした。
87歳、見事な天寿全うでした。
その手紙は亡くなったという知らせのほんの数時間前に私の手元に落ちていました。
落掌(らくしょう)・・・・この言葉はこのときだけのために私には感じられました。

素晴らしい数学者でいらっしゃいました。

                                              つづく

その交流を少しこれから書かせていただこうと思っています。


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by akageno-ann | 2008-12-17 16:42 | エッセ- | Trackback | Comments(10)

カナダで感じるパリ

ケヴェック最終日の午後はフリータイムになったので、アウトラインを教えられた街を自分なりにひとりで歩いてみた。友人は買いたいものがあるらしく、2時間ほどを別行動した。
先程地上高いところから眺めたセントローレンス川を すぐ近くまで行って、冷たい空気の中でしばし見入っていた。

氷が大きく割れた形で川下に向かって川はゆったりと流れていた。
この光景はちょっと怖さもあったのか、今でもはっきりと思い出せる。
川の水量も大変に多かった。そして何よりカナダの広大な土地を知らせるように、この小さな町に沿って流れる川は近くで見ると河口のように大きく広がって見えた。

ひとりでも気楽に歩けるのは、斜面を上るように螺旋状に高い方に向かっていけば、宿泊しているシャトーフロントナックホテルに戻れるからだ。
途中の店は1年中クリスマスのようなかわいいウインドウのある店もたくさんあった。

当時生まれたばかりの甥のためのみやげ物ばかりが目につく。
寒いせいかウインドウショッピングする人はまばらである。
勇気を出して主人に頼まれた皮のジャケットを探すために店内に入り、会話すると年配の人はやはり「ボンジュール」とフランス語で声をかけてくる。

片言だがフランス語の音が好きな私には嬉しいことだった。
大体の候補を決めて、あとで友人にも見てもらって買おうと思っていた。

面白い店主で、「従業員の中に私の主人と同じような体型の者はいないか?」
と聞いてくれて
その人をモデルにして着用してもらえたのでいいものがみつかった。

友人も思ったような買い物ができたと喜んで戻ってきた。
銀製品もいいものがあったようだ。
互いの買ったものを見せ合って、またそれぞれの店を冷やかして歩いた。
愉しい買い物だった。

この街は「美しくあらねばならない・・私たちの街は・・フランスの雰囲気を失ってはならぬ」と語るようにそこにあった。

その夜は友人が予約してくれた、小さなフランス料理店で、美しいディナーをとった。
それほど高くなくて、優しいマダムがきびきびと給仕してくれて、静かな夜をその土地のカップルたちが楽しむような、そんなレストランだった。

私が初めてパリのペンフレンドに会いにいった学生時代に、つれていってもらった
パンタグリュエルという小さなパリのエッフェル搭の近くの フランス料理店のことを思い出した。

その夜、一回入った客はゆっくりとそのテーブルで閉店までいていいのだと・・ここは慌しく客を回転させないのだという、フランス人の気質を思い出した。

アーティチョーク(ミモザ)のサラダ、コキーユサンジャック(帆立貝)のオードブル、川魚の香草焼きそして見事な盛り合わせのデザート。

外国のレストランで、気楽に日本語で女同士のおしゃべりを楽しみつつ、フルコースのフランス料理は私たち二人を満たしていく。

街づくりにこだわりを見せながら旅人を優しく受け入れる。
たった2日間の短い旅の中で、緊張感からときほぐしてくれたケヴェックという街に 「住む」ということへの大切な役割を知らされたように思った。

私には生まれた街があり、育った街があり、新しい生活を始めてなお、営み続ける町がある。

定住して1番長い町には誇りを持ちたい。
そこを離れるたびに、なつかしく思い起こせるようなわが町を持ちたい。

それは「青い鳥」のように既に手にしていることもあるだろう。
アンもまたプリンスエドワード島に住んでそこを愛して止まなかった。

そしてまたこのケヴェックという街に出会って、そんな幸せを感じられた。

「住んでいる」という進行形が街への愛着を作り出す。

「日本へ帰ったら、まず我が家のテラスの花に水をやり、肥料を与えよう。」

そんなことをふと思った。
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                                      1995年カナダ紀行より

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by akageno-ann | 2008-12-15 23:53 | エッセ- | Trackback | Comments(14)

アンのような目覚め

夜明けは少し遅めに訪れた・・(これはアンの小説にも出てきそうな表現だ)

友人は凍った道をヒールのある靴で歩く私を心配してくれたが、幸い午前中はバスで市内の近郊とメイプルシロップ工場の見学となっていた。c0155326_12171214.jpg

このケヴェックに八年も住むという日本人ガイドのNさんは、フランス語が堪能で、黒いヴェレー帽の似合うなかなか素敵な紳士だった。
何より嬉しかったのは、彼がこの地が大好きでそこを訪れる旅人にもその愛着を分けてくれようとする思いの伝わる説明であったことだ。

それは第1日目のトロント、ナイアガラで案内してくれたやはりフリーの日本人女性ガイドYさんも同様であった。
トロントの空港で彼女と別れるとき、思わず握手してお礼を言ったが、

「またいらしてください。私もずっとここにいる予定ですから。」

「こちらに永住なさるの?」

「ええ、そのつもりです。大好きな場所なのです。」

と、笑顔で答えた彼女は半年後にここで結婚するということであった。

二人のガイドの素晴らしさの中にもこのカナダの土地柄のよさを感じ取った。

ケヴェックの市内観光はフロントナックホテルのすぐ下にあるノートルダム寺院から始まった。

フランスの香り溢れる命名がそこここにある。
コテ デュラ モンターニュ  マルシェ シャンプラン このシャンプランはケヴェックの地を開いたフランス人の名前である。

大学のあった道には リュ デュラ ユニベルシテ ・・・
北米カナダを訪れているはずの自分が次第に欧州の街にいるような錯覚も起こってくる。
1番印象に残ったのは、文部省の建物だという新市街にある高いビルディングから望んだ、セントローレンス川の凍りながら動いていた雄大な川の流れである。

旅はやはりその土地をよく知っている人に習いながらの行程はそつがなくて有意義だ。
それがツアーという形なら、詳しいガイドによって作り出されることもこの旅を通して感じたことだった。

                                    つづく

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by akageno-ann | 2008-12-14 12:26 | エッセ- | Trackback | Comments(10)
訪れた旅人を一瞬のうちに虜にしてしまうのは、それぞれの家に、そこに住む人々の持つこだわりに、しっかりとした理念があるからだと思えた。
 自分の町にこだわりを持って住むということをこの頃ずっと考えている。

日本の中においても初めて訪れた土地を象徴する山や川があって、それを人々が大切にしていたり、地方の言葉がやさしく聞こえたりして、ふっと心和むのも同じ感慨なのかもしれない。

ケヴェックシティはフランス系カナダで、今も根強くフランス語が生活の中に保たれていた。

カナダはイギリス系の国になって久しいが、ここだけは、北米の中のフランスという誇りを持ち続けているのだ。

かつて移住した地に祖国の風習や言葉を根付かせたいというのは、祖国を持つ者の当然の願いのようだが、このケヴェックシティが他市をよそに、「ケヴェック条例」なるものを敷いて、祖国での宗教、言語の自由を保障させる方針を打ち出した歴史を聞いて、植民地から成立した大国の中の厳しい現状を知らされた気がした。

その街最初の夜は、ホテルに荷物を置いてすぐに、友人に甘えて街中へと急いだ。
静かな町の午後8時は、既に遅い時間と言えるが、ここも欧州のように食事の時間は遅いらしくレストランはいくつか賑わっていた。

その中の若者でいっぱいのアメリカンスタイルの店に入って、ムール貝の料理を頼んだ。
1000円ほどで食べ放題というムール貝の料理を二人で三皿いただいて、この夜は幸せになった。
帰り道はアイスバーンになっていて、足元に神経を使いながらゆっくりとホテルに戻ったが、途中あったマクドナルドによってミルクを買った。

看板を見過ごすと、Macとはわからない古い重厚な家屋であるが、ここにも時代の流れは押し寄せていて、若者たちが集っていた。

「なんと素敵な街だろう」
明日の朝、夜の明けるのが待ち遠しい思いでベッドに入った。

                                   この項は つづきます・・

小夏庵ものぞいてくださいね。

小説「アンのように生きる(インドにて)」の冒頭は・・こちらからです

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by akageno-ann | 2008-12-12 07:38 | エッセ- | Trackback | Comments(10)

こだわりの街にて

3月上旬のカナダは、まだ冬の気配が濃く、ケベックシティに降り立ったときは凍りついた道に足をすくわれそうであった。前夜トロントからナイヤガラに入り、やはり凍てついたナイヤガラ瀑布をホテルの部屋から眺めて少し高揚した気持ちで寝付かれなかったことと、時差による疲れも出てきたようで、夜の街に繰り出す元気はないと諦めていた。
この旅に誘ってくれた友人は、このケヴェックをよく知っていて、

「夜の街も素敵だから、外で食事をしてもいいし、貴方がお疲れならホテルのレストランでも私ハどちらでもいいのよ。」
と、言ってくれている。

ケヴェックの空港からバスで市内に入るのだが、薄暗い町並みには、まずスーパーマーケットとデパート、オフィスの入っているようなビルディングなどが、そこそこあって、異国の町の気配をさほど感ずることなく、車中でうつらうつらと揺られていた。

あたりは益々夜のとばりが降りてきて、風景はぼんやりしてきたが、町並みの様子が次第に変わってきた。
赤いテント屋根の玄関に小さなイルミネーションが見える。
レストランかもしれない。
軒を連ねる家々の小窓には、アールヌーヴォーのランプが一つまた一つというふうにオーソドックスな光を灯し、古いフランス人形が、こちらを向いて座っていたり、座っている椅子が猫足で、柔らかい曲線を描いている。

眠気に襲われていたはずの自分が少しずつ心浮き立っているのがわかる。

友人の『あなたの気持ちでいかようにも・・』と答を急がずにいてくれた気遣いが改めてあり難く思うのだった。

バスはいつの間にかケヴェックのオールドシティに入っていた。
なだらかな坂をお城のような建物を目指してバスはゆっくりと登っていく。
道は凍っているのでスパイクタイヤが氷をシャリシャリと踏む様に走っているのがわかる。

冷たい空気の中で、遅いクリスマスかと思えるようなイルミネーションが繊細な光を放ちながら新しい旅行者を迎えてくれる。
不思議な街だ。
お城のような建物はシャトーフロントナックというホテルである。
今夜の私たちの宿舎になっている。
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ホテルの前は日広場になっていて、四方を囲む古い建物があって、欧州のドイツやベルギーの街の中央に見られるプラッツと似ている。
『タイムスリップしたみたい。』
そう思いながら幻想的な街に入り込んだと思えたのも、夜という時間の演出に寄るものかもしれない。
この旅に誘ってくれた友人につくづく感謝する。

そんな風に思いながらあたりを見渡す私に

「気に入ってくださったのね。』と、友人も満足そうだった。

ホテルの部屋は、やはり城の居室を思わせる如く、さほど広くはないが、どっしりとした木製の家具が設えてあり、グリーンを基調とした壁紙に小花が散り、落ち着いた雰囲気の中に女の子の見る夢を大切にしているような一室となっている。
かつてカナダの東の端にある、プリンスエドワード島のアンの話に憧れた少女時代を懐かしく思い出し、ついにその国にやってきたのだという思いを強くしていた。

外国の生活に触れて、考えさせられるのは「我が家」に対する思い入れである。
外国の友人の家に招かれると、一部屋ずつ丁寧に見せてくれながら、自分がその家の主としてコーディネートしているという優しく温かい自慢話を聞く事ができる。
その心がやがてその土地を愛し、国土を愛することにつながっていくのかもしれない。

カナダの国土は日本のほぼ27倍とも言われる広大なものであり、おそらくプリンスエドワード島のアンは、このケヴェックを訪れたことはなかったであろう。

しかしここにもカナダの人々の育んだ土地への愛着を感ぜずにはいられない。

                                   この項は つづきます・・

小夏庵ものぞいてくださいね。

この小説の冒頭は・・こちらからです
by akageno-ann | 2008-12-10 21:52 | エッセ- | Trackback | Comments(5)

セントローレンス川

1995年にカナダのケヴェック州ケヴェックシティを訪れました。

とてもユニークな旅で、忘れられないものです。暮れになっていつもより丁寧に
掃除しようと書斎に入ると・・アルバムや手紙がごちゃごちゃと置いてあって・・
手の漬けられようもないようにまで・・なっているのは、ブログを書き始めてからだ。

いろいろな資料を取り出しては懐かしみ・・片付ける暇がなくなって・・放置する。
そんな最近になってしまった・・

それをやっと整理しようと始めたが、今日はまた懐かしい同人誌を見つけてしまった。

「ままごと」というささやかな同人誌を営んでいた。

最初は手書き、1行ワープロ、機能のいっぱいついたワープロ・・そして最後に
パソコンで仕上げた10冊ほどの誌にしばし読み耽った。

『こだわりの街にて』という旅行記が最後になっていた。

まだ冬の寒さの残るカナダの短い旅だった。

この旅で一番しるしておきたいのは、誘われて可能なときは、思い切って旅にで要・・という心意気を知った。

友人が新聞にあったある会社主催のクイズに応募して見事当選!
5泊6日のナイヤガラの滝とシャトーフロントナックに宿泊するというこの旅が
おそろしく安かった。

全行程朝食つきで、7万8千円だった。

家人に
『大丈夫かあ?飛行機にせきあるんだろうなあ?』

と冷やかされたほど・・

しかもナイヤガラの見えるホテルの部屋にお城のホテルで有名なシャトーフロントナックに泊まれるという・・

友人は最初他の人と行く予定だったのが・・お相手が行けないということになり
私に駄目もとで声をかけてくれた。

まだ仕事(非常勤)をもっていたので・・どうしようか・・迷ったが・・
その仕事がちょうど1日休めば済むとわかったので参加表明・・

この頃から、行けるときに行っておかないと外国は行きにくい、と思っていたのだ。

予想は的中!かれこれ5年、もう海外旅行は無理になっている。

しかし、こうやって当時を振り返るのも愉しい・・
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ケヴェックシティの市庁舎の上からの冬の風景・・美しさに息を呑んだ。

新聞掲載のこの募集は,コールマンという会社のラベルを旅行中カバンにつけて歩くという条件だけがあって、お洒落なタグをひらひらさせて・・移動したが問題はなかった。

友人はかつてカナダに住んだことがあったので、もし何か不備があっても何とかなる・・という言葉も信頼していた。

実に私は学生時代の最初の欧州旅行で、外国航路の機内食で団体が食中毒になり
現地でツアー解体の経験があった・・・

何が起こるかわからないので・・ある程度の覚悟をもっていくことは常にある。

だが、この旅はそんなことは杞憂であった。

カナダは『赤毛のアン』のプリンスエドワード島を含んでいる。
しかもこのケヴェック州を流れるセントローレンス川は河口からセントローレンス湾に注ぎ
その湾に浮かぶのがプリンスエドワード島である。

そんな地理的なことを改めて教えてくれたのは87歳の数学者からだった。

その方は私のアンに寄せる思いに興味をもってはじめてアンの本を手にされていた。
by akageno-ann | 2008-12-09 07:38 | エッセ- | Trackback | Comments(5)

アンと共に歩む

今日は嬉しいプレゼントがありました。
同じエキサイトブログの子育て絵日記かあちゃん、あのね
作者CHILさんが小説の完結祝いを贈ってくださったのです。
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あまりに思いがけなくて・・感激しました。

拙い小説を一生懸命読んでくださって、たくさんの感想も寄せていただいて
その上、卒業証書まで、本当にありがとうございます。

なんだかまだいっぱい覗きにいらしてくださるので・・
こうして書きたくなってしまって・・・・恐るべし・・ブログの魅力です!

アンを知る人々・・アンを腹心の友とする人々・・そういう共通点で繋がった
新しい友情もあります。

インドで出会った人々とは、同じ日本人なのにはるばるインドまで来て出会ったという感動がありました。

あのときブログがあったら、もしかしたら私は日本の人ともっと繋がってしまって、三年間のインド紹介に没頭したようにも思えます。
しかし寂しさを塞ぐことが出来たと思えます。

インドはもしかしたら、目をつぶりたい面もあったかもしれない・・
しかし、必死にその中に入っていこう、インドで本当に真剣に暮らしたいと思ったあの頃を
愛おしく思います。

間もなく来年度に派遣される日本人学校の教員の合格者の発表があります。
ご本人よりも今年はテロの事件もあったばかりで周辺の方たちの心が心配です。
『大丈夫ですから』と安易なことは申せません・・

ただ主人と話したのは、あの頃も私たちは後ろは振り返らなかった、ということでした・・
そして今年であっても、派遣が決まったら・・やはり万全の準備をして、前進すると思います。

あの地で学んだことの多くが今の私たちを支えていることはまちがいありません。

小夏庵ものぞいてくださいね。

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by akageno-ann | 2008-12-06 22:23 | エッセ- | Trackback | Comments(13)