アンのように生きる・・・(老育)

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かけがえのない日本の片隅からの発信をライフワークとして、今は老いていくにも楽しい時間を作り出すことを考えています。

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カテゴリ:老育( 24 )

一人暮らし

地域の支えあいというボランティア活動の日だった
車がないと不便な居住地なので近くの葬儀社があいているマイクロバス
を週一度マーケツトと最寄駅までのせてくださるという申し出に
年配の一人暮らしの方が有がたいと利用される
皆はつらつと生きていらっしゃる

歩くということが生活上とても大切な気がする
80を越えられてもバスの乗降もさっとする姿勢には驚かされる
よっこいしょという言葉も聞こえなかった

それかう私はいつものように実家に向かい少々疲れ気味な自分にむち打った
いい施設から母のおためし入所どうですか?と言っていただいて心がほっとしている

だが父母は私たち姉妹がいかなくては普通どおりくらせてなくともこの家を離れる気持ちにはなれない

食事やお風呂リハビリなど一週間でも入ればその快適さはわかるのだが、先の入院がよほどいやだったらしくほとぼりのさめるのを待っている

腸閉塞を起こしたのだから腸を整えることの大変なこと身にしみる
老いた人々の心にそうというのは実の親はかえってむずかしい

とにかく今日も2人の生活に踏み込みすぎぬよう気をつけている

その分本が普段より読めている まるで一人暮らしのように
7時半
母はもう眠ってしまった

by akageno-ann | 2017-10-13 19:37 | 老育 | Trackback | Comments(0)

深夜放送

もう10年も前になるが今は亡き親友がNHK第1とFMで夜中にいい放送をしているというので聞き始めた
聞きながら眠ってしまうことが殆んどだが習性から夜明け前の4時頃に目がさめると
いい対談をやっていることが多い

今朝はマンガ家池田理代子さんだった
今でこそ漫画は日本の誇る文化だが若き頃はずい分と低くみられ
手痛いを思いをなさったそうだ
しかしそんな時に手塚治虫氏が「僕なんか小学校の校庭のまん中で当時小学生がもっていた僕のマンガをやかれたことがある」でも頑張り続けよと言われたことが原動力になコているとのエピソードがあった

私は幸いそういう親でなかったので「鉄腕アトム」も「ジャングル大帝」も大ファンで読んだリテレビも見られたがそういう時代に育っていたことも確かだ

しかも大学時代にも「エースをねらえ」や「ベルサィユのバラ.」を何度も愛読していた
そういう読書も他の読書と同じように思えた

池田氏によれば今欧州は漫画がムーブになりよい作品がたくさんあるという

いつかノーベル文学賞に漫画家が選ばれる日がやってくる日も遠くないと
結ばれた

明日も池田氏の後半インタビューだというので楽しみにすることにした 

テレビと違ってラジオの良さを実家で過ごすようになって改めて感じている
大学受験講座もラジオで聴いたなとなつかしい


by akageno-ann | 2017-10-12 14:48 | 老育 | Trackback | Comments(0)

神無月なりて

八百万の神々が出雲の地に集まられるという伝説を幼い頃聞いていたので、
なんだか今月は心もとない気持ちになるが・・
実は留守神様がいらして、しっかりと皆を守っていられると・・神主の
伯父に聞いたことも思い出している。

母の二回の救急搬送は私たち家族の心をすっかり怯えさせているが、幸い
母は最初の救急搬送の前の状態に戻っている。

しかしいつ何があっても不思議ではないほどに年を重ねていることも事実で
私たち姉妹は結束を堅くしている。
先ずなるべく実家に寄り添うこと・・
昼間は妹やその息子が母の傍に行き 夜は私がとにかく泊まり込むという体制を
ここまで続けてきた・・
このまま冬にずれ込むのだと・・いろいろと不安があり、いい施設を妹が探してきて
予約までしてきたが・・母はこの家を離れたくないという意志が強く、
もっといい介護を受けた方が・・と思いつつも  父と私たちで支えられるだけ支えることが
一番良いのかも・・とも思っている。

母は入院中に立てませんよ・・と医師から伝えられたが リハビリ病院に移ることを拒否して
自宅に戻った・・・その日の夜中・・ひょこっと一人でトイレにベットから立ったので
私は仰天したが・・人間の想いを母の想いを痛感した・・・

その翌日に驚かされたのは 処方された 抗生物質が母には少々強くて 気を失い
「ああ・・・やはり無理をさせたのだ」と父と落ち込んだが  病院側がこれは薬のせいです、と
素早い処置をしてくれたので、三日で退院できた・・

父と私たちで毎日病院に行くので・・母の願いの通り今度は早く家に帰してくれたのだ。

舅との30年以上の同居の間に 私は両親の好きなものも生活形態も知らずに 愕然とするほど
愚かな娘になっていたが・・・そこは生まれ育った小さな家の我が家 両親のペースを崩さない様に
寝泊りする生活に慣れてきた・・
夫も実によく協力してくれて・・1カ月がたった・・

母はもう少し頑張れそうな気がしてきている・・
退院後一日で気を失った母が救急搬送された晩は  かなり覚悟もしたので そういう普通の生活が
戻ることに半信半疑な自分であったが・・恐る恐る 日中家に戻ったり  泊まりを一日やめたり
と試している・・

この間に両親の築いた暮らしが、私の中に広がってきて・・・感動したり 逆にそのあまりに
自分たちで守っているものの強さに哀しみをもったりと・・・
これはこれからずっと記録して行こうと決めた・・

両親の60有余年の結婚生活・・・それは素晴らしいとしかいえない・・

それに重ねて先日地元の敬老会に一緒にカラオケ部として参加された 二人合わせて180歳の
ご夫妻の姿にも感動と学ぶべきものの多いことを感じている・・

私も高齢化の社会の一員として・・さまざまな問題に直面して・・・若いケアマネージャーの
考え方なども聴きながら歩んでいこうと思う。

by akageno-ann | 2017-10-02 23:01 | 老育 | Trackback | Comments(1)

母平静に戻る・・・

とても心配な日々が2日続いたあと・・・母はまるで憑き物が落ちたように穏やかになって
病室にいた・・いやその日はベッドが空で・・・心配したら 車いすで看護士さんとリハビリ中だった
母が「ここよ・・」と手をふっている
「何かございましたか?」と尋ねると・・「ベットばかりでないように移動してみました・・」
と当番の若い看護士さんが言ってくれた・・

「ありがとうございます・・」と感謝すると 母は「なんでもやってもらってしまって・・」と
すっかり落ち着いている・・しかもその日は入院前よりクリアな母がいた・・

ごくまれに 本当にこんな風にクリアになる話も聞いてはいるが・・これもひと時の母の情況だと
こちらもぬか喜びはしないが・・でもこの日はこのしっかりと話してくれる母であることを喜びたくて
妹にもさっそくメールした・・

とりあえずこの病院での暮らしに慣れてはきたようだが・・このあとをどうするか・・が
問題である。

普通はリハビリ病院へ移ってから自宅なのだが・・母は自宅を願っている・・
その願いは父も同じだ・・

ここで心つもりをしなくてはならないのは私の行動である・・

私の自宅は幸い二軒になっているから 引っ越してもらうことが私は楽なのだが・・
そうは簡単には行かない話である。

二人は今の都心の生活から離れる気持ちは全くない・・

住みなれてご近所もいいその場所がいいのである・・
と、いうことは私たちが毎日通うことになるが・・たまに寝泊りもして
それが一番良さそうだ・・主人の父とは30年以上一緒に暮らしてきた
それとはまた別の感覚がある・・

でもいよいよ実の両親との新しい暮らし方を模索するときがきた・・

ただ有難いのはケアマネージャーさんやケースワーカーの方 そして従妹の施設の
方たち・・皆多くの経験をもって相談にのってくださる・・
私も自分の心を正直に相談している・・
それが義父の時とは違っている  そして時代もずいぶんと老人の多い問題点を
抱えるようになっていることも感じている・・

さて今日は母はどんな感じで病院で待っているか・・と考えながら 出かけていく・・


by akageno-ann | 2017-09-07 09:56 | 老育 | Trackback | Comments(1)

所属することの意味

60歳を越えると地域自治体の老人会に入会可能になる。
老人会というと今は80歳を超えないと老人とは認められない気もするのだが
この組織はなかなか大切なものだと感じている。

もちろん紅葉会とかことぶき会とか地域によって名称も違うのだが
内容は老人たちの集会である。

亡き父が亡くなる日まで30年間所属していたので、その組織や活動を垣間見る機会と
人手が足りないとちょっと手伝ったりしていたので、馴染みやすかった。

そこで昨年から誘っていただくままに入会した。
もちろん一番若手になる。

せっかく年寄りの仲間に入れてもらったら 若いのだから若いのだから・・と
言われると違和感があるが・・

しかしこういうコミュニティに参加する意義というのを感じる
若いという時代から入会してその組織に身を置くということから学びがある

というのは先ず93歳と88歳のご夫妻の謙虚な生き方を見せていただいた。
私の両親との生活の中でも 謙虚であることの大切さを感じている。

年を重ねると 自らが一番・・気になる存在となり自分中心な考え方が強くなる。
そこを補うように添っていかねばならないと思っている・・

昨日は誕生日で両親とカレーを食べに行った・・
母はカレーとコーヒーは認知症予防になる・・というので
ちょっと可愛らしかった・・

カレーは私も大好きで インド時代を思い出し話をしていたらその晩に
女優菅野美穂さんの ヨガの心を訪ねるインドの旅を見た

私の見たインドとは違うインド・・・私の住んだ1987年からのデリーから
20年後のインドがそこにあった・・

デリーは とても進化していたが・・・ヨガの聖地リシュケシュは
殆ど変わっていないように感じた・・



by akageno-ann | 2017-08-22 02:28 | 老育 | Trackback | Comments(1)

神様の言うとおり

従妹は本当に頑張った・・・
一口に手術すると言っても・・納得のいく手術をすることができるのはなかなか難しい
その中で緊急手術というのは意外に心が定まるものだと・・常々感じていた。
自分も異国の地で日に日に大きくなる乳腺のしこりが気になって・・
やはり外国の医師ではあったが、その人を信じて切除したという経験がある。

今回従妹は足を骨折したことによって・・・さらに変化していく自分の腫瘍の大きさに
切除することを決意した。

そこまで見守ってくださった医師のお力ももちろんあってのことだった。

病は本当に千差万別だ・・
その時にある自分の状態も非常に決断を左右する

しかも私自身の想いも彼女にかなりの負担をかけたように思う。
いろいろなことを言い過ぎたのではないか・・

ここまで頑張ってきた彼女の辛抱強さに私は頼っているのではないか・・と
自問自答して答えが出なくて  信頼している人々にずいぶんと相談もした。

しかし一番頼ったのは神様の存在だったように思う。

今こうしていることが神さまのおかげのような気がしている。

流れに身を任せていくということが時には大切に思える。

偶然もやはり必然だと思え・・長年の経験が少しは役立つと・・・感じているこの頃だ。



by akageno-ann | 2017-04-27 22:53 | 老育 | Trackback | Comments(2)

桜とともに・・・

母介護 帰りは花見の 電車かな

雨中に咲き誇った桜が見事だった

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最近TBSのプレバトの俳句ランキングにはまっているが自分は先ず苦手・・
でもふと五七五に言葉をあててみた・・

従妹がまだ骨折の病後でリハビリもあり退院できないが、母の方もやはり足の術後跡
少しずつ認知が始まってしまっているようで・・・ここも三日は明けたくない

というのも父が頑張ってくれているが 父自身が疲れの為に年老いていく傾向が
見える・・だが不思議と私が行くと娘に負けたくない・・という勝気さが出て
元気になる気がするのは本当のようだ

今日はサランラップが途中で切れて難儀していたので 私がやってあげると
取り上げたら・・自分でできる・・と言い張っていた・・

それでいいのだ・・

二人とも姪であるあっちゃんを心配している・・

そのことをあっちゃんにまた伝えると  「あのちゃぶ台返しのおじちゃんが
おばちゃんを介護しているなんてすごい・・」と言って笑ってくれた

そう若い頃の父はそういうところあったなあ・・と笑ってしまった・・

小さいころから互いを知っているというのは本当に心楽しいことだ・・と

おじちゃんたちがなんとか頑張っているから・・私たちも頑張ろう

このブログを見てお友達がお見舞いにいらしてくださった・・と
従妹はとても喜んでそれがまた回復の糧になっています。

下の写真はうちの近くのあけぼのの森公園のムーミンの家です。
友人をお誘いしていたのですが、ちょっと家族が心配な状態で
延期をしていただきました。

ちょっと久しぶりでどんな感じになっているかちょこっと様子を
見ましたら・・・少し裏寂れてしまった感は雨のせいかもしれません

晴れた日にご案内したいです。
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久しぶりに小夏庵も更新しました・・・


by akageno-ann | 2017-04-08 23:16 | 老育 | Trackback | Comments(5)

37回目の更新

30日は結婚記念日と普通はいうが・・我が家の場合は結婚更新の日と呼んでいる。
インドに行ったころより 私たちは結構な喧嘩をするようになった。
新婚時代から舅と一緒に暮らすと家庭内で遠慮があるせいかあまり本当の喧嘩をしていなかったが
在外のインドで夫婦二人になって初めて芯から喧嘩をするようになっていた。

そして夫婦で向き合ってみて、「これからまたこの結婚を続けますか?」と互いに
問うのだ・・・それが不思議と冬を抜けたこの早春の結婚記念日あたりにそんなことになるので
いつの間にかこの日は更新日になった・・

そして今年もまた38年目に突入した。
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家の前の公園の桜が一部咲き始めた日でもあった。

この日実は二人とも記念日を忘れていた。骨折して青梅に入院した従妹を、私の父が伯父として
見舞いたい・・というので、一人にはしておけない練馬の実家の母を主人が見守りに行ってくれると
いうことになって・・実現した。

母のことも心配だったが、主人が初めて母をランチに連れ出してくれるというので任せた。
主人はのんびりと母の相手をしてくれたようで・・母も「お世話になったのよ」と
機嫌よく電話に出た。

それを聞いてほっとして、父と二人で従妹の病院に行くと、従妹はベッドにいながら
「おじちゃん・・ありがとう・・無理せんでね・・」とか細い声だったが父に抱きつくように手を伸ばした
従妹の肩を抱いて「よう頑張っているんね・・すぐに来ないで悪かったね・・」と二人が土佐弁で話すのをみて
思わず、泣きそうになった・・・


従妹は私の父を昔から大好きで・・そして尊敬してくれていた。
前日まで父の見舞いが彼女の負担にならないか心配したし・・母のことも心配だったから
いろいろ取り越し苦労した私の想いは杞憂に終わった・・そしてほっとした。

父は耳も遠くなったが、看護士さんと 隣のベッドのご婦人に丁寧に挨拶をしてくれて
従妹も喜んでいた。

いくつになっても父であり従妹にとって伯父であるのだ・・と改めて思った。

そういえば14年前従妹が脳内出血に倒れて 嵐の夜の大手術が夜明けの4時までかかったときも
父は一睡もせずに病院に控室のソファアでつきあってくれたこと・・・

あの時父は73歳でずっと若かったな・・と

そんなことを想ったこの日だった。
今 父は一つ違いの愛妻である私の母が少しずつ衰えてしまっていくのをじっくりと見守り、
共に暮らし 哀しみを乗り越えている・・

私や妹と父は、互いの思いが強すぎて時にぶつかるが・・この父に敵うことは何もないと
娘として思っているのですよ・・といつも後ろ姿に語りかける・・

そんな3月31日・・・そして明日からは4月だ・・・

春よこい・・・早く来い・・・あっちゃん歩きたいね・・・



by akageno-ann | 2017-03-31 21:34 | 老育 | Trackback | Comments(6)

母の実家へ

今年の椙本神社の春大祭は 2月12日日曜日である。3年前を
思い起こし雪で行けなかった時と似たような雪催い・・
しかし今回は大雪はないようなので
それを信じるが  四国まで雪催い


母の実家の神社だが 母は神祭には絶対に迷惑をかける・・と帰らなかった。
お祭りがあまり興味の対象でなかったのでは・・と思う
私はお祭りが好きだ

皆で集い一つのことを仕上げることの大切さを教員だったせいか行事をこなす
という点でも似たようなことなのだ

だから帰る・・・これも療養中の従妹のおかげでもある
声掛けが上手で人寄せが上手な彼女が 今静かに療養して
私がお祭りに行ってくるね・・とあいさつしたら
静かな笑顔でよろしくお願いします・・という

一度は帰ろう・・今の状態でも帰れないことはないのだから
貴方のいるお祭りに私は帰りたい・・



by akageno-ann | 2017-02-09 10:25 | 老育 | Trackback | Comments(2)
母が急に少し呆けてしまったかな?と思ったのは2年前の冬だった。
外反母趾がひどくて 整形外科医がだいじょうぶ簡単に手術できるとおっしゃったので
母はその言葉にかけた・・

少々心配したが 舅が86歳で心臓バイパス手術をして成功したので、そのまま実行に・・

ところが足は見事に治ったのだが、母はギブスをして動きにくくなってしまったようで
そのまま生活力が失われていきそうだった。

これが高齢者の手術用の麻酔の怖さだとわかったが  本当に後の祭りになってしまった。

それからの二年・・私は妹と場合によっては母を近所の介護施設に置いた方がいいのではないかとも
考えたのだが、父が母の介護を買ってでて私たちが支援する形になった。

私の家は舅もいなくなり部屋もあるので一緒に住まないか・・と主人と持ちかけたが
もう60年も住み慣れた東京の家がいいというので、私たちが通うことになった。

それから二年  考えてみると父の毎日のリハビリの努力は母との本当の二人三脚で見事に復活していると言える。

母は家事こそあまりしなくなったが、会話は術前とほとんど変わらず、しっかりとしてきた。
同じことこそ繰り返し言うのは術前も静かに進んでいた症状で・・

おそらくは少しずつ発症していた認知症が麻酔によって急速に進んだのだと思う。

父は長いこと特別支援学校に勤務し、都立の支援学校の校長を辞してからは短大で教育学を指導してきた。

その間私たちにはかなり厳しい人であったが、障害を持つ人への慈愛の眼差しと「待つ」という心を持って
居たのだと    母のリハビリを看ながらつくづく感じた。

私は時に私たちへの厳しさに初めて反発もしたが  それをもしっかり受け止めて今がある・・


先日東京ドームのフェズティバルに同行してくださった ふわりさんがまた母娘の素敵な文章をかいていらしたので
ここにリンクさせていただきます。ふわりちゃん 私の心もやさしくなれました。ありがとう・・・

その記事はこちら・・・



by akageno-ann | 2017-02-04 10:30 | 老育 | Trackback | Comments(3)