アンのように生きる・・・(老育)

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かけがえのない日本の片隅からの発信をライフワークとして、今は老いていくにも楽しい時間を作り出すことを考えています。

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カテゴリ:老育( 19 )

神様の言うとおり

従妹は本当に頑張った・・・
一口に手術すると言っても・・納得のいく手術をすることができるのはなかなか難しい
その中で緊急手術というのは意外に心が定まるものだと・・常々感じていた。
自分も異国の地で日に日に大きくなる乳腺のしこりが気になって・・
やはり外国の医師ではあったが、その人を信じて切除したという経験がある。

今回従妹は足を骨折したことによって・・・さらに変化していく自分の腫瘍の大きさに
切除することを決意した。

そこまで見守ってくださった医師のお力ももちろんあってのことだった。

病は本当に千差万別だ・・
その時にある自分の状態も非常に決断を左右する

しかも私自身の想いも彼女にかなりの負担をかけたように思う。
いろいろなことを言い過ぎたのではないか・・

ここまで頑張ってきた彼女の辛抱強さに私は頼っているのではないか・・と
自問自答して答えが出なくて  信頼している人々にずいぶんと相談もした。

しかし一番頼ったのは神様の存在だったように思う。

今こうしていることが神さまのおかげのような気がしている。

流れに身を任せていくということが時には大切に思える。

偶然もやはり必然だと思え・・長年の経験が少しは役立つと・・・感じているこの頃だ。



by akageno-ann | 2017-04-27 22:53 | 老育 | Trackback | Comments(1)

桜とともに・・・

母介護 帰りは花見の 電車かな

雨中に咲き誇った桜が見事だった

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最近TBSのプレバトの俳句ランキングにはまっているが自分は先ず苦手・・
でもふと五七五に言葉をあててみた・・

従妹がまだ骨折の病後でリハビリもあり退院できないが、母の方もやはり足の術後跡
少しずつ認知が始まってしまっているようで・・・ここも三日は明けたくない

というのも父が頑張ってくれているが 父自身が疲れの為に年老いていく傾向が
見える・・だが不思議と私が行くと娘に負けたくない・・という勝気さが出て
元気になる気がするのは本当のようだ

今日はサランラップが途中で切れて難儀していたので 私がやってあげると
取り上げたら・・自分でできる・・と言い張っていた・・

それでいいのだ・・

二人とも姪であるあっちゃんを心配している・・

そのことをあっちゃんにまた伝えると  「あのちゃぶ台返しのおじちゃんが
おばちゃんを介護しているなんてすごい・・」と言って笑ってくれた

そう若い頃の父はそういうところあったなあ・・と笑ってしまった・・

小さいころから互いを知っているというのは本当に心楽しいことだ・・と

おじちゃんたちがなんとか頑張っているから・・私たちも頑張ろう

このブログを見てお友達がお見舞いにいらしてくださった・・と
従妹はとても喜んでそれがまた回復の糧になっています。

下の写真はうちの近くのあけぼのの森公園のムーミンの家です。
友人をお誘いしていたのですが、ちょっと家族が心配な状態で
延期をしていただきました。

ちょっと久しぶりでどんな感じになっているかちょこっと様子を
見ましたら・・・少し裏寂れてしまった感は雨のせいかもしれません

晴れた日にご案内したいです。
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久しぶりに小夏庵も更新しました・・・


by akageno-ann | 2017-04-08 23:16 | 老育 | Trackback | Comments(5)

37回目の更新

30日は結婚記念日と普通はいうが・・我が家の場合は結婚更新の日と呼んでいる。
インドに行ったころより 私たちは結構な喧嘩をするようになった。
新婚時代から舅と一緒に暮らすと家庭内で遠慮があるせいかあまり本当の喧嘩をしていなかったが
在外のインドで夫婦二人になって初めて芯から喧嘩をするようになっていた。

そして夫婦で向き合ってみて、「これからまたこの結婚を続けますか?」と互いに
問うのだ・・・それが不思議と冬を抜けたこの早春の結婚記念日あたりにそんなことになるので
いつの間にかこの日は更新日になった・・

そして今年もまた38年目に突入した。
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家の前の公園の桜が一部咲き始めた日でもあった。

この日実は二人とも記念日を忘れていた。骨折して青梅に入院した従妹を、私の父が伯父として
見舞いたい・・というので、一人にはしておけない練馬の実家の母を主人が見守りに行ってくれると
いうことになって・・実現した。

母のことも心配だったが、主人が初めて母をランチに連れ出してくれるというので任せた。
主人はのんびりと母の相手をしてくれたようで・・母も「お世話になったのよ」と
機嫌よく電話に出た。

それを聞いてほっとして、父と二人で従妹の病院に行くと、従妹はベッドにいながら
「おじちゃん・・ありがとう・・無理せんでね・・」とか細い声だったが父に抱きつくように手を伸ばした
従妹の肩を抱いて「よう頑張っているんね・・すぐに来ないで悪かったね・・」と二人が土佐弁で話すのをみて
思わず、泣きそうになった・・・


従妹は私の父を昔から大好きで・・そして尊敬してくれていた。
前日まで父の見舞いが彼女の負担にならないか心配したし・・母のことも心配だったから
いろいろ取り越し苦労した私の想いは杞憂に終わった・・そしてほっとした。

父は耳も遠くなったが、看護士さんと 隣のベッドのご婦人に丁寧に挨拶をしてくれて
従妹も喜んでいた。

いくつになっても父であり従妹にとって伯父であるのだ・・と改めて思った。

そういえば14年前従妹が脳内出血に倒れて 嵐の夜の大手術が夜明けの4時までかかったときも
父は一睡もせずに病院に控室のソファアでつきあってくれたこと・・・

あの時父は73歳でずっと若かったな・・と

そんなことを想ったこの日だった。
今 父は一つ違いの愛妻である私の母が少しずつ衰えてしまっていくのをじっくりと見守り、
共に暮らし 哀しみを乗り越えている・・

私や妹と父は、互いの思いが強すぎて時にぶつかるが・・この父に敵うことは何もないと
娘として思っているのですよ・・といつも後ろ姿に語りかける・・

そんな3月31日・・・そして明日からは4月だ・・・

春よこい・・・早く来い・・・あっちゃん歩きたいね・・・



by akageno-ann | 2017-03-31 21:34 | 老育 | Trackback | Comments(6)

母の実家へ

今年の椙本神社の春大祭は 2月12日日曜日である。3年前を
思い起こし雪で行けなかった時と似たような雪催い・・
しかし今回は大雪はないようなので
それを信じるが  四国まで雪催い


母の実家の神社だが 母は神祭には絶対に迷惑をかける・・と帰らなかった。
お祭りがあまり興味の対象でなかったのでは・・と思う
私はお祭りが好きだ

皆で集い一つのことを仕上げることの大切さを教員だったせいか行事をこなす
という点でも似たようなことなのだ

だから帰る・・・これも療養中の従妹のおかげでもある
声掛けが上手で人寄せが上手な彼女が 今静かに療養して
私がお祭りに行ってくるね・・とあいさつしたら
静かな笑顔でよろしくお願いします・・という

一度は帰ろう・・今の状態でも帰れないことはないのだから
貴方のいるお祭りに私は帰りたい・・



by akageno-ann | 2017-02-09 10:25 | 老育 | Trackback | Comments(2)
母が急に少し呆けてしまったかな?と思ったのは2年前の冬だった。
外反母趾がひどくて 整形外科医がだいじょうぶ簡単に手術できるとおっしゃったので
母はその言葉にかけた・・

少々心配したが 舅が86歳で心臓バイパス手術をして成功したので、そのまま実行に・・

ところが足は見事に治ったのだが、母はギブスをして動きにくくなってしまったようで
そのまま生活力が失われていきそうだった。

これが高齢者の手術用の麻酔の怖さだとわかったが  本当に後の祭りになってしまった。

それからの二年・・私は妹と場合によっては母を近所の介護施設に置いた方がいいのではないかとも
考えたのだが、父が母の介護を買ってでて私たちが支援する形になった。

私の家は舅もいなくなり部屋もあるので一緒に住まないか・・と主人と持ちかけたが
もう60年も住み慣れた東京の家がいいというので、私たちが通うことになった。

それから二年  考えてみると父の毎日のリハビリの努力は母との本当の二人三脚で見事に復活していると言える。

母は家事こそあまりしなくなったが、会話は術前とほとんど変わらず、しっかりとしてきた。
同じことこそ繰り返し言うのは術前も静かに進んでいた症状で・・

おそらくは少しずつ発症していた認知症が麻酔によって急速に進んだのだと思う。

父は長いこと特別支援学校に勤務し、都立の支援学校の校長を辞してからは短大で教育学を指導してきた。

その間私たちにはかなり厳しい人であったが、障害を持つ人への慈愛の眼差しと「待つ」という心を持って
居たのだと    母のリハビリを看ながらつくづく感じた。

私は時に私たちへの厳しさに初めて反発もしたが  それをもしっかり受け止めて今がある・・


先日東京ドームのフェズティバルに同行してくださった ふわりさんがまた母娘の素敵な文章をかいていらしたので
ここにリンクさせていただきます。ふわりちゃん 私の心もやさしくなれました。ありがとう・・・

その記事はこちら・・・



by akageno-ann | 2017-02-04 10:30 | 老育 | Trackback | Comments(3)

長生きするということ

最近高齢者の運転する車での大事故がニュースになる。
一昨日の神奈川での小学校一年生の死亡事故はあまりに悲惨である。
しかも加害者の男性は87歳で 一人暮らしで 軽トラを日常的に運転していたようだ。

事故後の調書で運転していた時の記憶を一部失っているような、報道があった。
そんな運転者がいてよいはずがない。
しかしお年寄りに車の運転をやめさせることの大切さを感じている。
幸い私の父は私たち子どもたちにも運転を奨めない人だったので、もちろん運転免許を
持っていない。
ほっとするのはもしもこの父が今も運転している人だったら、私たちの助言を聴いてくれたかなあ
と思った。

亡き舅殿は50ccバイクに乗っていて、85歳まで近隣を乗り回していた。
これが自分の足の代わりだからと80歳過ぎてからの私たちの不安を聞き入れなかった。
85を過ぎて さすがに取り回しができなくなって、自らやめてくれたが
年をとってからの足の代わりに車は皆やめたくはないだろう・・

しかし自動運転の車もこれからでてくるだろうが、これも実に心配である。

自分もとにかく気を付けての運転を心がけ、歩けるところは歩く・・という
ことを最近気を付けている。

結局長生きするために必要なことの一つは自分で歩ける・・と言うことだと思う。
今回の旅で母をタクシーと飛行機と親戚の車で完遂することができたが、その間には
車いすが大きな助けとなった。
自分で歩きたい・・と言った母に旅の間だけ車いすを使ってほしいと頼んだら
素直に応じてくれたので助かった。

ある程度普通に歩いて一生を過ごす・・ということの重要なことを身に沁みている。

事故の犠牲になられたお子さんのご冥福を心から祈ります。合掌



by akageno-ann | 2016-10-31 10:29 | 老育 | Trackback | Comments(3)

父と私のそれぞれの郷愁

二年前の外反母趾の手術から母は急に老け込みました。
おそらくは 手術時の麻酔と 半年近く片足が不自由で思うように動けなかった
せいだと思います。
私たち家族 とりわけ父の戸惑いは大変なものだったと思います。

毎日一緒に生活してきた相棒の急な変化はショックが大きく普通でしたら
早くからヘルパーの手を借りるとか、リハビリ病院に入院させるとか考えるところを
父は違いました。

自分のできる限りの共同のリハビリで母を回復させようとしていました。
その目的を[一緒に高知へ帰郷する]ということしたのです。

父の著書「万緑の港」という俳句エッセーに 終戦後に満州から、病身の実母を家族と
連れ帰った記録があるのですが、「どうしても故郷の高知にかえってから死にたい・・」と
覚悟して懇願していた父の実母露子の逸話を思い出しました。

あの時代の不自由な生活の中にも家族を離散させずに海の向こうの大陸から日本の四国という
小さな島のさらに山奥の家に連れ帰った記憶は・・老いた父に大きなエネルギーを与えていたように
思います。

父は昭和31年まで高知県で小学校教員をしていましたが、先輩の勧めで 東京都の教員試験を
受け直し故郷を後にしたのです。

それから60年 この東京で他の親戚とは離れて私たち小さな家族を守り続けてきたのです。

そういう感謝は忘れていませんが、父が少しだけ故郷への思いが薄らいでいるように思えて私は
少し批判的に見ている部分がありました。

私は高知で生まれていますから、祖父母の家や墓守をしなくてはならないと幼い頃から思っていました。
その思いからここのところ父の代わりに帰郷する回数が増えていただのです。

しかし父の久しぶりの帰郷は父の教え子 母の同級生 そして親せきの人々を喜ばせました。
そのことが先ず、私を感心させたことでした。
                                    つづく


by akageno-ann | 2016-10-29 16:17 | 老育 | Trackback | Comments(0)
両親との故郷への旅は人々の多くの援けを借りて無事遂行できました。
疲れたと言えば疲れたし、達成感があるといえばあります。
気楽な旅ではなかったけれど 多くのことを学んだ 2泊3日・・
正直多くの覚悟もしていました。
一番考えていたのは 母が体調を崩して行けなくなることもあるということ・・
ここまでの体調管理も両親が夫婦でしっかり行っていたようでした。
私は臆病だから 事前の雨の月曜日に池袋に土産を買いに行くという日に
ひどく反対したほどでした。
でも二人はこれも訓練と・・タクシーを雇って行きました。
私はわざとついていかなかった・・実家で家事をしていると、「無事についたから
大丈夫」と電話があったので家路につきました。
夫婦での行動をあまり監視するのもいけない・・と反省しながら・・

その週の土曜日に出発でしたが 金曜日に実家に泊まって一緒に出発することにしました。
その夜も 近所のレストランで食事するというので・・夕食を少し用意していた私は
また心配しましたが 翌日から外食なのだからいいことなのかもしれない・・と思い返して
近所に可愛らしいレストランができて、二人はよく利用しているのだ・・
いろいろサービスしてもらっているので、ちょうどいただいた故郷の大きな梨をお土産にしたら
シェフのご家族が喜んでくれました。
開店したばかりの一番の客だったので 明日から四国へ旅に出る話をしたりして
家族3人の士気を高めるような気がしました。

早めに準備もし、早く床に就き、翌朝を迎えました。

私は相変わらず早起きなので、テレビをつけて天候や交通状況をチェックしていました。
高知は雨の予報でした。

この日10時半にタクシーを予約して 羽田空港に向かいました。
このタクシーという便利な手段によって足の弱まった母は大きな勇気を得ていました。
11時半には全日空の出発ロビーに到着・・すぐに車いすを借りることができました。
このまま飛行機の搭乗口まで入れるそうで、車いすをあまり普段使用しない母でしたが
乗ってみると意外に乗り心地が良かったらしく・・私と父が変わりばんこに押していくことを
喜びました。
機内へは 係員が運んでくれました。
今回はプレミアムクラスにしていたので楽でした。ランチの軽食のサンドイッチを
両親ともにおいしそうに完食しました。

飛行機は生憎の天候のせいか ずっと小さく揺れていました。
しかし無事時間通りのランディングで、迎えてくれる人々を安心させたようでした。
荷物を受け取って再び車いすで到着ゲートに向かうと そこには父の教え子の方が
待っていてくだいました。
いよいよ故郷での旅が始まります。
                            つづく

by akageno-ann | 2016-10-27 19:03 | 老育 | Trackback | Comments(2)

義務と孝行

実家の方に通っている話をすると・・時々 「偉い・・すごい・・」という
お褒めの言葉をいただくけれど、それはちょっと違うな・・と今日は電話の相手に
話をしつつ『親孝行と親への義務』について考えていた。

鎌倉時代に 主従関係の間にあったという 御恩と奉公を思い出した。
「孝行」という優しい言葉はまたどこから生まれたのか?と思ってみると
これは儒教の教えにあるようだ。相互の信頼関係から生まれたこの言葉のように
親が両親を大事にしていた姿をみつつ育ってきた自分を思った。
テレビ東京の「家へついて行っていいですか?」という終電に乗りそこなった
人の承諾を得て、家へついていくというバラエティのような番組だが、
そこにも親子のなんとも切なかったり暖かだったり、時には少し厳しい家族の
関係が垣間見れるのだが・・家族の関係というのはバラエティに富んでいるようでいて
実は切っても切れない縁という共通項を見出すことができる。
それは長く会わずとも一枚のクリスマスカードだったり、子供の描いた絵を壁に貼って
あったり・・今はいない家族の部屋をそのままきちんと残して過ごしていたり・・

親というのはどこまでも有難い存在だ。
優しい母はさらにやさしくなってきた。夫婦でなんとかやっていこうという
気持ちと最近は娘たちよく電話してきて・・デイサービスに行ってきました・・
など小さな報告をしてくれる。

母と離れていた分の時間を今埋めているようにも思う。
知らないうちに両親の食の好みが違っていたり、はっとさせられることが多い。
掃除の仕方も最近やっとペースがつかめてきた。

妹は私よりも10年下だからその分実家での過ごし方をよくわかっている。
その分私は嫁ぎ先のペースが沁みついているのだなあ・・と感慨を新たにしたりしている。

玄関先に移植したホトトギスが見事に花をつけた。
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by akageno-ann | 2016-10-11 16:50 | 老育 | Trackback | Comments(4)

父を叱る

ここ数日間の父とのやりとりは複雑きわまりない。
父はまことに威厳をもって娘たちに接する人だから 自分の知らず衰えてきている
判断力にいらいらしているのがわかる。

それを少しでも楽にしてあげたいと・・考えて行動するがそれがどうもうまく伝わらない。

今月は両親と帰郷することになっている。
その旅程もなかなか決まらないが、飛行機の手配はしっかりと父がしてくれた。
あとは宿のこと 親戚との連絡 車の手配が私の大きな役割になる。

しかし4年ほど前に父と二人で帰郷した時に私はもう絶対父とは帰郷しないと・・
決めてしまったいきさつがある。

そのことを今日は父に話さなくてはならなくなった。

父は私の想いすごしだというけれど、そのとき・・私がその旅の采配を少々先回りしてふるったことへの
怒りはすごいものだったのだ。

父をそのときに多少なりとも年寄扱いしたことが気に障ったことは間違いない・・

長女である私が長女風を吹かせたことも気に入らなかったのだ

そのあたりの心の変化を父が他人に向けない様に・・私は今日は思い切って今回の旅に出かけるにあたって
話し始めた。

途中声高にも互いになったが・・父が  「この頃確かに短気になったな・・脳が委縮しているのかも
しれない・・・」と父が認めた時・・私は今までのように「そんなことはない・」などと持ち上げずに

「耳が遠くなったのが原因だと思うけど 勘違いが多くなったと思うの」
そのことで叱られる側はとてもしんどいのだ・・ということを正直に話し この旅は楽しいものに
したいのということを願った・・

なんとか穏便な雰囲気になったのは  母がお土産を何にするか 持参したパンフレットを楽しんでみていて
私たち親子の言い争いをそんなに心配していなかったことだ・・

父と「お母さんは楽しそうでいいな・・」と苦笑して 続きは来週月曜日にじっくり話すことにした。
それまでの間は妹が行ってくれる・・

私も少しお節介がすぎるのだ・・


でも少し前途多難なムードも感じて 帰り道 近くの小池東京都知事の お住まい ECO da House の
前を通って駅に向かった。
警備の警察官が必ずいて 道行く人に会釈してくれる・・

小池女史の頑張っている姿を思い浮かべつつ  自分の家族も守っていきたい・・とつくづく感じながら
帰途に就いた・・・父よあなたを心から尊敬して育った私としては・・本日は「老いては子に従え・・」と
いう先人の教えを遂行してしまいました。
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by akageno-ann | 2016-10-06 00:25 | 老育 | Trackback | Comments(3)