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アンのように生きる・・・(老育)

母の実家へ

今年の椙本神社の春大祭は 2月12日日曜日である。3年前を
思い起こし雪で行けなかった時と似たような雪催い・・
しかし今回は大雪はないようなので
それを信じるが  四国まで雪催い


母の実家の神社だが 母は神祭には絶対に迷惑をかける・・と帰らなかった。
お祭りがあまり興味の対象でなかったのでは・・と思う
私はお祭りが好きだ

皆で集い一つのことを仕上げることの大切さを教員だったせいか行事をこなす
という点でも似たようなことなのだ

だから帰る・・・これも療養中の従妹のおかげでもある
声掛けが上手で人寄せが上手な彼女が 今静かに療養して
私がお祭りに行ってくるね・・とあいさつしたら
静かな笑顔でよろしくお願いします・・という

一度は帰ろう・・今の状態でも帰れないことはないのだから
貴方のいるお祭りに私は帰りたい・・



by akageno-ann | 2017-02-09 10:25 | 老育 | Trackback | Comments(2)

母が急に少し呆けてしまったかな?と思ったのは2年前の冬だった。
外反母趾がひどくて 整形外科医がだいじょうぶ簡単に手術できるとおっしゃったので
母はその言葉にかけた・・

少々心配したが 舅が86歳で心臓バイパス手術をして成功したので、そのまま実行に・・

ところが足は見事に治ったのだが、母はギブスをして動きにくくなってしまったようで
そのまま生活力が失われていきそうだった。

これが高齢者の手術用の麻酔の怖さだとわかったが  本当に後の祭りになってしまった。

それからの二年・・私は妹と場合によっては母を近所の介護施設に置いた方がいいのではないかとも
考えたのだが、父が母の介護を買ってでて私たちが支援する形になった。

私の家は舅もいなくなり部屋もあるので一緒に住まないか・・と主人と持ちかけたが
もう60年も住み慣れた東京の家がいいというので、私たちが通うことになった。

それから二年  考えてみると父の毎日のリハビリの努力は母との本当の二人三脚で見事に復活していると言える。

母は家事こそあまりしなくなったが、会話は術前とほとんど変わらず、しっかりとしてきた。
同じことこそ繰り返し言うのは術前も静かに進んでいた症状で・・

おそらくは少しずつ発症していた認知症が麻酔によって急速に進んだのだと思う。

父は長いこと特別支援学校に勤務し、都立の支援学校の校長を辞してからは短大で教育学を指導してきた。

その間私たちにはかなり厳しい人であったが、障害を持つ人への慈愛の眼差しと「待つ」という心を持って
居たのだと    母のリハビリを看ながらつくづく感じた。

私は時に私たちへの厳しさに初めて反発もしたが  それをもしっかり受け止めて今がある・・


先日東京ドームのフェズティバルに同行してくださった ふわりさんがまた母娘の素敵な文章をかいていらしたので
ここにリンクさせていただきます。ふわりちゃん 私の心もやさしくなれました。ありがとう・・・

その記事はこちら・・・



by akageno-ann | 2017-02-04 10:30 | 老育 | Trackback | Comments(3)

長生きするということ

最近高齢者の運転する車での大事故がニュースになる。
一昨日の神奈川での小学校一年生の死亡事故はあまりに悲惨である。
しかも加害者の男性は87歳で 一人暮らしで 軽トラを日常的に運転していたようだ。

事故後の調書で運転していた時の記憶を一部失っているような、報道があった。
そんな運転者がいてよいはずがない。
しかしお年寄りに車の運転をやめさせることの大切さを感じている。
幸い私の父は私たち子どもたちにも運転を奨めない人だったので、もちろん運転免許を
持っていない。
ほっとするのはもしもこの父が今も運転している人だったら、私たちの助言を聴いてくれたかなあ
と思った。

亡き舅殿は50ccバイクに乗っていて、85歳まで近隣を乗り回していた。
これが自分の足の代わりだからと80歳過ぎてからの私たちの不安を聞き入れなかった。
85を過ぎて さすがに取り回しができなくなって、自らやめてくれたが
年をとってからの足の代わりに車は皆やめたくはないだろう・・

しかし自動運転の車もこれからでてくるだろうが、これも実に心配である。

自分もとにかく気を付けての運転を心がけ、歩けるところは歩く・・という
ことを最近気を付けている。

結局長生きするために必要なことの一つは自分で歩ける・・と言うことだと思う。
今回の旅で母をタクシーと飛行機と親戚の車で完遂することができたが、その間には
車いすが大きな助けとなった。
自分で歩きたい・・と言った母に旅の間だけ車いすを使ってほしいと頼んだら
素直に応じてくれたので助かった。

ある程度普通に歩いて一生を過ごす・・ということの重要なことを身に沁みている。

事故の犠牲になられたお子さんのご冥福を心から祈ります。合掌



by akageno-ann | 2016-10-31 10:29 | 老育 | Trackback | Comments(3)

父と私のそれぞれの郷愁

二年前の外反母趾の手術から母は急に老け込みました。
おそらくは 手術時の麻酔と 半年近く片足が不自由で思うように動けなかった
せいだと思います。
私たち家族 とりわけ父の戸惑いは大変なものだったと思います。

毎日一緒に生活してきた相棒の急な変化はショックが大きく普通でしたら
早くからヘルパーの手を借りるとか、リハビリ病院に入院させるとか考えるところを
父は違いました。

自分のできる限りの共同のリハビリで母を回復させようとしていました。
その目的を[一緒に高知へ帰郷する]ということしたのです。

父の著書「万緑の港」という俳句エッセーに 終戦後に満州から、病身の実母を家族と
連れ帰った記録があるのですが、「どうしても故郷の高知にかえってから死にたい・・」と
覚悟して懇願していた父の実母露子の逸話を思い出しました。

あの時代の不自由な生活の中にも家族を離散させずに海の向こうの大陸から日本の四国という
小さな島のさらに山奥の家に連れ帰った記憶は・・老いた父に大きなエネルギーを与えていたように
思います。

父は昭和31年まで高知県で小学校教員をしていましたが、先輩の勧めで 東京都の教員試験を
受け直し故郷を後にしたのです。

それから60年 この東京で他の親戚とは離れて私たち小さな家族を守り続けてきたのです。

そういう感謝は忘れていませんが、父が少しだけ故郷への思いが薄らいでいるように思えて私は
少し批判的に見ている部分がありました。

私は高知で生まれていますから、祖父母の家や墓守をしなくてはならないと幼い頃から思っていました。
その思いからここのところ父の代わりに帰郷する回数が増えていただのです。

しかし父の久しぶりの帰郷は父の教え子 母の同級生 そして親せきの人々を喜ばせました。
そのことが先ず、私を感心させたことでした。
                                    つづく


by akageno-ann | 2016-10-29 16:17 | 老育 | Trackback | Comments(0)

両親との故郷への旅は人々の多くの援けを借りて無事遂行できました。
疲れたと言えば疲れたし、達成感があるといえばあります。
気楽な旅ではなかったけれど 多くのことを学んだ 2泊3日・・
正直多くの覚悟もしていました。
一番考えていたのは 母が体調を崩して行けなくなることもあるということ・・
ここまでの体調管理も両親が夫婦でしっかり行っていたようでした。
私は臆病だから 事前の雨の月曜日に池袋に土産を買いに行くという日に
ひどく反対したほどでした。
でも二人はこれも訓練と・・タクシーを雇って行きました。
私はわざとついていかなかった・・実家で家事をしていると、「無事についたから
大丈夫」と電話があったので家路につきました。
夫婦での行動をあまり監視するのもいけない・・と反省しながら・・

その週の土曜日に出発でしたが 金曜日に実家に泊まって一緒に出発することにしました。
その夜も 近所のレストランで食事するというので・・夕食を少し用意していた私は
また心配しましたが 翌日から外食なのだからいいことなのかもしれない・・と思い返して
近所に可愛らしいレストランができて、二人はよく利用しているのだ・・
いろいろサービスしてもらっているので、ちょうどいただいた故郷の大きな梨をお土産にしたら
シェフのご家族が喜んでくれました。
開店したばかりの一番の客だったので 明日から四国へ旅に出る話をしたりして
家族3人の士気を高めるような気がしました。

早めに準備もし、早く床に就き、翌朝を迎えました。

私は相変わらず早起きなので、テレビをつけて天候や交通状況をチェックしていました。
高知は雨の予報でした。

この日10時半にタクシーを予約して 羽田空港に向かいました。
このタクシーという便利な手段によって足の弱まった母は大きな勇気を得ていました。
11時半には全日空の出発ロビーに到着・・すぐに車いすを借りることができました。
このまま飛行機の搭乗口まで入れるそうで、車いすをあまり普段使用しない母でしたが
乗ってみると意外に乗り心地が良かったらしく・・私と父が変わりばんこに押していくことを
喜びました。
機内へは 係員が運んでくれました。
今回はプレミアムクラスにしていたので楽でした。ランチの軽食のサンドイッチを
両親ともにおいしそうに完食しました。

飛行機は生憎の天候のせいか ずっと小さく揺れていました。
しかし無事時間通りのランディングで、迎えてくれる人々を安心させたようでした。
荷物を受け取って再び車いすで到着ゲートに向かうと そこには父の教え子の方が
待っていてくだいました。
いよいよ故郷での旅が始まります。
                            つづく

by akageno-ann | 2016-10-27 19:03 | 老育 | Trackback | Comments(2)

義務と孝行

実家の方に通っている話をすると・・時々 「偉い・・すごい・・」という
お褒めの言葉をいただくけれど、それはちょっと違うな・・と今日は電話の相手に
話をしつつ『親孝行と親への義務』について考えていた。

鎌倉時代に 主従関係の間にあったという 御恩と奉公を思い出した。
「孝行」という優しい言葉はまたどこから生まれたのか?と思ってみると
これは儒教の教えにあるようだ。相互の信頼関係から生まれたこの言葉のように
親が両親を大事にしていた姿をみつつ育ってきた自分を思った。
テレビ東京の「家へついて行っていいですか?」という終電に乗りそこなった
人の承諾を得て、家へついていくというバラエティのような番組だが、
そこにも親子のなんとも切なかったり暖かだったり、時には少し厳しい家族の
関係が垣間見れるのだが・・家族の関係というのはバラエティに富んでいるようでいて
実は切っても切れない縁という共通項を見出すことができる。
それは長く会わずとも一枚のクリスマスカードだったり、子供の描いた絵を壁に貼って
あったり・・今はいない家族の部屋をそのままきちんと残して過ごしていたり・・

親というのはどこまでも有難い存在だ。
優しい母はさらにやさしくなってきた。夫婦でなんとかやっていこうという
気持ちと最近は娘たちよく電話してきて・・デイサービスに行ってきました・・
など小さな報告をしてくれる。

母と離れていた分の時間を今埋めているようにも思う。
知らないうちに両親の食の好みが違っていたり、はっとさせられることが多い。
掃除の仕方も最近やっとペースがつかめてきた。

妹は私よりも10年下だからその分実家での過ごし方をよくわかっている。
その分私は嫁ぎ先のペースが沁みついているのだなあ・・と感慨を新たにしたりしている。

玄関先に移植したホトトギスが見事に花をつけた。
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by akageno-ann | 2016-10-11 16:50 | 老育 | Trackback | Comments(4)

父を叱る

ここ数日間の父とのやりとりは複雑きわまりない。
父はまことに威厳をもって娘たちに接する人だから 自分の知らず衰えてきている
判断力にいらいらしているのがわかる。

それを少しでも楽にしてあげたいと・・考えて行動するがそれがどうもうまく伝わらない。

今月は両親と帰郷することになっている。
その旅程もなかなか決まらないが、飛行機の手配はしっかりと父がしてくれた。
あとは宿のこと 親戚との連絡 車の手配が私の大きな役割になる。

しかし4年ほど前に父と二人で帰郷した時に私はもう絶対父とは帰郷しないと・・
決めてしまったいきさつがある。

そのことを今日は父に話さなくてはならなくなった。

父は私の想いすごしだというけれど、そのとき・・私がその旅の采配を少々先回りしてふるったことへの
怒りはすごいものだったのだ。

父をそのときに多少なりとも年寄扱いしたことが気に障ったことは間違いない・・

長女である私が長女風を吹かせたことも気に入らなかったのだ

そのあたりの心の変化を父が他人に向けない様に・・私は今日は思い切って今回の旅に出かけるにあたって
話し始めた。

途中声高にも互いになったが・・父が  「この頃確かに短気になったな・・脳が委縮しているのかも
しれない・・・」と父が認めた時・・私は今までのように「そんなことはない・」などと持ち上げずに

「耳が遠くなったのが原因だと思うけど 勘違いが多くなったと思うの」
そのことで叱られる側はとてもしんどいのだ・・ということを正直に話し この旅は楽しいものに
したいのということを願った・・

なんとか穏便な雰囲気になったのは  母がお土産を何にするか 持参したパンフレットを楽しんでみていて
私たち親子の言い争いをそんなに心配していなかったことだ・・

父と「お母さんは楽しそうでいいな・・」と苦笑して 続きは来週月曜日にじっくり話すことにした。
それまでの間は妹が行ってくれる・・

私も少しお節介がすぎるのだ・・


でも少し前途多難なムードも感じて 帰り道 近くの小池東京都知事の お住まい ECO da House の
前を通って駅に向かった。
警備の警察官が必ずいて 道行く人に会釈してくれる・・

小池女史の頑張っている姿を思い浮かべつつ  自分の家族も守っていきたい・・とつくづく感じながら
帰途に就いた・・・父よあなたを心から尊敬して育った私としては・・本日は「老いては子に従え・・」と
いう先人の教えを遂行してしまいました。
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by akageno-ann | 2016-10-06 00:25 | 老育 | Trackback | Comments(3)

92歳の女性でお一人暮らしの方が老人会でも頑張っていらして歌も上手に歌われ、盆踊りの踊りもしっかり踊られていた。
しかしこの敬老の日を契機に 引退を表明された。
お仲間からは 惜しむ声が強くて 「やめちゃダメ」とずいぶんと声を掛けられていたが、彼女のきっぱりとした一言が
素適だった。

「これはけじめだから・・」自分でここまでと思われたのだろう・・無理に引き止めるのはかえって失礼だと、感じた。
最期の会合の日に 「皆さんに・・・」とお茶菓子を用意されて・・ごあいさつされて・・見事だった。

お家までお送りしたら、「本当にありがとう・・」と玄関先でこちらを見送ろうとする・・それもこの方のけじめなのだ。

私はそこで失礼して・・ちょっと歩いてからまた戻って玄関に入られるまで様子を伺ってしまった。

実家の母が同じようで 玄関のカギを開けるのが結構大変なことを知っていたから・・やはり少し時間がかかっていらしたが
この方もそれでもしっかりとおうちに入っていかれた・・

すごいなあ・・と 年齢ではないその方の持つポリシーに感動した。

こうしてみると・・両親の危なげな暮らしも見守ることで なんとか二人で頑張ろうとする姿を静かに応援しようと
思えた。

いくつもの事象を自分の中に取り入れて総合的に判断しなくてはならない時代になってきた・・

人それぞれだが、それでもきちんと支え合っていく心構えが必要になってきた。

隣近所のお年寄りやからだの不自由な方たちを温かく見守る・・ということ  それは社会全体でやっていかねばならないことだ。

一つのことにとどまらずたくさんのできごとに出合ってかかわっていくことの大切さをヒシと感じている・・
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花壇はいつの間にか彼岸花が咲いていた。

by akageno-ann | 2016-09-24 20:14 | 老育 | Trackback | Comments(4)

比志神社の春の神楽

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昨年よりも大きくなって美しく咲き誇った花桃が先ず二度目の神楽を訪れた私たちを歓迎してくれました。

塩川は穏やかな水ををたたえて、これからの田畑の豊かなることを知らせてくれました。
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黄色という強烈な色もここでは元気をくれるカラーで 素朴な風景の中に一段と鮮やかです。

昨年に続いてこちらの比志神社のお神楽を拝見しに伺いました。
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こちらは701年より伝わる古社お言われるが1400年ころに山の方から塩川のほとりに移築されたそうです。
神楽殿は見事な木造建築で 神楽の日には拝殿から橋がかりが備え付けられます。

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年配の男子による神楽でなかなか勇壮な舞踊があります。

その伝統を受け継いでくれる若者たちへの啓蒙に努力もされています。
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天岩戸の話はこの災害の多い日本の現在を神に守ってほしいと痛切に願う思いも
今年は特に強く持ちます。
by akageno-ann | 2016-04-25 21:17 | | Trackback | Comments(2)

鎌倉 古我邸を訪ねて

鎌倉は憧れの地で、若いころから折に触れ訪れていたが、最近は少し遠のいていた。
湘南の方に住んでいる親しい友人たちが誘ってくれて、久しぶりに訪ねた。
春の嵐の予報に友人は遠来の私の足を心配してくれたが、雨は喜んで出かける私・・

七里ヶ浜に住んでいる幼馴染が以前誘ってくれたのはもう20年ほど前のこと・・
あの時の二人のちょっと深い話や、ふと立ち止まって衝動買いした靴の柄などを
想い出した・・あの時の食事は七里ヶ浜のイタリアンだったけれど、最後に鎌倉文学館に
行って、そこで何故かイタリア文学の翻訳者でもあった、エッセースト須賀敦子さんの話題になり
彼女の作品にはまった時代を思い出した。[ミラノ霧の風景]や[トリエステの坂道]など趣深い作品が
最近全集になって話題になった。

今日はまだ今年の桜が満開の様子で、これが快晴だったらどんなにか人であふれているだろう・・
と想像できる鎌倉駅西口に午前中に到着・・
小旅は一人で乗り物を愉しむ私だから、今日は池袋から湘南新宿ラインのグリーン車の二階席で
ゆったり風景も楽しんだ。 鎌倉まで一本で1時間足らずとは有難い路線・・横浜 大船から
友人たちは駆けつけてくれた。

外国人が多かったが、静かな雰囲気で待ち合わせの時間まで近くを散策した。
表側と称される東口と違って瀟洒な住宅が静かにたたずむような街の風情は素晴らしい。
コンビニは一軒だけで、Kinokuyaが正面にあって 美味しそうな鮪の粕漬けやさんや本屋があったり
必要なお店がコンパクトにあり、喫茶店と美容室がたくさんあって・・緑は多いし、とても癒される町。
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待ち合わせの11時半ピッタリに三人は出会って、今日の目的の古我邸に赴く・・
小高い山の中腹に立つ100年ほどは経っているというこの屋敷を最近レストランにしたと教えられた。
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かつてローストビーフの鎌倉山に20代で友人と二人で行ったころはなんとなく構えて過ごした記憶がほほえましく思い出されたが、ここはフランス料理だが、気取りがなくていい。
若い男性スタッフたちが手際よく持て成し、かつ話題も豊富で楽しめた。

足元の悪い中で少々靴の濡れも気になったが、「どうぞごゆっくりされてすっかり乾くまでいらしてください。」という最初の言葉は心が和んだ。
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自然な庭の作りは雨の中でも十分楽しんだが、部屋の中は温かくややカジュアルなクラシックという雰囲気・・
写真も自由に撮らせてくれた。
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お料理はオリジナルな洋風お重・・と言うことで、まあ気楽にと思ったが、なかなか素材がふんだんに使用されていて・・満足感たっぷり・・フォアグラが大きくて・・味もよかった・・鎌倉の季節のオリジナルメニューというお奨めだった。
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グラスシャンパン1杯で気分はほろ酔い・・デザートがまた三種だがひとつひとつ私のお気に入りの味で嬉しかった・・
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古我邸のHPは・・・☆☆☆
続く
by akageno-ann | 2016-04-07 20:06 | | Trackback | Comments(3)