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デリーへ帰る日

1週間という時間は短いようだがフルに動けばかなりの仕事ができる。

美沙は1年前のデリーに渡るまでの最後の一週間の殺人的な、と友人に言われた
スケジュールをこなしていた自分を懐かしく振り返る。

最後の最後まで荷物に詰め込む品々を買い求め超過料金も知らずにダンボールを増やしていた。
これから始まるインドの暮らしが全く未知のもので、持っていく品物が当たりなのか外れなのかもわからず、ただ不安とほんの少しの期待をもって出発した日、ちょうどその1年後に美沙は日本に戻っている。

病院の検査が無事に住み、都内の実家に戻ったので、久しぶりにデパートを歩き回り、乾物や珍しい菓子、在印中の仲間に頼まれた和服の小物や医薬品で日本でしか手に入らぬものを先ず探し出し、とやらねばならぬことを次々とこなす。

その間にランチの時間は友人とこまめに会った。

友人たちも心得たもので時間のない美沙に合わせて何人かまとまって集まってくる。

「美沙をだしにして、こうして集まらないと、日本にいても平気で1年くらい会わないですごしちゃうのよ。」という言葉は本当らしい。

中には「インドなんてよく行くわねえ、」と心配が嵩じて呆れていた友人さえも興味本位でやってくる。

美沙の元気でどことなく漂ってくる自信のようなものに少々気圧される感じをもつ者もあったようだ。

別れ際に昨年のような悲壮感はない。

美沙がインドを決してけなさないからだ。

曲がりなりにもお手伝いを使い、英語を使い、初めて出会うたくさんの人々との付き合いをしてきた、1年はそれまでの日本の暮らしに比べて大きな変化があり、美沙をそれなりに成長させているのは誰の目にも明らかだった。

インドという国は美沙が住んでいるということだけで、その周辺のものたちも大いに興味を持つ国になっていたようだ。

買い物までつきあってくれるのが、成田に迎えに出てくれた栄子である。

大らかな人柄は昨年も今もまったく変わらず、久しぶりに会えた親しい友人同士は時間を無駄にしないようにできる限り行動を共にして、語り合った。

変わらぬものは何も変わらないという実感を美沙は持つことができ、感謝していた。

買い物も心得たもので、必要なものを必要な分だけ買い求め、荷物もコンパクトにしようと心がける。

百聞は一見に・・・とは正にこのことだ、と実感していたのである。

帰国3日目は埼玉の自宅付近で間もなく渡印する教員夫人に会った。

若い新婚のカップルらしく、美沙よりも年下だったのが楽しかった。

「やはり暑いですか?」の質問には

「えぇ、昨年は本当に暑くてびっくりしました。長いですし。
日本食材はなるべく持って行った方がいいですよ。私は今回初めて
知ったのですが、成田へ出発当日運んでくれる魚屋さんがあって、
頼んでみました。一応電話番号お知らせしますね。」

など、具体的に連絡してあげたが、実感としてその必要性はまだ感じていないかもしれなかった。
しかし、溌剌とデリーに渡る事を楽しみにしているようで、そのことが美沙には眩しく感じた。

この新しい人々の1年もまた、インドでの様々な経験がもたらされるのだと、同士のような
新しい活気のある良いライバルが来てくれるように感じた。


デリーの日本人会はまとまるべき行事では楽しくまとまろうとし、
それぞれの仕事では厳しい現実にむきあって戦い、大変な気候と共に日々を
過ごす。

その連帯感はほかのどの国よりも恐らく強い絆になっているようにも思え、こうして日本からデリーを見たときに、「デリーに帰るのだ」という思いを強くした。

親しくなった北川怜子が、病をおしてもデリーに帰り夫と共にすごしたいと思ったというその気持ちを、今美沙は日本で実感している。怜子の実家からも頼まれ物が美沙の日本の自宅に送られてきた。決して多い荷物ではないが、彼女の大切な医薬品が入っているはずだった。

溌剌と買い物や人との会合に動き回る美沙をみてその両親も、流産という辛いであろう経験をした娘が心なしまたここで大きく成長しているようで、安心してまた見送ることができると思ったようであった。



夫の翔一郎もまた、たった一人のネパールの旅行を無事終えて元気で日本の美沙に電話をしてきた。

この夫婦はこうしてそれぞれに行動しつつ、互いの信頼感を深めているのかもしれないと、
翔一郎の母でさえも思わされていた。

美沙は日本にいる間にデリーへの不満はたくさんあるはずなのに、デリーを決して悪くいいたくない、と自然に言葉を選んでいる自分にあとで気づいた。

デリーがなんの心配もない楽園なのではないが、何故かあの自宅へ戻りたいのだ。

そして懸案のサーバントを新しく決めなくてはならないと、決心していた。

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日本人会運動会での子供たちのインディアンダンス







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by akageno-ann | 2008-02-29 21:00 | 小説 | Comments(16)

小休止  ネパールの話

実際に私の主人はネパールへ日本人学校家族の日本米調達のために
二度ほど行っています。

当時20年ほど前ですが、日本人の家族が入植されて、見事な日本米を作っていらっしゃるのを、ある企業の方が日本人学校の家族が日本米に困っているのを知って紹介してくださり、
以来年に一度まとめて日本米を輸入していました。

最初は空路でしたが、超過料金が高いので、何しろ1トン近い量のお米ですから

次第に陸路をトラックで、ということになりました。
トラックが無事ネパールからお米を積んで到着した夜は
感動で・・・さっそく新米を炊きました。

新米はやはり秋深い11月頃に我家は二人でしたが1年分となると150キロを
頼んだように記憶しています。

そして保存は人間一人がすっぽり入れるような大きさの冷凍庫でしました。
お米を冷凍すると長いこと新米の風味がありました。
お客様も増えると、どうしても美味しい日本食で、と思いましたから。

ツヤツヤした見事な日本米でした。

大使館関係の方たち、企業の方たちは送付制度というのがあって

それも料金はかなりかかったようですが、カリフォルニア米を召し上がっていました。

食事をご馳走になるとそれはまた寿司飯に合う美味しいものでしたが、

ネパール米と呼んでいた、この日本米の新米は見事な美味しさでした。

お客様にも大変好評で、シンガポールへ買出し旅行に行ったばかりの頃は

焼き魚に納豆、生卵の朝定食で皆さんを喜ばせたこともあり、楽しい思い出です。


インド料理がまずいわけではありません。

素晴らしいインドカレーとインド中華にほれ込んで、1週間に1度は通っていた小さなホテルの
SAKURAというレストランもあります。

でも日常のお弁当などはやはり白米に塩鮭、肉じゃがなどの食事にしないと主人たちの体力の温存はできなかったと思っていました。

牛肉はバッファローの肉というのを買ったこともありましたが、ぱさぱさしていてとても美味しいとは思えませんでした。


主人はそのお米調達のために行ったネパールに教育の原点を見た、と言っています。

子供たちは公立の学校に行けない場合が多く、そういう子供たちを集めて文字だけでも教えようとする若者が小さな家で学校の真似事のような素朴さで熱心な指導をしている姿をみたということを今でも大切な教育理念にしています。


日本は今学校へ何を目的としたらいいかわからないまま通って教科書を開かず過ごすような子供が少なからずいるといいます。

ネパールの子供はとにかく文字が習いたい、の一心で熱心に通い真剣に覚えている様子が合ったそうです。

文字が書けるということは将来の職探しに大きな影響があるのでしょう。

そして学校生活以外ではすでにあらゆるアルバイトのような小さな仕事をみつけて
家計を助けている姿をみたようです。


それはインドも同じでした。

階層によって学校に行けない子供たちでも、片言の英語、時には日本語を貪欲に覚えて

車の窓拭き、新聞売り、荷物もちといろいろな仕事をみつけて家計を助けているようでした。

そういう子供たちの姿をもっと知らせて安住の地にいて、無為に過ごすことのないよう
知らせてあげたいというのが私たちの思いの一つです。

私自身もっと早くにそういう世界の様々な状況を知っておくべきだった、と思っています。

自分の幸せはその場にいると当たり前になります。

温暖な気候ですらそうです。

どんなに暑くても炭火のアイロンで洗濯にアイロンをかけて仕事する家族や

レンガを一つ一つ積み上げている子供の姿・・・思い出して胸がつまります。

でも現実にその場を見たとき、彼らは惨めな様子はないのです。

それは常に精一杯生き生き生きているようでした。

どんなに進んだとしてもまだあの何億という人口の、戸籍のしっかりしていない
国の中にあって、国中全てが平等にというのは不可能です。

でも一人ひとりが自分の生活をしっかり打ちたてようとする姿は感動があります。

いつかそういう国が国全体としてまとまったり、大きな災害に見舞われたりしたとき

本当の力を発揮するのではないかと思うのです。

平和な日本、ずっとこのままの暮らしが続くよう祈りますが、危機感も持ちながら

一人ひとりしっかりと歩んでいくと、日本はもっと豊かになれるとも思います。

私もがんばらねばと思いつつ、20年持ち続けた思いを書かせていただいてます。

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                          ネパールの青年

「アンのように生きる(インドにて)」

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by akageno-ann | 2008-02-28 16:14 | 番外編 | Comments(16)

カトマンドゥへ


片山翔一郎は春休みを利用して、隣国ネパールに一人旅に出ていた。
デリーを発つ前日に美沙の実家に今回の一時帰国にあたって、昨年の9月に
美沙がシンガポールで流産の処置をしたことを初めて話したのだ。

美沙の両親は美沙の弟家族と緒に住んでいて、既に孫もいたが、娘の美沙の子供を抱くこと
を楽しみにしていることを知っていた。

冗談に、「もしインドで子供を授かったからと言ってそちらに相応しい名前にしたりしないように・・・」
などと出発前に父親が話していたが、大切な娘を、知らない国に旅立たせるのはそう若くなくとも心配でしかたがなかったことであろう。

大きな病気に罹ったわけではないが、その外国での流産はどれほどショックかと思い、このときまで伏せていたのだ。

翔一郎はその非礼も詫びた。

電話も向こうの様子はわからず、父親は

「翔一郎君、ありがとう。二人とも今が元気ならそれでいいよ。」

という言葉は精一杯の返事であっただろうと、翔一郎はロイヤルネパールの機内で昨日の電話を反芻していた。

『まあ、美沙の元気な姿をみればほっとしてくれると思うが・・』
と、気をもんでいた。

デリーから3時間ほどで、ネパールのカトマンドゥに到着した。

ロイヤルネパールの大柄で雑な応対のキャビンアテンダントに驚いたが
もっと驚かされたのは訪問先への土産の外国製のウイスキーを入れた
リュックを不用意に預けたら、到着のターンテーブルで最後にやっと出てきて
口は開けられ、ウイスキーの3分の1ほどを飲まれていたことだ。

言い様のない怒りを覚えたが、翔一郎はその場で文句を言ってもしかたなく、そのまま
リュックを背負って出発した。

その日はカトマンドゥで1泊し、翌日はトレッキングをしながら、郊外で日本米を作っている
日本人一家を訪ねることししていた。

初めての海外での一人旅だったが、インドで鍛えた交渉の能力も試しながら、なかなか面白い旅になりそうだと興奮していた。

しかし飲みかけのウイスキーを持っていくわけにもいかず、その日は一人で宿でホットウイスキーにして飲んでしまった。

ひどく気楽で楽しい気分になっていた。

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カトマンドゥの街角で見かけた子供たち







日本の美沙の方は病院の検診の結果を携えて、都内の実家にもどった。
それぞれに用意した土産を抱えて。

「ただいまあ」 最寄の駅からタクシーで赴き、元気に声をかけた。

「おかえりなさい、お疲れさまだったわね。昨日翔一郎さんが電話くれたわよ。」

と、母が優しい表情で待っていた。

「ほんと?昨日も自分の家にかけてくれてたらしくて、あちらのお母さん親切にしてくれたわ。」

父親の姿がないので聞いてみると

「昨日翔一郎さんから貴方の流産のこと聞いてから、なんだか不機嫌で今日も仕事は休みなのに、どこかへ出かけちゃったのよ。」

「やっぱり・・・そんなことじゃないかと思ったの。怒ってるかな?」

「いいえ怒ってるというより、どう声をかけていいかわからないのでしょう。男の人は。
それで体は大丈夫なの?」

「えぇ、ご心配かけましたが、問題なくいつまた妊娠しても大丈夫そうなの。
でも、インドで産むのはちょっと考えなくちゃならないけど。」

美沙の話に母親は

「それは帰っていらっしゃい。三ヶ月翔一郎さんに我慢していただけばいいんだから。」

と、やはり母も不安になっているのだ。
「そうね。」とここは美沙もやんわり受け流した。

今はまだ気配もない話で、言い争ってもしかたがないと感じていた。

弟家族も集まり、やがて父親も戻り、美沙の変わらぬ元気な姿に何もあらためては
言われなかった。

皆でしゃぶしゃぶの鍋を囲み、土産を一人ずつに渡して、美沙はデリーでの
充実振りを離した。
父親は言葉少なだった。
それは気になったが、さすがに疲れて、
美沙は今夜はゆっくり眠ろうと、早めに床についた。

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by akageno-ann | 2008-02-27 21:57 | 小説 | Comments(18)

桜・・・・

その年の桜は例年より開花が早く美沙の一時帰国にあわせて咲いてくれたようだ。

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昨年の出発の時に忙しさのあまり桜を愛でなかった、と美沙は気づかされたほど

美しい桜並木が埼玉の自宅まで続き、それはまるで「赤毛のアン」が養父になるマシューに最初に馬車に乗せてもらってアボンリー村のグリーンゲイブルスに帰る道すがらのような思いを栄子の車で感じさせてもらった。

「うわ~~~きれいねえ・・」

と言葉にする美沙の感激が栄子に直に伝わり、デリーの自然があまり美しくないのだと
いうことを感じさせられた。

美沙の家には翔一郎の母信子が一人住まいをしている。

空港から電話をしておよその到着時間を伝えたとき、心なしか意外そうな声が
弾んだように思えた。

家の前には公園があり、美しい桜が咲いていた。

美沙は先に降ろしてもらって、急いで玄関に行くと、ドアはすぐに開かれた。

「お帰りなさい。お疲れさまでしたね。お友達にお茶を飲んでいってもらってね。」

久しぶりなことであるゆえか、この義母の今までにない優しい響きに出会った、と
美沙は思った。

また車にもどって、運んでもらった荷物を栄子と一緒に運んだ。

トランクは二つだった。それほど荷物があったわけではない、帰りにまた日本の品々を
運ぶことが目的のこの大きなトランクであることは信子にも、栄子にもすぐにわかった。

「まるで運び屋じゃない・・」と栄子は笑いながら付き合ってくれて

お茶の誘いにも快く応じた。


「ありがとうございます。私が迎えに出なくてはいけないのに、良かったわねえ、
いいお友達がいるのね、美沙さんは・・・」

そういう信子の言葉も1年前までは皆無だったな、と心の隅で思った美沙だった。

栄子は小一時間でその家を辞し、また会おうと約束してくれて帰っていった。


そこで初めて姑信子と美沙は二人だけで向き合った。

「お母さん、大丈夫ですか?お体の方は。
翔一郎さんがとても心配しています。」

「お陰さまで大丈夫、でも確かに寂しかったわ。でも貴方も大変だったのね。
実は夕べ翔一郎が電話をしてきて、貴方のお体のこと聞きました。
大変だったわね。」

その言葉で美沙は初めて涙ぐんだ。
夫の思いがけない配慮にも感動したのだ。

「はい。ありがとうございます。その検診が今回の目的ですが、こうしてお母さんのお元気な様子がわかったこともとても嬉しいです。翔一郎さんは暑い中でご苦労もありながら、元気で頑張っていますし、私もそれ以外では元気ですから、安心してください。」

などと、どうしてもデリー生活の愚痴はいえなかった。
この60を半ば過ぎた初老の義母がこのあと2年間元気に暮らしてもらうためには
余計な心配をさせるわけにもいかなかった。

その夜二人は信子が用意した出前の寿司と信子手製の煮物や茶碗蒸しで夕飯をすませ、
少しながく話をして、それでもあまり遅くならないうちに別々に休んだ。

翌日は近くの産婦人科病院に前もって電話で連絡をしておいたので、ゆっくり相談する時間を
とってもらっていた。

翌朝少し早く目覚めた美沙は信子に朝食を準備し、二人は静かに食卓を共にして
1週間の予定を話し合った。

「美沙さん、昨日まずこちらにいらしてくださってありがとう。今日は病院のあとは
ご実家にお帰りなさい。そしてこちらへは無理をしなくていいのよ。」

美沙はびっくりした。心の中で

『お母さんどうしちゃったの?』と、思うほど心遣いが違っていた。

離れるというのはそんなに大きなことなのか・・・と実感していた。しかし

「ありがとうございます。でも友人との約束やらいろいろこちらに近い方で
会う様にしていますし、実はすぐに来年度デリーに赴任される奥様が埼玉の
方でお会いすることになってます。いろいろアドバイスできそうなので。」

この嫁の美沙のてきぱきとした様子に信子もこれまで息子の翔一郎同様、どこかで子ども扱いしてしまっていたことに気づき、身を固くしたが、美沙は大らかな笑顔で病院に出かけて行った。

産婦人科病院は美沙も知り合いの女医がいて、以前にも不妊の相談をしていた。

「お帰りなさい。どう?インドの生活は?」
女医は明るく美沙を迎えてくれた。

「先生、実は昨年9月に早期流産をやってしまって、これがそのときの所見です。」

女医はちょっと顔を曇らせたが、そのレポートを見て

「素晴らしい先生に出会ったのね。大丈夫よ。一度できたんだからもう大丈夫
安心してお子さんを持つよう努力なさいね。」

「でも主人を一人にして帰るのが心配で、インドの病院はどうかしら?」

「インドの医学は立派ですよ。でもね、日本人に向いているかといえばなかなかそうではないと思うの。それは欧米であっても同じですよ。こういう流産の経験がある場合、やはり日本に帰っての出産を進めるわ。」

その答を聞いて、美沙の気持ちは決まった。

「ありがとうございました。あとは血液検査をお願いできますか?」

「はい、特別に3日後に結果を出しておくから、出発前に寄ってね。」

そういわれて、挨拶をし、美沙は信子に電話で診断の様子を話し、3日後に戻る約束をして、少し気の重い実家に向かった。


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by akageno-ann | 2008-02-26 19:49 | 小説 | Comments(16)

デリーから日本へ

たった1年間、デリーに住んだだけの美沙であったが、飛行機に乗る時から気持ちが大きく変化していることに気づいていた。

それが何か、はっきりしたことはわからないのに、言いようもなく自分の中の心が少し大きくなったような、度胸が据わったような、不思議な感覚にまた襲われた。

シンガポールからインドに帰ったときもそんな感覚があったのだが、ふるさと日本への帰還はまた別な感慨があった。

1週間という短さであるから、忙しさは当たり前であるが、それでも目いっぱいに人と会う約束もしている。

実家の母親は美沙の早期流産を話していないので、恐らく一人で帰るという美沙がデリーで翔一郎と心の行き違いが生じたのではないのか、と不安を抱えて待っていたことをその時美沙は気づいていなかった。

ある意味、日本の人々の心の中を感じ取る余裕はまだなかったのかもしれない。


9時間のフライトで、飛行機は早朝の成田空港に予定通り到着した。

一番親しい友人栄子が寸暇を惜しむように、美沙を迎えに出ていた。

中学校時代からの親しい友人であった。

到着出口から姿を見せる美沙を一秒でも早く捉まえようとして、大柄な体で大きく手を振って待ち受けてくれた。

美沙は笑顔で栄子の傍に歩み寄った。

「元気そうね。お帰りなさい。待ってたわ~~~」

「ありがとう、申し訳ないわここまで。」

「何言ってるのよ、1週間でしょ・・もしかして忙しくて会えなかったらどうしようと思ってたの。
よかったああ。よく帰れたわね。車で来てるのよ、さっそく家まで送ってあげるわ。」

なんという親切な申し出だろう。
もともと気のつく人であったが、荷物のある美沙への一番の労わりだった。

「栄子、お茶していこうよ。貴方だって疲れてるはずよ。」

そう美沙がいうと、大喜びで栄子は

「うん、そうだね。30分くらいいいよね。」
と、さっそく空港内のお洒落なパブ風の喫茶室が出発ロビーにあるというので
荷物を一緒にもって向かった。

大きな窓からは飛行機の発着が見える夜はカクテル片手にムード満点であろう
その店は朝早くなのでモーニングセットがあった。

「飛行機で日本食を食べてきてるけど、厚切りトースト食べたいから」

と、美沙は元気にボーイに

「トゥ コーヒー」と言いそうになって、自分で笑ってしまった。

「ゴメンネ、栄子、気取ってるんじゃないの・・・ついこんな言葉だけ英語で毎日しゃべってるから
癖になってた・・・」

恥ずかしそうにする美沙を見て

「でもさ、美沙なんだか堂々としてるよ、やっぱりマダムやってるせい?」

「いや、そうだとしたら、鼻持ちならないわね。でもインドで一生懸命背伸びした1年だったことは確かよ。疲れてるもの。」

と、美沙は小さく笑った。

「ご実家のお母さまにお電話したのよ。今日お迎えにいらっしゃる予定だったら車にお乗せしようと思って、そうしたら、美沙から何か聞いてないか?どうして帰ってくるのか心配してらしたよ。だから私一人で迎えに行って話しをきいてやってくれって、おっしゃって。」

美沙は心配をかけたことを詫びながら話し始めた。

「うん、実はね。昨年秋に流産したの。でも心配しないで早期流産だし、シンガポールできちんと処置してもらい、もう大丈夫なんだけど主人が日本の病院にも行って健康診断したほうがいい、というものだから、これ幸いに帰ってきたの。主人はもう一つ一人で暮らしているお母さんを心配してるのよ。だから今日は実家ではなくてあちらに行かないとね。」

言いながらまた美沙は笑ってしまった。
自分の家だったはずの翔一郎の母のいる家を姑の家としていつの間にか考えていた自分に気づいたのだ。

「えぇ、そうなの?ご実家だと思ったわ。でも大丈夫高速通ればそちらの方が近いから行ってあげるね。」

「ごめんね、栄子にこんな風に親切にしてもらうなんて・・」

「美沙ちゃん、貴方がインド行ってどんなに寂しかったことか、貴方は私たち仲間のお姉さんみたいな人だったから、存在が日本にないことがみんな寂しくてよく噂してるのよ。」

「まあ、それじゃあ離れてみるのもいいものね。」

と、美沙はおどけて応えた。

「でも大変だったね。翔一郎さんは元気なの?」

「えぇ、明日ネパールに行くはずよ。
ただ、うちのサーバント・・お手伝いさんね、最近やめちゃったから、
それが我家の大問題なの。」

栄子は一つ一つに大きく反応し、驚いてくれたが、長居もできず、さっそく駐車場に向かって、美沙のために出口の車寄せに自分の車をつけて、乗せてくれた。

日本の空は春らしいどんよりとした雲に覆われ、心地よい暖かさがあった。

車はすぐに高速道路に入り、埼玉に向けてひた走った。

その綺麗な風景に感動を隠せず、美沙は思うままの感想を述べ続けた。

「そうかあ、やっぱりインドは大変なんだね。でもすごくお洒落になって帰ってきたよね。」

「ふだんは暑いから気楽なTシャツ姿だけど、日本人の集まりというと皆さんそれはきちんとしているの。少し感化されたかもしれない。」

「親しくなった人いるの?」

「えぇ、ご近所の北川先生という先輩のご夫妻よ。」

「そうか、よかった。元気そうで、ほっとしたわ。」

他愛もない話をしながらこんな気楽な時間は1年ぶりだと美沙はあり難かった。

やはり古巣の空気は優しい、そう感じているうちに、車は高速を降り、市街地に向かうと
早咲きの桜の木が美沙の帰国を待っていてくれた。

桜をこのように美しく感じたのは生まれて初めてだと、言葉にならず見とれていた。


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今浜松町の劇団四季自由劇場で「赤毛のアン」のミュージカル上演中です。


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by akageno-ann | 2008-02-25 18:09 | 小説 | Comments(16)

アンのように・・・

「美沙さん、どうなの・・サーバントの方は新しい人見つかりそう?」

北川怜子は片山家の騒動について心配していた。

「えぇ、しばらくはちょっと様子をみます。私も健康診断で一度春休みに日本へ帰ってきますし、新しい子を入れて主人も家事を教えるのは無理だっていいますので」

「そうだわね、まあこのくらいの気温ならまだ一人暮らしができるでしょう。うちもお誘いするから心配せずに行ってらっしゃい。美沙さんお子さんほしいんでしょ・・そんなに神経質にならずに生む事も考えなさい。私がいるうちなら少しは手伝えると思うわ。」

「ありがとうございます。でも主人が結構ここでの暮らしが大変のようですし、どうしようかと踏み切れないのです。それにこんなこと不謹慎ですけど、旅行もいろいろしたいんです。」

美沙は怜子には包み隠さず話をした。
昨年の8月末の早期流産のあと、元気を取り戻していた美沙だが、夫は美沙が出産で日本に長く帰ることを望んでいないのをわかっていた。

間もなく、美沙は日本へ1週間だけ、その後の体調を日本の病院でみてもらうべく単身帰国することになっていた。

文部省(現文科省)の許可も出たのだ。

自腹で帰るのにも随分と厳格な文部省の許可をとるべく申請が必要だった。

しかし大使館の領事部は邦人の状態をよく把握してくれていて、その時の領事は国内からの返事の遅さに業を煮やして催促の連絡をしてくれたりしたようだ。

夫の翔一郎は美沙の留守中、米の調達の打診がてら、単身ネパールに旅行することにしていた。


ローズの件は美沙にサーバントを使うことの難しさを改めて思い知らすこととなった。

ローズの行き先は実はそのときもうわからなくなっていた。

と、いうのもフランス人家庭に雇われて10日ほどたったころ突然彼女は美沙の家に現れた。

「マダム、新しいサーバントは決まりましたか?実はフランス人の家が厳しくて子育てできないのです。今は子供と3人ですからどうかまた、置いていただけないですか?」


正直、美沙は少し嬉しかった。甘いといわれれば甘い雇用者だったが、子供たちの学校への送迎時間を特別に与えていたのだ。

いろいろ気を遣ってやったのに・・と少し恨みがましい思いで、さっさと出て行ったローズを見送った自分もいたことをそのとき振り返った。


だが、こうして戻ってくるケースは多く、その時に決して情けをかけないように、とオーナーから注意を受けていた。

こういう問題はあとを引くので、きっぱりとした態度をとるようにいわれていた。

こういうことか・・・・と、思いまたこのことでローズに恨まれたりしないだろうか・・と
不安にも思った。

ローズは仕方ないと、と諦めてまた出ていった。

その後のローズはその美しい彼女を見ただけで、噂もきかないのである。


そういういきさつがあるためか、すぐに新しいサーバントを雇う気になれなかった。

日本への一時帰国も丁度いい疲れ休みと考えることにした。

夫婦が離れて考える時間も必要なのかもしれない、と

3月の末にあのインディラガンジー空港から美沙は飛び立った。

飛行機の中で久しぶりに「アンの夢の家」を読んだ。

「赤毛のアン」のアンシャーリーがギルバートブライスと結婚して新婚時代を

新しい土地で過ごす一部始終が書かれてある。

偶然にもアンは第一子ジョイスを死産し、悲しみに暮れる。

新しい土地の新しく出会う人々との交流を通してまた心を成長させるアンに

美沙は自分を重ねて、このデリーで己もまたさらに成長していきたいと

心に強く念じるのだった。

まるで初めての凱旋のように、美沙は気持ちを強くもって一時帰国しようとしていた。


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街角に焼き菓子の屋台がでていた。



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by akageno-ann | 2008-02-24 20:10 | 小説 | Comments(18)

片山家の一大事

サーバント ローズの夫婦仲が片山家の夫婦仲まで怪しくするのは
このデリーならではの問題かもしれない。

ローズは実に目の大きなインド人の中でもきれいなすらりとした女性だった。

人間は差別しているわけではなくとも、サーバントとして使っていると

いつも身なりもそれほど華美ではなく、化粧をするわけでもないので

その本来の美しさをついうっかりと見落としてしまっていることがある。

美沙もそうだった。

サーバントを使うことに偉そうになったり、必要以上に人を当てにしてはしてはいけない、

と考えていたのに、1年近くここで過ごしていると、どれほどその最初の気遣いを

保っていたか、わからない。


ローズは結局辞めさせることになった。


これは美沙にとって、デリーに来てから一番辛いことであった。


この問題が起こったとき、ドライバーは他の日本人家庭に勤めていたので

すぐに話題は近所の日本人たちに広まり、片山家の処遇に皆の関心が

高まった。

以前同期で赴任した山下家のミウリというちょっと古参のサーバントが切られた時も

大変であったが、そのとき以上に関心を持たれた。

と、いうのはその夫婦喧嘩の理由だった。

はっきりはしないのだが、すぐ近所の北川家のサーバントの話によると、真相は
こうであった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ローズは夫とは恋愛結婚で美男美女の夫婦として、サーバント仲間でも評判だったらしい。

子供たちも目がくっきりとしていて可愛らしい。

その子供たちをどうやって育てていたかというと、夫の母親も手伝ってはいたが

後半になって、下のオーナーの男のサーバントと親しくなり、よく面倒を見てくれていたようだ。

そのことは美沙も感じていたが、それがいわゆる、きった貼ったの恋愛沙汰になるとは

夢にも思わなかったのだ。

だが片山翔一郎は最近にになって

「ローズの下のサーバントを呼ぶ声に妙に甘さがある」
と、感じていたらしい。

しかしまさかそういうことでこのような事態が引き起こされるとは・・・

下のオーナーにしてみれば大変な迷惑な話で、結果ローズ一家には出て行ってもらいたいと

いうことになった。

彼女には泣かれたが、これは片山夫妻で話をして納得させた。

次のクオーター付きの雇い主を探すなり、夫の暴力を受けないようにするよう

少し解雇まで時間をおいてやったら、フランス人の家に決まったというので

ほっとして多少の退職金を渡して彼女を出て行かせた。


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美沙は彼女のその後が気になって仕方がなかったが、ある日夫の翔一郎が

びっくりして戻ってきた。

「さっきスクールバスの中からローズだと思うが街中をきれいなパンジャビを来て

闊歩していたよ。あまりに綺麗なんでびっくりしたが、彼女だと思う。」

と、いう。

そうなのかもしれない、あの子は自分に自信がついたのかもしれない、と美沙は

言い様のない思いにかられた。

その後 町で一回だけ

「マダム」と反対側の道から声をかけられ、懐かしそうに会釈した彼女に会った。

幸せそうだったので、それでよし、としたのだった。


だが片山家の問題はこれからだった。いよいよ新しいサーバントを見つけなくてはならない。

暑さが忍び寄る3月ホーリーという祭も近いそのころ・・・・

美沙夫婦の葛藤が始まった。


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昨日のオートリキシャには7人乗っていました。
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by akageno-ann | 2008-02-23 10:38 | 小説 | Comments(12)

ローズの家庭騒動

片山家のサーバント ローズは他家のドライバーを勤めるハンサムな夫と二人の子供の4人家族で、借家の片山家の母屋の隣のサーバントクオーターの一室に住み込んで生活していた。

一度美沙は、ローズの暮らしぶりを見ておく必要を感じて、彼女に

「家の中を見せてくれるかしら?」
と話すと、ローズは快く自宅を案内した。

狭い間口からやっと一人が歩けるような細い螺旋階段を上がって行くと、玄関ではなく、一畳程の土間があり、奥にはトイレ、手前にはガスコンロがポツンと置いてあって、そこに水道の蛇口がついていた。

本当に大昔の日本の家屋の小さな台所のようで、美沙の胸に迫るものがあった。

一番心配したのは衛生面で、日ごろの様子をみていると細々としたところまで綺麗に掃除する彼女を見ていると心配ないとは思っていたが、やはり実際の家庭生活を覗いておきたかった。

ローズの家事は美沙の持ってきたワイングラスなども丁寧に扱い、石の流しにもかかわらず、1年近く勤めるのに一度も食器など割ったこともなく、感心させられることが多かった。

そして彼女の誠に小さな家庭は綺麗に片付き、子供たちもこざっぱりとして、可愛らしい男女の兄妹がそこにいた。

「グッドアフタヌーン マダム」
子供たちはローズに躾けられて、可愛い挨拶のできる子供たちだった。

「グッドアフタヌーン  ハウ アー ユー?」

など言葉を返すと、可愛らしい声で

「アイ ム ファイン」と応えてきた。

それを見ているローズの微笑みも本当に幸せそうで、こうして外国人の家庭に仕えることが彼女たちにとって、幸せなことなのかもしれないとわかると、美沙は女主人メンサーブとしての責任を改めて感じさせられた。

美沙は、ローズを信頼していたので、二人は楽しくキッチンでの食事つくりを一緒にし、ローズは随分と和食を覚えていった。

冬になって、学校関係ではあるが、来客に食事を出すこともあり、美沙の教えたエビの天麩羅もなかなかの出来栄えだった。


しかし、冬になってから、一つだけ気になることが起こり始めた。

夜中の夫婦喧嘩であった。別棟とはいえ、壁を一つ隔てた同じ2階のクオーターにいる彼女の部屋から大きな怒鳴り声とローズと思われる泣き声が聞こえることが2~3度続いた。

ある朝、目をまっかに晴らしてやってきたローズに

「どうしたの?」と問うと、夫婦喧嘩ですとあっさり応えて後は笑っていたので、
まあ長い生活の中ではそういうこともあろうか・・・と深くは追求しなかった。

だがある日、階下のオーナーからクレームがついた。

どうやらオーナーの家の方にも夜中の喧嘩の声はよく聞こえていたようで、彼女の家庭生活を心配してのことだった。


夫婦喧嘩があまり続くようなら、クオーターを出て行ってもらわねばならない、というのだ。

美沙はローズに女同士の会話として、夫婦喧嘩の内容を聞いてみたが、ローズは

「ノー プロブレン、マダム」と、首を横に振る。


本当は問題がないわけもない、と感じたが、あまり詮索してもいけないと思い、
下のオーナーも心配して寝られないとおっしゃっているから、ということだけは
伝えた。


だが、その夜中の悲鳴は日増しにひどくなってしまった。


そうなるとインド人のオーナーは厳しかった。

「新しいサーバントは紹介するから、ローズを切りなさい。」

と、言うのだ。

これは片山家にとっての一大事だった。


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by akageno-ann | 2008-02-22 22:52 | 小説 | Comments(10)

アンバサダー

日本を離れると急に外務省や大使館という言葉が身近になる。

Ambassador(大使) Embassy(大使館)という単語をよく目にするようになっていた。

在外にあって、自分たちを本当に保護してくれるのは自国の大使館に他ならない。

日本でそう研修を受けてきたが、1年も生活するとその存在の大きさに改めて驚くことがある。


美沙たちは、1年目の初めてインドで迎えた新年が1週間を過ぎたあたりに、在インド日本大使館の公邸で在留邦人を集めての新年会に招かれて一応正装して出かけた。

デリーの各国大使館が並ぶ場所にあって、敷地も広々としていて緑も多く、その公邸は和の雰囲気を醸し出していた。

その上に出席のご婦人方は訪問着姿が多く、美沙などはそのような改まった場所に出席する経験が少なかったので、全ての美しさに感動していた。

日本国大使ご夫妻が正装で皆をにこやかに出迎えてくださり、見事な和食の立食パーティは開かれた。

日本より大使が伴われた日本の料理人が腕をふるってくれている。

久しぶりに揚げたての芝海老の天麩羅の美味しさに皆感動していた。
握り寿司も飛ぶようになくなっている。

こういうことはここインドのような、生活するに厳しいところで日本人が比較的少ないところだから行われるのであって、そう滅多に遭遇することではない、と日本人学校の校長夫人は話していたが、確かにそうなのかもしれなかった。

北川夫妻ももちろん美沙たちと一緒に出席した。

大使夫人はそのときに元気な怜子に気さくに声をかけられ、

「北川先生の奥様、今度マザーテレサの開かれた児童養護施設の訪問がありますが、よろしかったらご一緒に如何ですか?」

との誘いに怜子は、すぐに感謝の言葉と受諾の言葉を返していた。

そんな風に、怜子は元気に活動を始めたのだ。


1月の末にその慰問は行われ、怜子はとても興味深く参加した。



その翌日の朝の散歩のときに怜子は美沙にこう感想をもらしていた。

「昨日はね、大使夫人初め大使館の夫人方とマザーテレサの孤児院に行ったの。」

「如何でしたか?私もその話を伺いたかったです。」と美沙は応えた。

「私は、まだまだだめだわ。看護士としてそれはかなり自信をもってやってきていたけど、自分に足りないものを感じさせられたわ。」

「え?どうして?」

「昨日のその家は、やはりかなり衛生的に問題のある場所でね、そしてたくさんの孤児たちの中の赤ちゃんは顔に蝿がたかっていたりして、決して普通の家庭の赤ちゃんのようにはいかないの。
わかっていることだけど、目の前にして、私は抱っこをしてあげられなかったの。
どこかに汚い・・っていう思いがあったのね。
大使夫人や公使夫人はさっとその赤ちゃんをシスターの手から受け取って抱きしめていらした。感動したわ。」

「でも普通はやはり怯みますよね。」

と、美沙はほんの少し気休めになればと言葉を添えたが、怜子の自分への落胆は大きかったのだ。

多分元気な怜子だったらきっと、率先してその子供たちを抱き上げ頬ずりしていたのかもしれない。
まだ病み上がりの気持ちの萎えている状態でそこまでする勇気はもてなかったのではないか・・・と美沙はそのときは何も言えなかったが、ずっと後になってそう思った。

このときの怜子の言葉はずっと美沙の中に残った。

それほどインドの本当の姿を受け入れての暮らしは日ごろは少なかった。

デリーの中で できうる限り日本を取り入れて暮らしているということに、少し疑問を感じることも出てきた。

デリーの生活はそれほどに大きな二面性があったのだ。

その二面性の片方だけでは決してインドに暮らしたとは本当はいえないのだ、と感じつつも

そろそろ二年目を迎えようとしている美沙はデリーの貧困の人々の暮らしを見つめるという気持ちが少なかったことに気づかないでいた。

だが、その頃美沙の家のサーバントのローズの家族に大きな問題が起こり始めた。

そしてそのローズの生活をしっかりと見て、解決していかねばならない状況に陥ってしまった。

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by akageno-ann | 2008-02-21 23:01 | 小説 | Comments(12)
アグネス・ゴンジャ・ボヤジュ・・・

この人こそマザーテレサその人だ。マケドニア出身のアルバニア人、幼い頃より聡明で修道女としての修行を積みアイルランドダブリンの修道女会を経て21才でインドのカルカッタ(現コルカタ)より入り、はじめは良家の子女の教育にあたっていたが、カルカッタの貧しいインド人たちのことが気にかかり、『自分はもっとも貧しい人々のために働く』という信念を貫いた人である。

北川怜子(さとこ)は夫が日本人学校教員に応募するときに、まるで踏み絵のようだ・・といわれる赴任地について夫から相談されたときに、
「できたらインドに行きたい」とあっさりと応えたのだ。

踏み絵というのは言葉は良くないが、この頃の文部省(現文科相)の在外教育施設へ教員として派遣を希望するものには先ず、書類審査の上で、
「派遣にあたってはいかなる地においても赴任できるか、または希望地があるか?」
との、問いがあり、何も知らずに先進国の国名を書いたりするとあっさり落とされるという
噂があった。

まれに先方から指名されてその国に赴く者もあったが、多くの場合は発表までいずれの地でも赴く覚悟をもって、国名の拝命を待つというような状況があった。

怜子は高知の病院で看護士として現役であったが、夫の挑戦には大賛成であった。

高知という県は日本の本州から離れた四国という島の太平洋側に広がる大きな土地をもち、昔からブラジル移民、旧満州移住の挑戦をする人々が比較的多い。

怜子の父も満州からの引揚者で教員をしながら厳しい戦後を生き抜いてきた人であった。

そんな生い立ちからかこの地元を離れてみることには大きな期待があったのだ。

そして折角行けるのなら、尊敬するマザーテレサの奉職するインドを先ず頭に描いた。

夫の北川はびっくりしたが、彼自身アフリカでもブラジルでもめったに行けそうもないところを
希望したかったので、インドにはいささか何の知識もなく、驚いたが、妻の怜子の希望を取り入れて迷わずインドと書類に書いた。

おそらくその希望を書いたものは彼一人だったのではなかろうか。

面接官の「インドを希望されているがどうしてですか?」

という問いに、迷わず

「家内が看護士ですのでそういう地で何か役に立てたらと言ってくれたのが一番の理由ですが、私自身も日本とは全く異なる文化の中で頑張りたいと思います。」

と、しっかり応えた。

面接官たちは、満足そうな表情を浮かべたように北川には感じとれた。

そして、結果はインドの首都ニューデリーへの派遣命令だった。

二人はその夜小躍りして喜んだのだ。

インドに希望して来た教師としてその噂は知る人ぞ知る、という話題であった。
もちろん日本人学校の保護者たちの受けは誠によかった。

企業や、大使館、また新聞社などではもともと大学などの専攻の時点でどの方面が決まってくる風潮であり、皆インドをよく知って渡ってきていたが、学校の教員は普通インドはあまり嬉しくない赴任地として、仕方なくやってくるという傾向が強いことを皆承知していた。

だが北川夫妻の赴任は誠にデリーにとって喜ばしいものであったのだ。

病を得ても尚、このデリーに戻り、再び精力的に活動を始めた怜子を日本人会の人々も大変感動の目で見守られた。

片山美沙はそういう怜子が眩しかった。

美沙の場合はこのデリーという赴任地が決まった時に、眩暈とともに寝込んでしまうようなショックを受けての赴任であった。

マザーテレサのことも全く頭になかった。

このような違いがあってよいのであろうか・・・?と、美沙は正直に怜子にいかに無知のまま

ここデリーに渡ってきてしまった自分を恥じ、その思いを吐露した。

怜子は笑って

「私だって何も知らなかったの。でも来たいといって来た方が同じ赴任するのでも自分の中の気持ちが違うのよ。だからそれは少しはったりだったかもしれないの。」

と、謙虚に述べた。

だが、美沙には改めてデリーに戻ってきた怜子の覚悟は何か普通の人とは違うように見えた。

インドの日本人会には婦人会があり、日本人婦人が100名以上名を連ねていた。
婦人部長は企業のバラサブと呼ばれる支社長クラスの人の夫人が選ばれて歴任していたが、
日本国大使夫人がその活動に参加されることも多くあった。

特にこの時の婦人会は活発になりつつあり、インドの肢体不自由児の通学する学校への慰問やマザーテレサゆかりの孤児院などへの慰問もあった。

怜子は積極的にそのような活動に参加するようになっていた。

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コルカタに雰囲気のにているというオールドデリーの町
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第二章始まりました。また
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参考文献 by Wikpedia
by akageno-ann | 2008-02-20 21:09 | 小説 | Comments(8)

かけがえのない日本の片隅からの発信をライフワークとして、今は老いていくにも楽しい時間を作り出すことを考えています。


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