アンのように生きる・・・(老育)

akagenoann.exblog.jp

かけがえのない日本の片隅からの発信をライフワークとして、今は老いていくにも楽しい時間を作り出すことを考えています。

ブログトップ | ログイン

<   2008年 05月 ( 18 )   > この月の画像一覧

先入観

今年の梅雨入りは少し早いのでしょうか?

雨の予報が多くて、このあたりもここ数日鬱陶しい雨になっています。
雨で家の中に降り込められますと、またPCの前にいる時間が増えますが
この物語を書いているうちに実際のデリーでの暮らしや人をたくさん
思い出しました。
そんな中で今でも大変仲良くしてもらっている同年代の友人と電話で
ゆっくり話をしました。
彼女はPCをしませんから、この小説も読んではいませんが、懐かしい
あのころを話していて、ふと思い出したのは、彼女とは私の最後の年の
3年目に出会い、本当にすれ違うような月数のお付き合いでしたのに
女同士でも「ひとめぼれ」がありまして、以後20年の月日を様々な形で
楽しいお付き合いが続いています。

その彼女と話したことは、デリー赴任時代、最初にお世話いただく方に
付き合うべき人の様子をあまり主観的に話されると、そのまま先入観に
なってしまったことがあった、ということです。

それが参考になるのですが、先入観にせずに、自分自身で見極める力が
短い赴任先では必要であったことを今さらに思いました。


第154話

神田悦子は日本で二期会の準会員に籍を置いている声楽家だった。

容姿は華奢で美しく、その上に美しいソプラノの声の持ち主であることは
すぐに日本人会に知れ渡った。
本人はそれを吹聴するような人ではなく、謙虚さも持ち合わせる可愛らしい人だが
夫君は自分の妻が自慢で、4月赴任直後の日本人会総会の席でそのことを
自己紹介の中に入れた。

「うあわああ・・・」という小さなため息が会場に漏れるのを美沙もそのほかの日本人学校の
夫人たちも羨望の目で見直したものだ。

美沙は出会ったときから音楽をする人だな、とは感じていた。
それは美沙が赴任直後オールドデリーで夫と苦労して見つけてきた
レンタルピアノについてすぐに質問してきたからだ。

「片山先生の奥様、ピアノなさるのですか?」

「えぇ、ただの趣味ですよ。」とは言ったものの楽譜がかなり置いてあって
中級以上のクラシックであったから、音楽をするものはその腕前は想像に難くなかった。

「ピアノ日本からお持ちになったのですか?」

「いいえ、触ってごらんなさい。ここのレンタルですよ。でもマシな方なの。」

と美沙は正直に答えた。

「私も借りたいのです。相談にのってくださいね。」

と言われていたので、美沙は難しいけれど、最悪自分が手放すときにすぐに
悦子が借りられるように手配しようと約束した。

悦子は美沙をなかなか聡明で親切な女性だと判断していた。

そんなやりとりはあったが、声楽を専門にしている音楽家であることはその席で
初めて知ったことであった。

そして驚いたことにその夜すぐに大使館の公使夫人が歩み寄って

「神田先生の奥様、何かの折にはお歌を聞かせてくださいね。」

と、声をかけていた。

そのときの雰囲気はそこが映画のワンシーンであるかのようにゆっくりと優雅に
時が流れているような感覚を美沙はもった。

しかし、こういう情景は人によって捉え方が違うものだ。

美沙と同期の教員夫人平田よう子は美沙に近寄って

「なんだか派手な雰囲気な人ね。どんな人なの?」
と、問い合わせて来た。

「可愛らしい方ですよ。声楽をされることは私も今はじめて知ったのだし
そんな派手な雰囲気はないわよ。」
と、美沙は正直な感想を述べた。

だが、よう子はそのときにある印象を美沙と悦子にもち、夫人たちの間にある噂を
たてようとしていた。
それはよう子に湧いた嫉妬のようなものから起こったことであった。

平田よう子はこのデリーへの赴任の時から美沙は同期として親しくしていたが
2年目は先ごろ帰国した北川怜子と美沙の親密な関係に対し、ある種冷ややかな感情を
持っていることを、美沙はわかっていた。

しかし、もう一人の同期の夫人山下文子が子供を持つ母親同士として、
よう子を頼りにしていたのを理由に、美沙は一歩離れた場所で、
つかず離れずの付き合いをしていたのだ。

しかしよう子は怜子が帰国してからというもの、美沙がすぐに自分たちの仲間に入って
親しく付き合おうとするだろうと考えていた。

だが、意外に美沙は静かに一人ですごし、学校関係以外の夫人たちとの交流をしていた。

北川が学校の教務主任をしていたので、その後任として、平田氏が教務主任になり、
学校では校長、教頭につぐ立場になったせいもあって、よう子は美沙に少し忠告しておきたいことがあったのだ。

その総会の晩は美沙は悦子たちを伴って自宅にもどり、自己紹介がなかなか素敵であったことを悦子たちに告げたのだった。

そして、その翌日から日本人学校教員夫人たちの中で、暗黙の競い合いが始まっていたとは美沙はまだ理解していなかった。
                                                   つづく
c0155326_2216428.jpg
にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へ
にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
本日もお帰り前に、声援のクリックお願いします。
「annと小夏とインド」
デリーの時を思い出して松花堂弁当作った記事です。
by akageno-ann | 2008-05-31 22:14 | 小説 | Trackback | Comments(20)

バトンタッチ

私が最初に勤めた小学校で、新任教師として緊張の日々だった30年前のこの季節

おどおどしている私にある先輩が言いました。

『君ね、新卒がなんでも下で、この学校では新参者で、何もわからなくて
なんて遠慮していてはダメだよ。この学校でこれからここに一番長くいるのは君なのかも
しれないのだから、もしかしたら、今この学校にとって一番力になる人なんだから自信をもって威張っていていいんだ。』

だからといって、威張ることも偉そうにもできない小さな自分がいましたが、
デリーにいたときこの時のことを思い出しました。

一日でも長くここに住み、暑さを体験した人も偉いですが、これから新たに暑さを体験し
ここに住み続ける人々こそデリーの中心になるのだと、思ったことでした。

新旧の入れ替えで伝統を大切にすることも必要ですが、新しい息吹を吹き込んでいくことこそ大切なことなのではないか、と思ったのです。

若いときにもらっていた言葉が、ふと何年も経って全く違う場面でふっと思い出されることがあるのだと・・・・・

第153話

神田良彦 と 悦子夫妻は20代後半の元気で明るい新任教員家族であることは
すぐに人々にわかった。

三組の家族が新しくデリーに赴任してきたが、片山家に最初の夜を投宿し美沙たちが
世話をし始めた神田夫妻は快活で、心からインドを愛し、インドに期待し、ここで自分たちの力を注ごうという気合に満ちていた。

輝くような笑顔の悦子は小学校教員を辞めて来たばかりで、何にでもいいから役に立ちたいという心を決して図々しくなく表していた。

デリーに着いたその日は飛行機の遅れのために 家に落ち着いたのはすでに夜明けに近かったが片山夫妻は4人で夜っぴいて語り合い、その新鮮な神田夫妻の情熱にすっかり感心していた。

「いやあ、3年目に入ると、最初のころのそういう熱い思いをつい忘れがちだなあ。
暑さにも慣れるけれど、ここの生活や学校生活にも慣れてしまって、いけないですねえ。」

と、翔一郎も神田良彦を眩しく見つめていた。

「いえ、まだ何にもわからないのですから、これから本当によろしくお願いします。」

妻の悦子も美沙の優しげな所帯やつれのない姿に安堵して

「想像した以上に綺麗な町並みのようで、またこうして日本のような生活の様子に
ほっとしました。」

と、笑顔であった。美沙は

「誉めていただいてうれしいですし、私もそう最初に思いましたけれど、やはり明日明るくなると周りの様子も詳しくわかりますから、じっくり慣れていってくださいね。」

と、少し現実の厳しさも匂わさずにはいられなかった。

「とにかく、デリーの暑さはこれから半年ほどしっかり続きますし、水のことなど基本的な生活をしっかり押さえなくてはなりませんが、必要以上に神経質にならずに私なども楽しんでいます。」

そんな風に話しておいた。

殆ど徹夜状態の4人であったが、朝7時には軽い朝食を美沙がシャンティとで用意し

急いで教員の夫二人に食べさせて迎えのスクールバスに乗せた。

そのあと、女たちは改めて和食の朝食を共にした。

「こんなに立派な朝食をいただけるなんて感激です。」

心から喜んでいる若い悦子を、美沙は可愛らしい人だと思った。

「毎日というわけにはいかないですが、日本から持ってこられた食材を大事にして
どうぞ健康的に暮らしてくださいね。日ごろの私たちの食生活を支えているのはシンガポールや
バンコクでの買い出しですが、インドの食材も十分ありますよ。」

そんな話をすると美沙は自分たちの2年前をまざまざと思い出し、最初に世話をしてくれた先輩教員の安岡夫妻を思い出していた。

彼らも決して偉そうなことを言わずに謙虚にデリーを紹介し、よくここの生活へ導いてくれたのだ。
そして安岡夫人によって、最も隣人の北川夫妻を紹介されたことも改めて思い出された。

ここでは、その先輩教員から受けた様々な教えや気遣いに対する恩返しはこうして次の新しい人々へバトンタッチしていくことにあると、しみじみ感じていた。

そう思うことがまた、美沙の心の中にここでの生活の中で生じた自信にもなって心なしかゆったりとした様子に現れていたのかもしれない。

英語が特に上手というわけでもない。むしろ若い神田夫妻は英語にはいささかなりとも自信がありそうだった。

美沙はインド英語を話すことにちょっとだけ臆したが、すでにシャンティに対していつもどおり使っているので、悦子は見抜いているだろう。

美沙自身肩肘張っていくことは好まないので、少々の気恥ずかしさを耐えてこの新しい人々をここの生活に導いて行かねばならない、と心していた。

美沙たちがこの新しい人々にしておいたことは、今日にでも生活を始められるように、という生活空間をとにかく作っておくことだった。

美沙は自分の経験から、家にあるものを貸すことによって、当座の生活をしてもらおうと努力していた。追々に自分たちの好みのものに変えて不必要なものは戻してもらえばいい、最初に随分と大きなお金を使ってしまっていた美沙たちの年度を振り返って、この三年目の仲間たちで話し合ったのだ。

幸いに皆このことを大変に喜んでくれていたようだ。

また、皆で連れ立って、最初の買い物に連れ出すと、他の家庭との兼ね合いで付き合いで買ってしまうこともあり、それでは各家庭の生活形態が崩れてしまいかねないと、はじめの1週間程をそれぞれ個人の家庭にあわせて世話役だけで付き添って生活用品を買い揃えていくようにしていた。

結果、それは大変良いことのようであった。

デリーの方もそのころはかつての自由貿易を封じる風潮からロシアや近隣の国から少しずつ物流が多くなり、品物が増えているのがわかった。

一番大きな変化は美沙たちの時と比べて、家具のつくりがかなり良くなっていた。

そういう変化にも敏感に反応できるようにしていたのだ。

これから三年暮らすこの新しい遠来の人々こそ、これからのデリーを捉えて、日本人学校の発展に寄与してくれるのだ、と感じている美沙がいた。

 タクシーの車も新しいものが増えて、安心である。

かつて美沙が最初に乗ったころ、おんボロのアンバサダーという車の窓ガラスが下がったままで少しも動かなかったり、ドアが外れそうになったりといろいろなことがあったが、もう既にそのことが懐かしい昔話になってしまうほど、インドの経済は発達しているように感じられたのだ。

                                             つづく
ドーサというパリパリの主食と豆のダルカレー(ウイキぺデイアより)
c0155326_23434940.jpg
にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へ
にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
本日もお帰り前に、声援のクリックお願いします。
「annと小夏とインド」
CHILさんによる小夏のイラストです。こちらもよろしく
by akageno-ann | 2008-05-29 23:40 | 小説 | Trackback | Comments(22)

三年目ということ

「石の上にも3年」、という言葉をずっと心の支えにしていましたので

なんでも三年頑張れば少しは成果が出始めると、信じていました。
最近はあまりそういう努力を一つのことに対してしていないな、と反省しますが、
私がこのブログを始めて半年が過ぎました。

その前にもホームページなど真似事をしていましたが
ブログに出会えて、これからは自分の中に大きな楽しみができたように
感じています。

ここにお越しいただいて、お読みいただき、時々にコメントもいただいたり
大変有り難いです。読んでいただいていることが支えです。

人生の中にいくつかの出会いと別れがありました。

女同士のこともありますし、男女の別れも経験しました。

事実は小説より奇なり、と言いますが、小説ほど全てのことが複雑でないことも
多いのです。

そんな日常的な出来事をデリーと土佐の高知に場を借りて・・150話まで
進めさせてもらいました。

今日もお越しくださってありがとうございます。

第152話

北川とあと二組の教員一家が帰国して1週間目に新任家族が3組で渡印してきた。

美沙の家にも一組の若い夫婦が最初の晩を過ごすことになっていた。

その日、朝から美沙はシャンティと客用のベッドルームを念入りに掃除し、ベッドカバーも
手刺繍の美しいものをかけて第一印象を少しでもいいものになるように、と心がけていた。

つい先日もインドに入るなりお腹をこわして、企業人の家族であったが奥方がインドに対して不信感を募らせて夫である人が困っている、という話を聞いていた。

そういえば美沙が日本から帰る飛行機の中であった深井というA企業の新任者はどうしたであろうか?とふと思い出したりしていた。

彼もそろそろ子供と一緒に妻が赴任してくるはずであった。

とにかく、そう簡単になれる場所ではないが、サポートの仕方によってはきっとこのデリーも心の故郷へと変わっていく、と美沙は信じていた。

到着は深夜であるが、軽い食べ物を用意しようと考えて、小さなおにぎりを作っておくことにした。日本食は心を癒す一番のものであるとここでは皆が思っていた。

夫たちは早々に集まって学校のスクールバスをし立てて、インド人スタッフと共に夜の空港を目指していた。

だが、しかし、バンコクのトランジットで機体の離陸のための出力が不足しているとかで
飛行機の到着はおよそ2時間遅れるということであった。

電話連絡はあったが、夫たちはそのまま飛行場に待機しているらしい。

そんなことは日常茶飯事だが、この日本からの飛行機では珍しいことであった。

気はもんだが、それでも明け方近くなって新任者は夫に連れられて到着した。

若い可愛らしい夫人が先ず降りてきて、遅延にもかかわらず笑顔で挨拶してくれた。

美沙は一目で彼女が好きになった。

「ようこそ、デリーの我家へ、お待ちしてました。」

美沙も快活にそ挨拶を返した。

教員である夫は荷物を人任せにせず、翔一郎と一緒におろして、遅れて入ってきた。

爽やかな細身の長身の彼は、神田と名乗った。

その日から約1年を、美沙は神田夫妻と大きくかかわりながら過ごすことになった。

それはそれで様々なことが起こり、美沙も大きく成長していく3年目になる。

神田夫妻は他の家族の中でも注目される人々となるのだ。

デリーでの日本人として暮らしは積極性のある人、一芸に秀でる人はたちまちヒーローに
なるところであった。

邦人のために一生懸命尽くす人、公平な人、謙虚な人。

そんな人がやはりここで主役になっていく。

学校ではそういう教師が当然のことながら待たれている。

古いものがさると、必ず新しいものに期待が集まる。

そこでまた現存するものたちがいい刺激を受けて頑張っていくのだ。

その交替劇を、美沙はこれから大きく実感していくことになりそうだ。

c0155326_1727299.jpg

にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へ
にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
本日もお帰り前に、声援のクリックお願いします。
「annと小夏とインド」
CHILさんによる小夏のイラストです。こちらもよろしく
by akageno-ann | 2008-05-28 17:27 | 小説 | Trackback | Comments(20)

100番目の・・・

5月の最終週になってしまいました。
こんなに雨の多い不順な天候の5月も最近なかったように思いますが、
いかがでしょうか?
中国四川省の大地震の余波をニュースで見ていても
様々な自然現象の変化を見逃してはならないように
思いました。c0155326_7293076.jpg

高知はまた雨が多かったようで、仁淀川の水流も、いつになく
勇壮に感じられました。
紫陽花がそんな中で静かに花を咲かせ始めたこと、隣家の軒下に燕の巣を
みつけたことが穏やかな日常を思わせてくれました。
「annと小夏とインド」
高知を特集しました。



第151話

デリーの3月末はもう陽が高くなり、日中の陽射しの強さは夏を思わせた。
日本人学校は年度末を迎え、様々な新旧の交代が行われる。

三年の任期を終えた教員は日本のそれぞれの地域にもどっていくのだ。
他企業の人々から羨ましがられるのは日本人学校の教員は任期3年がほぼ決められていて、

確実に予定を立てて、暮らしていけること、また卒業式の最後にその年離任する教師の
別れに式が執り行われる事、また空港へは縁のあった生徒たちが見送りに来てくれる事であった。

「北川先生、大変お世話になりました。」

そんな声に見送られて北川は夜半の空港内に消えていった。

北川の同期のに教員家族は帰りにシンガポールなどへ少し滞在して帰国するということで
2日後のフライトを予定していたので、その日は北川一人を30人ほどの邦人が見送りに出た。

「先生、100番目が来ましたね。」

そう冗談を言われて、北川は照れたが、確かに教務主任であった、北川は生徒の帰国に際しての見送りを確実に行っていたから、実際の数はそれ以上だったかもしれない。

「奥様にくれぐれもよろしくお伝えください。お世話になりました。」

と、PTAk会長はここでも丁寧に謝辞を述べた。

北川はさすがに感慨深気に関係者と握手を交わし最後に美沙の夫である片山翔一郎の肩をたたいて、

「お世話になりました。」と言い、

その後ろにいた、美沙の方を向いて

「日本で家内と一緒に待っています。」

と告げた。

人々はその出発ロビーのドアの外で別れ、デリーの家路についた。

折からダストストームという砂塵が舞い、飛行機は無事出発するのか?
と不安になるような強風がたったが、この見送りも一つの行事のように
淡々と行われ、また残る者たちのデリーの暮らしに戻っていくのだった。

美沙は快活に振る舞い、先ほどまで自宅で行っていた北川の最後の送別会の
片付けのことを考えていた。

北川の家は次年度の新任教員にサーバントごと引き継ぐので出発の日まで
そのまま生活できていたが、さすがに出発間際の晩餐は隣家の美沙たちの
家で行われ、特に親しかった教員仲間やそれ以外のテニス、麻雀で親しかった人々も
そこに集まってきた。

ビールとつまみを用意して、美沙は接待に余念がなかった。

それはまるで妹か親戚の者のような雰囲気なのだが、ここデリーでは
ある意味親しい人々は親類のような付き合いになっていたので
少しも不自然さはなかった。

そしてその宴のあとも、シャンティが片づけを引き受けてくれて
美沙も共に見送りに同行できたのだ。

家につくと深夜で、片付けられた部屋には灯りこそつけられていたが、既に
シャインティは約束どおり自宅にもどっていた。

ダイニングテーブルの上には他の家庭から持ち込まれた料理の空になった皿もきれいに
洗われて置かれていた。

唯一それが北川を見送った宴のあとの証明だった。

その夜はもう一度夫翔一郎と飲みなおし、北川を偲んだ。

「いやあ、寂しくなるなあ。」
翔一郎のこの素直な表現に美沙は心の動揺を隠すことなく

「なんだか、嵐が去って行ったみたいだったわね。」

「君はよくやったんじゃないか?周りからの中傷もあったはずなのに、堂々としてたから
いつしか君が北川家に出入りすることが当たり前になっていったし、怜子さんが帰ってからは
皆も彼女の病状がわかって、少しは君の立場がわかったのかもしれないな。」

美沙はそんな風に言う翔一郎に感動していた。

『この人は、無頓着なのかと思っていたら、決してそんなことはなかったのね。』

その思いは明日から始まる北川家なしの3年目の片山夫妻には重要なことであった。

美沙はベッドに横になって、夫の寝息が聞こえた来た頃、おそらく北川を乗せた飛行機はデリー上空へと消えて行ったはずであった。

怜子はその時しばし泪を流して感慨に耽っていたことを思い出した。
北川はきっと酔いも手伝って、もう眠ってしまっているかもしれなかった。
男と女の感情は時として全く違う表し方をするような気がしていた。

北川と握手も交わさなかったことが、ほんの少しだけ美沙には心残りだった。


                                              つづく

にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へ
にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
本日もお帰り前に、声援のクリックお願いします。

あらすじはこちらから
by akageno-ann | 2008-05-27 07:57 | 小説 | Trackback | Comments(22)

別れの前に

高知は雨の土曜日でしたが、山の家に車で辿りつくまでは静かにふるだけで
夜半になってかなりの雨脚となりました。
その雨音を子守唄に休みました。
夜明けにもまだその音が続いているのだと思い、少し寝坊をしましたら、雨はどうやら
未明にすっかりあがっていて、太陽が出ていました。
雨の音と思ったのは仁淀川が増水して大きな川の流れの音がしているのでした。
先祖の墓までには小さな滝がありますが、その水量も多くて、マイナスイオンをしきりに
発してくれるのでした。
山までの道野辺はまもなく大輪になりそうな紫陽花とその隙間から紫色のアザミが顔を覗かせていて、その葉の棘はいたかったけれど、一輪ずつ祖父母の眠るその場所に手向けさせてもらいました。
そして山を下った所にある母の実家の墓では従弟だけが眠る真新しい墓にも榊を手向けて
見守リ続けてくれる日々に感謝し、彼の神職であった時の姿を偲びました。
美しい萌黄色の袴姿が似合う姿勢のいい細い人でした。

「annと小夏とインド」
高知を特集しました。


第150話

北川はゆっくりグラスのビールを口にしながら、美沙をしっかりと見据えて話し始めた。

「この2年間、貴方がこんなに近くにいてくれたこと、これは運命としか思えない。
だれに支えられたとしても、貴方の献身的な怜子への姿勢はどんなに私を救ってくれたか、ここでもう一度お礼を言いたいです。」

美沙が口を挟もうとすると、北川はそれを遮って続けた。

「美沙さん、謙遜してはいけない。君には不思議な力があるのだと思う。
おそらく我々でなくとも、近くにいる日本人の隣人の不測の事態を黙って見過ごすことはできない性格なんだ。
そういう君をこうして身近に遣わしてくれたのは、神の力ではないか、と思ったのだよ。

怜子が言っていた。この最後のデリーの日々は美沙さんなしでは生きられなかった、と。」

美沙はそれを否定もせず、『運命』という言葉を素直にうけいれることにした。

そして黙って次の言葉を待った。

「私はね、正直なところ、君のその真摯な態度に心惹かれるものがあったよ。
女性として家内とは全く違う、比べることもできない、片山美沙という人に人間的な興味をもったのかもしれない。

そして、いつの間にか、私が怜子の病気による彼女の心の歪みを感じながら、夫婦の間にさりげなく入ってきて援け舟をだしてくれる貴方に救ってもらっていたのだね。」

美沙の脳裏にはこの2年の北川夫妻との交流を正に走馬灯にして浮かべていたのだ。
美沙は泪を流さないことだけに集中して、言葉は一切挟まなかった。

北川に認めてもらい、ある種の愛情のこもった言葉をかけてもらっていることだけで、気持ちは
満たされていた。

握手の一つでもしてら、そのまま北川の胸に倒れこんでしまいそうで、たった1杯のビールで酔うはずもないのに、頭はクラクラとしてしまっていたのだ。

だがこの日サーバントが、そのまま自然に二人をそのままセッティングルームに置いてキッチンで料理を始めていたので、北川はそのまま言葉をしっかりと続けた。

「日本に帰ってからこそ、君の存在の大きさを私たち夫婦は感じることになると思う。
でも僕は君を家内の大切な恩人として考えることにする。それが僕には最後の砦になるように思うのだよ。何を言ってるか判ってもらえるかな?」

「私」という北川の自称が次第に「僕」に変わってきている彼の言葉は、
愛に満ちているように思えたが
美沙は何故こんな出会いがここで起こってしまったのか・・
『デリーまできて・・』と
神の徒らのようにも思えて仕方がなかった。

ただ一つだけはっきり判ったのは、重病人を抱えるということがどれほど精神的に大変なことであり、ましてやこの厳しい異国での暮らしにおいては、いかばかりの精神状態であるかを
自然にそうぞうすることが美沙にはできたのであった。

だから、けしてこれは単なる怪しげな、恋愛感情ではないのだ、と判ってきた。

美沙自身、怜子を見舞い、怜子を援けることでその夫の心が少しでも軽くなってほしい、と
何故か思えたのは恐らく、北川のその風貌や言葉にほってはおけない憧れの対象に相応しいものが備わっていたからだと気づいていた。

そしてその北川の妻であることを誇りにしていた、怜子への憧憬もあったのだ。

美沙は、この時間がずっとこのまま続いていてほしい、と願いながらも
生まれて始めての大きな別れの儀式を行っているようであった。
                                               つづく
c0155326_024112.jpg
にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へ
にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
本日もお帰り前に、声援のクリックお願いします。
by akageno-ann | 2008-05-26 00:13 | 小説 | Trackback | Comments(12)

愛を決して語らずに

c0155326_17543064.jpg
この季節にチューリップのような花を見せる、ゆりの木です。かなりの高木になります。

明日早朝に一人高知へ墓参にたちます。
先祖の供養と、若くして最近逝ってしまった従弟の供養です。

2年前の5月、それは突然に44歳の若さで旅立ちました。
あまりのことにまだそのことを受け入れられていないように思います。

まったくこの小説とは関係ないことなのですが、書きながら彼への追悼の
思いもあることに気づいていました。

大黒柱の死は周りへの波紋は大きいのですが、彼こそ覚悟ができていて
友人や私などにもきちんと一人ずつ「あとのことを頼みます」と言い置いて逝った人です。

この若さで、死をしっかり受け入れていました。

手遅れの肝臓癌だったことを最初から知っていたようです。
母方の祖母が一番可愛がっていた、男の子でした。

それほど祖母のことも大事にしていてくれました。

祖母を最後まで看取ってくれたのも彼。

時々に帰高する私を温かく迎えてくれたのも彼。

だから最近は帰ることが辛くなってます。

でも、明日は仁淀川を見下ろす彼のいる墓所にて少し思い出に
耽ろうと思います。

そしてまた残されたものたちで、彼の遺志をつないでいきたいです。

小説の怜子(さとこ)は架空の人物ですが、書いているうちに彼女にも
高知で会えるような気がしています。

鰹のたたきを肴にして、ちょっと一緒に飲みたいな・・と詮無い思いを
馳せています。


第149話

怜子は高知の実家で少しずつ体力もつけて、しかしながら抗がん剤による治療を進めていた。

不思議とほんのこの間までインドにいたということと、この高知での暮らしのギャップは赴任当時より薄らいでいるように感じたのは、おそらくデリーでの暮らしも怜子のペースが守られていたのかも知れなかった。

ただ傅いていてくれたサーバントたち、いつも怜子の体調を気にかけてそばにいてくれた美沙の存在だけは心の底から懐かしく、その空間が愛おしかった。

間もなく帰国する夫の北川が傍にいれば、またそんなデリーの暮らしを懐かしむことができそうであった。


デリーの方では北川が本帰国のための片付けに忙しい毎日を送っていた。

美沙は、一人住まいの北川をしきりに食事に誘ったり気をつかったが、彼は残りの日々は一人で過ごしていた。

いよいよ帰国10日前になり、船便を出す日になった。
あとは学校も卒業式と学年末の終了式を残すだけだ。

「北川先生、今日はお手伝いしますね。遠慮なさらないでください。
最後のご奉公だから。」とわざとおちゃらけて美沙は北川家に入って行った。

サーバントのファトマも美沙の顔を見て嬉しそうに

「グッドアフタヌーン、マダム」と招きいれた。

北川はさも面倒くさい仕事が残ってしまった・・というような無愛想な顔をして
荷物の点検をしていた。

「全く怜子は本が多くて、持ち帰らなくて良いとはいえ、ここへ置いてもどうしようもないだろう。」

怜子は読書家で推理小説なども外国ものが多かった。

美沙の殆ど読んだことがないものばかりだった。

「あの、よろしかったら私がお借りして来年の帰国時に持ち帰りましょうか?」

「いやそんな世話になるわけにはいかないよ。まあでも少しおいていくか・・」

と、少しだけ相好を崩したので美沙はほっとした。

優しい性格でてきぱきと仕事する北川と過ごすのもこれが最後なのだという思いが少しあった。

しかしそんな淡い思いも今は封じ込めている。

ファトマはマダムの意向をよく聞いていたので、台所用品などは殆ど新年度の新しい赴任家族に使ってもらうことにして、ダンボールに仕分けして丁寧に入れていた。

美沙はそれを確認してこの家のストックルームにしまえばよかったのだ。

新しい家族は家財道具が残されているほど有り難いはずであった。

2時間ほどの仕事が済んで、この家が明け渡されるということを物語るようにセッティングルームはダンボールの箱でいっぱいになった。

2トントラックがやってきて、インド人スタッフがすべてを30分ほどで積み込んだ。

インドとはいえ、この頃は大分様々な仕事がスピード化されているし、客側のニーズにも応えようとするインド人企業家が増えてきていることは確かだった。

「さあて、美沙さんお疲れさま、片山先生もよんで、今日はここで夕食にしよう。
ファトマのインド料理を食べ収めしたいしね。ファトマ、インディアンディナーね。」

と、サーバントにほとんど日本語で語りかけながら北川はグラスをカップボードから取り出して
インドのブラックラベルのビールを注ぎ始めた。

「まあ昼間だが、これだけの仕事をしたのだから乾杯くらいいいだろう。二人だけではないのだから。」
と サーバントの顔を見ながら笑った北川は優しかった。

「美沙さんも大分強くなったよね。最初は飲めなくて往生してたのに、インドは人を変えるな。」

「そんなに大酒のみではありませんよ。でも確かに昼間からこうしてビールを遠慮なくいただくようになったのは確かですね。」

美沙もほんの少し酔いたい気分だった。

「お世話になったな、怜子がどれほど貴方を頼りにしていたかは話したけれど、私もとても支えられてたよ。」

美沙は少し真顔になった。

サーバントたちはキッチンで料理したり、外でまだ片づけをしたりしていた。

「ここで心からの感謝の気持ちは伝えたい。」

「いやだわ。泣かさないでくださいね。」

「そうだね、泣かずに聞いてもらおう。」

そういう北川の目はいつもの冷静であまり感情を表さない彼とはちょっと違っていた。

                                              つづく

                              
「annと小夏とインド」
こちらも是非お立ち寄りください。「五月晴れのぶらり散歩」です。
にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へ
にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
本日もお帰り前に、声援のクリックお願いします。

あらすじはこちらから
by akageno-ann | 2008-05-23 22:30 | 小説 | Comments(17)

メンサーブ

関東は素晴らしい天候に恵まれています。
ただあまり続かない最近のこの五月晴れ・・
晴れた日は思い切り空気を吸いに外へ出たいです。
デリーでこの時期自転車で買い物に出たことがありました。
1時間ほどでしたが・・メタルフレームのサングラスで・・
これは大失敗!熱伝導で頭が割れるように痛くなり
ちょっと買いものの間に置いた自転車のサドルは
驚くほど熱くて・・そんな5月のデリーを思い出します。
そして懐かしいです。暑ささえも・・

第148話

夫人のことをこちらではメンサーブという呼び方をする場合がある。
主人をバラサブ・・

そしてそのまま企業のトップをバラサブと呼び敬意を表す。

美沙の家のオーナーはインドの小さな会社のバラサブで夫人は優しい人であった。
1年目いろいろと不慣れな美沙を温かく助けてくれながらもあまり多くを要求しない
人で、そういう人柄からか近所の人々からも親しまれ敬われていた。

そのはっきりした光景は彼女への挨拶はひざまづき、足にキスする様子から感じられた。
これは確か、マザーテレサをテレビでみたときにもあった様子だった。

その風習を踏襲こそしなかったが、美沙もまた彼女を敬愛していた。
ヒンズー語が殆どできない美沙とは互いの第2外国語での会話だから始めは随分苦労をした。彼女の娘は英語が堪能だったから里帰りしているときはたすかったものだが
最初につまづいたのは・・「ジュー」という言葉だった。

三度目の会話のときに初めてそれが「You」だとわかった時の拍子抜けは思った以上に大きい者だった。
美沙が勤めていた東京の中学校では既に英語の授業には外国から派遣された外国人教師がいて、そのころは厳しい試験を潜り抜けてきていたから、日本語もかなり堪能な人々がいた。

美沙は国語の教師だったので、一人の女性のアメリカ人教師に大変興味を持たれ、日本語の詩を暗誦したいとうことで宮沢賢治の『雨ニモマケズ』を教えたことがあった。

その時彼女が話していたことを思い出していた。

「私はアメリカでかなり日本語を勉強したので自信を持ってきたのですが最初に赴任したのが東北でね、その寄宿先ですごく困ったんですよ。」

「東北弁ね。」美沙も想像はついた。

「ええ、下宿のお母さんが先ず言ったのは・・アンダシャ・・なんです。
え?アンダーシャツ?がどうしたの?って全然わからなくて」


      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・★

その時は「あんた」や「あんだしゃ」という「貴方」に変わる言葉など教科書にはあるはずもないことを改めて知らされたが、正に美沙のこの経験と同じだった。

そしてそのときのアメリカ人教師が言った言葉、『知ったかぶりはだめだ』と
いうことを心に置いたのだった。

それから2年を過ぎて、ここデリーのこの家のメンサーブの言葉には『フラワル』(花)『ウエネンズデー」(水曜日)『アザルワン』(もう一つの方)と様々な形で美沙に単語をインプットしてきた。

そして郷に入りては・・の精神で、美沙も同じ言葉を使うことがあった。

ある朝そのメンサーブに言われたのは

「アザルハウスのジャパニーズマダムはどうした?」

とのことだった。

怜子のことを言っているのだ。

「日本に帰りました。」と話したらとてもびっくりして

「やはり病気だったのか?」というのだ。

「どうして?」と聞き返すと

「少し顔色が悪かった」と言うのだ。

「えぇ、病気を持っていました。」と正直に答えた。

「そうか、貴方と仲良しでさぞかし貴方も心配だろう。」

と例の『ジュー』という言葉を連発していた。

思わずひざまづいて、彼女の足にキスをするそぶりをした美沙の頭を
メンサーブはやさしく撫ぜてくれていた。


そんな美沙の3年目がはじまった。

                                               つづく


「annと小夏とインド」
こちらも是非お立ち寄りください。写真の花に会えます。
にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へ
にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
本日もお帰り前に、声援のクリックお願いします。
c0155326_9373729.jpg
by akageno-ann | 2008-05-22 08:30 | 小説 | Trackback | Comments(15)

待っているから

「待つ」というのは楽しいことと苦しいことが入り混じることが多い。
楽しいことを待っているのさえ、あまりに長いと苦しみになる。


第147話

美沙が夫翔一郎によってデリーの空港に出迎えをうけ、荷物と共にデリーの自宅に戻ったのは
2月始めの深夜だった。

しかし片山家のフロアの電気は明るくついていて、車が家の前に止まると、下のオーナーのチョキダール(門番)がすぐに歩み寄って、タクシー運転手と共に荷物を家の中に運んでくれた。

少し賑やかな雰囲気になるのだが、ここではあまり隣近所に気兼ねをする必要がない。

それほどシリアスな問題でなければ音に対しては寛容な国民性といえよう。

家の中からサーバントのシャンティが出てきて

「グッド イブニング マダム」とにこやかに迎えてくれると、それは今まで以上に嬉しいことで

美沙も元気に

「グッド イブニング シャンティ、ゴメンナサイネ オソクマデ」と

簡単な英語で話すと インドに戻ってきた感覚をそこで改めて強く持った。

夫に促されて荷物をシャンティに頼み 急いで隣家の怜子(さとこ)の夫北川が待つ家に向かった。

「グッドイブニング マダム」 ここの大そう立派なチョキダールは 髭もあって

なかなかのハンサムであるのでこういう挨拶が堂々としてみえる。

早速家の中に招じいれてもらうと、北川自身がドアを開けて待っていた。

美沙はその笑顔が嬉しかった。

「お疲れさま。本当にお世話になりました。」

そう北川は相変わらず丁寧に他人行儀に礼を述べた。

「はい、無事にお送りしましたし、高知では大変皆さんにお世話になりました。」

そう美沙もきちんと挨拶を返した。

「なかなかあちらでも美沙さんは人気があったようですね。怜子が電話で実家の父親が
喜んでいた、とのことですよ。」

「ところで、怜子さんはその後如何でしょうか?日本を発つ前に少しお話は伺いましたが。」

「まあ、再発は再発のようですが、それほど深刻な様子はないですから、私は帰国まで取り越し苦労はやめます。とにかく、ここで最後の卒業式や離任までの仕事しっかりやっていきたいですし、彼女も心配しないで、というのだからそうします。
少し最後は一人でインド国内の旅にも出ておきたいのです。
シムラなど近場で見ておきたい風景をせめてカメラに収めておきたいし。」

その落ち着いた面持ちの北川の様子をみて、美沙は安堵した。

『この人はどこか冷静沈着で自分の本心を押し隠してしまう強さをもっているのだ。』

と、感じていた。

「これは明太子です。明日の朝にでもどうぞ、今夜はもう遅いですから失礼します。」

美沙は短時間でそこを辞して、自宅にもどりシャンティを早く解放してやりたかった。

家には、にこやかにだまって荷物の片づけをしている彼女がいた。


その夜は、結局深夜3時にやっとベッドに入れた。

「いよいよ三年目ね。」

そう深く深呼吸して、美沙は夫の背中に語りかけた。

翔一郎は北川家で出されたウイスキーの酔いで、すぐに寝息をたてていた。

『明日からに私はここでどのように振舞っていったら良いのだろう』

怜子のいないデリーの日本人会の暮らしが、美沙には少しよそよそしいものではないかと危惧があった。

だが、翌日すぐに婦人部の会長より電話があった。

「片山先生の奥様、来年度は婦人部の役員としてよろしくお願いします。」

と、いうものだった。

手持ち無沙汰を感じる前に三年目であるという事実を突きつけられたような電話だった。

考えてみるとこれまでの婦人部での活動もどこか怜子の庇護のもとに顔を出していたようなところがあったと、美沙自身が感じていた。

こうして一人で放り出されてみて、デリーの暮らしがどれほどできるようになっているのか自分で試験を受けるような気分になっていた。

4月始めには学校の新任教員家族が渡印してくる。

今回は美沙もかなり中心になってそのお世話係をする番であった。

永住でなく、期限付きの居住には、その年々の役割も決められていて、否が応でも

しっかりとした振る舞いをせざるを得なかった。

だがそういうやむを得ぬ状況が、また一人の人を成長させるのかもしれないのだ。

美沙は、この時期2週間を日本で過ごしてきたギャップを埋めるかのように
翌日から寂しがっている暇もないような忙しさで日を過ごしていた。
                                               つづく

c0155326_23424794.jpg
「annと小夏とインド」
こちらも是非お立ち寄りください。
にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へ
にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
本日もお帰り前に、声援のクリックお願いします。
                    

More (英語のこと)
by akageno-ann | 2008-05-20 23:29 | 小説 | Trackback | Comments(18)

最後の夏に向かう

関東の先週の天候は安定せず、急に三月の肌寒さを感じたりカーディガンなど
まだ衣替えできぬ日々ですが、デリーの5月中旬は正に猛暑です。
昨日の休日は久しぶりに犬を連れてアウトドアを楽しみましたが、年なのか
疲れてバッタンキューでした。
        ☆・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 小説の方は、美沙は三年目の夏を迎える前に怜子を日本に送り、その帰路に新しく赴任してきた商社員、深井と機内で出会う。デリーでの最後の年を過ごそうという美沙とこれから新しくデリーの生活を始めようとする深井との接点は、美沙が自信を持って暮らして行こうとする上に大きな光が射したようなものであった。

第146話

 デリーのインディラガンジー空港にはいつものように深夜の到着であった。
にもかかわらず、空港だけは煌々と灯りがともり、人々も甲斐甲斐しく動いているようで活気が感じられた。

何度も通っている入国審査のインド人の眼光は鋭く、しかし美沙はすっかり慣れてしまったのか、長く待たされる間も一緒に降りた深井の前に立って

「ここは愛想がないですが、別にそれほど疑われているわけではないですし、そのあとターンテーブルの荷物はきちんとインド人のスタッフがついてくれますから心配ないですよ。」

など、細やかにアドバイスした。
美沙は三組の家族と一緒に初めてのデリーには到着したが、税関の係官の冷たさにすっかり怖気づいていたことを思い出した。

間もなく日系の航空会社のスタッフや日本大使館員が出迎えてくれ、その新人の深井を美沙が促すと

『お待ちしていました』という、温かい出迎えの言葉を受けていた。

荷物も皆無事にターンテーブルより取り出せ、美沙も手馴れた雰囲気でそれらを近くのスタッフに手伝わせてカートに乗せて、キッとした少々きつい表情になって、出口に向かった。

空港側の職員もだまってそれを見送り、最後に一人の男が

「ジャパニーズフード?」と聞いていたがそれにも軽く頷くだけで返事はあえてしなかった。

そういう姿を深井は空港の奥から羨望のまなざしで眺めていた。

出口には夫の片山翔一郎が出迎えに来ていた。

デリーは2月を迎えていた。

日本人にとってはこの頃の寒さはそれほど堪えず、日本から戻った美沙などはまったく寒さを感じないが、インド人にはことの他寒いらしく毛布を巻きつけている姿も多く見られた。

日本の企業の人が出迎えていた。

あの深井の仲間である。美沙たちも顔見知りだったので挨拶を交わした。

間もなく深井から機内での会話など報告されるだろう。デリーの日本人社会は狭い。

しかし、この厳しい気候を共有する仲間としておかしな中傷や勘繰りをする者はないはずだった。

いつものプライベートタクシーの運転手はすぐに車を美沙たちのそばにつけて荷物はインド人たちによって積まれ夜の街を通り抜けて自宅にもどった。

「北川先生が電気をつけて待ってると言ってるからちょっと寄ろう。」

夫の申し出に意外さも感じたが、この夜中の帰宅を皆が待っていてくれるのは嬉しいことだった。

怜子の実家の様子も知りたいのであろう。

怜子はそういうこともあるかと思い、成田で日本酒と明太子の土産を手荷物で持っていた。

心の底でほんの少し北川に会いたいと思っていたのも事実であった。

                                              つづく
c0155326_182401.jpg



「annと小夏とインド」
こちらも是非お立ち寄りください。
にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へ
にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
本日もお帰り前に、声援のクリックお願いします。
                    横浜シルク博物館主催サリー展2007より

あらすじはこちらから
by akageno-ann | 2008-05-19 07:23 | 小説 | Trackback | Comments(25)

新しい出会い

ちょうどこれを書いた夜にふと寝しなにテレビをつけるとNHKBSの深夜の再放送番組
ジャームズリプトン監修の『アクターズスタヂオ インタビュー』をやっていました。
大抵名のしれた俳優なのですが、途中からなので一瞬だれがゲストかわからない、
中年の男性でしたし、話すときに少し辛そうな表情がありました。
そのまま何気なく見ていると、話は『バック トゥ ザ ヒューチャー』に
マイケル J フォックス、その人でした。
彼は難病の一つパーキンソン病にかかってもう20年近くになるのですね。
その生きることへの前向きなひたむきな言葉に心打たれました。
よろしかったら、下のブログをお読みください。詳しく書かせてもらってます
「annと小夏とインド」
命を絶つことまで考えることのあるという難病との闘いの中で彼の得た心のもち方は
自暴自棄にならずに生きる、こうして病を得たことも自分への贈り物だと考えるという
ものでした。偶然とはいえ、深い共感と感動を覚えました。

小説の方への応援をいつも本当にありがとうございます。
怜子を日本において、美沙は夫の任期の残るデリーに再び一人で戻っています。
さて今日のお話は・・・

第145話

 デリー行きの機内で知り合ったK商社の深井は単身初めてのデリーに乗り込むための心の準備をしていた。
機内で隣り合った美沙の落ち着いた様子を横目に見ながら、この人はデリーにいったい何をしに行くのか?と不思議な思いでいた。

初めから話しかけるのも図々しいようなので、彼女の方からこちらを向いてくれるのを待っていたが、はじめは静かに休んでいて、起き上がってお茶を飲むと、バッグから取り出した葉書になにやらスラスラと書き始め、時に少し遠いところに目をおいて、こちらの取り付く隙はないように思われた。
しかし、デリーまでのフライト時間の半分が過ぎた頃に思い切って深井は美沙に声をかけた。

美沙はもちろん隣席のこの深井を意識しなかったわけではないが、出張者かなにかであろうとあまり気にならなかった。
それほど深井はしずかに目を閉じて過ごしていたからだ。

美沙が気さくに挨拶に応じたので、深井はいろいろとデリーのことを尋ねた。

「恐縮ですが、何しろ一度出張で一週間滞在しただけなので、いよいよ住むとなると
不安ばかりでして。」

美沙はにこやかに答えた。

「わかりますよ。私はもう2年になります。今回は私だけ帰国してましたが・・
そうそう私の夫は日本人学校の教員で片山と申します。
ご家族は?」

「はい、まだ下の子が乳飲み子なもので、あとから渡ってくる予定なのですが、小さな子供も生活できるのか心配で、家内はあまり乗り気ではなくて。」

深井はそこでため息を小さくついた。

「私も最初はそうでしたよ、赴任が決まったときはもう寝込んでしまって、でもこうして今は
元気に過ごしていますし、日本にいてもやはり今の私の家はあちらだということを今回ははっきり認識しました。」

「あなたの姿を拝見していて、何かお仕事をされているのか、と思いました。颯爽としていらして。」

「そうですか?デリーの婦人会の皆様はもっと溌剌としていますよ。大変なことはたくさんありますが、決して一人で苦しむようなことはないのです。インドの人々は子供を大変大切にして可愛がってくれますよ。現にアヤという子守りは友人宅を見ていても大変役にたってくれてます。」

「そうですか、そのアヤなどサーバントの問題も妻はとても心配してまして・・・子供を乱暴に扱うようなことはないのですね。」


「まあいろいろな昔話で事件的なことがあったのかもしれませんが、それは私の知る限り現代では事件はないです。友人宅のサーバントやアヤは関心させられることが多いです。ただまあ相性というのがありますから、あまり懐疑的彼らを扱わない方がいいと思います。
要は信頼関係なんですよ。そちらの商社もお一人ではないのだから奥様方がいろいろ気にかけてくれるでしょう。」

「はい、でもわが社で子供連れは私だけなんです。まあ関連企業もあるのでいろいろ伺えるのですが・・・」

「私は子供がいませんのでその辺のことは詳しく申し上げられないけれど、デリーの暮らしについては何でもお聞きください。学校に上がられるお子さんはいらっしゃらないのですね?」

さすがに美沙は日本人学校関係の保護者になる人であるかどうか、を確認した。

「はい、まだ未就学です。幼稚園の方は調べたいのですが。」

「みんな地元の幼稚園にいったりアメリカンスクールの幼稚園に行ったりしていますよ。」

話は尽きることなく、深井と美沙はデリーの暮らしについてをずっと話し合ってすごした。

「そうですか、アメリカンスクールのことは聞いてますが、学費が高いそうですね。」

「そうなの、それは一つネックのようですよ。でもね、いろいろあちらで実際の話を聞けますからあまり心配なさらずゆっくり考えられたらいいと思います。私も行ったばかりの頃、全て不安でしたけど、皆さんそれは親切ですよ。」

そう美沙は笑いながら

「あ、でも私は少し偉そうにしゃべりしすぎですね。」

と、結んだ。その表情が魅力的だと深井は思った。

『こういう風に屈託なく過ごせる場所なのだろうか?』と緊張する気持ちが少しずつほぐれていくように感じた。

「しかし、家内の不安は日本にいるのでまだまだ解けないと思います。」

そう深井は肩を落とした。

「とにかく、まめに連絡して差し上げることだと思いますよ。
インドは家族でいらっしゃる方が、お子さんがいらっしゃる方が楽しいですよ。」

そう励ましながら、美沙自身もこれから自分の子供をどうするか、日本を離れる前日に電話で怜子が励ましてくれたことを思い出しつつ考えていた。

                                                 つづく

                                   
c0155326_11275670.jpgにほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へ
にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
本日もお帰り前に、声援のクリックお願いします。
by akageno-ann | 2008-05-16 11:28 | 小説 | Trackback | Comments(24)