アンのように生きる・・・(老育)

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かけがえのない日本の片隅からの発信をライフワークとして、今は老いていくにも楽しい時間を作り出すことを考えています。

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第168話

先にデリーを出発してパリからロンドンに入っていた平田家は

親子3人でハイドパーク近くの落ち着いたホテルに滞在していた。

パリでもコンコルド近くの三ツ星ホテルに滞在して、よう子は買い物に
勤しんでいた。

さしてブランド物に拘るわけではないが体にフィットする色合いの優しいおしゃれなものを
好んで探した。

小柄な体格なので外国での衣類探しはかなり困難であった。

しかしさすがにパリは日系のデパートもあり、比較的手に入りやすかった。

ましてやデリーからくればここは買い物天国であることは間違いない。

デリーの暮らしでは宝飾品の店で指輪などたまに買いに行くことや、ビーズ刺繍の

上手な職人に安くシルクの生地に装飾してもらって、それをオーダーメイドでスーツやワンピースを作るという楽しさも覚えた。

娘の明子(めいこ)をアメリカンスクールの幼稚部に入れたことにより、学校関係以外の友人もできて、その中にはなかなかおしゃれ感覚に秀でている人もあり、よう子はすっかり感化されていたようだ。

夫の平田久雄はよう子が過酷なデリーの暮らしの中でそれなりに楽しみを見つけたことに満足していた。

このまま静かに3年が過ぎてくれれば、自分は家族とこうした在外派遣教員としての任務が果たせたことに感謝したいと思っていた。

学校関係の夫人としては同期に赴任した片山美沙、そしてこの三年目に新しく入ってきた神田悦子が、よう子には時として大きな存在としてのしかかっているようで、その三者がうまく絡んでほしいと密かに願ってもいた。

よう子は可愛い女であった。

美しいものが好きで、自分に親切にしてくれる者、優しい人が好きであった。

それはごく自然で童女のように素直に人と接していた。

久雄はそういう よう子がデリーという場所での暮らしの中で一生懸命生きていく姿
自分や娘の健康を第一に考えてくれることにも感動していたのだ。

ただ唯一友人の作り方だけは偏狭で、小さいときから人にちやほやされる魅力を持っていたことが、かえって人との関係を大切につないでいくための配慮や言葉かけが下手なままであることも久雄にはわかっていた。

久雄はその分気配りができて、妻のよう子を十分にフォローするに足る人柄であったが

よう子が片山美沙たちともう少しうまく付き合ってほしいというのが更なる希望であった。

しかし、この夏休みの休暇について片山夫妻が世界一周のチケットを購入したことで

文科省へ立ち寄り国の大幅に追加を申請したことが問題になったことは、デリー日本人学校の汚点になってしまった、と、よう子は不快に感じていたのだ。

「美沙さんたちももう少し謙虚でないとね、自費での旅行は何やってもいいなんて勘違いしているんじゃないかしら?」

「まあしかし、たまたまチケットがそういう安いものが手に入っただけだし・・」

「そういうところすごく調子よすぎないかしら?合理的っていうか?
自分勝手な気がするわ。お子さんがなくて気楽なのね。」

こういう会話につきあって、少しでも戒めるようなことをいえば、この旅行が台無しになることを
久雄は嫌というほど知っていたので、そのまま黙った。

彼女のその幼い考え方は一朝一夕に成長するものではないように思われた。

それだけこれまで順風満帆に過ごしてこれたという幸せな感覚なのかも知れなかった。

ホテルは必ず一流ホテルでなくてはならず、そのために貯金を切り崩しているが、

それでもよう子が明るく楽しんでいれば、娘の明子も嬉しそうにしている。
まだ5歳ほどの子供でも、すでに母の機嫌は良いほうがいいと、顔色を伺うときがあるのだ。

ロンドンは有名デパートのハロッズや、美しい紅茶の老舗、重厚な雰囲気の洋品店が威厳をもって並び、紳士淑女はオーソドックスな服装に身を包んでいる様子も伺え、方や若者たちは
パンクといわれる染色した髪を不可思議に刈って、その髪型に合わせたような派手な服装をしている者が目立つ時代であった。

ここの新旧一体となった雰囲気は日本とは全く異なる歴史あるヨーロッパの島国で
平田久雄は気に入っていた。

そんなときに、ホテルに片山翔一郎から電話が入った。

『平田先生、ご心配かけましたが、パリにたどり着きました。明日そちらで合流したいのですが・・』

『やあ、それはよかった、美沙さんもお元気ですか?今家内に代わりますので美沙さんをお願いします。』

そう促されて美沙が電話口にでると

『美沙さん、よかったわね。夏休みにそこまで出る事ができて・・』

『ええ、よう子さん、ご心配かけました。そちらは如何ですか・・・』

『寒いのよ、6月といえどもフランスより気温がずっと低くて今日は家族でカーディガンを買ったの・・それがまた高いの・・貴方はカーディガンなどもってきたの?』

『いいえ、そんなに寒いのですか?』

『そうなの、そちらの南の方にいらしたほうがいいわよ、こちらはお奨めできないわ。』


よう子は強く念を押した。

美沙は夢に描いたロンドン再会をその時点で諦めていた。
                                              つづく


インドの風景も懐かしい!

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by akageno-ann | 2008-06-30 19:53 | 小説 | Trackback | Comments(25)

パリへ

前回の記事では皆さんの欧州、特にザルツブルグの思い出を重ねていただいて
本当に嬉しかったです。
daianasさんのブログでは20年前の当地での思い出のお写真をアップしていただいて、
その素晴らしい風景を堪能させていただきました。
感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。

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一昨日は知人の紹介で高知県出身のメゾソプラノの歌手 谷口睦美さんが出演する

日本の二期会のオペラで リヒャルトシュトラウス作曲のギリシャ神話が元になっている

『ナクソス島のアリアドネ』を鑑賞しました。

初めての作品でドイツ語でしたし、(字幕はあります)御伽噺の劇中劇のようで

ちょっと戸惑いましたが・・次第にその幽玄な雅な、滑稽な世界に入り込めました。

面白かったのです。私は若い頃ふとしたきっかけで能と狂言を見ていたのですが、

このオペラの演出は日本のそれらを意識して作られていて、これが日本人には

受けたように思われます。

インドではこのクラシックに触れる機会が少なかったです。

クラシックを聞く事が好きだった私にはそれが残念で、欧州の旅ではクラシックを

求めていました。

しかし主人との趣味がちょっと異なるため、コンサートへ行く機会は少なかったです。

///////////////////////////////////////////////////////////////////////////
さて、今日のお話は

第167話

ハイデルベルクを後にして、翔一郎と美沙は、フランクフルト空港からパリのシャルルドゴール空港に飛んだ。

相変わらず二人はこのパリが好きである。

なぜか・・・?日本の香りがするのだ。

ドイツは中華料理はいろいろ食べられるが、日本食は少なく高い。

中華もインドのそれに比べると、甘めの味付けで、美沙はすっかりデリーの辛いインド風中華料理に舌が慣らされているので、ものたりない。

だが、パリは日本食も豊富で美味しいのだ。

オペラ座界隈のちょっと裏通りにもその頃できた回転寿司やまであり、

うどん、ラーメン屋にいたるまで数が増えている。

街の買い物はフランス語ができずとも結構なんとかなる・・

それ以上に翔一郎はここの風景と美術館が好きだった。

印象派を好む彼は、ここにいるとデリーを一瞬忘れる。

インドは所謂印象派というジャンルはちょっと当てはまらないかもしれなかった。

だが、インド駐在を機会にインドの女だちに視点を置いて描き始めた 女流画家

田村能理子氏の絵は、インドの風景や女性たちををシルクのスクリーンを通してみたような

美しい描写を行っていた。

だがパリには、これでもか・・・これでもか・・・というほどの印象派の絵たちに囲まれる場所がある。

かつて駅舎だったというオルセー美術館のモネの絵の前で、翔一郎はいつもしばし佇んでしまっていた。

その美術館には所々セーヌ川をはさんで向こう岸をはるかに見渡せる窓がある。

その風景もまた美沙達の好きな場所であった。


その夕刻、二人はセーヌ川岸にある日系のホテルの和食のレストランを予約していた。

有り難いことに川を見下ろせる窓際の席がリザーブされていて美沙をことのほか喜ばせた。

いつものように刺身や鮨、冷しゃぶの牛肉などを野菜と一緒に食べることができて、

旅ではどうしても不足するミネラルやビタミンを自然の食材から摂取することができほっとする瞬間だ。

少し贅沢でもこういう時間こそデリーの夏を逃げてきた本当の避暑だと思われた。

セーヌ川にはそろそろ美しい光のイリュミネーションを放ちながら流れている観光船

バトームーシュが行きかうのが見られる。

美しい光景であった。


「平田先生たちはロンドンにいるから、教えられた投宿先へ電話してみよう。」

「そうね、私たちがこうして旅に出られたことをお知らせしましょう。」

「それにイギリスへ行ってみようよ。オックスフォードに大学時代の友達がいるんだ。
今客員研究員とかで、地質の研究してるらしいよ。外国に留学・・考えるべきだったなあ
留年しちゃってばかだよねえ、俺は」

翔一郎のその後悔はインドにせめても今出られていることから、それほどの大きな落胆には
なっていないように、美沙には感じられた。


「そうね、イギリス。歴史的や国の面積の大きさからどこか日本に共通点はあるかしらね。」

美沙も新しい国への期待が沸いてきていた。

                                           つづく

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ネッカー川の風景です。

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by akageno-ann | 2008-06-28 11:08 | 小説 | Trackback(1) | Comments(23)

大学の街で

今日の関東の暑さは昨日との気温差が激しくて、ちょっと参りました。

一番ショックだったのは、2階の水道の水が熱せられて熱く感じました。

これはデリーの夏を思わせる現象の一つです。

そして戸棚のグラスが、温かいのです。

冷たいものをいれてもこのままでは美味しさが半減です。
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デリーの冷凍庫にはこの時期グラスが必ず入っていました。

冷えたビールを入れて飲むためのものです。

冷やすということに命かけてましたね・・

でも、インドのレストラン、インド人の友人宅は、ビール、夏でも冷やさないんですよ・・

「ビールは飲むための適温があるのだ・・」と日本人同士でレストランのウエイターに
レクチャーしたことがありましたが・・今デリーのその店のビールは冷たいかなあ??


さて今日のお話は・・・・
第166話

美沙達はバーデンバーデンを後にして、ハイデルベルクへ少しだけ北上した。

美沙の希望で、ミュージカル「学生王子」の舞台になった大学の街・・・・ハイデルベルク

ネッカー川に沿った古城ハイデルベルク城 その城は今も静かにその川を見下ろす。

「学生王子」は、「ローマの休日」の王子版ともいえそうな、悲恋物語である。

一人の小国の王子が、この大学街の下宿屋の娘ケティに恋をし、二人は愛し合いながらも

別れなければならない。

しかし何年か後に、王子は懐かしいこの大学町を再訪して様々な変化と自分の変化に気づく。

だが、変わらぬケティという恋の相手の女性の 深い愛を知り、それを確かめた上で、また互いにそれぞれの人生を歩んでいくために永遠の別れをする。

そんな少女趣味ともいえる話を ブロードウエイのミュージカルにしたてられ、

さらに日本語訳されて オペレッタのように上演されたものを美沙は学生時代に見ていた。


以来彼女の中ではそのハイデルベルクは憧れのロマンティックな場所になっていたようだ。

翔一郎は美沙の希望ならば、と さして興味を持ったわけでもないが、つきあうことにした。

中央駅もこじんまりとしていて、駅前のインフォフォメーションですぐに手ごろなツィンマーを見つけた。

そして二人はその宿に荷物を置いて、手ぶらでネッカー川沿いに大学町を散策した。

翔一郎は驚いていた。

この中世の佇まいをそのまま残し、重厚で厳格さを感じさせるその雰囲気に、圧倒されたのだ。

美沙ももた、ただそのミュージカルの物語と音楽に魅せられていただけで訪れたこの場所が

あまりにも歴史が深く、その大学群も14世紀初頭からそこに存在し、建物もそのままに残され

ていることが不思議でさえあった。

ネッカー川の流れはウイーンからつながるドナウの雄大な流れとも違う

どこか、田舎の山間部をゆったりながれるような温もりを感じ、心地よい川風に包まれていた。

大学ではおりしも大学祭が行われていて、石畳の広場では気楽なビアホールがそこここに開かれて開放的であった。

「こういうところに、留学しよう、などと少しも考え付かなかった自分が愚かだと、感じるよ。」

そんな思いがけない言葉も翔一郎の口をついて出た。

「私たちは本当に世間知らずだったわね。」

美沙も楽しく相槌を打っていた。

ここはドイツであっても、学生が多いせいか、英語が通じやすく、また留学生も多いようで

国際色もあり、その意味 随分と気楽な雰囲気があった。

旅行者も多いのだ。

ビアホールにいると、そんな旅行者と学生が混在としていて面白い光景があった。

美沙と翔一郎はバーデンバーデンの景色が どこを写真に収めようとしても、一幅の絵になるように感じて、また だれもTシャツ Gパン姿がなく、別にそれを咎められるわけでもないが

そこの空気を破らないようにと、オーソドックスなきちんとした服装をするよう心がけた。

それが旅人のようにみえなかったのか、一人の学生が

「どこからの留学生か?もしかして日本か?」

と、英語で話しかけてきた。

翔一郎がビールを片手に「インドからだ」と答えると、それは興味を持たれて、早速乾杯をしながらいろいろな話になった。

ここでもインドは魅力のある未知の国のようであった。

貧困で暑さで食べ物も大変だろう・・などという勘ぐりはそこには、ないのだ。

ひたすらに、古代文明の発祥の地であり、現代はIT産業が発展していて新しさもあり、と彼らなりに、インドを評価する。

ひいては、非暴力を唱えたマハトマガンジーのことや、著名な詩人タゴールについての彼らの知識を拝聴するにいたった。

美沙達は、若々しい息吹の中で、自分たちの知識の浅さを恥ながらも、ここの人々のインドへの感想が、日本のそれと全く異にしていることを感じていた。

                                                   つづく

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by akageno-ann | 2008-06-25 00:36 | 小説 | Trackback | Comments(34)

デリーを出ても・・・

インドとドイツは音的にどこか似ています。
インド赴任前に「ドイツ行くんですって?・」・など勘違いされた記憶も蘇ります。
国旗は上がドイツです。
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共通点ありますね。
可愛いみやげ物やの店主に「どこから来たのか?ヤーパン(日本)からか?」
と、言われたとき、咄嗟に「今はインドに住んでいる」と答えると
「ああ、あの太陽の多い国ですね!羨ましい!」と言われました。

第165話

ドイツのバーデンバーデンはヨーロッパでは珍しい温泉地なので、その温泉を
体験したいと、翔一郎と美沙は思っていた。

概ね全身エステのような施設は初めての二人には気後れするものがあり、クアハウスと書かれた温水プールのような施設を選んで、レンタルの水着で入館した。

広々として、様々なお風呂の施設があるのであまり他の人とかかわることなく楽しめた。

コース別に様々な健康指導が行われていて、お年寄りが参加していた。
水中歩行は気楽なスポーツらしく一番の人気プログラムのようだった。

ジャグジー風呂の水圧は心地よく、健康センターのような明るい雰囲気はそれから間もなく、
日本にも流行り始めたようであった。

そこでの寛ぎもまた二人には新鮮な驚きと喜びであった。

すっかりその場に親しんで、最後にサウナに入ろうとしたが、そこは皆生まれたままの姿で

自然に振舞っているようで、美沙は臆してやめてしまった。

欧州人の肌の白さも眩しく感じたのだ。

体躯も大きく堂々として見えた。

そこへ行くと、やはりインドは同じアジアの同胞という感じがある。

住めば都、そして触れ合っているうちにデリーの人々は自分にとっての外国人では

なくなっているように感じた。

ふと、デリーを離れて旅をしている自分たちの本拠地、帰る場所はしっかりと

デリーのあのシャンティの待つ家になっていたのだ。

バーデンバーデンの自然は優しく、人々もゆったりと落ち着いていて、美沙は翔一郎と

改めて新婚旅行にでも来ているような錯覚を覚えた。

成田離婚という言葉が日本では流行っていると聞いていたが、

見知らぬ外国へ初めて二人だけで旅立つというのは、少し無謀なことなのかもしれない。

どちらかが言葉も堪能で現地に精通していれば問題ないが、いろいろな新しい出来事が混在して起こってくると、新婚の二人がのんびり互いのの気持ちを寄せ合うのは難しいことなのかも知れないと、感じた。

美沙と翔一郎はドイツ語はできない。

が、しかし、デリーでの暮らしが外国での暮らし方を支えるようで、二人は新しい異国の地でも臆病にならず、溶け込めるようになっていることに喜びを感じたのであった。

それからの二人の旅はこれまでにない、現地の人々とも触れ合うことのできる、心にゆとりのあるものになっていった。

行き当たりばったりの宿泊施設の予約も比較的うまくいくようで、食事も買い物も楽しむのであった。
                                              つづく
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by akageno-ann | 2008-06-22 22:08 | 小説 | Trackback | Comments(25)

最後の旅へ

片山夫妻の旅は始まり、インドのデリーの夏から脱出しました。

第164話
フランクフルトに到着したのは現地時間早朝7時のことだった。

翔一郎と美沙は、昨年に続いて二度目の欧州であり、デリーに2年を過ごした自信からか

気楽な旅を試みることにしていた。

互いに疲れないように、レンタカーはやめて、列車と飛行機によって移動することにしていた。

最初に赴いたのはバーデンバーデン。特急列車で2時間、乗り換えはマンハイムで1度だけですんだ。

特にこれといって立派な駅舎があるようでもないプラットフォームに降りて、
さっそくインフォメーションセンターに向かった。

しかしこの町は一歩中に入るとそこは高級リゾート地であった。

瀟洒な建物はカジノだということでブラックタイ着用の決まりがある。

一度入ってみたい、と好奇心があるのは美沙の方で、翔一郎は賭け事はまったく
興味なく、どちらかというと「嫌い」で、片付けている。

二人はインフォメーションセンターで葡萄畑の農園主の経営するドイツではツィンマーと呼ばれる気楽なペンション風な宿を予約して、バスで30分ほど揺られて郊外に出た。

一面にドイツワインのための葡萄畑が広がる風景に感動していた。

とあるバス停で降りると、すぐ前にワインセラーを思わせる樽と日本の作り酒屋の軒先にある
杉玉のようにハンギングバスケットにゼラニュームの花がぶらさがる家を訪ねた。

まだまだぶどう酒の新酒の季節はずっと先だが、軽いつまみで既存のワインを飲ませていた。

二人はバス旅の気楽さからそこで白と赤のワインを飲んだ。

美沙の飲んだ白ワインのフルーティさは心に残る味となった。

歩いての気ままな旅は みやげ物などで荷物を増やすことは避けなくてはならない。

二人は1本ワインを抱えて帰りたい思いをこらえた。

その近くに小さなツィンマーはみつかり、1階はレストランになっていた。

夜はここで食事もできることにほっとして、二人は2階の部屋にとりあえず荷物を

置いたが、そのふかふかな羽根布団のベッドにちょっと横になったまま長い昼ねを

してしまった。

先ほどのワインが効いたのかもしれない・・

しかもやはりこの少しひんやりと感じる空気の中で自然に眠りに落ちることができるのだ。

デリーの酷暑は昼間だけでなく、日中温められた家全体の壁、クローゼットにこもる熱気は30度を越えたまま夜中まで保たれ、どうしてもエアコンに頼らざるを得なかった。

エアコンの中で寝ていると肩はどうしても冷え、体全体が緊張している状態があったのだ。

それが3年目になると、どうしても大きく体力を消耗するようにも感じていた。

窓をあけて、爽やかな5月末の風を取り入れて、旅着のまま横になってしまい、そのまま
ぐう~~っと眠っていた二人は2時間ほどたって、自然に心地よく目覚め、外に小鳥の囀りを聞いた。

「ドイツにいるんだわ~~~」

そう言いながら、美沙が窓辺に立っているのを翔一郎は後ろからそっと肩を抱いた。
                                                     つづく


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by akageno-ann | 2008-06-20 00:03 | 小説 | Trackback | Comments(22)

初めてのトラックバック

お友だちのブログより。←こちらをクリックしてくださいね!

エキサイトブログの仲間がとても優しい温かいブログに私と我家のお転婆柴犬

小夏のことを記事にしてくださいました。 野の花さんです。

初めて、トラックバックというものをさせていただきました。

小夏のことはこの小説を書き始めてから、ネット上のお仲間のご家族の様子を垣間見させていただきながら、私も我が子(笑)小夏をちょっと見せたくて・・・

もう一つのブログを立てました「annと小夏とインド」

欲張りですが・・両方覗いてくださる方もいらして、感謝しています。

今日はもしよろしかったら、この小夏のイラストを書いてくださったCHILさんのブログも

ご覧になってください。CHILさんのブログより。

小夏は決してよく躾けてはいませんが、それでも少しずつ私たち家族の言葉や様子を理解して彼女なりに、家族の一員として一生懸命生活しています。

彼女なしには、我家はなりたたないかもしれません。

小夏は我家の柴犬として3頭目です。

最初の柴は♂の推定5歳の迷い犬でした。

小説の北川怜子のモデルとなった友人が大の犬好きで彼女の飼っていた

柴犬の話をよく聞いていたものですから、彼女が亡くなると同時くらいに

我家に迷い込んできたその犬を飼い始めたのが最初でした。

そしてその子が約9年いまして、亡くなり、またほどなく友人の紹介で

迷い犬の今度は♀の柴犬 花 を8年飼いました。

小夏は初めて赤ちゃんから飼ったのですが、それはもうお転婆ちゃんで

私にとって犬の思い出はインドの思い出から始まります。

小説はまだ続いています。

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by akageno-ann | 2008-06-18 12:14 | 番外編 | Trackback | Comments(10)
今日もお立ち寄りいただきありがとうございます。
この小説は筆者が偶然にも住むことになった、インドでの日本人の暮らしを
かなりの年月を経て、物語にしたて、酷暑のデリーでどこかに日本の生活を
保ちながらも インドの良さを知り、ふるさとのような思いでこの国を愛しつつ
日本人同士の愛情や友情を育むものです。

そこに筆者がここまでずっと愛してやまない「赤毛のアン」のアンシャーリーの
ような生活感を持った美沙という一人の女性がほぼ主人公として展開しています。

終章に入り、インドの暮らしの最後の年を迎えつつ、新たな人々との関わりと

かつての人々との関わりを融合させ、あるときは悩み苦しみながらも成長する
人間の日常を追っています。

デリーから避暑を兼ねた欧州旅行に出かけ、ここからまた少しの間は旅行記のような

物語をお楽しみいただければと、思っています。

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第163話
 文部省への再申請をしてほぼ10日でその返事は来た。

 大使館の領事はすぐさまパスポートの手続きをするからと片山に電話をくれた。

 二度手間になるようなこの一つの事件を引き起こしたことを

 翔一郎も美沙も恐縮していた。

 領事部におずおず入っていくと、

 「いやあ、片山先生、お待たせしましたね。全く文部省もこの大変なインドの暮らしを
 どう考えているのかなあ・・・自費で一周のチケットを使って何がいけないのか?
 と思いましたよ。

 とにかく貴重な休日を無駄にしたのですから、すぐに発たれた方がいいですよ。」

 K領事は大変親切に迎え入れてくれた。

 そればかりか、フランスには友人がいるから何か困ったことがあったら

 遠慮なく尋ねるように、と名刺を手渡された。

 日ごろあまり面識のない、ここの領事部で、思いがけない世話になるとかえって

 驚く。しかし、大使館は邦人たちがこの暑さの中で頑張っている姿を理解し、

 できる限りの便宜を計ってやりたい、という気持ちがあったようだ。

 その同郷のよしみのような <この場合はインドを同郷として> 人々の気持ちが

 この暑さの中でも支えあって暮らしていける所以なのだ。

 旅行社はすでにその夜のチケットを取得してくれていて、夜半過ぎのルフトハンザで

 まずフランクフルトまでの逃避行を約束してくれた。


 「まったく、片山夫妻は酷暑から逃避行されるような感覚で旅に出られるのですね。」

 と、残留組に冷やかされた。

 
 その出発の夜、あの先日共にホームパーティにいた 深井が電話をかけてきた。

 「先日のお約束ですが、来週末はお暇ですか?」

 電話に出て、一通りの挨拶をした美沙に語りかけた。

 「あの、実はたった今許可が下り、チケットがとれまして、私どもは旅にでることに

 なってしまいました。」

 と、美沙は咄嗟に残念そうな言い方をしてしまった。

 「そうですか、・・・・・・

 それではお帰りをお待ちしています。」


 その強い言葉に少々錯覚を覚えたが、それは美沙の勝手なうぬぼれだと、自ら打ち消した。


 そんな風に、慌しく、片山夫妻はその夜、デリーを発ち、欧州再訪の途についたのである。

                                                   つづくc0155326_17581511.jpg
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← 2008 草月いけばな展(新宿高島屋にて)より

もう一つのブログ「annと小夏とインド」災害地からのお土産
by akageno-ann | 2008-06-17 18:07 | 小説 | Trackback | Comments(12)

旅の前に

もう一つのブログ「annと小夏とインド」災害地からのお土産

昨日は岩手宮城山間部の地震にまた心を奪われていました。
親類がおりました。

夕刻になって無事に連絡がつき、

しかし、その時もずっと余震が何分かおきに起こっているようで

不安な夜を迎えようとしていました。

飛んでいくこともできず、ただ慰めの見舞いの言葉を述べるだけですが

それでも、せめて・・・・電話という媒体でつながっているよ、という証には

なりました。

この自然の驚異は人間の手ではどうしようもないものなのですから

電話の向こうで

「もうじたばたせずに、ここでどっしりと座っているよ。」

という年老いた一人の女性の言葉に教えられるものがありました。

そんな翌日の日曜日に、新宿に地下鉄の副都心線が開通して、その東北の地震のことなど

全く意識の外にあるのではないか、と思われるような賑わいに、少々恐ろしさを感じました。

こんな場所で災害が起こったら、いったいどうなるのか?

でも何が起こるかわからないから、「今を楽しく生きる」と言った、友人の言葉にも

頷いていました。

新宿のデパートの催しで「いけばな草月展」が開催されていました。

久しぶりにちょっと覗いてみました。

デリーでも日本の生け花、盆栽がなかなかの評判で、私がいた頃にもある流派の家元が

渡印されて、生け花のデモンストレーションが行われたことがありました。

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第162話

 美沙は悦子との歌の共演を無事に終えて、夏休みに入った日本人学校の教員家族の

恒例の長期旅行を目前に控えていた。

夫の翔一郎がたまたま情報を得て、世界一周の航空チケットで南回りでインドに帰ってくるという計画を立てたことが、文部省(現 文科省)への申請の段階で許可がおりず、お叱りを受けるという事態に陥っていた。

予定の日には結局許可されず、もう一度、フランスとイギリスだけの計画に変更して申請のしなおしを図っていた。

許可書が出ない限り、旅行の出発はできないのであった。

学校サイドでも、

「なんという大胆な計画だったのか?」

という呆れ顔の非難もあり、美沙も同様に冷たい目を向けられていた。

実にこのチケットが当時は大変格安で、インド発、ヨーロッパ、北アメリカ、日本、香港、経由インド着という冒険的な魅力ある航空チケットが幻となってしまった。

ここまでくると、美沙は自分たちの愚かさに反省する、というよりは、もう仕方がないとうなだれるより他になかった。

結果、この夏のインド国外旅行がキャンセルされても、まだ見ぬインドの遺産「エローラ・アジャンタの石窟寺院めぐり」に切り替えようと、開き直っていた。

よう子は美沙たちの窮地を大変冷ややかに見ながら、先にフランス旅行に出発した。

美沙は一年目の教員家族たちとデリーの酷暑を共に味わうことになった。

翔一郎もここではもう静かに沙汰を待とうと、残留組とホームパーティを計画した。

神田夫妻ともう一組の若い夫婦、そして納涼会の席で同席して、話が盛り上がった

深井とその上司、テニス仲間の夫妻とで、5月末のある夜に美沙の家に1品持ち寄りの気楽なパーティを開いた。

皆喜び、特に深井はこの好機を心より喜んでいた。

当日は深井は上司と共に日本から持ってきたシーバスリーガルの貴重なウイスキーを

土産にし、また深井は美沙に花籠をもって時間ぴったりに現れた。

そのグラジオラスばかりの丈の高い花かごを、実に大真面目に美沙に捧げた。

美沙は、一瞬たじろいだが、すぐに気持ちを引き締めて礼を述べ、家の中に招き入れた。

その日が深井がはじめて美沙の家を訪れた日だった。

美沙は、インド国外に出られないかもしれない、という不安もあり、冷凍蔵庫の中身を気にしながらも、

「ええい、この際全て放出してしまえ、なくなればインド料理で暮らしていくわ」

とばかりに気前よく肉も魚も解凍して、冷しゃぶ、ちらし寿司、蟹缶のサラダ、手作り蒟蒻のふぐ刺し風、インスタント豆腐の冷奴、などなど大皿に土佐の皿鉢風に盛って、客人を喜ばせた。

悦子もおしゃれなコンソメのゼリー寄せを持ち寄り、他の二組も巻き寿司や煮物を綺麗に作って持ち込んだ。

深井はまるで子供のようにはしゃいで、その夜はよく飲み、よく食べていた。

酒が進むにつれて、すっかり皆が打ち解けていくのを、それぞれに肌で感じていた。

美沙は、サーバントのシャンティの働きを誉めながら、自分自身でもその日のもてなしを 楽しんでいるようだった。

「いやあ、こんな食事は日本を発って依頼、初めてです。
しかもこんな美しい女性たちと同席するのも。」

など深井の率直な発言に皆がどよめき、笑った。

それほど屈託のない言葉だった。

「片山先生夫妻がインドを出られないのは酷ですが、我々にとってはラッキーなことだとおもわないか?」

など皆の同調を求めていたのは神田だった。

その夜は、ほぼ夜を徹して、お開きは午前二時。

皆酔いつぶれんばかりの状態で男性陣は妻たちと帰っていった。

単身の深井とその上司もあまりの楽しさに

「今度は是非私たちの家にお招きします。」

と強く提案し、約束を無理やりしていった。

酔っていない、美沙はいささかその誘いは敬遠気味に受け取った。

デリーの仲間との付き合いは、こうして少しずつ広がっていった。

                                            つづく


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← 2008 草月いけばな展(新宿高島屋にて)より
by akageno-ann | 2008-06-16 00:17 | 小説 | Trackback | Comments(29)
もう一つのブログ「annと小夏とインド」地震についてです。

秋葉原の事件で、命を落とされた方たちのご冥福を祈ります。

この方たちの中には、近くの店から、始めに車によって撥ね飛ばされた人を助けようと
駆け寄り、援け起こそうとしているところを、ナイフで一突きにされた方もいるのだ、と聞き
恐ろしい光景を想像し、その無常に惨さを感じずにはいられません。

その健気な方たちの尊い命と、人を助けようとする思いに気持ちを馳せています。

人間はいくつかの選択をしなくてはならない出来事に時々出会います。

そのとき、自分だけのために動くか、または人のために動くか、によって行動は違ってきます。

こういう悲惨な事件を目前にしたとき、やはり先ず逃げるということを考える人が多いでしょう。

咄嗟の判断で逃げるということも大事なことです。


また人に危険を教えるべく、大声をだすことも。

しかし、この時に自分のことをさておいても、目の前の負傷者を助けようとする心がすぐ行動に移れる人、しかも若い人に感動します。

そういう風に育まれたことをご家族は誇りに思っていただきたい、と思います。

ただただ悲しみにくれるだけでなく、どうかその死の意味を考えてあげてほしいと思います。

そうしてまだまだ時間が足りないと思いますが、立ち直られて、その遺志を継ぐべく行動していっていただけたら、と思いました。

小説の中にもそういう思いを時々にこめていきたいと思っています。

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第161話

その日本人会の催しもそろそろ終演に近づいている。

舞台では日本人会婦人部のコーラスが演奏されていた。
美沙はそこでもソプラノの後ろで、目立たぬように歌っていた。

彼女はその日は殆ど自席で食事を摂る事もなく、忙しく 出演やら、演奏の準備やらで落ち着いて人と会話することもなかった。

やっと席についてほっとしたところで、すでにほろ酔いの同じ円卓の男性陣から

「いやあ片岡夫人、素晴らしいご活躍でしたね。今日はここの新人深井君も
貴方の魅力に取り付かれていますよ。」

という、不躾な言葉を投げかけてきた。

美沙は咄嗟にそれを手で制して

「酔っていらっしゃいますよ。私はまだ緊張が取れていませんから・・急いで飲みます。」

と泡のたっていない、ビールの入ったグラスを飲み干した。

悦子も先ほどから屈託なく飲み、明るく談笑していた。

深井は遠慮することなくそういう美沙に視線を投げかけて、

「ご無沙汰しています。深井です。機内ではありがとうございました。」

と、テーブルの向こうから挨拶をしてきた。

美沙も

「お慣れになれましたか?デリーの暮らしには。お元気そうですね。」

と、それだけ返して、会釈し黙った。

深井もそれ以上は話しかけてこなかった。

全ての宴が終わり、会場がお開きになったとき日本人学校校長夫妻が美沙たちのところに
やってきて

「いやあ、今日はご苦労様。とても素晴らしくて、誇りに思いましたよ。」

という言葉掛けがあった。

そのすぐあとに、同期の平田よう子がにこやかにやってきて

「日本人学校の中でもこんな風に素晴らしいことができる人がいるんだなって
感心してました。」

と、賛辞を述べた。その言葉を悦子が喜び

「まあ平田先生の奥様ありがとうございます。すべて美沙さんのお陰です。」

とその挨拶に返した。

よう子は機嫌よく、

「神田先生の奥様、今度私の家に遊びにいらしてください。
サリーが素敵で、綺麗な方でお話したかったのよ。」

と、話かけていた。

美沙は黙って悦子の後ろに回り、その会話には入らなかった。

悦子もまたこれから新しい繫がりをもって広く付き合っていった方がいい、と
感じていた。

またこうしてよう子が機嫌よく声をかけてきたことも素直に受け取るべきだと
考えていた。

よう子の人とのコンタクトの取りかたはこれまでも、常に自分の一番の友達でいて欲しいという願いをこめて、気に入ると連日の誘いをかけるという方法をとった。

美沙もデリー赴任当時はそういう彼女の誘いにあって、こんな狭い社会で築き上げていける友情のようなものを感じていたのだが、デリーの生活に関する感覚にかなりの違いを感じて行き、
やがて、子供のいる家族、いない家族の違いも原因になり少しずつ離れていった。

しかし、美沙の行状は大いにきになるようで、よう子の不意打ちの電話や訪問を受けてはいた。

日本に帰国した北川怜子の存在はよう子は少々重荷であったようだ。

彼女の病状のチェックをするような煩瑣なことを嫌い、そのことが美沙と怜子の仲に割り込まないでくれるよい理由にもなっていた。

だが、今回の若く美しい同僚夫人、神田悦子の存在はよう子の今の心の中に大きく広がっていた。

この催しが終わるとデリーの日本人会の人々はそれぞれに夏休暇を取り、日本に一時帰国する家族、旅に出る家族と散り散りに別れていく。

そういう中でデリーにいる者たちが肩寄せ合って、夏の酷暑を共に乗り切るべく、様々な小さな会を持つ。

そこでまた、人々との交流があり、心の触れ合いがあるのだ。

美沙とよう子は 新しい神田悦子たちを迎えて、最後のデリーの夏をどのように過ごすか

まだ、それぞれの旅行が迫っている、ということ以外は何もわかってはいなかった。

                                                    つづく

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もう一つのブログ「annと小夏とインド」
地震について

あらすじはこちらから
by akageno-ann | 2008-06-13 11:44 | 小説 | Trackback | Comments(22)

納涼祭と郷愁

第160話

舞台ではプロ顔負けの司会者がジョークを交えて開演を告げる

ざっと200人はいるのではないかと思われる大宴会場!

円卓が所狭しと置かれて一テーブルに10人ほどが着席して食事をしながらのパーティ形式であった。

特に座席が決まっているわけではないので、美沙たちは二夫婦で会場の後ろの方に席をとっていた。

夫たちも周りの冷やかしを受けながら、本番はもう出演の人々を応援する構えでいた。

学校側の仲間たちも特に新しく着任した人々は好意的でその近くに寄って来て、片山、神田両氏に祝いのビールを注いだりしている。

「いやあ、神田先生、奥様素晴らしいですねえ。」

「いやあ、ドキドキですよ。このような場所で。本人はまあ慣れているとは思いますが
片山夫人にほんとに援けていただいてます。」

神田氏も謙虚に片山をたてる。

「いやいやうちのはただの伴奏・・間違えないでほしいなあ。」

ほぼ時間通りに開演して会場は賑わいでいる。

各企業からこの地に派遣された駐在員たちはなかなかの才能の持ち主がいて

この日も物真似芸人をそっくりに模倣する者もあれば、フラメンコギター奏者もある。

ダンスをしながらシャンソンを歌う男性はプレスの特派員だったりした。

単なる余興でないので、観る側を魅了している。

酒もほどなく回り始めて会場は私語が増えているようだった。

美沙と悦子の夫はその中で、その日の酒の酔いがなかなか回らないのは

ある種の緊張感だったようだ。

片山たちと同じ席にK商社の深井が座っていた。

深井はその2月に美沙が日本の一時帰国からの帰路、同じ便に搭乗し知り合った者であった。

それ以来美沙との接点はなく、また深井もデリーでの仕事や新しい生活に慣れることに精一杯であった。

小さな商社であったのでまだデリーでの付き合いも少なく、こうした大きなパーティも

4月の日本人会総会以来であった。

その日はもう一人の同じ会社の駐在員と同席していた。

その駐在員は日本人学校の保護者であったので、片山とも顔見知りであった。

「片山先生、奥様の演奏楽しみにしています。こちらご紹介させていただきますが、
わが社の新駐在員でして、実は奥様とは同じ便でここに渡ってきています。」

「はじめまして、深井と申します。奥様には機内でデリーの暮らしについて少し
お話いただきました。」

そう丁寧に挨拶があった。

「いやそうでしたか・・デリーには慣れられましたか?
今日は家内は伴奏でして、こちらのやはり新しく赴任した教員の神田さんの奥様が主役です。」

そう神田を引き合わせた。

企業内では上下関係がしっかりしていて会話にもそれが現れるが、学校内は各地方から独立した形で派遣されるので互いに遠慮があり、こういう場での紹介の仕方にもその差がある。

学校長以外はそれほどの格差もないが、互いを尊重する表現を外でもしてしまうのだ。

深井は密かに今日の美沙の出演を楽しみにしていた。


司会はついに悦子を紹介している。

「それでは本日のメイン演奏ともいえます日本人学校の神田先生の奥様悦子様による
ソプラノ独唱をお聞きいただきます。
今日のこのグランドピアノは日本制ではありませんが、調律はデリー随一の調律師に本日
行わせました。イタリアオペラのアリアなど本格的なクラシックの演奏をここで聞けます幸せを感じています。伴奏は同じ学校の片山先生のご夫人です。」

少々オーバーではないかと思われる紹介によって、華やかなピンク色のシルクのサリーに身を包んだ悦子が堂々と華やかに現れた。

その後ろから美沙は静かについてきて、悦子の挨拶にあわせて会釈し、すぐにピアノの前に座って楽譜の準備をした。

譜めくりの人を用意することもなく、全て伴奏を一人で行おうとする美沙を翔一郎は少し心配をした。

悦子の合図でまずプッチーニの「ある晴れた日に」の抜粋であるが演奏が始まった。

美しい声であった。私語の多かった会場は文字通り波をうったように静まり返っている。

プロの声であった。

2曲目の「ラ・ボエーム」にはいると、皆聞くほうも落ち着いてきて、ピアノ伴奏にも耳を傾ける者が増えてくる。

華麗な指さばきで軽やかにしかも歌い手をみごとに引き立たせているような美沙に感心する暖かな目もあった。

深井は美沙をじっと見つめるようにして、この演奏を堪能していた。

日本歌曲は、北原白秋の「からたちの花」啄木の「一握の砂」より。

最後に悦子は「皆様もご一緒に・・・・」と会場に投げかけて文部省唱歌の「ふるさと」を

歌った。

会場も思わず合唱して、遠い日本をともに思い、泪する人もあり、会場は感動の渦に巻きこまれた。

全ての演奏がおわり、悦子は美沙を促し手をとって、二人で膝を折って深く拍手に応え、

挨拶を二度行った。

日本を思い、「ふるさと」を共に歌った感動がそこには大きく流れ込んでいた。

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紫陽花を追いました。

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by akageno-ann | 2008-06-11 10:55 | 小説 | Trackback | Comments(25)