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第185話の2

昨日は先日のNHK特集「インドの衝撃」について、心を奪われてしまったので
小説が中断してしまいましたが、小説のほうも深井の問題がいよいよ深刻化してきます。
昨日のコメントは様々に内容がリンクし私もとても考えさせれるものばかりです。
ありがとうごさいました。
私もまた少しコメントのお返事というか、思うことを付け足せていただきました。
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さて、今日のお話は・・

第185話の2
美沙は日本人学校の集いは、三年目になってから心が少し遠くなっていた。

その集いの中心はいつの間にか平田よう子がになっていた。

よう子は新入りの教員一家にご馳走したり、必要なくなった自分の身の回りのもの
例えば洋服、家具、食器などを譲ったりあげたりしていた。

インドで暮らすについては、日本の製品であればいらないものはなかった。

またインドの家具であっても短期間の駐在には中古品を安く譲り受けるのはあり難い事にほかならなかった。

よう子のやり方を「ものでつる」という言葉があてはまらないことはなかったが、
しかし、ここでは「もの」は全てを支配するといってもいい。

しかし、美沙にはそのことが、どこか浅はかに見えてしまうという、彼女独特のプライドが見え隠れした。

結局3年目に美沙とよう子は知らず双璧のようなライバルのような立場になっていた。

その夜のパーティは和気藹々としていたが、よう子は美沙をかなり意識していた。

よう子はシンガポール買い出し組であったから、この夜の彼女のお持たせは生まぐろの乗った
ちらし寿司で、一番人気だった。

その上に片山翔一郎が何気なく話した、美沙が体調の悪い夫を残し、他の二人の男性と遺跡のアジャンタを巡った話は興味深くよう子の脳裏に入り込んできた。

美沙はあまり話しの中心には入らず、静かに皆の報告を聞く側に回ったが、よう子にしてみれば、その態度はかえって妖しく感じるのだった。

一緒に時々音楽活動をするようになった声楽家の神田悦子だけは、よう子にはつかず離れずの距離をとって、美沙との親交を深めていた。

よう子はそのことにも敏感だったが、どうしてもこの美沙と悦子の間に割り込む術がなかった。

そのことが無性に悔しかった。

/////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////


深井とそのバラサブは美沙達より2日遅れてエローラをも制覇してデリーに戻っていた。

その翌日昼頃に、美沙が電話を取ると、珍しく深井の上司のバラサブであった。

「片山さん、私たちも無事昨日帰って来ました。」

「まあ、アジャンタでは大変お世話になりました。こちらは無事ですのでご安心ください。
いかがでしたか?エローラは?」

「いや、それはまた素晴らしかったです。残念です。ご一緒できずに。」

「またお話を聞かせてください。学校の後期が始まりまして、少し落ち着きましたら
夕食にお呼びしますので、よろしくお願いします。」

そう美沙は予定したとおりに話した。

バラサブは

「いえ、そんなお気遣いされないでください。こちらもまた出張者が増える時期です。
夏が終わったらまたそのあたりにでも・・  では、また今日はご報告まで・・」

そう電話を切った。

今までにない素っ気無い、いやこれが本来普通で今までが親しすぎたのかもしれない、

など美沙は思い返し、しかし、何か心の変化があったのだろうか?

とほんの少しだが傷ついている自分に気づいた。

バラサブもまた深井の二者択一の選択を彼に迫っていたので、いずれこの美沙とは
じっくり個人的な話をしなくてはならないと、心に決めていた。

美沙の残すところ半年のデリー生活はまとめの時期に入っているようにも思われた。


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by akageno-ann | 2008-07-30 22:43 | 小説 | Trackback | Comments(8)

インドの衝撃

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先日来インドの変貌を特集したNHKの特集「インドの衝撃」
めまぐるしく発展するインド国内産業、そこに優秀なインド人スタッフのヘッドハンティングが行われ、早くからインド国外で学びそのまま就職し、かつ大活躍する人々を追っている様子がありました。

そのインドの人々が国外で家庭を築き上げ、ふるさとインドに戻ることを躊躇する様子に20年以上前の日本の東京からふるさとへ帰るIターンの人々の躊躇を重ね合わせました。

しかし今インドは元気な国なのだそうです。

私は驚きと共に喜びを感じます。

20年前のデリー進出の日本企業に製薬会社という分野に気づかなかった私ですが

今やその分野もなかなかの知名度のようです。

最初は人件費の安さが薬をローコストで作れるというところから テレビで宣伝している
同じ成分の比較的安い薬 ジェネリック・・というもの

その安い意味はいろいろにあるようですが、一つにはインドの薬をさしていると知りました。

私は御見それしました・・とひれ伏します・・

戦後も30年以上過ぎたというあの頃、まだコレラやマラリアの心配があったデリー

予防接種や予防薬についても私は日本のものを信じていました。

マラリアはこの時期、蚊を媒体として伝染する罹患すると治りにくく命にかかわると聞いて

夏の間予防薬をもらって飲んだのですが、大きな錠剤でした。

慣れましたが、最初はおっかなびっくり・・・

もちろん身近にマラリアになった邦人もインド人も三年間聞きませんでしたが、

侮れなかったのです。

またアーユルベーダのオイルマッサージやへナという染料

早くから注目した人々はすごいことです。

今日本ではちょっとブームのようですね。

相手を知らずに恐ればかりが先行してしまったあの頃を思い返すのですが・・・

しかし、まだまだデリーの暑さはかわることはなく、昨今心配される大気汚染の問題も

深刻のようではあるのです。

そのデリーに日本の企業戦士たちの家族は当時どんな風に考えていたのかを

垣間見る、今日の小説を読んでください。

第185話

片山翔一郎と美沙は深井たちより早く2日でアジャンタだけを見学してデリーに早々と引き揚げた。

翔一郎は疲れから発熱、腹痛があり日本から持ってきていた抗生剤によって症状は緩和されたが、食事は家庭の和食がよいだろうということを判断して帰宅した。

行きと違って熱も下がり体調は確実に良い方向にむかっていたので、美沙も安心していた。

短い健康管理休暇の最後の日は日本人学校職員、家族が校長宅に集まって近況報告を兼ねた食事会を行うことになっていた。

アメリカではポトラックというらしい、一品もちよりのそのパーティは皆食事を楽しみにしていた。

大体10人前の寿司やから揚げ、煮物、フライに酢の物、サラダと腕によりをかけた大皿料理が所せましと並んだ。

その上に校長宅のサーバントが料理上手だったので、冷たい茶碗蒸しや漬物、おこわなどをサービスする。

皆大喜びで食べていた。子供たちも同席して、子供たちのテーブルにつかせた。

楽しい集いだった。

そこで皆の旅の話になった。

シンガポールに健康管理休暇で出かけ健康診断と買い物をしてきた家族が大方だが、

校長夫妻は湖に浮かぶ荘厳なホテルウダイプールのレイクパレスに出かけてきた御伽噺のような旅の様子を楽しげに話された。

そして翔一郎は、アジャンタの旅をそれでも楽しげに語り始めた。

「いやあ、今回は久しぶりに体調を崩しての出発で失敗しました。
ですからアジャンタも最初の1屈を見たのみです・・しかしよかったですよ。」

とおどけて話すので皆から冷やかされた。

                                   この項つづく
by akageno-ann | 2008-07-30 02:11 | 小説 | Trackback | Comments(5)
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第184話

深井亮介はインドデカン高原の石窟院「カイラーサナータ寺院」を見上げていた。

これは紀元750年頃の建立だという。

と、すれば日本では奈良時代か?

小学校6年生の時に、社会科の研究発表があって、担任教諭と奈良の大仏を調べたら
たしか、あの顔の横幅は3m以上あった。

盧舎那仏坐像(るしゃなぶつざぞう)752年開眼供養が行われた。
東大寺金堂も見事な建造物である。

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(画像はウイキペディアより拝借)

こうして日本とインドは仏教という文化でつながっていたのだ。

しかしインドはあの凄まじいほどの人口の波が規律の厳しい仏教を保っていくことが難しかったという。

ヒンディは、たくさんの神を有していて、女性の神もあり、動物の神もあり、その柔軟な考え方が今もインドの人々に広く親しまれ信仰されている所以のように聞いた。

日本はインドの大陸と比べると、小さな島国であって人々の暮らしもまとまりやすいのかもしれない。

仕事の関係で突如インド赴任を言い渡されて、戸惑いながらも尊敬する支社長を追って、無我夢中で渡ったデリー。

仕事は大変であったが、日本のそれよりもどこかに心のゆとり、大らかさも感じるのだ。

そしてこの遺跡文化を見上げて、この国は決して侮ってはいけない、と心した。

妻はそのことをまだ実感として感じることはできないだろう。

ここで半年近くはなれて暮らすことで、単純な寂しさよりも、自分だけが大海原でひとり成長しているような錯覚に落ちていた。

そのときポンと肩を叩かれた。

「深井君。奥さんを早く呼び寄せるか、そうでなかったら、君は帰国するべきだ。
家族は今君には一つしかないのだよ。」

支社長だった。この人もまた、一人ここで企業戦士として頑張っている人だ。
日本には受験期の二人の子供とそれを支える妻を残してきている。

この支店をになう重責をしっかりと全うしている。
その人に言われる言葉だ。

決して疎かにはできない、とわかっていた。

「支社長、わかっています。結論はデリーできちんとお話させていただきます。」

そう深井は答え、深々と頭を下げた。

軽い思いで自分の一生を決めてはいけない、深井の母が潔癖であり、自分で家計を保っていけることから夫の浮気を責めて離婚し、亮介をしっかり育ててくれたことに感謝しながらも

父親のいなかったことへの寂しさ、深い悲しみを恐らく母は自分の力で補おうと努力していた。

だから、父へは恨みのほうが強かったかもしれない。

だが、ここで片山美沙という一人の少しだけ年上の女性と出会い、魅かれながら、人間の持つ複雑な心を理解できた。

そして自分の離れて暮らした父への憧憬がはじめて湧いてきた。
それはすぐに日本にいる我が子の父親である自分と置き換えることができた。

大きな遺跡の中にある男女の交わる姿を模したような彫刻を見ながらも、本来のつがいとしての夫婦、そして子供の姿を神聖な思いで重ねていた。

                                               つづく

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by akageno-ann | 2008-07-27 21:23 | 小説 | Trackback | Comments(22)

朝が勝負・・番外編

暑さの中でインドを思い出し、またこの小説を思い出して読みに
いらしていただいて感謝です。

今日は、私にこの小説ブログを書くきっかけをくださったカリフォルニアの素敵な元FAで3人の可愛く元気な男の子のお母さん まーすぃさん
エンジョイ・アメリカンライフ
のブログで紹介していただいたのでたくさんの新しい方がいらしてくださってます。
ありがとうございます。

ちょっとあらすじなど紹介させてください。

20年ほど前に3年という期間を文科省から与えられて
インドのニューデリー日本人学校へ赴任した教員家族の話です。

人物は架空で内容はフィクションですが、インドの風物詩、生活の様子、そして時折織り交ぜる
ヨーロッパなどへの旅は実際のことに即して書いています。

最近読者から、作者とダブる、と言われて・・ちょっと面映い思いがありますが・・

自由に想像して読んでいただければ、と思います。

小説にして20年前の風化しそうなデリーの思い出が蘇っていて、
またもし今この目でみたら、こんな風に・・と希望的な気持ちにもなります。

今日はあれから20年の歳月を経て・・インドの暑さを思い起こしつつ
早起きして犬の散歩など夫婦でしました。

前回のセミの孵化を見つけた場所近くに行きましたら、またまた感動的な場面に出会いました。


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この辺りは山がちで関東ローム層の一部です。





地震もありますが、地盤の堅さを感じられる場所です。
不便なので里離れも否めませんが・・ゆっくり住んで生きたいと思っています。

今NHK特集では飛躍するインドを取材しています。
私の感じた、生き生きと生きるインドが、BRICs(ブラジル・ロシア・インド・中国・sは南アフリカ)の経済成長株の中でも印僑(華僑に対することば)として頑張る姿が明日27日日曜日の午後9時からNHK総合でみられるようです。

第1、第2部ではそういう中でもまだまだ混迷し、困惑する農家の人々など紹介されて
変わっていないインドの風景を懐かしく思いました。

さて今小説「アンのように生きる(インドにて)」の舞台は世界遺産デカン高原に発見された

「エローラ アジャンタ」です。
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写真はエローラの石窟院



人間の持つ様々な葛藤をインド亜大陸の大舞台を借りて書いています。

主人公は片山美沙という、日本人学校教員の妻です。
そして彼女より1年早く同じ立場で赴任し子宮癌という病を得ても尚インドで頑張って生活し帰国して行った、少し心寂しい美沙がまた新しい人々と出会いつつ、3年目の最後の夏を過ごしています。

物語はこれから終末に向かって動き出します。

この夏の暑さにデリーを思い出し、あの暑さの中に生き抜くインドの人々を思います。

どうぞお時間のある時に読んでいただけたら嬉しいです。

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あらすじはこちらから
by akageno-ann | 2008-07-26 08:28 | 番外編 | Trackback | Comments(14)

エローラにて

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インドにかつて住んだ記憶がこの暑さの中でまざまざと浮き上がってくる
この頃です。

気温が体温を超えると、空気を吸うときに深呼吸ができず、肺を最低限に
動かして、浅く「ハッ、ハッ」と言ってみます。
しかしそんな中で自然の営みは美しいです。c0155326_219598.jpg

自分の体がどんよりと熱いオブラートに包まれたような感覚がここ日本の片隅でも蘇るこの暑さ、20年前のインド赴任前にはなかったように思うのですが・・気のせいですか?

今日は哀しい失敗をしました。
小豆 あの宝石のようにキラキラした 友人の畑でとれた小豆の残りを
ひょいと野菜箱の一番上に置いておいたら・・・・

穀象虫がうごめきました。インドでは絶対にそんな失敗をしなかったのに
油断です。
しかたなく・・その小豆を泣く泣く反故にして、反省中です。

「お前はしばらく美味しい餡子を食べてはいけない・・・」

と、神からお達しがでました。

夏はお米の保存も気をつけなくてはならない気温の高さがあります。

ここは関東ですが・・・在印中に友人が国際電話で

「今、世界の天気予報でニューデリー40度って出たけど、生きてる?」

無造作な温かい安否を気遣う電話でした。

「なんとか生きてる。ただ何もやる気がしないの。」

そう応えると

「息してるだけで偉いと思うわ。」

そう言ってくれました。

今日は夕方になって自転車で買い物へ・・・

「息をするだけで偉い・・」と思えるような空間がありました。

暑いですね・・・

さて小説です。いよいよエローラの石窟寺院へ舞台が移ります。

第183話

エローラというなんとも妖艶な響きのする遺跡は昨日のアジャンタと同じデカン高原に位置し
こちらは紀元後の5世紀ころからの石窟院なので彫刻の技術はさらに進化しているといってよさそうだ。
アジャンタとは異なり、車は見事な寺院の前までつけられるので

「おお!!」
と誰もが叫ぶ。

このとき、美沙がいたらどれほど感動して素直な歓声をあげたであろうか?

それは深井亮介には簡単に想像できることであった。

アジャンタの石窟院を彼方にみる丘まで共に登り、その感動を分かち合った、彼女は
このエローラには同行しなかった。
/////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

夫翔一郎が腹痛を訴えて、アジャンタに入らずに休息をとっていたので、深井とそのバラサブ
そして美沙の3人はアジャンタの見学を終えて夕刻ホテルにもどり、その日は互いに大きく疲労したので夕食前に各自の部屋で休んだ。

遅い夕食はもう9時を回っていたが、ホテル側は問題なく、インドチャイニーズと呼びたいような
辛い中華料理を選んで食べた。

炒飯は日本のそれとは違い、ここで華僑としての中国人がみごとにインド料理と融合させた旨い味わいを出していた。

翔一郎は卵のスープをとって啜っていた。

「大丈夫ですか?」

バラサブは翔一郎の具合を気遣った。

「いやご迷惑をかけました。薬も効きましたし、何しろ休めましたので大丈夫です。」

「奥さんは大変健脚で頑張られましたよ。写真もいっぱい撮っていらっしゃったし・・
で、明日はやはり帰られますか?」

そうバラサブが続けたとき、それまで無口に少し不機嫌だった深井は、なるだけさりげなく
美沙の方を見た。

「はい。今日はお世話になりました。やはりこのあとの学校の方に支障ができるといけませんので、私たちは帰ります。またあとでエローラのお話を聞かせてください。」

そのなんの躊躇いもなく、澄んだ声で語る美沙を、深井はほんの少し見据えてから

「そうですか、無理はされないほうがいいですね。
明日はオーランガバ ードの空港までお送りしましょう。」

と、これまた冷静に語った。

//////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
エローラの見事な寺院 「カイラーサナータ」を見たとき

深井はこのあまりに見事な彫刻を美沙に見せたかったと、昨夜のことを思い返しながら
唇を噛んだ。

だが、これでいいのだ、と自分の前日の妄想を蔑みながら己の身の上を振り返るのだった。

やはりこの遺跡の中には霊気が漂っているのかもしれなかった。

彼の日本にいる妻と赤子、そして一人住まいの実母のことを思った。
優しい菩薩のような彫刻がそこにあったからだ。

深井亮介の両親は彼が中学生の時に離婚していた。

原因は父親の浮気である。
深井の母はその父の裏切りを知ったときに、すぐさま彼をつれてその家を出た。

母親は小学校教員だったので10歳を越えた彼と二人で暮らすことは比較的容易なことであった。
だから、あっさりと踏み切ったのかもしれない、と彼はこの大きな遺跡の前で初めて振り返った。

母親が、父の不貞をあまりになじり、批判するので、当時の彼としては、当然の如く母の味方をし、母を大きくなったら守ってやらねばならないと感じていた。

その思いが、彼を真面目に学習させ、母を困らせることなど殆どないまま成人して結婚をした。

母親は今、思い返すと、『なんという強い女だったのだろう、』そう思った。

しかし、父のただ一回だったかもしれない裏切りを許すことができず、一人で生きていくことを選んだのは、彼女の運命だったように思える。

マザコンなのかもしれなかったが、深井はその母から逃れたい思いもあった。

そして結婚相手と思われた女性に出会い、結婚をした。
その時も父親の結婚式への出席を母は許さなかった。

その辺りからひっかかる、母の性格をここで考えあわせている己の中に
父親を微かに理解しているものがあることを感じた。

男でも息が詰まることがあるのだ。

この荘厳な仏教、ジャイナ教、ヒンズー教の三つの宗教の入り混じる巨大な
霊気の中で、深井亮介の思いは日本ではありえなかった自分の気持ちと向き合っていた。

                                                   つづく



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by akageno-ann | 2008-07-25 00:36 | 小説 | Trackback | Comments(27)

屈折する心

ここ数日の暑さにデリーの香り、いえ匂いを感じて・・
ちょっと危ない暑さだな、と感じます。

そしてひどく短絡的なことで殺人が行われているように思い、
気候が影響していないか?

と考えてしまいました。

またO県、教育委員会の今回の不祥事発覚

教育現場の闇の部分があるのだということを
世間に広めるようで・・・とても倫理観が問われます。

人間の力には限界があるのでしょうが、その限界を試されるように生活をしていると
新たな知恵や力が湧いてきて、一つ一つの事象から逃げずに自然体でぶつかっていくことを
インドの暮らしの中で学んだように思えます。

もちろん暑いときはじっとして、動かず上手にサボることも覚えていました。
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第182話

深井は美沙と上司を伴って、英語を話すインド人ガイドと4人でその石窟寺院を回り始めた。

腹痛を起こした翔一郎はしばらくその第1屈目の壁画をじっくりと、見ながらも4人の姿が消えていくのをホッとした気持ちで見送った。

こういう場所に果敢に向かっていく妻美沙を、だからインドまでついてきたのだ・・と感心しながらも、片一方ではもう少し大人しくいて欲しいという気持ちも奥底から滲むように出ていた。

どのパーティに行っても、卒のない相槌ができ、時には歌も歌い、どこかサービス精神旺盛なホステス的な才能を発揮する妻をもてあましていた。

夫唱婦随ではなく、ここでは完全にお株を妻に取られているような気がして、いささか不快な気分もあった。

だが、今回のメンバーは深井も年下でその上司のバラサブは企業をしょってデリーに乗り込み誠実に業務をこなしている紳士であり、日ごろの態度からもまったく心配をしていなかった。

むしろ美沙の怖いもの知らずな行動派を任せることができ、ほっとしていたかもしれない。

トイレにも行きたくなるし、車のある駐車場の方へ戻り、リュックから抗生物質を服用して
蒸し暑いので車の窓を大きく開けて横になることにした。

そしていつの間にか眠りに落ちていった。

美沙たちは翔一郎のことはかえって安心をして、先を急いでいた。
英語を話すガイドは丁寧で、この岩盤の層の厚さから見学者の用の階段や道を後付することの困難さを語っていた。

日本であっても山間にトンネルをみると、美沙は決まって、「どうやってつくるのかしら」と素朴な疑問と敬意すら感じてしまう方なのだから、この2000年を越える太古からここで住んで修行した僧侶たちの思いを簡単に想像することはできなかった。

インド人のガイドはやすやすと突き進むが、今この石窟の一部の中にいる日本人の女性として偶然ではない与えられた貴重な機会に感動せずにはいられなかった。

その一つ一つの思いを美沙は素直に言葉にするので、バラサブも深井も男だけで歩いているよりもずっと深く感動できているように思えた。

各洞窟には形態が違う様子があり、修行、礼拝のための「チャイティア屈」というものと
僧侶たちが生活するための寝室のベッドの形になっている 「ヴィーハラ屈」とに分かれていることが説明された。

チャイティア屈のほうには所謂仏塔ストゥーパがあり、このストゥーパが日本の卒塔婆に変化したわけだ。

美沙もその内容は妹背河童氏の著書などで周知していた。

しかし、実際に見ると、洞窟の中のヒンヤリした空気と蝙蝠などが住んでいそうな獣の死骸の臭いを想像して、大きく深呼吸することを辞めていた。

ジョン・スミス氏が興味をもって望んだあたりだというビューポイントはその石窟を見て歩くルートからは外れるのだが、深井も美沙も当然のようにその場所からこの石窟を見てみたかった。

美沙は健脚で身軽に歩いていた。
そのことまでも深井は心ときめくことであり、今は彼女とのこの貴重な道行を無事に敢行したいとだけ考えていた。

「すみません、お二人はこの10屈で休まれて、先に戻っていただけますか?
僕は折角来たのですから、ジョン・スミスが見つけたという向こう側の場所に立ってみたいので行ってきます。」

バラサブはそれを聞いて

「美沙さんはどうしますか?私は行ってみたいが・・・」

そう言われて美沙が行きたくないわけはなく、ガイドも誘って4人はあまり観光客が向かわないその対岸に見える小高い丘のような場所を目指した。

しかし、こちら側から見たよりはずっと厳しい道になっていて、軽い山登りの状態が30分ほど続いていた。
その間の足場の悪いところでは自然に美沙を深井がエスコートすることになった。

汗にまみれて体温の上昇している掌が美沙の細い手を鷲づかみにして、高みの方にぐっと引き寄せてもらうと、その男らしい体躯に守られているという甘美さが一瞬美沙の脳裏をよぎってしまい、こんな神聖な場所にあって、そういう感覚に襲われていることに深い軽蔑を自分に向けていた。

深井の上司はだまって、その後につき、ガイドは珍しい日本人客だと呆れつつ
ただひたすら歩いた。

言葉はあまり交わさずにその小高い場所から4人は虎がジョン・スミスに狙われて逃げ込んだ、という石窟の辺りを、はるかに眺めた。

深井はこのときのことを、恐らく一生覚えているであろうと、先ほどから何度も触れた美沙の細い手の感触とともに心に刻んでいた。

                                               つづく

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写真はエローラの石窟院

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by akageno-ann | 2008-07-23 14:22 | 小説 | Trackback | Comments(11)
小説をふと書き始めて、8ヶ月が過ぎました。

こうして読んでいただいていて、だから続けられるとこの頃思います。

私には亡くした親友がございます。

インドで出会った人でした。日本女性です。

年上の人でしたが、心の大きな、ユーモアのある、専門職を堂々と

自信をもってされていたのに、ご主人の赴任によってすっぱり辞めて

渡印されました。私より1年早く。

もうじき彼女の命日です。亡くなって18年が過ぎました。
ここまで、早かったという思いです。

亡くなる1ヶ月前に彼女の住む地方へ新幹線で伺って3日間を食事を作ったり
掃除したり、そしてよくしゃべって過ごしました。

そのまま永劫の別れの日までいたかったのですが・・
そうもいかず、でもそれだから最後に元気だった姿のまま
そして彼女は私より8歳年上なのに、今は私が彼女よりずっと
年上になってしまいました。

二人でエローラ・アジャンタに行こう、という約束がありました。

インドの仏教芸術に造詣の深い人でしたから・・
だからこの旅は彼女との旅だと思っています。

よろしかったらお付き合いくださいね。

応援にも本当に感謝しています。

コメントの様々な思いに感動しつつ皆さんの恋愛観・倫理観にもとても
影響されつつ・・今は自分の中に渦巻く思いを書かせていただいてます。

これからもどうぞいろいろなご意見をお聞かせください。

暑中お見舞い申し上げます。

お立ち寄りに心より感謝してます。ありがとうございます。

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あらすじは最後にあります。

第181話

オーランガバードからアジャンタは高級車でフルスピードで飛ばして、有に2時間を要した。
おんぼろバスで飛ばすよりは恐怖心は少ないが、快適な舗装道路ではないから乗り心地は決していいとはいえない。
往来の様子はまさにインドそのもので、疎らにある店の前にインド人がたむろす以外は
荒涼として茶色の砂埃が舞うだけである。

少し飛行機酔いをしていた翔一郎は益々寡黙になっている。
美沙は車に弱い夫を心配しながらも、なんとかアジャンタをしっかり見学したいという欲求の方が強い自分に戸惑っていた。

あまり声かけして、体調を気にすると同行者に気を使わせるので、黙っていた。

その無言の空間を見事に深井が埋めてくれていた。

もっとも翔一郎にはそれがうるさく頭痛につながっていた。
途中休憩することなく、車は日本人4人を乗せてひた走った。

「しかし、この紀元前の遺跡が19世紀初頭にイギリス人の軍人が偶然虎刈りで発見しなかったら、インドの仏教伝来の大切な証拠が葬られたままですからね。世の中の遺跡は随分大きな偶然が呼び起こしてくれるのだと、ロマンを感じます。」

「そうですね。ジョン・スミス氏がその一部をうっすらと発見して、このインドのマハラジャが資金を出して見つけようとしてくれなかったら、と思うと神秘的に感じました。」

深井の言葉に美沙はそう付け足した。

おそらく深井は地球の歩き方インドと妹背河童著の「河童が覗いたインド」を読んで話しているに違いないとわかったが、熱心にガイドをしてくれようとしている彼の後押しをしてあげたい、と感じていた。

遺跡はある程度ロマンティックな気持ちを持ち合わせないと、なかなか興味をもてないものだと美沙は思っていた。

翔一郎が果たして本当にここに興味をもっているかどうか?も実は疑問であった。

ただ美沙が行きたがっていたことと、こういう企業の大人たちと行く方が少なからず気が楽だと感じた打算があった。

しかしそういう打算の中に己の体調までは加味されていなかった。

翔一郎は車酔いも加わり最悪の気分でアジャンタの石窟のある岩山の下にたどり着いた。

急いで車をおりて空気を吸う翔一郎だが、その瞬間にもみやげ物を押し付けるように売ろうとする男や子供たちに囲まれて、人々の発する強烈な汗の臭いが鼻についてしまった。

ネイチャイエ」・・あとにしてくれ・・・と人々を追い払う時に使う少し優しい言葉のほうをなんとか発して、その場を逃れようとした。

美沙は少し体を固く身構えて、そのものたちを寄せ付けないようにしたが、その前に
深井が「チョロ・チョロ」とまるで犬を追い払うようなしぐさで人々をかき分けるのは
いささか良い気分ではなかった。

だがこの場合そのやり方が正解だったようだ。

翔一郎は気分が悪いので、それを押し隠すようにさっさと前を歩いた。
その後ろに深井の上司が続き、そして美沙がそのあとにつき、最後に深井がついた。

輿を使う人もあったりサファリスタイルのヨーロッパ人夫妻もいたり、また修学旅行のようなインドの学生がざわざわと歩いていたりしたが、第1屈に到着すると皆静かにその場のガイドの英語を聞きながら、懐中電灯の灯りに浮かび上がった美しい菩薩の色彩のある壁画に感動していた。

先ほどから「日本語のガイドします」とうるさく付きまとう男がいたが、深井はあえて英語をしっかり話す痩せた男をガイドにしてその男に先頭を行かせた。

歩きながら翔一郎もむかむかする気持ち悪さはなくなっていたが、代わりに腹痛に襲われ始めた。

トイレのままならない場所にこれからどんどんと入り込んでいくのだということが彼を恐怖に貶(おとし)めた。

美沙はその菩薩の壁画がこんな場所にあることにも不思議さとインドの仏教の布教した太古に思いを馳せていたので、翔一郎の異変に気づかなかった。

深井の上司は法隆寺の金堂の壁画を見ていたから、ここの仏教文化の深さを感じ取っていた。
そして男同士の気持ちが、翔一郎の様子に気づいた。

「片山さん、大丈夫かなあ?気分がすぐれないのでしょう?」

その言葉に驚いて美沙は駆け寄った。

「いや、すいません。気分は治ったのに、今度は腹痛でして・・」

「疲れがたまっていたのではありませんか?ここは無理せず、車の方にもどられて休んでいてはいかがですか?」と提案した。

美沙は、どういうわけか・・黙っていた。

翔一郎は

「そうさせてもらいます。面倒をかけてもいけないし・・美沙君は行っておいで」

そう言う夫に、美沙はかけよって

「え?そんなに悪いの?私が行ってもいいの?」

と、子供のように聞き返した。

美沙は折角ここまで来たのだから、是非この石窟を見学したかったのだ。

「大丈夫、君の写真に期待するよ。」

と最後は明るく押し出してくれた。

深井は何故かだまって、翔一郎に丁寧に頭を下げて歩み始めた。

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                                           つづく

あらすじです・・
by akageno-ann | 2008-07-21 23:41 | 小説 | Trackback | Comments(10)

アジャンタへ

インド デリーに3年住んだことは、半世紀を生きてきた私にとっては
そこだけ別の光を放つ宝石のような日々に感じる。

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あらすじは最後にあります。

今夜のNHK特集はインドの農村地帯にIT産業が入り込むことによって
巨額の富を得た貧しかったインド人の農民が、電化製品や車を持つに
至った経緯を映像化していたが、インドの家や暮らし方の根本は殆ど
変わっていないように見えた。

しかしあまり声を立てて笑わないインドの婦人が、裕福になって嬉しさを体中で
表現し、明るい表情になったことに驚きをもった。

まだまだ様々な戸惑いもある中に、子供たちはテレビ番組を楽しみ幼い顔の大きな瞳がより一層輝いているのを見るのは、少し不思議な気もしたが、
インドの発展を感じてあと10年たったら、町も田舎もその地域全体がもっと富んでいるようになるであろうか・・と、想像してみた。

何億人いるであろう人々の隅々までいきわたる発展は、まだまだ遠い気はするのだが、
少なくとも外国を受け入れて、豊かさに大いに興味を持つインドの人々は大人も子供も
増えているようだ。

世界遺産もまたここはイタリアのようにたくさんある。
かつての大きな文明の国は、仏教から移行してヒンズー教を取り入れるようになって
人々の広い範囲に神を信じるという風習が広まったと聞いている。

多くの宗教の中の仏教はこの国のデカン高原に紀元前から存在した石窟寺院の発見によって
その存在を再確認させてくれる。

色々な資料を読みながらも私は舞台芸術家の妹背(せのう)河童氏
「河童の覗いたインド」のイラスト入りの著書をバイブルのようにしてインドを知ろうと
し、旅の観光案内としていました。

そして今日は、主人公片山美沙夫妻はデリーで親しく付き合い始めた商社員深井とその上司とでその中のアジャンタへの旅に出たところから物語は始まります。

アジャンタは下の地図の2番あたりです。
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地図:解説書(日本コロムビア株式会社発行)から引用

第180話

9月に入ってすぐに前期の授業が終わり、日本人学校は1週間だけ休みになった。
ここで、子供たちの家族も、教員の家族も健康管理のために近間のバンコクやシンガポールに健康診断に行ったり、買い出しにいったり、ちょっとバカンスに出たりする者があった。

もちろん父親の企業の都合でそのような旅に出られない者もあるので皆静かに行動していた。
美沙達も、ひょんなことから日ごろ親しく付き合うようになった深井たちとともにインド国内旅行に行くことになったことは隠密裏に計画した。

企業人と行動するのは、時として企業の差し出す車やホテルなどに安く便乗したりして顰蹙を買わないよう、十分注意する必要もあった。

エローラ、アジャンタの両方の遺跡をオーランガバードの空港を起点にまわるのがよかろうと
深井たちは計画していたようだが、美沙達はアジャンタの方だけ、一緒に旅する計画に加わっていた。

まだ暑さの十分残る早朝に、美沙たちはインディラガンジー空港からインドのオーランガバードの空港へ国内航空で飛んだ。

相変わらず古い機体で、天井は落ちそうな雰囲気があるが、巷に流れるインド人パイロットの腕は見事であるという風評を信じて出かけていった。

オーランがバードはさすがに観光地の空港で、観光客でごった返しているように感じた。

荷物検査は相変わらず厳しく、皆のトランクの中にあるカップ麺や餅、インスタント味噌汁などにも興味を示し、美沙のトランクを担当した係官の女性は
「何か・プレゼントを・・」
などうそぶくので、美沙は呆れて返す言葉を失っていた。

その一見放心状態の美沙の演技力のお陰でなんとかその場を切り抜けたのだ。

公的な場でも平然と行われる屈辱的とも取れる袖の下の要求を美沙はなるべく無視するようにしてきた。

ここは日本人の人の良さを見くびられて押し切られないことが得策であった。

片山翔一郎はすこぶる硬派で喧嘩越しに荷物を引き取って空港の出口を出てきた。

深井は一応上司をたてて、ひとしきり彼が係官とは応対して切り抜けてきた。

幸いなことにそこには深井の企業の名前を大きく横書きのカードに書いてもっている
インド人をすぐに見つけ、深井が手を振ってその男を呼んだ。

さすがに企業人はしっかりとオファーができていて、少し古いが大きめのベンツがそこに待っていた。
「まあ、ベンツなんですか?インドにもあるんですね。」

美沙は驚いてまたことの他喜んだ。
インド国内の旅はこれまでは大変古いバスやおんぼろのタクシーを雇っていったことが記憶に新しかった。

欧州は貧乏旅行のように安宿を探しつつの旅もおつだが、インドではそうはいかない。
一応ファイブスターのホテルを予約し、見学もそのハイヤーのような車で回れるというのが、美沙には大層な喜びになった。

インドでは日本のホテルでの普通の金額でマハラジャのような対応をしてくれるのも面白く、
なるべく良いホテルを予約するようにしていた。

特にインドに住んでいるものたちは、旅などで腹痛を起こしたり、発熱したりするような危険性のある状態を作らないように心がけるのは、常識であった。

そこから40分は走ったであろうか?

車の中で深井は饒舌だった。

ついにアジャンタにこれたと思う感動がそうさせるのか、美沙とともに旅に出られたことへの
喜びなのか、これからの2日間、この調子を保ってしまうのか・・・

片山翔一郎は殆ど無口に、相変わらず少し大変そうなインドの旅を耐えられるようにエネルギーを温存し、深井の上司はいささか調子に乗りすぎている部下を心配しつつも、いつもと違う4人の旅を楽しみにしていた。

美沙は、饒舌な深井を可愛らしくも思い、こうして皆とともにこのアジャンタにやってこられたことに感動していた。 つづく

もう一つのブログ「annと小夏とインド」
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あらすじです・・
by akageno-ann | 2008-07-21 06:41 | 小説 | Trackback | Comments(7)

異邦人

この小説へのお立ち寄りありがとうございます。

インドにいれば日本人は異邦人になります。

異邦人になると、心が少し解放されるのでしょうか。

日本から出ることがなければ出会わなかった人との

運命的な出会い。

美沙の場合はまず北川怜子(さとこ)との出会いが
それでした。

そして最後の年に、思いがけない深井という男性との出会いが
あったのです。

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あらすじは最後にあります。

では今日の小説は

第179話

深井洋介は33歳AB型、身長は168cm 、学生時代はテニスを
少しやっていた、といういわば平凡な商社員だった。

特にヒンズー語に精通しているわけでもないが、インド ニューデリーの
駐在員に抜擢されての赴任だった。

妻が出産したばかりだったので、しばらくは別居生活を余儀なくされていた。

が、既にデリーで半年ほどがたっていた。

この夏を越えたあたりに深井の妻は深井の幼子を伴って渡印するであろう、
とのおおよその見方だった。

日本の妻は出産後に実家に戻り、家事を実母に代わってもらって育児に専念していたので
このままインドで子育てをしながら、厳しい環境の中でやっていけるか、不安を感じていた。

夫深井洋介は度々の電話によって、すっかりインドの暮らしに慣れ、生き生きと暮らしている様子を知らせてくるが、無理をしてそう言っているようにも聞こえて、正直なところもう一つ勇気が湧かないのだ。

深井自身は一人の生活と言っても、ここデリーでは同じ会社の上司や同僚が少ないせいで
夕食は殆ど家族のようにその仲間と食べていたので、寂しさどころか独り身の男所帯の気楽さを感じるようになっていたのだった。

その上、片山家のように親しい友人夫妻などの交流もあり、招んだりよばれたりの新しい関係を楽しみ始めていた。

その中で深井自身の紳士的な態度を持ちながらも他人の奥方である美沙に対する仄かな思慕もひたひたと深まっていったとしても、さして不自然なことではなかった。

美沙夫妻をを上司の家で持て成した夜は、そこにいた出張者を含めて旨い料理と和やかなカラオケですっかり打ち解けていた。

美沙も間もなく家族がやってくる深井に対してのバリアは外して、まるで弟のように親しく接するようになっていた。もちろんいつも夫妻でのつきあいで、決して個人的な付き合いはなかった。

その日曜日もホテルのテニスコートで6人が集まってテニスを楽しんでいた。
美沙は勤務していた中学校で教員仲間と硬式テニスをやっていたので夫の翔一郎より得意としていた。
また深井の上司は年齢は50代であったが、なかなかの名手で若いものたちを相手に
時には指導しながらゲームを楽しんでいた。
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美沙は必ず夫翔一郎とペアを組んでの参加だったが、深井とその上司のペアとの対戦には
大抵負けてしまうのだが、それが楽しくて仕方がないというように、そのテニスにはまり込んでいたのは美沙だった。

暑いデリーの炎天下で何時間もは無理だが夕方に近い時間に汗を流し、ホテルのシャワールームで着替えると、そのままそこのレストランで皆で食事したり、時には美沙が家庭に招いて簡単な手料理で持て成したりという日々が7、8月に毎週のように行われていた。

日常は日本人学校のつきあいや、婦人部の集いで忙しくなっていた美沙だったが、あの夏の旅行以来平田よう子を中心とした学校婦人部の動きの中でいささか気まずさを感じていた美沙にとってはこの週末の深井たちとの集いは良い気分転換であったようだ。

ある日間もなく日本人学校の健康管理休暇が少し取れるという話題がのぼると
深井の上司のバラサブがある誘いをかけてきた。

「片山さんたちはインドの遺跡エローラ アジャンタの石窟寺院には興味はありますか?」

美沙は、大変に興味を持っていたので一瞬乗り出して、夫翔一郎の答えを促した。

「我々も行きたいと思って一度計画したんです。日本人学校の仲間と。ただその時残念なことにその家族のお子さんが発熱して、急遽取りやめたことがあるんです。」

深井もきわめて熱心にそれでは一緒に行きませんか、と進めてきた。

社の研修旅行の下見にバラサブと二人の旅だが、車の手配などはするから交通費を折半でいけば安くなるというのであった。

美沙は思いのほか気持ちが高揚した。

あのデカン高原に発見された仏教寺院を遠く学生時代に教科書で知っていたが

まさか自分がその地を歩くことができるとは・・とそれはタージマハルを訪れたとき以上の
感動が既に押し寄せるようであった。

深井洋介はまた、妻の渡印の話が滞っているその時の憂いを払拭するほどの
意味のない気持ちの中のトキメキを密かに感じていたが、
もちろんこの時は邪(よこしま)な思いはない、と心に誓っていた。
                                        つづく




オマケ
出会いといえば、今日このブログで出会った
さりすけさん「家族6人犬一匹、ロッキー山脈ふもと生活」から
とても励まされるメッセージと写真の切手を送っていただきました。

私がさりすけさんのブログのファンで、日本に帰国中の彼女にふるさとのものをちょっとお送りしたのですが、忙しい中に
「郵便局にいったら、これをみてアン姉さんを思い出して」
と、言ってもらって・・・嬉しかったです。c0155326_22253278.jpg

暑い日にとてもエネルギーをもらって、今日もアップに勤しみます。

あらすじはこちらから
by akageno-ann | 2008-07-19 23:20 | 小説 | Trackback | Comments(8)
インドデリーの言葉はヒンズー語です。

単語くらいしか知らないで終わってしまいましたが、やはりもう少し
住んでいるところの現地語は学ぶべきでした。

そんな中で、果物の西瓜のことをカルブージャといいました。
そういいながら、売りに来るので覚えました。

すっかり顔なじみの西瓜売りが大きな西瓜を抱えて
右手には大きな包丁をもって玄関にやってきます。

はじめは怖かったけれど、次第に慣れると美味しくないと
文句言ったりしましたから、彼の方がちょっと恐れながらも
やってきました。

暑い日の昼下がりに、よく冷えた西瓜は元気が出ました。

西瓜割りも学校で行事として行ったようですが、もちろん食べる西瓜は
別です。衛生観念をしっかり守りました。

そしてダルブージャはメロンのことです。

しかし子供たちは元気です。
インドが暑くて大変・・とか、汚くて嫌・・だとかあまり言いませんでした。

明るく楽しい学校生活を過ごしていました。

小説を書いています。
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さて、大人たちは夏をどのように切り抜けていたでしょうか?

第178話

深井が電話で話していた通り、美沙の家に夕刻5時半きっかり迎えの車が来た。

日本人の中でこうして自家用車を持たないと、外出の際には車を用立ててくれることがままあった。
美沙はあまり他人に頼ることを好まなかった。
だがこの日の深井の上司の家での夕食会はもちろん先方の誘いに従って
インド人のドライバーの日本車のセダンに乗って快適にその家に向かった。

大使館などのたくさん並ぶ、デリーでは高級住宅街にその家はあった。

車が近づくとチョキダールという門番がすぐさま大きな門扉をあけて

広い駐車場に車は滑り込んだ。

そのチョキダールがさっそく美沙側のドアを開けて

「グッドイブニング マダム」と丁重に美沙たちを迎えた。

料理を抱え持った美沙は静かにおりて、玄関に向かうと、そこには

主である日本人バラサブ(支社長)と深井が出迎えに出ていた。

深井とは二週間ぶりくらいなのであるが、随分長く会っていなかったように
美沙には感じられた。

深井は美沙のもつ料理の大きな器を受け取って、深々と挨拶した。

バラサブは

「ようこそ、この男所帯にお越しくださいました。
先日は大変そちらで深井たちとご馳走になり、今日は旅の疲れもまだあるでしょうが
ゆっくりなさってください。」

そう挨拶した。

他にもう一人の部下と、日本からの出張者の二名がいた。

女性は美沙が一人だけであった。

ここのサーバントは男のコックと女のベアラーという給仕が取り仕切っていた。

コックは日本企業の家で長く使われていたインド人だったので、日本語もでき、日本料理の腕は大したものであった。

バラサブの奥方は子供たちの大学受験の最中でたまに日本から遊びにはくるが、ここに常駐しなかった。

深井はまもなく妻と生まれて間もない子供が渡ってくるはずであった。

しかしその妻がインドに渡ることを躊躇していることを憂えていたのだ。

そして本心はバラサブと二人、こうして気楽な独身暮らしもいいものだと思い始めていた。

その奥底には美沙という女性に出会って、もう少し親しく深くつきあえたらという思いが湧き上がっていた。

出張者は気楽なインド旅行者のような高みの見物でいる。

「はじめまして、支社長はじめお宅にお邪魔してご馳走になったと伺っています。
今日は日本から運び屋のように日本食材を運んできていますので是非ゆっくり美味しく食べていってほしいと思います。」

そういって、ベアラーが運んできた料理は驚くほど新鮮な魚介類だった。

久しぶりに見る、北海道産のうにやマグロ、烏賊の刺身に舌鼓をうつと
みなの心は不思議と打ち解けて言った。
翔一郎は旅の疲れもあったのか・・すぐにほろ酔いになってしまっていた。

この夜の深井は熱心に持て成す一人の親切な青年という感じで、美沙も彼の意外な一面を見る思いがしていた。

甲斐甲斐しく酒をつぎ、カラオケのセットをして皆を楽しませていた。

美沙をとりたててもてはやすようなことは、バラサブや出張者に任せて、ひたすら陰にまわって働いていた。

美沙は、その態度に心打たれていた。

カラオケで美沙がシャンソンを歌うと、ヤンヤの喝采で、次に誰かを指名してデュエット曲を歌うよう促された。

美沙は迷わず深井を指名した。

「深井さん、貴方は本当によくお気遣いされて、まだ1曲も歌っていませんよ。
如何ですか何かご一緒に歌っていただけませんか?」

そうマイクを向けた。
深井はおどけて、喜んで、とばかりに

「そうですか・・それでは是非ご一緒に、銀座の恋の物語・・お願いします。」

と自分で曲をセットした。

さして酔ってもいないのに、場を盛り上げてオーバーアクションで歌い
皆を喜ばせる態度に、
またその後に歌って聞かせてくれた布施明の「シクラメンの香り」のしっとりとした
熱唱に・・美沙もさすがにうっとりしていた。

その夜は思いがけず出席者の心が和やかなうちにつながっていくのをそれぞれの
思いで感じていた。



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夏の学校の土曜日は半日水泳の授業でした。大使館のプールにて
「annと小夏とインド」
こちらも是非お立ち寄りください。
by akageno-ann | 2008-07-18 15:31 | 小説 | Trackback | Comments(10)

かけがえのない日本の片隅からの発信をライフワークとして、今は老いていくにも楽しい時間を作り出すことを考えています。


by ann