<   2008年 10月 ( 16 )   > この月の画像一覧

10月が終わります。欧米では今日はハロウインのお祭のようですね。
インドではデワリといって、この辺にヒンズー教の新年のお祭がありました。

デリーではここでやっと暑さから開放されたことを思い出します。
やはり「ハッピーデワリ」と挨拶し人々は親戚を呼び、親しい人を招いて歌ったり
踊ったり、花火を(ここの場合 爆竹ですが、)して賑やかに祝いあいます。

使用人もデワリマネーといって、お小遣いをもらい洋服をかったりまさに新年です。

子供たちにはお年玉のようなものを渡す人もいます。

祭壇は見事に飾られて、特別のお祝いのお菓子を持ち寄って飾っていました。

ホテルや家々の周りを子のように電飾や蝋燭で飾ります。
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インド博物館より拝借しました

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第228話

いよいよ新しく着任する人々の為に家や使用人の引継ぎを考える時期になってきた。

美沙は自分たちが3年間過ごした家は2階で夏の暑さの点では問題があるので、この際
引越ししなければならないと考えていた。

オーナーは親切な人であったので宿替えを申し出ることに抵抗があり・・ここまで引き伸ばしてしまった。

本来は失礼なことなので、かなりの額ではあるが1ヶ月分を支払って償うことにしていた。

敷金をすでに払ってあるのでそこから工面できると考えていた。

しかしほんの少し悪知恵を働かせた。

シャンティを引き継ぐことを申し出たのだ。

オーナーは美沙達がシャンティをつかうことは渋々だが、迷惑をかけないことを約束してそのまま許してもらっていた。

幸い冬の翔一郎の母の信子の来訪にもシャンティは見事な役割を果たしていた。

料理も和食をしっかりと身につけていたので、天麩羅や味噌汁の味付けに信子を驚かせた。

外国での和食は特にこうしたデリーでの家庭での食事では事のほか感動があった。


このシャンティを手放してしまうことの残念さは美沙だけが感じて居るものだった。

美沙はシャンティを手塩にかけて指導したつもりだった・・・・

日本人学校では切られてしまっても、どこかで使ってもらえるように、推薦状を英語で書いて
持たせた。
家庭的な問題は彼女が夫と和解すれば問題ないのだが、それは夫婦喧嘩の再発でまた大問題に発展する恐れもあるので彼女に確かめなくてはならないことであった。

結局、たった3年では美沙にはこのサーバントたちの生活を把握することをできなかったのだ。

                                           つづく




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by akageno-ann | 2008-10-31 19:41 | 小説 | Trackback | Comments(11)
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ありきたりな言葉でも私の好きな言葉を今回のテーマにしました。

先日伺った平山郁夫美術館でこの絵に出会いました。平山氏のデッサンの仕方を説いた本です。さっそく読んでいます。心を打つデッサンの技法について書かれています。
平山氏は中学生で被爆されていて、体調の悪いときも多い中、常にこのデッサンを日常の訓練として行ってきたそうです。

その積み重ねこそが多くの大作を描ける礎になっているといいうのです。

その中でインドの人をデッサンしたものがありました。

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この絵の出展は次の本です。c0155326_20242322.jpg
絵心はない・・と思っていた自分もこの美術館で平山氏の子供の頃の絵日記に出会い、日々のスケッチ帳の書き散らしたものの展示をみて大変心動かされました。

天才も一日で高名な画伯になったのではないのです。

スケッチはこの文章であっても同じなのかもしれないと・・
描くという作業に心を注ぎたくなりました。

第227話

3月の半ばにいよいよ最後の航空便による引越し荷物を送り出すことになり、
最近できたという日本の大手の引越業者と似たような・・という触れ込みの店に頼んで
帰国組み三組は順番にその日を待った。

いつもそうなのだが、結局片山家は最後になった。

さすがの美沙も

「なんだかんだと子供の居る人々がどうしても最優先だものね。」

珍しくそんな愚痴をいう美沙自身、ここでの暮らしの中で抑圧されたものがあったことを自覚していたのだ。

「しょうがないじゃないか、君だってすぐ引き下がって偽善者ぶっただろう?」

翔一郎にそう言われれば、返す言葉はなかった。
ここの3年間で子供のいないことはとても不利なことが多かった。
いや教員としても保護者に

「先生はまだお子さん育てていらっしゃらないから、建前しかわからないのですよ。」
と、言われたこともあった。

しかし、それはいたしかたのないことであることも、ここでしっかりと意識できた。

日本に帰って、美沙が子供を授かるかどうかはまだ定かではない、

だがインドに渡る前に味わっていた空虚な惨めさはなかった。

またインドに渡った子供たちもまたここで大きく成長をしていた。

どこであっても人間は生きていける。しかしどこであっても・・と言い切れるわけでもない。
ただここデリーは気持ちの持ち方一つでしっかりとした生活ができることは間違いない。


いよいよ飛び立つ前に美沙達にはもう一つの問題を片付けておかなくてはならなかった。

使用人、ここでは大切なサーバントと呼ばれる者のことだ。

美沙に仕えてくれていたシャンティは残念ながら継続して次期教員家族に継続させるわけにはいかなかった。

彼女の家庭内の問題が解決できていないのだった。

                                             つづく

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by akageno-ann | 2008-10-29 21:12 | 小説 | Trackback | Comments(12)
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ちょっと瀬戸内あたりを旅してきました。
そのことはまたじっくり小説の中でも書きたいのですが
今日最後に尋ねたしまなみ海道沿いの生口島にできた
日本画家平山郁夫美術館は圧巻でした。
シルクロードを旅して絵にされている平山氏の筆致を
心行くまで味わうことができるのです。

ちょっと行きにくい場所のようにも感じますので・・
是非しまなみ海道と共に一度は訪れてみては如何でしょうか・・

http://www.hirayama-museum.or.jp/
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平山郁夫美術館ロビーにて
そんなことを考えつつ帰ってきました。

今日も小説にお付き合いくださってありがとうございます。

第226話

美沙の帰国が近づいて別れの儀式は様々な形で行われていた。

美沙はその都度ここでの3年間の生活の厚さを今さらのように感じていた。

日本人社会の付き合いのほうが忙しかった、と本人は思っていたのだが、
ヨガや英会話の師匠もオーナーの娘も パーティでであって親しくなったインド人夫妻など

やはりこの地域の人々との触れ合いも少なからずあった・・と感じさせられた。

英語の方はさほど上手でない美沙であったが、この国は言葉について寛容で、日本語交じりの英語でも快く解釈してくれるようなところがあった。

特にスーリアという若い女性は美沙とどこか気心がしれて、たまにふと誘いがかかり、食事をしたり 互いの家庭によびあったり、インドの衣装やアクセサリーについていろいろなことを伝授してくれるのだった。

のスーリアが3月の始めに電話をかけてきた。

「美沙、いよいよお別れなのね。ものすごくさびしい。
貴方は本当にフランクに私たちと付き合ってくれたわね。
また絶対インドに来てね・・」

と、寂しげに話し、最後に最近できたばかりというデリーのブティック街ハウスカスあたりを
自分の車で案内したいというのだった。

以前にもそこへは連れて行ってもらったことがあったが、このはなむけのような誘いには美沙はあり難く、乗ることにした。

ぬかるんだ舗装されない道はそのままだったが、スーリアの直接の運転でスピードを出して進むと、意外に近く感じた。

そして目を見張ったのは、ショーウインドウのサリーやカーペット、靴、バックなど
大変に美しく、また値段が高くなっていたようだ。

インドの3年間、特にデリーの三年間の変化は目覚しいものがあった。
この頃の外需拡大はひたひたと行われていたのかもしれない。

毛皮などもおそらくロシアから運ばれているのか安くて見事なものがあった。

しかし匂いがきつくて製法の雑さはまだまだあるものの・・外国のものを取り入れたい思いの強さを感じる。

驚いたことは日本の食器や電気製品に関心が深まっていて、特にクリスタルは是非に譲ってほしいとこの日もスーリアから頼まれた。

そうだったのか・・と改めて日本の製品のインパクトの強さを感じたことだった。
気に入ったものはすでに船便で日本へ送り返してしまったので残したものでよければ
あげよう・・と話すと大喜びした。

その日はスーリアがホテルの昼食に招いてくれて美沙の大好きなインド中華料理を
ご馳走になった。

「デリーの良い想い出を持ち帰って・・絶対にまた遊びにきてほしい・・」

スーリアは心から願っていた。

                                     つづく

小夏庵
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by akageno-ann | 2008-10-28 01:15 | 小説 | Trackback | Comments(18)
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フランスのお菓子にチュイールといって、うすいお煎餅のようなクッキーがあります。
これは瓦のような形に湾曲に仕上げるのですが・・
繊細なフランス菓子でマカロンと同じように大好きです。

お菓子一つお料理一つをとってもあの時のあの方と食べた、とかあの方のお得意だった
などそういう想い出につながります。

今日はそんな小説になりました。


第225話

校長夫人は寛いで時間のたつのも忘れたように美沙との別れの会話を楽しんでいた。

彼女の持ってきたクッキーはかつて美沙がメンサーブ会を自宅で開いたときに
簡単なお菓子講座にして、皆で作って食べたものだった。

「このアーモンドチュイール本当に見た目はこんなに繊細なのに簡単にできて
美味しくて感動しましたよ。あの日のここでのメンサーブ会も愉しかったわね。」

「こうしていつも作られて奥様こそ素晴らしいです。北川先生の奥様も校長先生の奥様をとても慕っていらっしゃいました。」

そう美沙はふと怜子を思い出して語った。

「そのことなの。北川先生の奥様には私は大変支えていただきました。
今日はね、ささやかだけど貴方と、そして貴方がとても親しくしていらした北川先生に
お土産を持ってきたの。」

そういって差し出されたのは、美しいパッチワークの化粧ポーチだった。

「奥様のお手製ですか?」

そう美沙は言って、手に取りその色合いのシックな出来上がりに感心していた。

「なんだか、私はこんなことしかできないけど、何か手作りの品を持って帰っていただきたかったの。布はここへきてから古布を探して集めたもので作ったのよ。少しでもデリーを思い出していただきたいのでね。北川さんはその後いかがですか?貴方は連絡をとっていらっしゃるのでしょう?」

「はい、・・・・・」

美沙は少し考えるようにして、北川怜子の病状を語り始めた。

「少し再発があって、心配しています。実は本当はもう一度私のいる間に旅でこことシンガポールを訪ねたいと 言ってらしたのに、だめなんです。」

その言葉には大きな落胆があった。

「そうなの。北川さんは貴方に感謝されてたわよ。彼女があなたのことを話して帰らなければ私は貴方を少し誤解していたかもしれません。あまりにお二人は親密でしたものね。」

「そうでした。すみません・・・」

「いいえ、北川さんがおっしゃってた。自分の病状を黙って援助してくれてどれほど援けられたかしれないと・・!私そのときわかったの。人との付き合い方は八方美人であることは本当の付き合いにならないと・・私は立場もあるけれど、広く浅く・・そのことだけ考えていたから・・」

「でも奥様、立場というものは大切なことです。このように広いお気持ちで見てくださっていたから、私たちの仲間はこうしてここで愉しく集えたと・・そう思います。
私は不器用でやれることをやる・・それしかできないのかもしれません。」

そう美沙は付け加えた。

「北川さんはあなたのその不器用さもおっしゃてましたよ。そして必要以上に臆してしまう性格もね。でも北川さんに代わるように神田さんが見えて、貴方の素質がまたここで生きて、それを潰してしまうことがなくて本当によかった。ここでの出会いは本当に不思議ですね。」

美沙は北川怜子のその気遣いを初めて知って、胸が締め付けられるような思いに駆られた。

「校長先生の奥様、本当にありがとうございます。
北川さんにもこのことをきちんとお話しに高知へ参ります。」

「いいわねえ、私も来年帰国したら是非その仲間に入れてね。
私も高知に行ってみたいわ。」

校長夫人はそういって残る1年のデリー生活に思いを馳せるようであった。

                                                  つづく

私のお気に入りのブログの一つ
おいしいお菓子レシピ panipopoさんから
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「きなこ 和三盆ケーキ」のお写真拝借しました。
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by akageno-ann | 2008-10-25 11:18 | 小説 | Trackback | Comments(13)
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舞台は主にインドのニューデリーですが、主人公片山美沙は夫翔一郎の
在外日本人学校派遣教員としての任期を終えて、まもなく日本へ帰国するところです。

日本人学校は3月離任、4月着任と行事のように決まっていますから、
他の企業やプレスの方々から大変それを羨ましがられました。

本当にお子さんもいる企業の方たちは、就学児の場合学期途中のいきなりの
異動は大変心痛も大きかったと想像します。

子供たちも奥様たちもそういうことを覚悟していらしてますから、皆さん見事に
通りぬけていらっしゃいましたが、しかし大変なことだっと思います。

私の場合、このデリーにおいても三年間の決められた期間の中にも
荷物を増やしてしまい、やはり帰国準備は大変でした。

夫はデリーへ出立前に毎晩毎晩送別会をしてもらって・・
飲みすぎ・・の状態でしたが・・

デリーへ渡ってからは夫婦同伴のパーティも多く、また我家へお呼びするのも
ご夫妻で・・という形が多かったです。
ですから送別会は夫婦共々愉しく忙しかったことを思い出します。

第224話

日本人学校の校長夫人が美沙を尋ねて来た。

滅多にないことで、その日は気楽にオートリキシャに乗って見えた。

これも珍しいことだった。c0155326_11281351.jpg


その前に電話をもらっていたので、美沙はお茶の用意をして待っていた。

シャンティもいない午後の一時である。

呼び鈴がなって、下のオーナーのサーバントが門を開けて、美沙は内側の玄関を開けて招き入れた。

「お忙しい中にご免なさいね。お邪魔します。
これクッキーを焼いたの。一緒に食べましょう。」

そう夫人はいってきれいな紙ナプキンに包んだ焼き立てのクッキーを
美沙に手渡した。

「まあ、ありがとうございます。奥様は今日はお車どうされたんですか?」

美沙は丁寧に伺いをたてた。

「今日はね、お忍びなのよ・・」と校長夫人はいたずっぽく笑った。

しかしその言葉は満更冗句でもないのだ。

ここは狭い日本人社会で日本車に限らず運転手の顔がそれぞれ知られていて

今日は誰の家に、誰の車が訪ねていた、とすぐにわかってしまう。

別段それがどうということもないのだが、校長夫人などやはりその立場が他への気遣いとしてはお忍びの形のほうが気持ちが楽であったのだ。

校長夫人はまた、教員の夫人たちを良くまとめていた。
だから、つまらぬ詮議の元を作らぬように気を配っていたようだ。

美沙もその辺は心得ている。帰国の近いこの頃に、誰が尋ねた、誰の家によばれた、と
同期の平田よう子はとても気にしていた。

ましてやよう子はこの校長夫人を信奉していたからつまらぬ嫉妬心を煽りたくなかった。

「今日はね、貴方とちょっとゆっくりお話したかったの。なかなか個人的に話す機会がなかったですものね。」

思いがけない校長夫人の言葉に美沙の胸はふっと温かい感情が過ぎった、

「まあ、わざわざありがとうございます。いろいろお気を遣っていただいて感謝しています。」

少々硬めな挨拶の美沙のことを夫人は気に入っていた。

こういう場所では立場をわきまえることは大切で、そのことが学校のまとまりをしっかりとさせる要因になるのだ。

お茶を入れて、美沙も手持ちの羊羹を切り、先ず日本茶でもてなした。

「あらあ。私のために和菓子を出さないで、貴重品だわ・・」

と言って笑った。

そうなのだ、美沙達はあの飽食の日本に間もなく帰るのだ。
二人で顔を見合わせて笑った。

「はい、この羊羹、最後の最後までおいてあって・・でも賞味期限は大丈夫ですよ。」

と、美沙もにこやかに応えてその場の雰囲気は和んでいた。

「ほんとにねえ・・賞味期限なんてここでは無意味よね・・自分の鼻と舌で調べて、大丈夫なものは大丈夫・・・日本はちょっと神経質よね。それでいて賞味期限でぱっと捨てることのできる人はさすがにここには居なかったわね。」

校長夫人も愉しく笑いながら続けた。そして。

「いえね、美沙さん、貴方には本当によくしていただいて、私心から感謝しています。
輪を取り持つなど私の技量ではなかなかできないことですが、あなたのお人柄
また神田悦子さんの存在によって日本人学校のメンサーブはまとまりましたよ。
一人ひとりは先生方と同じで、結構個性的でしたが、才能あるのに謙虚な貴方たちは
他の人たちの範になってくれた、と思います。」

思いがけない言葉に美沙はちょっとびっくりした目をした。

「いえ、そんな、変に目だってしまって、とりわけ神田さんの伴奏をさせていただくようになってからは、派手に感じられたと思っていました。」

「いいえ、あのような芸術的なことができるのということは学校の雰囲気が盛り上がるのよ。
それは同期の方たちの中にはちょっと面白くないこともあったかもしれないけれど、あなたたち二人の実力はそういう邪な思いは自然に払いのけたと思います。

主人もとても喜んでいます。」

美沙はその言葉に恐れ入って

「そのように温かいお気持ち、とてもあり難くて・・」

美沙は素直に喜んだ。



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小夏庵
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by akageno-ann | 2008-10-23 11:28 | 小説 | Trackback | Comments(18)
人生の中でいくつかのはなむけの言葉をもらうことがありますが・・・

その言葉はそれからの人生に大きな励みや支えになります。

今日は上野に行きました。

動物園に行きました。秋晴れのもとたくさんの遠足の子供たちに紛れて

可愛い母子さんに会いました。心が洗われる様な一時でした。

そのあと,上野駅までの間に久しぶりに犬連れの西郷隆盛像に会いました。

そういえば、私の亡き友人とこの像の下で待ち合わせたことを思い出し

胸がキュンとなりました。

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第223話

美沙たち帰国組はその年の2月からデリー在住日本人の中の主役になっていた。

派手ではないが、心のこもった招待を受けることが多く、帰国組3組が一緒のことも
あれば、個人的な付き合いの家族からの少人数での送別会は本当に心愉しいものであった。

美沙たちは最後の年は学校以外の仲間たちがあって、触れ合った年月は少なくとも

このデリーという特別な場所であったという奇遇が大いに気持ちを盛り上げ心の触れ合いがあったようだ。

美沙たち夫婦は気楽に気張らない持て成しで食事に人々を誘っていたので

いつの間にか、友人が友人を連れて遊びにくるようになり、輪が広がっていたのだ。

しかし、美沙はそういう付き合いを敢えてさっぱりとしてあまり深くならないように心がけていた。

片山翔一郎はもともとあっさりとした性格であったのだが、美沙の方はあの深井とのことが大きな教訓になっていたのだ。

どんなにそのような心は持っていないと言っても、人間の心は思いがけない紆余曲折をしてしまうものなのだ。

恐らくこの気持ちは日本での生活の中では叙述できない。

異国の空気の下に身を置くと、不思議にわかってくることのようだ。

そういう空気の読める付き合い方は、人々に気持ちの安らぎを与えていた。

片山家に招ばれる・・・

これは結構、望まれることになっていたのだ。

また逆にいえばそうなった頃、このデリーを離れることになるのだった。
by akageno-ann | 2008-10-21 23:03 | 小説 | Trackback | Comments(12)
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送別会と言えば、日本を発つときに主人は毎晩毎晩様々なグループによる
送別会を開いていただいて、その全てにしっかり主役で出席し、よく飲んで
遅い帰宅を果たしてましたが、体がよく持っていたと思いました。

渡航前日までびっしりやっていただいたことをほろ苦く思い出します。
私の方は夜なべで渡航準備に勤しんでいましたから・・

デリーの送別会は全て夫婦同伴でした。
夫人だけのメンサーブ会や婦人部の友人たちの送別会は夫人のみで行われましたから、
デリーの送別会は私の方が多かったかもしれません。

それにあわせて買い物が必要で、毎日毎日できるかぎりあちらこちらにタクシーを走らせて、日本へのお土産を整えていました。

3年の間の不在を支えてくれた人々への土産は少し気張りました。
しかしそれを受け取る側が喜んでくれるかどうか?
これが問題でした。

インドの民芸品・・それはかなり個性的で、好きな人もちょっと苦手な人もある。
私たちの選んだのはコーチンという土地で作られた、象の置物!
そしてこんな象の刺繍のタペストリーなど・・

皆一様に珍しがってくれたようだ・・
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第222話

イタリアのカンツォーネ、そうイタリア民謡のような「忘れな草」は恋の歌である。

「わすれないで・・・」と切々と訴えるようなイタリア語はイタリア語がわからなくても

実感できる。c0155326_20384739.jpg

美沙はこの歌を何度も神田悦子と演奏してきたが、昨秋の深井亮介の送別会に伴奏したときのことを今さら切なく思い出すのだった。

想い出というのは完結したときにはじめてそれまでの思いが蘇るものらしい。

美沙は、身の回りの片付けとともに日本への土産を整えることに愉しい時間を過ごしていた。

コンノートという中心部にコテージエンプリュームという政府経営のインド国内の全ての民芸品が売られているデパートのような店がある。

そこで美沙が一番の高級品と感じ、気に入っていたのはパシュミナストールだった。

パシュミナはヒマラヤ地方に生息する山羊の冬毛を用いた繊細な糸で織られた織物で
カシミヤというインドのカシミール地方で生まれた毛糸よりもさらに高級なっものであった。

そのショールを美沙は自分と夫のそれぞれの母のために買い求めた。

どちらもベージュ色の幅の広いショールでその感触はまことに柔らかく優しいものであった。

その後、日本人がよく行く小さな宝石店へ車を向けた。

美沙はさほど宝石に深い興味をもっているわけではないが、インドの気楽な値段の宝石は
可愛らしくて好きだった。

キャッツアイ、ムーンストーン、ガーネットなどは、小さなものならお土産にも最適な価格だった。

そしてインドは血液型などよりこの宝石や占星術が運命や性格を司ると言われていたのだ。

小さな色のある5つの宝石をデザインして女性がピアスやペンダントにすると

それは女性の体を守るという話も聞いていた。

深く研究するつもりもないが、オーナーの娘と親しくしていたので彼女のいつも身につけているピアスの形を真似して、美沙は北川怜子の土産にムーンストーン、ガーネット、などの可愛い輝石が散りばめられた、ペンダントを求めた。

一人でこうしてデリーの街をいつも使っているタクシーの運転手に案内してもらって買い物をする美沙であったが、彼女自身すっかりデリーでの暮らしに慣れていたことを自覚した。

帰り際にホテルの店に寄って、ホテルブレッドを買った。

ふとティルームに立ち寄り甘いミルクティを1杯頼んだ。

昨年の冬頃、夫の友人が旅行で来て、

「すいません、道路状況などちょっと怖くて外へ出られないのですが・・」

と家に電話を受けて、夫と連絡をとり、美沙はその友人の男を一人でこのタクシーに乗って
迎えに行ったことがあった。

その男にびっくりされ、また最後にデリーに住んでいることを尊敬されてしまったことなど
懐かしく思い出していた。

ここで身につけた、度胸というものが、それは決して無駄にはならぬ産物として
今の美沙の心にあった。

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by akageno-ann | 2008-10-19 21:17 | 小説 | Trackback | Comments(16)
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インドと高知を舞台に小説を書いています。あらすじは最後にあります。
久しぶりのインドカレーです。日本でもインド料理レストランは人気があります。
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美沙達はいよいよ送別会の主役になりました。

第221話

メンサーブ会は日本人会の婦人たちの間でそれぞれの企業、団体のグループで女性の会として行われていた。

日本人学校教員の夫人たちも月一回、持ち回りで行われた。

10人の夫人がいたので、5月と12月は旅行などで集まりにくいため、休会していたから10ヶ月で、くまなく各家庭を回ることができた。

2月は少し早いが3月に帰国する夫人たちの送別会をすることになっていた。

その会は校長夫人の家で行われた。

校長宅は学校の歓送迎会を始めとして会食のパーティも多いことから一番大きな家と優秀なサーバントが宛がわれていた。

歴代の校長夫人が指導したコックは日本語も日本料理も上手でこの家での会食は皆を喜ばせていた。

夫人たちの送別会は和やかなムードで始められた。

「今年の3人の奥様たちはそれぞれにご活躍で社交的でいらしたから、その足跡は大きいですね。山下さんは二人の坊ちゃんを現地の幼稚園に入れられて、インドの人々との交流も盛んにされて、学校の行事にも積極的な奉仕をしていただきました。
平田さんは学校で教鞭をとっていただき、大変あり難いことでした。
年長者として、夫人たちをよくまとめてくださいました。感謝しています。

そして片山さんも学校の方で教えていただいたり、またピアノ伴奏者として様々な会で活躍していただき、貴方のいらっしゃらなくなった後を誰が神田さんの伴奏をするのか・・とも心配です。」

そう校長夫人の紹介があって、神田悦子が花束を持って、美沙の前にたった。
それぞれ平田よう子にも山下文子にも親しかった後輩夫人たちが花束を捧げた。

これは恒例のことだが、その日は校長夫人の計らいで、電子ピアノが用意されて
神田悦子の歌を、片山美沙の伴奏で1曲だけ演奏してもらおうとの話ができていた。

この1年間の間に神田悦子はプリマドンナとして、デリーの日本人会の、時にはインド人の中でその美しいソプラノを披露していた。

その伴奏は必ず美沙が行っていたので、二人のコンビは有名になっていた。

この日は日ごろ少しこの二人のコンビにやきもちを妬いていた、平田よう子ですら
二人の演奏に聞き入った。

美沙の控え目だがしっかりとした伴奏に引き立てられるように、悦子は伸びやかに歌った。
その日はイタリアのカンツォーネから「勿忘草」をしっとりと歌った。

あらすじはこちらから
by akageno-ann | 2008-10-17 23:31 | 小説 | Trackback | Comments(6)

第220話 旅支度

インドと高知を舞台に小説を書いています。
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第220話

いよいよ日本への帰国の仕度を美沙たち 日本人学校教員家族3年目を終える者たちが始めた。

ここへ渡ってくる時は全てが白紙状態だったためか、この三組の家族は何事も連絡しあい
一緒にできることは一緒に行動してきた。

デリーへの道はおよそ一人ではどうにもできぬ大きな壁があったように思えたのだ。

だがそのデリーでの三年間はそれら全ての人々を大きく成長させた。

外国を知らず、言葉も堪能ではない人間がこの日本と異なる文化の国で気候の厳しい国でこうもしっかりと歩むようになれるのかと、本人たちですらはっとしておどろくことがある。

それは本人の能力というよりは、デリーが、インドが、インドの人々が大らかな心で迎えてくれたからに他ならない。

デリーは恐ろしいところではなかった。

勿論健康に留意するなど必要なことがらはあったが、日本の住宅街の暮らしとそう異ならない平穏を見つけ出せた。

隣近所やオーナー一家との交流はもしかしたら日本のそれとほぼ変わらなかった。

と、すると今の日本の居住地で外国の人が短期間でやってきて、住んで、これほどにすぐに環境に馴染ませることができるであろうか?

現に美沙たちは教員としてクラスに外国籍の子供が入ってきた時の苦労を思い浮かべた。

日本では異文化の国の人々に対しての違和感をもっと如実に表してはいないか?

美沙も翔一郎も、また他の教員も、このデリーでの経験は恐らく日本の学校でもっと広い心でどの子供たちにも接することができるような気がしていた。

ましてや外国から転入してきた子供たちや家族に対してしっかりとした手を差し延べられるように思えた。

そのことを虚構に終わらせたくなかった。

人と交わることに積極性を覚えた。

どんなところでも暮らしていけそうな、大らかさを手に入れた。

自分で自分の暮らしを創り守っていく力強さを身につけた。

それは恐らく間違いのない成長だと思われた。

だから、帰国の途に着くための航空券の手配も、帰りの荷物の発注も
それぞれ個人がその家族に適した方法で取り掛かった。

インドは時間があってないようなものだと、人に言われてきたが、ここ首都デリーでは
きちんと時間というものが動いていた。

約束の時間に業者は現れ、見積もりをして、またその約束の日に荷物の梱包は行われ、そのパッキングは日本のそれとほぼ変わることなく、きちんと行われた。

だが、その荷物は立派な木枠に納められた後、牛車に乗せられて大きく横揺れさせながら夕刻の住宅街を出て行った。

「ああ、これがデリーなのだ・・」と

美沙達は思ったことだった。

その最初の船荷は早々に2月始めに出したのだ。

まだ残りはなるべくここで処分し、また次の家族に引き継いで行こうと、
かなりのものを残していた。

たった三年間でもたまった家財の多さに美沙たちは驚いていた。

このデリーであっても溢れるものたちに囲まれての暮らしだった。

日本の食器は日本人からもインド人からも所望された。

買い取りたいといわれたこともあった。

家具や食器を相手の言い値で渡し、またおまけをたっぷりつけたりして
ガレージセールのように楽しんだ。

幸いトラブルもなく、家のオーナーに持っていたバイクを売ってくれと言われて
翔一郎は喜んで譲った。

本当は持ち帰りたい珍しいバイクだったが、日本での手続きの面倒さが二の足をふんぢる時だったのだ。

そんな風に時間をかけて、帰国組の片付けは進んでいった。

そして片山家の最大の問題はサーバントのシャンティの雇用問題だった。

シャンティが、あの静かで大人しい彼女が夫婦間でもめて一時は出奔していたのだ。

なんとか美沙が計らって家に置いていたが、まさかこのまま次の家族に引き継ぐ訳には行かなかったのだ。

そのことが最後の難関として片山夫妻、とりわけ美沙の身に重くのしかかったままであった。

                                                 つづく

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小夏庵
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by akageno-ann | 2008-10-16 00:00 | 小説 | Trackback | Comments(16)

第219話 会うは別れ

どの出会いにも必ず別れがあるのだと最近夙に思います。

別れを常に想定しているわけではないけれど、付き合いの中で
ふっと別れを察することがあります。

人間の触れ合いの中には 運命的に出会うものもあれば、偶発的に出会うものもあります。

運命的に出会った者でも、ちょっとした行き違いで決別することもあれば、偶然から互いの共通項を見つけて長く続くこともあり、そのときその時の触れ合いを単純に見過ごすことはできません。

今私はデリーで出会って、たった三年で死別したかけがえのない友人について物語りにしています。

彼女が全編に出ては居なくとも、彼女の精神なしでは語れないインドの三年間があります。

しらないうちにそういう心の支えになってくれる人は、たとえ彼女が現世での姿がなくなっても、変わらずに、いえより身近に存在し続けることを20年たって、改めて感じます。

そういう友人に出会えたことに感謝します。

そしてその友人の精神が私のそれからの友人との新たな出会いをも作ってくれることがあることも知りました。

昨日私は武蔵五日市の料亭黒茶屋で友人たちと食事をしました。
長い付き合いの友人も、日の浅い友人もおりました。
そしてそこには出席できない友人もありましたが、どこかで心の琴線が触れ合ったことを
感じました。

そしてその店はかつてインドで亡き友人と必ず訪れようと約束していた場所でもありました。

そのことを思い出してふっと心が熱くなりました。

その日の愉しい思いは風景と共に小夏庵のブログに書きましたので、よろしかったら覗いて下さい。小夏庵はこの小説の最後にご案内させていただきます。
下の写真は黒茶屋の佇まいです。心優しい気さくな炭火焼の料亭です。
c0155326_21343592.jpg

http://www.kurochaya.net/

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第219話

自分の死を覚悟するというのはどういうことなのか。
北川怜子はまだよくはわかっていなかった。
だが、自分の命を惜しむという気力は闘病生活の厳しさから次第に失せているのがわかった。

ふと眠りについてゆっくり眠れる日があると、そのまま目覚めなくてもいい・・と思うことがたまにあった。

日ごろはさほど体を動かさないせいか、精神疲労の方が多くて夜中もふと目覚め深い眠りに落ちなくなっていたのだ。

朝は夫を学校に送り出すだけは気を振り絞って行った。

夫も怜子の体のことを察して簡単なトーストとサラダとコーヒーの朝食で、自分も良く手伝っていた。

怜子のこだわりでテーブルにはインドで求めてきた色鮮やかなランチョンマットが日替わりで敷かれて、その上に白地の大皿を置いてフォークと箸の両方をきちんと三角に折られたナプキンの上に並べていた。

コーヒーは知り合いの喫茶店で分けてもらったドリップ用に細く挽いた豆でこれもまたドリッパーで一杯ずつ丁寧に淹れるコーヒーだった。

その香りを楽しんでいるときが今のこの北川夫妻の幸せかもしれなかった。

子供の居ない夫婦は友人を大切にし、そこの子供たちにも何かと気をつかってプレゼントしたりしていいおじさん、おばさんになっていたが、

間もなく帰国する美沙たち片山夫妻を怜子は妹のような時には娘のような思いで再会を楽しみにしていた。

大げさではあるが、彼女に会うことが怜子の今の最大の目標だったのかも知れなった。

夫が出勤して、しばらくテーブルの上をそのままにして、怜子はまたベッドに横たわった。

さして急がなくともよい家事はゆっくり行った。

その方が少しでも長くこの世に滞在する時間のロスタイムを稼げるような気がしていたのだ。

そのロスタイムはできる限り元気でいたかった。

もしも元気で過ごせるのなら苦しい治療もストップしたかった。

治療によるストレスはかなりのものであった。

髪も大分落ちてしまうので用意したヘアウイッグを着用していた。

早くから使用しているので本人も回りも慣れたようでほっとできた。

だから外出することもさほど抵抗はない。

しかし高知といえども冬は寒い。

雪のちらつく1月は外に出る勇気がなくなっていた。

あと二ヶ月で美沙は帰国する。

なんとかそこまで元気でいたい。

「神様、どうぞ美沙さんに会える日まで元気でいさせてください。
努力します。」

と近隣の神社に時折縋るように祈りにいった。

きっと援けてくれるであろうと信じていた。

だからどんな辛い日も自暴自棄にならないで過ごしていたのだ。

人間はどんなときも前を向ける目標があるといい・・

それが怜子の今の心情だった。

疲れてもいつ人が来ても大丈夫なように部屋を片付けていた。

怜子自身の中では身辺整理の意味もあってすっきりと片付けていた。

長い旅への用意はやはり自然に行ってしまっていたのだ。

                                   つづく

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小夏庵
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by akageno-ann | 2008-10-13 22:01 | 小説 | Trackback | Comments(10)

かけがえのない日本の片隅からの発信をライフワークとして、今は老いていくにも楽しい時間を作り出すことを考えています。


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