アンのように生きる・・・(老育)

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かけがえのない日本の片隅からの発信をライフワークとして、今は老いていくにも楽しい時間を作り出すことを考えています。

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今日は朝から感慨無量です。
こうして立ち寄ってくださって読んでくださっている様子がこのエキサイトブログでは人数になってわかるので・・増えるたびに、皆さんに感謝しています。
ありがとうございます。

お陰さまでこの小説の最終回を迎えることになりました。

実は今日11月29日は私の夫の母の30回目の命日です。

亡き母は、私に「こんな息子ですが・・この家にきてくださいますか?」
と言って、一週間後に急死しました。
心筋梗塞でした。

だから、というわけでもありませんが、今私がここにいてこうしてブログと向き合っているのは
この母の存在なくしては語れません。

義父は30年一人身を通しました。そのうちの25年を私を嫁として一緒に過ごしているわけです。様々な葛藤はありました。
しかし今日は共に墓参りを済ませました。小夏という柴犬も一緒です。

結婚というのは偶然が必然になり、そこに仲立ちする人がいて、一つの家庭という形になるではないか、と感じています。

その形も年月を経て変化していきます。

私たちははじめに二人だけの新居をもち、その後すぐに一人で生活していた義父と同居し、7年目に、インドに渡りました。

インド、ニューデリー・・・まさか私があそこで生活するなど、学生時代には想像もしていないことでした。

そして、そこで友人M・Yに出会いました。

彼女は日本の北の方からやはりご主人の仕事の関係で赴任しているのでした。

二年目でした。

偶然近所に住居があったので、何かとインド生活のノウハウを教えていただきました。

頼りがいのある先輩主婦でしたが、既に病を得ていました。
しかし彼女たち夫妻はインドを希望して赴任していました。
そこが偶然インドになった私たち夫婦とは大きく異なることでした。

ですから、最初不甲斐ない私たちのことは随分と面映かったことでしょう・・
と今想像します。


今日は少し長くなりますのでこの続きはまた夜分に書かせていただきます。
長い最終回をお許しください。

さりすけさん、momomamaさんありがとう。

こういうコメントにどれほど支えられたでしょう。

今日は主人の25年前の教え子たちによばれて会食してきました。
愉しかったです。

インドに渡るというのは学校関係者、教え子の皆さんにかなりびっくりされました。

今回の事件をみても、インドは環境的に問題が多いということで行く方も、送り出す方も
心配がつきません。その上にあのような凶悪な事件があっては庇い様がありません。

しかしインドは魅力ある国です。
そのことを最初に教えてくださったのがM・Yさんでした。

こうして生きているうちに出会えた人のお陰で世界が広がるのは皆が感じることだと思いますが、そういう中でも自分より先に別の世界に逝かれてしまった場合も、その人の残してくれた心の財産によって生かされていることにも気づきます。

インドに憧れをもって赴任した日本人、私たち夫婦にとって、それは大きな驚きであり、尊敬に価することでした。

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これはボンベイ・・現ムンバイの海の玄関のようなインド門です。

インドを語りながらまだまだインドを知らないのです。
南インドはもっと温暖で人も優しいなど、いろいろ聞いています。

北はどうしても印パの問題やインドの中の多民族間の問題が勃発しやすいとも聞きました。
長閑さは南インドで味わってみたいものです。

インドを書いて、ほんの障りを紹介したに過ぎませんが、こうして書かせていただいて、読んでいただいて、そこに不思議な縁と絆が生まれたように思います。

今日の小説はアンを共に愛した心友M・Yさんに捧げます。

そして読んでくださっている皆さんに心から感謝します。

最後にこのブログをはじめるきっかけを作り、たくさんのブログ友達を紹介してくださった
「いっちゃんの美味しい食卓」のいっちゃん  と 「カリブリ!CaliBreeze!」のまーすぃさん にここで改めて御礼を申します。

第242話 最終回

北川怜子は美沙が日本に帰国した年の夏に静かに向こう側の世界に逝った。

美沙たちの帰国を心待ちにし、美沙達がまた自分の家の傍で住んでくれたらと冗談のように語った彼女のその思いが。本当は心からの願いであったことを美沙は感じていた。

本当ならこの彼女の住む高知に移り住んで彼女の傍にいてあげたかった、と美沙は17年たった今でも思っている。

帰国してすぐに高知に向かった美沙達は、思った以上に元気であった怜子夫妻と愉しい3日間をデリーの思い出と共に過ごした。

「浦島太郎というのは、結局自分の楽しんだ竜宮城でのあれこれをだれにも理解されずに最後を過ごしたのだから、気の毒だわ。美沙ちゃん、しばらくはインドの生活が全く夢の世界のことのようでそれを多少話したとしても理解してもらえず寂しい思いをするかもしれないわ。
そんなときは私に電話して頂戴!」
そう怜子は高知を離れる美沙に語りかけた。

北川は翔一郎に

「こんなにすぐに見舞いにきてくれて、なんて感謝したらいいかわからない。
幸いあなたのご親戚もこちらにあるのだから、どうかまた夏には遊びに来て欲しい。
怜子は今年いっぱい持つかわかりません。」

そう語っていた。

翔一郎は驚いたがそのことをすぐには美沙には話さなかった。
現実にまた同じ日本の二つの地域に離れて暮らすのだから、あまり哀しい思いを持たせたくは
なかった。美沙の思いいれはかなり強いとわかっていたのだ。

現に美沙はそれからまた二ヶ月を日本の暮らしの中に忙殺されて過ごした。
幸い5月の連休付けにかつての東京の職場から非常勤の話があって、週に3日だけだが
講師として勤めももった。

そのことも少しは気持ちの張りになっていたようだ。
時折電話で怜子と話しつつ、怜子の病状の悪い日もあったようで、心を痛めてはいたが
夏休みになったらまた遊びに行くからと、それを互いの励みにしていたのだった。

夏休みを待って、航空券を予約し、美沙は一人で高知に飛んだ。

今度は空港から美沙一人でバスを乗り継ぎ、最後はタクシーで怜子のグリーンゲイブルスのような緑の屋根の家を訪れた。

怜子は衰弱し始めていた。
だが美沙の訪問を喜び、美沙がデリーのサーバントの話をしながら、食事つくりをして共に食べた。ここは高知で、かつおのたたきは用意されていて、デリー時代にこの「たたき」の話を存分に話していたので、懐かしくデリーの食卓を思い出した。

よく皆で集まって、少ない食材の中で日本食を工夫して創り、共に食して楽しんだことを・・・

食はみなの心を知らず繋いでいた。

美味しいものを共に感動しつつ食べる、デリーの暮らしの大切な一こまだった。

デリーを髣髴とさせる、高知の暑い夏の3日間を怜子の家で美沙は過ごし、これほど後ろ髪を引かれたことはない、とあとで振り返るほどの思いを残して美沙は怜子と別れた。

帰り際に、怜子はデリーの宝石店で作った美しい十字の光を放つスタールビーを美沙に渡した。美沙は驚きながらも静かにそれを受け取り、指にはめた。

飛行場への見送りを断り、美沙はタクシーで怜子のグリーンゲイブルスをあとにした。

タクシーの座席から振り返り、美沙は怜子の小さく手を振る姿を、見えなくなるまでみつめていた。

その姿をいつまでも心に留めていられるように・・・・・・
                                                   

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by akageno-ann | 2008-11-29 15:52 | 小説 | Trackback | Comments(60)

第241話  粋な別れ

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昨日のニュースでムンバイのタージマハルホテルがテロに襲撃されたと聞き、また隣のホテルでは日本の出張者が到着と同時にその襲撃の被害者になられたと
聞いて、あまりに残念で悲痛な思いでいます。

そのときまで、インドはまだまだ安全で・・と言いたかったのです。
環境の違いの大きさはどうしても否めませんが、治安について必要以上の心配はいらない・・などと夫とも話していたばかりです。

しかしこうしてテロが世界中に散らばっているような時代は、インドの大都市は確かに危険にさらされ始めているといわねばなりません。

20年前、ムンバイはまだボンベイとよばれていました。
商業都市でヨーロッパ人も多く海にも面していますから、内陸の首都ニューデリーとは様相を異にしていました。

かつては日本人学校の修学旅行がボンベイでして、11月頃だったものですから
おみやげに「白菜」を買ってきてもらったり・・デリーの暑さほどではないその地に憧れの目を向けました。

日本人の家もマンションのようなビルに住んでいたようです。
なんとなく垢抜けているようでちょっと羨ましかったりしたのです。

赴任して2年めの5月に友人がボンベイへ仕事でいくので、もしできたら
「タージマハルホテルのロビーで待ち合わせないか?」との手紙が来ました。

日時を指定し、こられないときはそれでいいから、一応待っていると・・

とてもロマンティックで・・女同士の待ち合わせですが、ワクワクしていました。
もちろん、すぐに行く気になっていたのです。

しかし残念ながら、学校行事と重なって、女一人のボンベイ行きは没になりました。

そのホテルが昨日のニュースで大写しに・・今インドに駐在中の人々、また日本のその家族の皆さんがどんなにか心配されているでしょう・・と察します。

どうかこれ以上の事件が起こりませんように心より強く祈る者です。
(写真はインド写真館というサイトよりタージマハルホテルのロビー)

第241話

高知での片山夫妻を囲んでの宴は夜遅くまで続いた。
最後は女たちは先にタクシーで宿へ引き上げ、美沙と怜子は簡保の宿のロビーで
寛いで話し込んだ。

「怜子さん、大丈夫ですか?疲れたでしょう・・・」

美沙は加減をしない男たちの歓迎ぶりに怜子がつきあっていることに
彼女の体の具合を心配しないではいられなかった。

「今日は大丈夫!なんだかとってもうれしくてね。
こんなに早くきてくれて、校長夫人のお土産もありがとう
お手製なのね・・あの方も良い方だったし、デリーは本当に懐かしい。」

「私もこうしてお会いできて本当に嬉しいです。
あれだけ毎日会ってはおしゃべりしていた私たちですよ。
もう取り残されてデリーでの日々はしばらく心のバランス崩しましたよ。」

そう美沙も心境を語った。

「しかしそのあとに来た神田悦子さんの伴奏で随分と活躍したそうでないの・・
あちらからの風の便りで聞いてましたよ。」

「それは怜子さんが校長夫人にも私のピアノのこと宣伝してくださったからですよ。
たしかに あのコンビのお陰で生活は愉しくなっていったように思いますが、
学校の教員夫人の中にはいろいろ言う人もいましたから・・大変でした。」

美沙はそう続けた。

「デリーの暮らしは日本のそれの凝縮した形だもの・・でもね、帰ってみると
やはり最初は うらしま太郎でびっくりしたの。
こんなだったかな?近所付き合い・・なんて考えちゃった。食べ物は豊富で
工夫もしないし、毎日が虚ろだったのは、私が病気のせいだけではないのよ。」

怜子の話に美沙はちょっとたじろいだ。

「私も日本の暮らしが始まると、出にくいということはすぐに感じましたよ。
だからいち早くこちらに伺いたかった。」

美沙はあえて姑信子とのことは口にしなかったが、ここ高知が彼女のふるさとでもあることで
出やすかったことは言葉に添えた。
怜子だけのために急いで帰って来たのではない、と病気の進行は心配しつつもそこはさりげなく接していたかったのだ。

夜の11時近くになって、翔一郎は北川とともにタクシーでこの宿に戻ってきた。
あきらかに完全に酔っ払っている。

「まあ貴方、北川先生にご迷惑かけたのね・・」少々なじるように美沙は言ったが

「いやいや彼の飲みっぷりはすっかり土佐人に気に入られてしまったよ。
さあさあポピーが待ってるからタクシーで家に帰ろう・・
みんな疲れただろうから明日朝は10時までゆっくりしてください。
迎えに来て、我家へ案内します。」

そう言って北川夫妻は今乗ってきたタクシーで家に戻っていった。
故郷の知り合いのタクシー運転手は先ほどの美沙達を送ってくれたドライバーと
同じですっかり親戚のようなつきあいらしく、安心して夜の川沿いの道を走って行った。

こうして4人の再会は心愉しく行われていた。

                            次回は最終回です。

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by akageno-ann | 2008-11-28 15:16 | 小説 | Trackback | Comments(15)
11月は人恋しいと友人が言いました。
たしかに急に寒くなって、日暮れも早くて・・・

今日は夕刻、車で5分のところでお弔いがあり、車を置かせていただく喫茶店に入って
先ずコーヒーを飲みました。

夕刻なのにとても人が多くて意外にも主婦が多かったのには驚かされました。
こちらのオーナー夫妻は敬虔なクリスチャンです。
隣が教会というせいもあり、わざわざここへ喫茶店を開かれました。

優しい心からの接待がほんの5年の間に大人気になっています。
オーナー夫人は「赤毛のアン」の大ファンで、今年初版から100周年を記念して
様々な特集本が出たが、それらをここで読ませてもらえます。

店の作りもなんとなくアボンリーにある店のようで、寛ぐのです。

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どんなに年をとっていっても、若い頃からの愛読書は変わらないようです。
手作りのお菓子も「アンからの贈り物」と名づけるなど、オーナーが定年退職して
こういう店を開くまでの思いが伝わってきます。

アンのシリーズは、「炉辺荘のアン」で、彼女が54歳までの生活を綴っている、と今日わかったのです。偶然にも今の私の年でした。

作者のモンゴメリーは67歳まで生きて、プリンスエドワード島に住みました。
幸せな年月であったようです。
人はどんな年齢で一生を終えようと、そこまでの人生が幸せであればいい、
そんなことを思いつつ、今夜の通夜に列席しました。

第240話

「さあさあ、どうぞどうぞ、ここの名物皿鉢料理と地酒の司牡丹を飲んでください」

そう怜子(さとこ)の父親が翔一郎に先ず、酒をついだ。

「いや、こっちの土佐鶴ものんでもらわないかん」

そういって、美沙に酒を奨めるのは怜子の従弟だった。

「さとちゃんはインドに行って、こんなに病身になって戻ってきてから
いったいインドはどんな所ですか?」

そう彼は翔一郎に聞いた。

「いや、なかなか面白いところですよ。」

「そんな、無理して いいなんて言ったらいかん・・て」

彼の問いただしたい思いは、もしかしたら、怜子の体を案ずるあまりだったのかもしれなかったが、美沙はそれをほってはおけなかった。

「簡単にいいと言っているわけではないのです。3年住んでみて、日本へ帰るころにもう少しいたかった・・って本当に思うのです。」

美沙がひどく落ち着いて語るので、先ほどの従弟も話の矛先を美沙に向けてきた。
翔一郎はほっとして美味しそうに酒を飲んでいた。

こうした場所で外国の話をするのは、いささかひけらかしになるのではないか・・と思っていた美沙だったが、この感想を聞いて、病気の怜子はどんなにか辛いことだったのではないか、と想像した。

怜子はデリーで幸せだった。
そのことを一番知っているのは美沙自身ではないか・・と思った。

主婦として、インドのマダムとしての暮らし・・それは日本からでは想像もつかないことなのだ。
おそらく怜子はあまりデリーの暮らしを話していない、と感じていた。

人はそれぞれの暮らしを相手の立場にたって想像するのは難しいのかもしれなかった。
ただひたすら、大きな病を得てしまった彼女に同情してしまい、時に批難になったりする。

どうかどうか、今の怜子のインドでの暮らしを終えての自信や勇気、そして冗談をいうゆとりを感じて欲しかった。

しかしここでいくら美沙がもがいてみても、すぐに氷解する内容ではなかった。


翔一郎はひたすら酒を進められるままに飲んでいた。
北川も一緒に懐かしいデリーの話をしながら次第に盛り上がっていた。

その翔一郎の飲みっぷりこそ、宴に集まった人々の心を打ち解けさせているようだった。

                                        つづく
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by akageno-ann | 2008-11-27 07:02 | 小説 | Trackback | Comments(13)
c0155326_22361560.jpg我家にも犬がいますが、この犬の存在には本当に癒されます。
私のデリー時代にも何家族か日本から飼い犬を連れて来ていました。
家族と同じですね。
外国航路は日本の場合、ケージに入れられる大きさの
小型犬に限り、一機に一匹客室に乗せてくれるようでした。
そうやって連れてこられたワンちゃんもいました。

犬は短い一生ですが、人間の一生を凝縮したような生き方で
人に沿って暮らすことが多いです。

犬と飼い主の相性が合うと、本当に互いに幸せになれる・・
そう思うことがあります。


我家の犬の近景です・・ベッドを買ってやったら大気に入りです。
小夏庵ものぞいてくださいね。

第239話

いの町の簡保の宿は建て直されてホテル形式の9階建ての立派な建物だった。

その9階の洋室を美沙たちのためにとっておいてくれた怜子の気持ちを
美沙は、宿の部屋から眺められる夕日を見ながら十分に感じ取っていた。

「待っていてくれた。こんなにも。私たちを・・・」

溢れそうになる泪をぬぐおうともせず、目を閉じて美沙はそのまま声を出さずに涙をボロボロとこぼしていた。
北川夫妻は美沙達をその宿に残して、一端犬のポピーを怜子の実家に預けるべく戻り、
翔一郎はその宿の1階にある大浴場に行っていた。

この旅はもしかしたら怜子との最後の触れ合いになってしまうのかもしれない・・・と
美沙はなんの根拠もなく考えていた。

怜子がふともらした余命という言葉を無視しながらも心には深く留めていたのだ。

人間には寿命がある、それは人それぞれに違うし、運命もある。

いつかデリーで美沙と散歩をしながら怜子はそう語った。

デリーで手術後も、残る赴任の期間を夫と過ごすことにした怜子は、周りの人々の
心配のあまりの様々な横槍を自ら押しのけて運命に従うように生きた日々。

その生活の一部始終を知っているのは美沙だけなのかもしれないと、気づいた。

その夜、怜子の実家で賑やかな宴会になった。
郷土料理の皿鉢が何枚も長いテーブルに並べられて、北川夫妻の親戚や友人たちが
10人ほど集まった。

その中にはあのデリーに遊びにきていた怜子の親友夫妻もいた。

男たちは賑やかに酒を酌み交わし、インドから帰ったばかりの片山夫妻を歓待いながら
デリーの暮らしがどんなものなのかを聞きたがった。

翔一郎はつい大変だったことを話すが、仕事でなかった主婦としてのインドの暮らしは
それなりにたくさんの面白さを味わった美沙が元気に語った。

それが今は怜子の一番の応援歌になると感じていた。
                                          つづく
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More あらすじはこちらから
by akageno-ann | 2008-11-24 22:51 | 小説 | Trackback | Comments(10)

第238話 

映画 「私は貝になりたい」がリメイクされて明日11月22日から
放映されます。
この小説を書いている間、とても不思議なことに出会うのですが、
今回もとても驚いたことがあります。

ちょうど美沙と怜子(さとこ)が高知で再会できたのは3月下旬ですが、高知のこの頃には
桜が見ごろになりかけます。

その中で私が大好きな桜はひょうたん桜という品種です。
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蕾が瓢箪にそっくりで可愛いでしょう・・?

私がふるさとにこの時期に帰ると親戚の人たちがこの蕾を見せてくれます。
写真を撮っておかなかったので、仁淀川町の役場の写真を探していたのです。
そうしていたら、この「私は貝になりたい」のロケをこの町で行ったそうなんです。
仁淀川町役場

どんなにか賑わったことでしょう。たくさんのエキストラの中にはお年よりもいらして
土佐のお年よりは明るく愉しい人が多いですよ。
お酒も結構飲まれる方多いです。

フランキー堺さんの演じたあの重苦しい印象の映画が今ここでリメイクされて、どんな風に現代の私たちの心に落ちてくるのか・・ちょっと疑問を感じたりしたのですが、
そんな生意気なことを言わずに、ミーハーになって、ふるさとの景色を満喫しに映画を見に行きます。

インドと高知を舞台に小説を書いています。
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第238話

怜子は自分が余命を宣告されていることを こともなげに美沙達に話した。
深刻な雰囲気は嫌いだった。

怜子が思ったとおり美沙達は深く追求してこなかった。
それはもしかして、まだインド呆けがあるせいかもしれなかったが、
それよりもあのインドでこの4人は怜子の病気に対して、常に大げさにとりたてることもなく
自然体で愉しく過ごそうとしていたことを、このとき4人がそれぞれに考えていた。

その時、怜子が抱いていたポメラニアンのポピーがけたたましく吠えた。

「あははは・・ポピーに関係ない話してるのがいやなのね。」

怜子はおどけてそう言った。
美沙もその言葉をうけて

「ずいぶん可愛いがっているのね。買ったの?」

「いいえ、この子貰い手が決まらなくて最後まで残っちゃった子でね、
私飼ったことないから、考えたんだけど、なんだか不憫でね。
飼っちゃったの。でもこの子のお陰で我家は会話が愉しいのよ。」

話しているうちに怜子の土佐弁は薄らいでしまっていた。
そこはまさにデリーのあの北川家の応接間のようで、4人のデリーの暮らしが
蘇ってきていた。

車は高知空港から川沿いを走って、小さな町に入った。
そこは伊野町というかつて手すき和紙工芸で賑わった町だった。

今は機械による紙の生産に押されて、手漉きを続ける人々はほんの少しになってしまっていた。
だがその歴史は「紙の博物館」という公営の館にすっかりと再現されていた。

「あんまり引っ張りまわすと疲れるから、ここだけを見てもらって、すぐに簡保の宿に案内するからね。そこで温泉に入ってゆっくりしてね。」

「怜子さんこそ、お疲れではないですか?」

美沙は心配していた。

北川がそれに応えて、

「大丈夫、片山夫妻の帰る日をどれほど待っていたか・・・
この人は多分インドから帰ってからずっとこの日を待っていたのかもしれない。
だから、今日は今までの何倍も元気です。」

北川の声が明るく響いたから、美沙は涙をこぼさずにすんだのだ。

博物館は国道沿いにあり、そこから間もなく仁淀川を渡り、左手に思いの他高く聳える
大きな建物に向かって車は走っていた。
川を渡る時のあまりにキラキラとして輝く川面の美しさに美沙は声を呑んだ。
そしてそのすぐあとに

「仁淀川ですか?なんて綺麗な川なんでしょう。
こうして皆さんで自慢できる川があるって幸せですねえ。」

と、心を込めて言った。

「この人、相変わらずいい表現するねえ。」

と、怜子がまた、おどけて言って、そして皆で笑った。

小夏庵
こちらも是非お立ち寄りください。

More あらすじはこちらから
by akageno-ann | 2008-11-21 22:54 | 小説 | Trackback | Comments(15)

第237話 高知にて

いのの神 この川隈によりたまいし
         日をかたらへば 人のひさしさ

民俗学者折口信夫氏が高知県の仁淀川沿いの和紙の町に訪れたときに
歌った和歌である。

仁淀川は四万十川のようにダムのない川というわけではないが、光にあふれ水の豊かな
風光明媚な場所である。

小さいときからこの歌を知っていたが、意味はしっかりと考えたことはない。

ただただ神様の立ち寄られるこの川原で、祭に集う人々の幸せな様子が目に浮かび

今は亡き祖父母や親しき人々の優しい顔が偲ばれるのだ。

高知は情熱的な太陽の光もあるが、山川草木に太平洋の雄大さを加えた力強いエネルギーを発してくれる私の大切なふるさとでもある。
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仁淀川沿いの神社の秋祭りのおなばれという古代からのしきたりにのっとり川原へ奉納の舞を行う人々と外国人の観光客たち

小説の美沙のインドの心の友、北川怜子(さとこ)はここに生まれここに死すのです。

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第237話

高知空港は美沙はこれで三度降りたった。二度目が昨年の冬、北川怜子をインドから見送りがてら、ここまで来た。

ふと思い出した怜子の父のぶっきらぼうでありながら、病気の娘をここまで送ってきた美沙の存在への感謝の心は痛いほどにわかり、もしかして逆縁の不幸にもなり兼ねぬという思いが彼の心底に芽生えていることを美沙は今、思ったのだ。

3月の高知は昼間はもうすでに関東よりもずっと温かく、離れたばかりのデリーのホーリーという色粉をかけて季節の移ろいを祝う祭が、きっと今頃行われているであろう、という思いに その生暖かさがさせていた。

空港には北川夫妻が来ていた。怜子はかわいい洋犬を抱いていた。

美沙はどんな顔をしていいのか一瞬戸惑った。
1年とはいえ、日本とインドの距離感が心の距離も遠いものにしているような気がして
ならなかったのだ。

だが、それは単なる杞憂であったことはすぐにわかった。

「おかえりなさい。ようきてきれたわね。」

そういう怜子を笑って,北川が
「片山さん、おかえりなさい。我々はすっかり土佐弁で暮らしてますよ。」    
と、続けた。

「ただ今帰りました。お元気そうじゃないですか。」

そう美沙は言葉を発した。翔一郎も北川と握手を交わし、すぐに怜子の犬をかまった。

「はい、うちのポピーです。はじめまして。」

ポメラニアンの茶色いふさふさとした毛皮のその子は一生懸命尻尾をふっていた。

「大歓迎ね、ポピーちゃん、ありがとう。よろしくね。」

犬の存在が四人をより和やかにしたが、そこにはもう1年間の時の壁はなかった。   

北川が車を出口に横付けして、美沙達を後部座席に座らせて、怜子はその犬を抱いたまま
助手席にのったが、その足取りもしっかりしていた。

「元気そうに見えるでしょう?私もこれで余命を宣告された患者とは思えないのよ。」

そう冗談のように話す怜子だった。
                                         つづく
by akageno-ann | 2008-11-20 13:51 | 小説 | Trackback | Comments(10)
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インドから帰国したときのことを今さら思い出そうとしています。
ちょうど近隣に地方デパートが出店したばかりで、さっそく食料品を
買いに行ったときのことです。

食品の種類と量の多さはもちろんですが、肉や魚がきれいにカットされ、小分けされて透明なプラスティックケースに入れられてラップをしっかりかけられ、グラム数と産地の名前が記されているのを見て、

『さすが・・日本!』 と、感嘆の声をあげました。

3日と空けずに通いおかしな話ですが、シンガポールを懐かしみつつ
日本の今を味わっていました。

そのうちに、夜遅く行くと、いっぱいの食料がそこに残されていて
この生ものたちはいったいどうするのだろうか?と心配しました。

もったいないし、これを無駄にするようなことがあったらあまりにも罪なことだとさえ思いました。

インドの暮らしは余るなどということはほぼありませんでした。

日本の貴重な食材は多少の期限切れ、いえかなりの期限切れもしっかり目と鼻を使って
見極めて使っていました。

だから今日本が賞味期限のいい加減さを摘発して犯罪者扱いするニュースに
少し疑問を感じます。

賞味期限・・本当の賞味期限はもう少し大丈夫なものも多いのではないか・・と
私は思ってしまうのです。

そして私の場合は、日本では買いだめするより使う分だけ買うという習慣に変えていこう、と思ったのでした。

インドの暮らしを思うと、あまりに贅沢な日本の食材の状況
食べ物の恨みはこわい、といいますが、本当にしっぺ返しが来ないように、と
気を引き締めたくなります。

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土産用のカシミール地方の絨毯を

第236話

日本の留守宅に一人で過ごしていた翔一郎の母信子は、きわめて冷静に二人を迎えた。

「ご近所への挨拶のためのお土産は用意してあるのかしら?」

と、まず嫁の美沙に尋ねた。美沙は信子がほんの三ヶ月前にシンガポールで心を打ち解けた者同士ではないような態度であることに、逆に安堵していた。

あのとき、寂しそうな母を感じ、帰国したら大切にしなければ、と思っていたが、現実はそのような甘いものではないことをすぐに察知していた。

「はい・・ささやかなものですが、シンガポールでチョコレートを買ってきましたから。」
と、美沙はすかさず応えたがその語尾にはほんの少し『受けてたつ』というような気合があった。

「そう、インドのものは何かないの」

信子も引き下がらず畳み込んだ。

「ありますよ。インドのものはおいおいゆっくりお渡しします。」

そうきっぱり応えられて、信子は美沙の力強さを感じずにはいられなかった。

「そう、ありがとう。よろしくお願いしますね。私は随分ご近所の皆さんに援けていただいたので、翔一郎と美沙さんで挨拶してほしいのよ。」

美沙は、もちろん言われなくてもそのつもりであったが、ここはまだまだ母の家だと感じさせられた。

翔一郎が言葉を差し挟んだ。

「母さん、明日ぼくは学校に挨拶に行く、そのあとはちょっと休みをもらって
高知へ行こうと思うんだ。母さんはどうする?」

そんな優しいニュアンスだったので信子はつい、

「あら、高知へ行ってくれるのね。貴方一人?」

と聞き返した。

「いいえ、私も一緒に行かせていただきます。あちらでお世話になった北川先生の奥様を
お見舞いします。」

美沙はきちんと話した。
そのきりっとした言い方は信子に有無を言わせなかった。

「高知の親戚へのインドからのお土産はあとから別送します。
木彫りの像などしっかりしたものを持ち帰りましたが、やはりそういうものを
お届けしていいかどうかを伺ってからにします。
船便はすでに横浜港に到着しているようですが、
その手続きをしなくてはなりません。」

ここを立ち、インドへ向けて出発した3年前の美沙は、どこか自信無げなところが
あったが、この堂々と、てきぱきとした態度を惜しげもなく出してくるようになったことは
この3年間の海外生活のせいであった。

信子はしばらく、この二人を静観することにした。
そうせざるを得なかった。

翌日美沙は、朝寝坊するでもなく、翔一郎を在籍小学校へ送り出し、片付けをし、洗濯をし、掃除をしてあまりゆっくり座ることをしなかった。

それはまるで信子を避けるようであった。
by akageno-ann | 2008-11-18 22:39 | 小説 | Trackback | Comments(12)
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夕べ夜半の日本テレビ・・夫が偶然チャンネルを合わせたのですが・・

http://www.ntv.co.jp/dangan/contents/broad/new/main.html

よろしかったら・・覗いててみてください。
お笑いタレントの柳原可奈子さんが、弾丸トラベラーになって
なんと1泊4日でインドへ、メインはウダイプルのあのレイクパレスホテル

そう、インドはこうして帰ってきてしまうと、また行きたい場所がいっぱい
あります。
マハラジャの旅ということで、最高の場所でインド式エステや美味しい
タンドリーチキンにダル(豆)カレー チャパティ プーリィと懐かしいインド食を
食べている様子・・傅くバトラーたちはまた優しくて・・
う~~ん・・いいなあ!と うっとり。

しかし、あのホテルの周りの湖の水はきれいなのかなあ・・ともふと考えたり
インドは愛憎相半ばするとはよく言ったものです。

あそこが本当に衛生的に完全な場所であったら、世界一のリゾートになれると
私は思ったことがあります。

ベアラーやベルボーイ、などホテルの従業員の親切さ、インド料理の美味しさ
優雅なホテルの雰囲気は花丸ですが、どうしても周囲の環境の中に汚さは
否めない・・・

許される範囲をちょっと逸脱してしまうことがあり、またそこまでたどり着くまでに
様々な押し売り的なインドの町の人々との関わりもしんどいのです。

だから昨日の番組のように、あっという間にいいとこ取りで、駆け抜ける旅は最高ですね。
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さて物語はいよいよ日本に戻ってまいりました。
Moreに、ここまでのお話を今日は少し書かせていただきます。

第235話

美沙と翔一郎は成田に戻ってきた。
フライトは順調で、機内食も和食を選び、ゆったりともしかしたら
これでしばらくは海外へは出られないのではないかという感傷も手伝って
機内の二人はすっかり寛ぎ、過ごしていた。

あの最初にデリーに向かう時の機内での緊張感や、機内食の和食がもうしばらくは食べられないのではないか、という悲壮感まで持ったことを思い出した。

あれから3年が過ぎて、今こうして日本へもどる二人のカップルは、確実に心の変遷がある。

その変遷は、簡単に語れるものでもなく、それぞれの思いの中にインド デリーの暮らしが位置づけられているのだ。

が、それでいて共に苦労したこと、旅の想い出はたくさんある。

まだ若い夫婦はこうした思い出を互いの共通財産として暖めることができるのだろうか。

ただ成田について二人の向かう先は決まっていた。

それまで住んでいた、翔一郎の母、信子が一人で留守を守っていた、家だ。

そして翌日に翔一郎は日本の在籍校に挨拶に行く。

美沙もまたどこか家の近くででも非常勤講師ができないか?

と、実は考えている。

運転免許も取らなければならない。翔一郎は国際免許の書き換えですむが
美沙はこの3年間で失効しているので、講習をうけなくてはなたないのだ。

そうだ、住民票の申請もあった。

こうして考えていると次から次から様々な煩瑣なことが頭を過ぎる。

だが、二人がまず共に考えたのは北川怜子を高知に見舞うことだった。

怜子のことは、その夫の北川からの報告では 残念ながら癌は再発転移をしているとのことであった。

実は余命も年内を過ごせるかどうか・・・と、まで宣告されている。
もちろんその余命については怜子本人は告知されていなかった。

美沙は、とにかく怜子に帰朝報告を笑顔でしたかった。

日本帰国後最初の1週間はそんな風に過ごすことに暗黙のうちに決まっていた。

成田についた飛行機から二人は静かに降りて、淡々とことを運んだ。

ここには手伝わせるインド人もいなければ、荷物を運んでやろうと仕事を取り合うインド人もいない、整然と行われる荷物の引き取りが済んで、税関は無事通過し、翔一郎は三年ぶりの
日本へ入国した。

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by akageno-ann | 2008-11-16 14:50 | 小説 | Trackback | Comments(8)
今日は一日、小さな一つの命を見守りました。
夫が手負いの鶯を保護してきました。
足を痛めて、学校の花壇の中で子供が見つけました。
結局夫はそれを連れ帰りました。昨夜のことでした。

昔親うさぎに見放された赤ちゃんうさぎをやはり夜通し面倒みたことが
ありました。そのとき、だめでした。

それから20年後の今回も期待は薄いものでしたが、水をスポイトで飲むし
目がしっかりしているので暖めてあたためて一夜を夫と過ごしました。

朝、その鳥は生きていました。一縷の望みが繋がって、夫は当たり前のように
私にその子を託しました。

『ネットでどんなものをやったらいいか・・調べてネ。』

まるでネットの前に座っている私を見透かしたように・・笑

でも私は義父の朝食を用意しながら・・はちみつを思いつき、少しだけ
小さな木のへらで近づけると小さなくちばしで美味しそうについばむので
可愛くなりました。
ほんの少しですが三度ほど・・そしてなんとなく元気な可愛い目を大きくした
感じで・・ほんのちょっと期待が膨らみました。

でも最後の可愛さだったようです。
午後2時半頃、静かに横たわってしまい、そのまま冷たくなりました。

もう一度飛び立つ夢を見ながら逝ったように思えてなりません。

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サーバントたちが見送ってくれました。

第234話

丁度1年ほど前に美沙は北川怜子(さとこ)の日本帰国に伴って、同じようにデリーを飛び立ったことを思い出していた。

怜子は窓際に座り、窓にぴったりと顔をつけて眼下を見下ろし、そのあと椅子の背に深く頭を沈めるようにして目を閉じた。その目から静かに涙を落としていたことを・・・

帰国の便はJ-クラスにしてもらえるので、シンガポールエアラインSQのアッパーデッキという2階部分に席をとってもらえていた。
SQのフライトアテンダントFAは同性の美沙にしてもその優しい女性らしい接待が嬉しいことであった。

飛行機の乗客になること一つとっても、慣れるということが、その場におく身を自然体にするようで、そうなると不思議に相手も自然に接してくれる。

5時間ほどのシンガポールまでのフライトはこれまでの中で一番心地よいものになっていた。

それは帰国の途にあるものなのかどうかは、まだ美沙にはわからなかった。

予定通りチャンギエアポートに降り立ち、たった24時間のトランジットを過ごす。

いつものホテルに宿泊し、いつものようにたくさんの湯を浴槽に満たして、それは日本で温泉を楽しむようにその中に体を沈めて長い時間を過ごす。

『インドの垢を落としていく。』 ふとそんな思いが頭を掠めた。

しかしインドの垢を決して汚れたものだとは思ってはいない。
懐かしく愛おしく切ない、またあるいは、美沙自身を勇気付けた大きなエネルギー
その全てを携えて日本に帰る。

だが、日本はまた別の意味で新しい何かが待っているであろうし、安穏と帰国するつもりもなかった。

シンガポールからの次のフライトは日本へ向けての最終飛行になる。

何も買い出しすることのない、デリーからの最後でシンガポールの旅は、まるで普通の旅行者のようにほんの少し緊張感も湧いて、美沙と翔一郎は言葉少なだった。

行きつけのすし屋とも別れを告げに尋ね、もう一つは大好きな海鮮料理の店を訪ねて
それでこの最後の旅は終わった。

日本の飛行機に乗り込むと、

『お帰りなさいませ』とFAに声をかけてもらった。

美沙以上に三年ぶりに日本に帰る翔一郎には帰国するという実感がこのときに感じられたようであった。

あと7時間で日本の成田空港に到着する。

そこには別段迎えはないはずである。

                                              つづく


小夏庵
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by akageno-ann | 2008-11-13 23:21 | 小説 | Trackback | Comments(18)
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この小説もお陰さまで間もなく一年を迎えます。
昨年友人がブログを始めてそちらにコメントしているうちに
愉しそうだと感じて、さて自分は何を書こうか?
と思っていたときに、久しぶりに「赤毛のアン」シリーズの 
「炉辺荘のアン」を文庫で読み返しました。

中学校時代、試験が終わるたびにこのアンシリーズを
図書室で借りて読みました。
谷崎潤一郎の細雪も好きでしたが・・
私はアンのように生きて行きたいと思っていました。

半世紀を生きて、随分現実は異なりますが、それでも
気持ちはこのアンシャーリー・・ギルバートと結婚して
アン ブライスになった彼女をいつも心の隅において
生きてきたと思います。

今またNHK教育で火曜日夜半に英語学習でアンの住む
プリンスエドワード島を映像で楽しめますよ。

さて、小説もいよいよ日本への帰国ですが、デリー日本の直行便はかつて
週に二便だけでした。あとはバンコクやシンガポールで乗り換えての帰国です。
美沙達はここも思いで深いシンガポールトランジットで帰国の途につきました。

今日の小説は・・

第233話

大使公邸でのコンサートを終えて、参会者が軽いティパーティで美沙を送ってくれた。

悦子は美沙をその日チャーターしたタクシーに載せて、自宅に戻り夕刻まで休ませた。
夫たちは最後に日本人学校で使用人たちの引継ぎを行っていた。

翔一郎はスクールバスのドライバーをまとめる役をしていたが、就任以来かなり厳しいサーブ(ボス)として日本人学校の仲間からは捉えられていた。

しかしインド人側からはそれは少しも厳しすぎるというものではなく、むしろサーブらしくけじめがあって働きやすいと感じられるようになっていた。

子の仕事を引き継ぐ神田は先輩同僚として、片山翔一郎の存在を頼もしく見ていたのだった。

午後8時に神田夫妻の家を出発する予定で、夕刻から神田家では翔一郎と美沙の親しい友人たちを招いて歓送会の準備をしていた。

神田悦子はこの美沙との別れはおそらく彼女の姿がデリーになくなってから、きっとひしひしと寂しさに襲われるだろうとわかっていた。

その夕刻の和やかな集いは明るく賑やかで愉しいものになった。

人生にはいくつもの出会いと別れがあり、それを越えてみな人生を織り成しているのだと
美沙はふと「赤毛のアン」シリーズの「アンの夢の家」の新婚時代のアンが子供をもって大きな家に引っ越す時の皆との別れの場面を思い出していた。

その物語を思い出すほど、デリーの暮らしはちょっと御伽噺になるような話題で満載だったのだ。

人々の別れの辞がまた心に響いた。
一組だけインド人夫妻が呼ばれていたが、ハグをされてまた必ずデリーに帰るように言われたことが美沙には一番嬉しいことだった。

現地の人との交流・・これは本当にこのように親しくなれるインド人がいたかと思うほどの感動があった。

間もなく出発の時は訪れて、握手しながら美沙達は迎えのスクールバスに乗れるだけのって
空港に向かった。

その日はシンガポールエアラインでまずシンガポールに向かい、そこで1泊してから日本への飛行機に乗り込むことになっていた。

夜の空港に到着すると、昨日もここで別れを告げたはずの翔一郎の教え子たちが、再び見送りにきてくれていた。

「いや・・連日もうしわけありません。」

翔一郎たちが恐縮すると、一人の父兄が言った。

「片山先生、そんなの気にしないでください。見送りは大イベントですよ。
そして100人目が自分たちになるのですから、しっかり見送らせてもらいます。」

と笑いながら言ってくれるのであった。

飛行機は時間通りインディラガンジー空港をとびたった。


                                                 つづく

小夏庵
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by akageno-ann | 2008-11-11 08:39 | 小説 | Trackback | Comments(17)