アンのように生きる・・・(老育)

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かけがえのない日本の片隅からの発信をライフワークとして、今は老いていくにも楽しい時間を作り出すことを考えています。

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母のように・・・

第1章  その2

父の病気を脳梗塞と説明すると 友達はほとんどその状況がわからないらしい。

私だって父の病状を目の当たりにしなければもちろん知らない病気だった。

でも母によればおじいちゃんも似たような病気で60歳前半で亡くなったと聞いている。

お祖父ちゃんの病状をおばあちゃんは脳卒中だという。

脳卒中が脳内出血と脳梗塞に分かれるのだと、医師から説明を受けた。

おばあちゃんが泣きながら

『あの子は明るくて元気で理想的に生きてきたのです。』と

医師に訴えていたことを夢の中のことのような感覚で覚えていた。

父は私からみると呑気な大らかさはあるけれど、結構暗い面も持っていたと思った。

理想的に生きるってどういう感じなんだろう?

おばあちゃんは、父の病気を人に知らせるのをすごく嫌がっていた。

病気はそんなに恥ずかしいことなんだろうか?

私は仕事に没頭していた頃の父より今私との時間がいっぱいある父のことも
大好きだ。

私の話をとてもよく聞いてくれるし、私が傍に入ることを喜んでいる。

父は本当はとっても寂しがりやだったんだ、と思う。

小さい頃から一人っ子でおばあちゃんもずっと働いていて、自分のことは自分でなんでもやれるようになっていたみたいだけど、本当は家族と一緒の時間がほしかったんじゃないか?って気がする。

家族の誰かが病気になってみて、初めてわかることが意外に多いことも私は感じている。

そして私は父の病気は少しも恥ずかしくもないし、そんなに残念でもない。

2年の月日がそう思わせるのかもしれないし、父が少しずつ元気になっているからだと思う。

母はおばあちゃんに父のことでいろいろ言われると、頭が痛くなるらしいけれど、最近は軽く受け流すことができるようになったみたいだ。

母が働くこともおばあちゃんは最初良い顔をしなかったけれど、学校の非常勤講師だと聞いて折れた。

おばあちゃんは学校に勤めていたから、その方面の仕事と聞くと弱いらしい。

母もそのことはよく心得ている。

朝の早い私を駅まで車で送ってくれたあと、週3日は母は国語を教えに近くの中学校に行く。
その間は父は祖母と二人で過ごす。

祖母は最初は泣いてばかりいたらしいけれど、母と私がいたって元気で明るいので最近はやっと泣かなくなった。

「おばあちゃんに泣くな、って言っちゃだめよ・・哀しい気持ちは私たちの想像以上なんだから・・」と母はいう。

この女三人と父との暮らしは少しだけ軌道に乗り始めたように思う。

つづく

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by akageno-ann | 2008-12-30 16:19 | 小説 | Trackback | Comments(7)
第一章 その1

私の母は54歳!ちょっと更年期という病を発しているらしい。
でも私が見る限り結構元気でマイペースだ。

私は母の年齢ではちょっとまだ幼いかもしれない15歳。
母39歳の時に生まれた、待望の一人娘だ。

だからといって、私は甘やかされてはいないと思っている。

みんな一人娘は大事に大事に育てられ、何不自由なくと思うかもしれないが
これで結構苦労している。

実は父が病気療養中なのだ。

ちょっと重い病で、脳梗塞から半身不随になり、車椅子の生活をしている。

病気発症のときは私はまだ12歳、念願の私立中学校に入学してすぐのことだった。

我が家が幸せに包まれていたときに、突然父は倒れた。

お酒の飲みすぎが祟ったと、皆に言われていたけど、母は高血圧に気づいてあげられなかったからだと、自分を責めていた。

でも、私は、これも運命だと思っている。

我が家がなんとか元気にやっているのは家に私のおばあちゃんの存在があるからだ。

おばあちゃんは父のお母さんだから、やっぱり母とはあまりしっくりいっているわけではない。

だから私はこの二人の間にたって、結構その潤滑油の役目を果たしているのだ。

多分おばあちゃんも、母もそれはわかっている。

だからなんとか二人は喧嘩をせずに生活していると思える。

父は病気になってから、この二人が険悪になるのをすごく心配している。

父は呑気で優しい人だったのだけど、病気以来すごく心配性になった。

それだけが私のちょっと哀しいところだ。

父は、病気から半年間はリハビリ病院にいたけれど、今は自宅をバリアフリーに改築して私たちと一緒に日常生活を送っている。

そして今は好きな絵を描いて、ほんの少しだけれどその絵をパソコンのホームページで配信するようになってから仕事が入るようになった。

私も父に似て、イラストを描くのが得意だ。

だから父と二人でホームページを更新している。

収入はまだ父の職場からの給料も少しだけ入っているし、母はパートで非常勤の学校勤めをしている。毎日ではない。まだ父の介助がかなり必要だから本格的に仕事はできない。

おばあちゃんはアパートを持っていて、その家賃が入るので、我が家はなんとか安泰らしい。

私もそのまま私立中に行かせてもらったが、高校は公立を受験するつもりだ。

そしてアルバイトもしようと思っている。

おばあちゃんは『そんなこと考えなくていい、』と言ってくれるけど、
母は『できることはやってね、』という。

その辺がまたもめそうだが、私は自分のやれることはやりたいと思っている。

そう両親に育てられてるらしい。

さぼったり、努力しないのはすごく人生を無駄にしてると思う。

でも、我が家はこれからどうなっていくのか・・・

実際のところ、だれにもわかるはずもない・・・・・
つづく


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by akageno-ann | 2008-12-29 00:41 | 小説 | Comments(19)
ブログ小説第二弾始めます。

はじめに・・
私は小学校四年生のときに、どちらかというとクラスであまり仲のよくなかった
友人に紹介されたのです・・「赤毛のアン」

彼女は「風と共に去りぬ」のスカーレットオハラそっくりな人でした。
美貌も性格も・・大変男子にもててました。
だから女子に対する当たりはひどく強くて、その頃気弱い面の強かった
私は気押されるという感じで彼女とつきあっていました。

いじめの対象になりかけたこともあります。
しかし、不思議にもその彼女が私もきっと気に入ると思う・・とグリーンゲーブルスのマリラとマシュウ そして主人公アンとギルバートについてあらすじを話してくれた日のことを50年近くたってもよく思い出します。

アンシリーズは54歳までのアンが描かれているということです。
今回はその54歳のアンの周辺を考えながら、アンのように年を重ねる女性たちを描いて見たいと思います。

どうぞお暇な時に覗いて下さい。

ほぼ短い完結で綴らせていただくつもりです・・

またお付き合いいただけたら嬉しいです。

主人公は多分ここへいらしてくださる方たちよりちょっと年配で・・
人生は後半に突入・・過去の華やかだった頃を少し遠い目でみつめる
主婦です。

主婦でありながら好きだった音楽への夢は忘れられず細々とピアノを続けています。
友人たちには様々な職種について活躍している者も多く、間もなく入っていく老後の世界に
不安を持ちながらも一筋の光を探すのです・・

アンはたくさんの子供たちに恵まれてあれほど夢見ていた詩人としての活動を心に秘めて
主婦として立派に過ごしました。

アンの作者モンゴメリは30代後半で作家として世に出て女の子の生活を様々な形で書き綴りました。少女から女性に成長する過程は多くの場合、その周辺の環境で随分と影響を受けます。

この時代を生きていく少女、女性たちを限りなく声援したい思いを綴ります。
もちろんいくつかの恋愛も・・・

では・・また・・こちらに是非およりください!

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by akageno-ann | 2008-12-27 08:33 | 小説 | Trackback | Comments(16)
次のレポートは前記事のK先生(私にとってもマシュウカスバートさん)87歳の「アンに関するレポート」です。写真は作者モンゴメリー by ウイキぺディアc0155326_23374985.jpg
1、この小説は作者はカナダ人のL.M.Montgomery(1874~1942)

2、この小説はアンの人間的な成長にそって描かれている数冊に及ぶ連作になっており、第1巻は連作を代表する次の署名のものである。
「赤毛のアン」 原名 Anne of Green Gables

3、第1巻から第5巻までは、村岡花子氏の和訳があり、新潮文庫に納められていて、それぞれに、次のような書名と案内文が添えられている。

赤毛のアン・・大きな駅にソバカスだらけの顔、おしゃべりが大好きな赤毛のアンが、夢のように美しいグリーン・ゲイブルスで過ごした少女時代の物語

アンの青春・・小学校の新任教師として忙しい16歳の秋から物語が始まり、少女からおとなの女性へと成長していくアンの多感な日々が展開される。

アンの愛情・・楽しい学窓の日々も、激しく苦しく心が揺れる夜もあったーーーーーーーーー
あこがれの大学で学ぶアンが真実の愛情に目覚めていく過程を映し出す。

アンの友達・・15年も恋人のもとに通いながら、求婚の言葉を口に出来ないルドヴィックなど、アンをめぐる素朴な人々が主人公の心温まる作品。

アンの幸福・・サマーサイド中学校長として赴任したアンを迎える人々の敵意ーーーー生来のユーモアと忍耐で苦境を乗り越えていく個性豊かなアンの姿を描く。

以上は村岡花子氏翻訳になるモンゴメリ原作であるが、そのほかに次の2著が新潮文庫の中に収められている。

ジュニア版 赤毛のアン ・・夢のように美しいカナダの村に、突然現れた赤毛のアンが引き起こす数々の物語。アンの世界への入門書。(中村妙子訳)

赤毛のアンの世界 ・・世界中の女の子たちの腹心の友「赤毛のアン」を生んだモンゴメリの私生活と、美しい島の風景、記念の品々の写真がいっぱい。(M・ギレン著 中村妙子訳)

以上のようあ心暖まる名作を生んだカナダの風土が、あなたの随筆「こだわりの街にて」の後半で、美しく押さえた形で描かれている。新年早々このような同人誌をいただけてありがとうございました。敬具


以上ほぼK先生のお手紙を載せました。

もちろん私は採点をするどころか・・私のよく読んでいなかった本のあることも知ってびっくりし、さっそくお返事を書こうとしていたのです。

しかしそのときにはK先生は既にこの世の方ではありませんでした。
この手紙を書かれ、奥様に見せられてから意気揚々とこ自身で投函されたそうです。

私に届きまたその感想を聞くことを楽しみにされながら・・

お元気ですごされたこの世の最期の夜に、先生のお気持ちが遠く未知のカナダのプリンスエドワード島に飛んでいたとしたら・・それはとてもメルフェンティックでお幸せだったのではないか・・私は後日そう思い、奥様とお話したのでした。

                                                    

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by akageno-ann | 2008-12-22 00:04 | Trackback | Comments(10)
アンの養父マシュウは大変内向的な性格で生涯独身で妹のマリラと農場を営みながら暮らしを坦々と続けていた。そして不運なことに最期は心筋梗塞というあっけない週末であったが、優しい最愛の養女アンに看取られて生涯を閉じたのです。

私が愛読していたこの「赤毛のアン」の物語を40才を過ぎてから、改めて自分の心の中に深く位置づけるようになったあるきっかけがあります。

私は若い頃石州流の茶道を習っていましたが、その師匠は素晴らしい女性でした。
1昨年92歳の天寿を全うされたのですが、そのご主人にあたられるK先生のことを
お話します。

とても高名な数学者でいらっしゃいましたが、私にとっては茶道の師のご主人ですので、
あえてお名前はイニシャルにさせていただきます。

10年ほどお茶の手ほどきを受けた後、私は年に何度か遊びに伺わせていただくという
気楽なお付き合いを後年させていただいてました。

お話も大好きな素敵な師でしたが、その頃書斎でお仕事されていらっしゃるK先生が
お茶の時間に同席されるようになりました。

難しいお話ではなく、よく学会などのついでにあちらこちら周られる国内外の旅のお話が多かったです。

私のインドの話、旅の話をお聞きくださり、大変興味を持ってくださっていました。

そんなわけで、私も図々しく当時エッセーを書いていた同人誌を差し上げたりしたのです。

そんな平成8年の1月9日に次のような感想文を見事なタイプと直筆のサインとで頂戴しました。(以下抜粋)

「・・・『こだわりの街にて』のケヴェックシティを中心としたカナダ紀行は私にとって圧巻の随筆でした。シティ到着前夜トロントのホテルからご覧になったナイヤガラ瀑布の天地を揺るがす壮大な景観に、高揚した気持ちで寝付かれなかったとのお話については、私も1968年7月の紐育州ロングアイランド半島所在の州立大学で開催される日米会議に出席するため、初めての海外旅行というので、warming up のため1週間ほど早く出発して、ハワイ、ロスアンジェルス、ボストン、ニューヨークへと乗り継いで行く途中、ロスからバッファローへ飛んで、そこからバスでナイヤガラ瀑布見物に出かけました。
しかし、その時パスポートの携帯を忘れたために、レインブリッジを渡ってカナダ側から見物できず、外国人用の重い雨コートを頭から全身をすっぽりと包んで滝壺近くに近づくにつれて距離に反比例して、霧が濃く立ち籠めて一寸先も見えなくなり、霧に濡れるだけがお土産になりました。
貴方のトロントからのお話はその意味から大変羨ましく存じました。

お目当ての街ケヴェックで泊まられたシャトーフロントナックという長い名前のホテルの部屋の佇まいについての描写は、「とてもしっとりとして美しく女の子の見る夢」のようであったと述べておられますが、私たちには「この女の子は貴方自身」と想像しました。

そして、この女の子の思いは、ケベックシティを流れるセントローレンス河口から広がるセントローレンス湾に浮かぶプリンスエドワード島の「赤毛のアン」の話に発展するのですね。
これは貴方自身「アンの話に憧れた少女時代を思い出して」と述べておられますので、上記の私たちの想像は正に適中ですね。

私は前から「赤毛のアン」という有名な小説があることは聞いておりましたが、そのストーリーはどのような内容のものであるかは、全く知りませんでした。
この度、貴方の文に刺激されて、百科事典や世界地図、そのほかを調べて次のように勉強をしましたので、一生徒として、その結果を箇条書きに申し上げますので、採点をお願いします。」

と、いうお便りに添えて、「赤毛のアン」についてのレポートが添えられていたのです。

そのお便りを感動して読ませていただいて迎えた夕刻、実家からの連絡で
その手紙の書き手であるK先生の訃報に触れたのです。

人生の中の不思議が七つあったとすれば、このエピソードは正にその中の1つです。

次回はまたそのレポートをここに写して見たいと思っています。

お読みいただきありがとうございました。
アニメサイトよりいただきました。
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by akageno-ann | 2008-12-19 11:45 | 小説 | Trackback | Comments(13)
前回までに書かせてもらったエッセーにまつわるお話です。

小学生の頃から愛読しているアンシリーズはいつの間にか私の中に浸透して、そしてその中の登場人物を自分の生活の中に求めたりします。
世話好きなアンの養母マリラの友人リンド夫人・・これはまあ結構身近にいるものです・・笑

しかし私が一番出会いたかったのは養父マシューカスバートでした。アニメから拝借しました
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口下手だけれど優しさの溢れる 仕事熱心で女の人に弱く、アンをこよなく愛し、アンを甘やかしたいおじいさんのような気持ちをもつマシューはアンが自然に一番愛する家族になっていました。
厳しさも大切だけれど、やはり子供は本当に甘やかしてくれる人からの愛情には気づくのだと・・思ったことでした。
このマシューの最期はなんと地元銀行の倒産を知らせる新聞を読んで、ショックを受け心筋梗塞を起こしたものでした。

あの頃日本の銀行は安泰で、銀行が潰れるなんていう話に心からびっくりしているという状態でした。
そういう時代に必死で生きて、結婚しなかったけれどアンという最愛の少女を我が子のように出来て死んでいけたのは彼の幸せな人生の終末だったと思えてしかたありません。

そんな風に私も実の祖父に愛され可愛がられた記憶もありますが、離れて暮らしたので、祖父との繫がりが薄かったようにも今思い返します。

それなのに、こんなに大人になってから祖父のような思いで交流できた一人の老紳士のことを私の中のマシューカスバートだと思えてきました。

その人は私にアンのことについて手紙を書き、自ら投函し、その翌朝早く旅立ったのでした。
87歳、見事な天寿全うでした。
その手紙は亡くなったという知らせのほんの数時間前に私の手元に落ちていました。
落掌(らくしょう)・・・・この言葉はこのときだけのために私には感じられました。

素晴らしい数学者でいらっしゃいました。

                                              つづく

その交流を少しこれから書かせていただこうと思っています。


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by akageno-ann | 2008-12-17 16:42 | エッセ- | Trackback | Comments(10)

カナダで感じるパリ

ケヴェック最終日の午後はフリータイムになったので、アウトラインを教えられた街を自分なりにひとりで歩いてみた。友人は買いたいものがあるらしく、2時間ほどを別行動した。
先程地上高いところから眺めたセントローレンス川を すぐ近くまで行って、冷たい空気の中でしばし見入っていた。

氷が大きく割れた形で川下に向かって川はゆったりと流れていた。
この光景はちょっと怖さもあったのか、今でもはっきりと思い出せる。
川の水量も大変に多かった。そして何よりカナダの広大な土地を知らせるように、この小さな町に沿って流れる川は近くで見ると河口のように大きく広がって見えた。

ひとりでも気楽に歩けるのは、斜面を上るように螺旋状に高い方に向かっていけば、宿泊しているシャトーフロントナックホテルに戻れるからだ。
途中の店は1年中クリスマスのようなかわいいウインドウのある店もたくさんあった。

当時生まれたばかりの甥のためのみやげ物ばかりが目につく。
寒いせいかウインドウショッピングする人はまばらである。
勇気を出して主人に頼まれた皮のジャケットを探すために店内に入り、会話すると年配の人はやはり「ボンジュール」とフランス語で声をかけてくる。

片言だがフランス語の音が好きな私には嬉しいことだった。
大体の候補を決めて、あとで友人にも見てもらって買おうと思っていた。

面白い店主で、「従業員の中に私の主人と同じような体型の者はいないか?」
と聞いてくれて
その人をモデルにして着用してもらえたのでいいものがみつかった。

友人も思ったような買い物ができたと喜んで戻ってきた。
銀製品もいいものがあったようだ。
互いの買ったものを見せ合って、またそれぞれの店を冷やかして歩いた。
愉しい買い物だった。

この街は「美しくあらねばならない・・私たちの街は・・フランスの雰囲気を失ってはならぬ」と語るようにそこにあった。

その夜は友人が予約してくれた、小さなフランス料理店で、美しいディナーをとった。
それほど高くなくて、優しいマダムがきびきびと給仕してくれて、静かな夜をその土地のカップルたちが楽しむような、そんなレストランだった。

私が初めてパリのペンフレンドに会いにいった学生時代に、つれていってもらった
パンタグリュエルという小さなパリのエッフェル搭の近くの フランス料理店のことを思い出した。

その夜、一回入った客はゆっくりとそのテーブルで閉店までいていいのだと・・ここは慌しく客を回転させないのだという、フランス人の気質を思い出した。

アーティチョーク(ミモザ)のサラダ、コキーユサンジャック(帆立貝)のオードブル、川魚の香草焼きそして見事な盛り合わせのデザート。

外国のレストランで、気楽に日本語で女同士のおしゃべりを楽しみつつ、フルコースのフランス料理は私たち二人を満たしていく。

街づくりにこだわりを見せながら旅人を優しく受け入れる。
たった2日間の短い旅の中で、緊張感からときほぐしてくれたケヴェックという街に 「住む」ということへの大切な役割を知らされたように思った。

私には生まれた街があり、育った街があり、新しい生活を始めてなお、営み続ける町がある。

定住して1番長い町には誇りを持ちたい。
そこを離れるたびに、なつかしく思い起こせるようなわが町を持ちたい。

それは「青い鳥」のように既に手にしていることもあるだろう。
アンもまたプリンスエドワード島に住んでそこを愛して止まなかった。

そしてまたこのケヴェックという街に出会って、そんな幸せを感じられた。

「住んでいる」という進行形が街への愛着を作り出す。

「日本へ帰ったら、まず我が家のテラスの花に水をやり、肥料を与えよう。」

そんなことをふと思った。
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                                      1995年カナダ紀行より

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by akageno-ann | 2008-12-15 23:53 | エッセ- | Trackback | Comments(14)

アンのような目覚め

夜明けは少し遅めに訪れた・・(これはアンの小説にも出てきそうな表現だ)

友人は凍った道をヒールのある靴で歩く私を心配してくれたが、幸い午前中はバスで市内の近郊とメイプルシロップ工場の見学となっていた。c0155326_12171214.jpg

このケヴェックに八年も住むという日本人ガイドのNさんは、フランス語が堪能で、黒いヴェレー帽の似合うなかなか素敵な紳士だった。
何より嬉しかったのは、彼がこの地が大好きでそこを訪れる旅人にもその愛着を分けてくれようとする思いの伝わる説明であったことだ。

それは第1日目のトロント、ナイアガラで案内してくれたやはりフリーの日本人女性ガイドYさんも同様であった。
トロントの空港で彼女と別れるとき、思わず握手してお礼を言ったが、

「またいらしてください。私もずっとここにいる予定ですから。」

「こちらに永住なさるの?」

「ええ、そのつもりです。大好きな場所なのです。」

と、笑顔で答えた彼女は半年後にここで結婚するということであった。

二人のガイドの素晴らしさの中にもこのカナダの土地柄のよさを感じ取った。

ケヴェックの市内観光はフロントナックホテルのすぐ下にあるノートルダム寺院から始まった。

フランスの香り溢れる命名がそこここにある。
コテ デュラ モンターニュ  マルシェ シャンプラン このシャンプランはケヴェックの地を開いたフランス人の名前である。

大学のあった道には リュ デュラ ユニベルシテ ・・・
北米カナダを訪れているはずの自分が次第に欧州の街にいるような錯覚も起こってくる。
1番印象に残ったのは、文部省の建物だという新市街にある高いビルディングから望んだ、セントローレンス川の凍りながら動いていた雄大な川の流れである。

旅はやはりその土地をよく知っている人に習いながらの行程はそつがなくて有意義だ。
それがツアーという形なら、詳しいガイドによって作り出されることもこの旅を通して感じたことだった。

                                    つづく

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by akageno-ann | 2008-12-14 12:26 | エッセ- | Trackback | Comments(10)
訪れた旅人を一瞬のうちに虜にしてしまうのは、それぞれの家に、そこに住む人々の持つこだわりに、しっかりとした理念があるからだと思えた。
 自分の町にこだわりを持って住むということをこの頃ずっと考えている。

日本の中においても初めて訪れた土地を象徴する山や川があって、それを人々が大切にしていたり、地方の言葉がやさしく聞こえたりして、ふっと心和むのも同じ感慨なのかもしれない。

ケヴェックシティはフランス系カナダで、今も根強くフランス語が生活の中に保たれていた。

カナダはイギリス系の国になって久しいが、ここだけは、北米の中のフランスという誇りを持ち続けているのだ。

かつて移住した地に祖国の風習や言葉を根付かせたいというのは、祖国を持つ者の当然の願いのようだが、このケヴェックシティが他市をよそに、「ケヴェック条例」なるものを敷いて、祖国での宗教、言語の自由を保障させる方針を打ち出した歴史を聞いて、植民地から成立した大国の中の厳しい現状を知らされた気がした。

その街最初の夜は、ホテルに荷物を置いてすぐに、友人に甘えて街中へと急いだ。
静かな町の午後8時は、既に遅い時間と言えるが、ここも欧州のように食事の時間は遅いらしくレストランはいくつか賑わっていた。

その中の若者でいっぱいのアメリカンスタイルの店に入って、ムール貝の料理を頼んだ。
1000円ほどで食べ放題というムール貝の料理を二人で三皿いただいて、この夜は幸せになった。
帰り道はアイスバーンになっていて、足元に神経を使いながらゆっくりとホテルに戻ったが、途中あったマクドナルドによってミルクを買った。

看板を見過ごすと、Macとはわからない古い重厚な家屋であるが、ここにも時代の流れは押し寄せていて、若者たちが集っていた。

「なんと素敵な街だろう」
明日の朝、夜の明けるのが待ち遠しい思いでベッドに入った。

                                   この項は つづきます・・

小夏庵ものぞいてくださいね。

小説「アンのように生きる(インドにて)」の冒頭は・・こちらからです

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by akageno-ann | 2008-12-12 07:38 | エッセ- | Trackback | Comments(10)

こだわりの街にて

3月上旬のカナダは、まだ冬の気配が濃く、ケベックシティに降り立ったときは凍りついた道に足をすくわれそうであった。前夜トロントからナイヤガラに入り、やはり凍てついたナイヤガラ瀑布をホテルの部屋から眺めて少し高揚した気持ちで寝付かれなかったことと、時差による疲れも出てきたようで、夜の街に繰り出す元気はないと諦めていた。
この旅に誘ってくれた友人は、このケヴェックをよく知っていて、

「夜の街も素敵だから、外で食事をしてもいいし、貴方がお疲れならホテルのレストランでも私ハどちらでもいいのよ。」
と、言ってくれている。

ケヴェックの空港からバスで市内に入るのだが、薄暗い町並みには、まずスーパーマーケットとデパート、オフィスの入っているようなビルディングなどが、そこそこあって、異国の町の気配をさほど感ずることなく、車中でうつらうつらと揺られていた。

あたりは益々夜のとばりが降りてきて、風景はぼんやりしてきたが、町並みの様子が次第に変わってきた。
赤いテント屋根の玄関に小さなイルミネーションが見える。
レストランかもしれない。
軒を連ねる家々の小窓には、アールヌーヴォーのランプが一つまた一つというふうにオーソドックスな光を灯し、古いフランス人形が、こちらを向いて座っていたり、座っている椅子が猫足で、柔らかい曲線を描いている。

眠気に襲われていたはずの自分が少しずつ心浮き立っているのがわかる。

友人の『あなたの気持ちでいかようにも・・』と答を急がずにいてくれた気遣いが改めてあり難く思うのだった。

バスはいつの間にかケヴェックのオールドシティに入っていた。
なだらかな坂をお城のような建物を目指してバスはゆっくりと登っていく。
道は凍っているのでスパイクタイヤが氷をシャリシャリと踏む様に走っているのがわかる。

冷たい空気の中で、遅いクリスマスかと思えるようなイルミネーションが繊細な光を放ちながら新しい旅行者を迎えてくれる。
不思議な街だ。
お城のような建物はシャトーフロントナックというホテルである。
今夜の私たちの宿舎になっている。
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ホテルの前は日広場になっていて、四方を囲む古い建物があって、欧州のドイツやベルギーの街の中央に見られるプラッツと似ている。
『タイムスリップしたみたい。』
そう思いながら幻想的な街に入り込んだと思えたのも、夜という時間の演出に寄るものかもしれない。
この旅に誘ってくれた友人につくづく感謝する。

そんな風に思いながらあたりを見渡す私に

「気に入ってくださったのね。』と、友人も満足そうだった。

ホテルの部屋は、やはり城の居室を思わせる如く、さほど広くはないが、どっしりとした木製の家具が設えてあり、グリーンを基調とした壁紙に小花が散り、落ち着いた雰囲気の中に女の子の見る夢を大切にしているような一室となっている。
かつてカナダの東の端にある、プリンスエドワード島のアンの話に憧れた少女時代を懐かしく思い出し、ついにその国にやってきたのだという思いを強くしていた。

外国の生活に触れて、考えさせられるのは「我が家」に対する思い入れである。
外国の友人の家に招かれると、一部屋ずつ丁寧に見せてくれながら、自分がその家の主としてコーディネートしているという優しく温かい自慢話を聞く事ができる。
その心がやがてその土地を愛し、国土を愛することにつながっていくのかもしれない。

カナダの国土は日本のほぼ27倍とも言われる広大なものであり、おそらくプリンスエドワード島のアンは、このケヴェックを訪れたことはなかったであろう。

しかしここにもカナダの人々の育んだ土地への愛着を感ぜずにはいられない。

                                   この項は つづきます・・

小夏庵ものぞいてくださいね。

この小説の冒頭は・・こちらからです
by akageno-ann | 2008-12-10 21:52 | エッセ- | Trackback | Comments(5)