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表紙ができました^^トラックバックさせていただいてます。

今日は小説をお休みして、私の友人のブログを紹介させてくださいね!

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エリオットゆかりさん・・もうご存知の方もいらっしゃるでしょう
主人がお祝いにいっちゃんのイラストをチロルチョコにしました。

「いっちゃんの美味しい食卓~おしゃれな簡単料理~」
のブログが本になります。

2月7日に本屋さんの店頭に・・

その前に是非ブログを覗いてください。

その美味しさとシンプルで素敵な食卓、そして私の大好きな
イギリスの風景に引きこまれると思います。

ブログで出会い、私をこのエキサイトのブログに導いてくれた

いっちゃん・・エリオットゆかりさんに感謝と感動・・
そして声援をおくります!


 ☆☆☆☆           ☆☆☆☆              ☆☆☆☆

そして・・・

この「アンのように生きる」の姉妹ブログとして紹介したいのは

「ひげじい~脳梗塞からの軌跡」です。

私の書き始めた介護の暮らし・・それに共感していただきつつ

ずっとご自身のお父さまのリハビリ生活を描かれています。

この偶然の出会いに感動しています。

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このブログの作者CHILさんのイラストです・・

お休みの週末に是非お読みください。

小夏庵ものぞいてくださいね。
by akageno-ann | 2009-01-31 07:58 | 番外編 | Trackback | Comments(14)

気持ちの拠りどころ

第2章 その7

父の介護で大変なのは、実は父の周辺の人々とか変わり方であった。

私は娘の立場だから、毎日顔を出すだけで周囲からは「いい子」の印象で受け入れてもらっていた。

でも母は常に父の治療とリハビリの総監督で医師や介護福祉士、ケアマネージャーという父の為に様々な計画や立案してくれる人々と話し合い関わっていなければならなかった。

介護をする・・という特殊な仕事に関わる人たちは総じて、親切で慈愛に満ちている。

特に最初は物腰の柔らかさやこちらの話をよく聞いてくれる点でも申し分ない。

だが三ヶ月ほどたった頃、ケアマネージャーとの話し合いでは少々様子が変わってきた。

母は「申し訳ありません。」と深々と頭を下げることがしばしばあった。

そうすると、不思議と言いすぎた、と思うのか、それ以上いわれることはなかった。

そう、父が結構スタッフにわがままを言うようになったのだ。

私には甘えるが、わがままは言わなかった。

むしろ私は父はよく頑張っていると思うのだ。

今までの父が本当に弱音を吐かない人だったから、こうして突然の病を得た今、少し休ませてあげたかったのだ。

つづく

小夏庵ものぞいてくださいね。

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by akageno-ann | 2009-01-28 20:31 | 小説 | Trackback | Comments(9)

母の顔

第2章 その6

翔一郎の病は血圧降下のための薬剤によって、経過は安定しひたすらリハビリの生活に入っていた。

少し能力的に子供かえりのようなところがあって、母の信子は息子の突然の変貌に対応できず、次第に見舞いが遠のいていた。

妻の美沙にとってはそれはかえって都合の良いことであったのかもしれない。

母が来るとどうしても緊張する翔一郎を感じていた。

母は、元のようにならなければならない、と焦りをそのまま息子にぶつけるのだった。

「はやく、しっかりして学校にもどらないといけないでしょう!」

それが母の一番の望みだったと思われた。

母は教員として退職まで頑張った人だから、息子のこの状況を情けないとさえ思っていた。

「美沙さん、翔一郎はもう復帰は無理だから、貴方頑張って教育界にもどりなさい。」

などという日もあって美沙を困惑させた。

美沙はフルタイムで働くのはこの翔一郎のリハビリに付き合う時間やふれあいの時間が減るのはどうしても嫌だったのだ。

そんな思いを娘の理子は自然に感じ取り、母と共に今の父を支えて行こうとしていた。

そんな母の本当の心のうちを先日の北川先生という人の出現でちょっとわからなくなっていた。

父親が美沙という人を母のように慕って、リハビリに頑張っているようなところがあったからだ。

北川先生とはあの日、一緒に父のリハビリ病院のそばで食事をした。

北川先生は理子に気を使って、あまりインドの話をしなかったけれど、母と二人はとても親しいのだと思えた。

帰りに母と二人はしっかり握手して別れた。

その夜の母は、父が病気になってから初めて、華やいだ顔をしていた。

つづく

小夏庵ものぞいてくださいね。

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by akageno-ann | 2009-01-26 13:26 | 小説 | Trackback | Comments(11)

母とその人と父

第2章 その5

北川先生は、理子ちゃん、と最初からとても親しげに語りかけてきた。

「理子ちゃん、いくつになったの?学校たのしいかい?」

北川先生の語り口はとても暖かくて、誠実そうだったので、私はさっき母がすがりつくようにして泣いたことは、頭の隅から離れなかったけれど、多分母はとてもその人と親しいのだ。

ぼんやりと質問に答えていると、母は

「理子、北川先生の奥様が私がよく話す怜子(さとこ)さんのご主人ですよ。」

私は、そうだった・・と思い出した。
怜子さんは母がとても尊敬する人だったそうで、でももう、この世にはいない、と聞いている。

「インドでは家族のように一緒にたくさんの時間を過ごしたの。そしてきっと貴方が生まれたことを喜んでくださったと思うわ。」

そう話してくれたのは、私が6年生の頃だった。

学校の授業でマザーテレサの伝記を読んだとき、母は、その怜子さんがインドのその施設を訪れたことがある、と話してくれた。

そしてまた、二人の仲良くなった共通点が「赤毛のアン」の小説を好むことだったのだ。

そのどちらの事実も私にはちょっと大人の世界に入れたようで、とても嬉しく、一生懸命それらの本を読んだことを思い出した。

アンの本は、中学校入学祝いにシリーズで母が揃えてくれた。

母は自分がそうして持ちたかったのだ、と言っていたけれど私もとてもうれしくて、休みの日に楽しみに読んでいた。

その頃のなんの心配もない、夢や希望のいっぱいあった時を思い出していると、私はほんのちょっと、いいえ、たくさん哀しくなってくる。

母は北川先生との親しさをそんなに話してくれなかったけれど、まるでお兄さんのように慕っているのだ、とわかった。

北川先生は母の大親友だったというその奥さんが亡くなったあと、再婚しているということを話していた。

奥さんがちゃんといる人だって聞いて、私は安心した。

父は北川先生のことを見て、とても喜んでいるようだった。

北川先生とお酒が飲みたい、と言って、ほんの少しだけどビールを舐めさせてもらって
嬉しそうだった。

そしてそれ以上は欲しがらなかった。

「いやあ僕のこの病気、飲みすぎですね。北川先生も気をつけてくださいね。」

と、そう父は愉しそうに話すのだった。

つづく

小夏庵ものぞいてくださいね。

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by akageno-ann | 2009-01-24 21:25 | 小説 | Trackback | Comments(2)

母のこと・・・

第2章 その4

北川先生という人にすがる様にして声を出して泣いた母の、その光景を見ている時間は
そんなに長い時間ではないのに、私はその映像を自分の脳裏にしっかりと焼き付けてしまいました。

母は何故あのような態度を施設のスタッフのいる前でしたのか、ちょっと私にはわからなかった。ただおばあちゃんがいたらきっとそんなことしなかった、と思う。

でも北川先生はとても良い人だった。

母の肩をつかんで、

「遅くなってしまったね」

と、言って、すぐに父と私の方へ向かって歩き出した。
母もすぐに微笑みに変えて、そのあとをついてきた。

なんにも悪びれる様子もなかく。

だから、不思議とその周りの雰囲気も別段特別のことを見たような空気は残らなかった。

「理子ちゃんだね。大きくなったね。」

そう私を見つめた北川先生の目はとても優しかった。

「理子、小さい頃に1度だけお会いしているのよ。北川先生はインドでとてもお世話になった方なのですよ。」

インド・・時々母から聞くようになったその未知の国、そこで一緒に暮らしていた人らしい。

一緒にというのは、インドの日本人学校に父が赴任していた時に同じ学校にいた先生ということだ。

父が倒れてから半年もたって現れたその人はどこに住んでいるんだろう、などと理子は考えていた。

北川先生は父に手を出して握手した。

父は右側はしっかり使えるので、その手を握り少しだけ恥ずかしそうにした。

「とおくから・・・よく きて ください ました・・」
父はしっかりとそう語った。

「元気になったのですね?すぐに来れなくて、本当に失礼しました。」

「あなた、嬉しいわね・・北川先生とお茶をいただきながらゆっくりお話しましょう。」

そういって、スタッフの方にむけて、母は

「びっくりさせてご免なさいね、インド時代に親戚のように親しかったかたなのです。
高知からいらしてくださった方なの、今日のリハビリはこれまでにさせてください。」

と、いつになくきっぱりと言った。

親戚のような・・・といっても私はこのおじさんに会った記憶はないのだ。

母と父とこの北川先生という私から見ればおじさんのような人との知らない部分が
たくさんあるような気がしていた。

つづく

小夏庵ものぞいてくださいね。

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by akageno-ann | 2009-01-22 07:36 | 小説 | Trackback | Comments(6)

ある訪問者

第2章 その3

父が倒れて、8ヶ月が過ぎた。
学校は春休みになり、4月から私は、中二になる。

去年この学校に受かって、小学校を卒業した春の華やいだ空気に包まれた頃と
我が家の空気は全く違っている。

祖母がまず笑わなくなった。

ふっと哀しそうにうつむいていることが多いのだ。
買い物好きなのに、都心に出ることもめっきり減っていた。

どんよりと重い空気はいつまで続くのだろうと、果てしないトンネルに入ってしまったような感覚が3人を覆っていた。

母は、しかしいつも淡々と日々を送っていた。
私に対しても、最近は以前のように楽しく接してくれた。

見舞いの人々にも楽観的なものの言い方をして時には談笑することもあった。

この母の感情が祖母には理解できなかったようだ。

『夫婦は他人というけど、そうなのかもしれない・・』

祖母はポツンとそんなことを私に聞こえるように言ったことがあった。

私を子供と扱っている祖母はそんな言葉で私がどんな反応をするのか知りたかったらしい。

でも私は自分でもわからないうちに少しずつ成長していた。


そんな春休みに突然のように一人の年配の男の人が見舞いにやってきた。

ちょうど、その日は母と私で父のリハビリにつきあってボール投げをしているところだった。

とても柔らかいボールで避けそこなった父に当たっても殆どいたくないようなものだったが、

父は少し怖がっていた。

でも嬉しかったのは時々良いラリーが続くと父は笑っていた。

そう、父は笑うようになったのだ。

そのリハビリ室にその男の人が入って来た時、最初に気づいたのは母だった。

いつも冷静な母が、ボールを私に投げて、その人に駆け寄って行った。

「北川先生・・・・いらしてくださったんですか・・」

母は思わずその人の肩にすがるようにして泣いた・・

周りのスタッフもちょっとびっくりしていた。

でも母は何も気にせずに泣いていたのだ。

北川先生という人をこの時、私は初めて認識した。

父はただボールの投げあいを続けようとしていた。

つづく


小夏庵ものぞいてくださいね。

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by akageno-ann | 2009-01-19 22:59 | 小説 | Trackback | Comments(10)

目覚めた日から・・

第2章 その2

けれども、人はそう簡単には死なないけれど、元気に生きていくって、とても大変なことだ・・と

理子は初めて知った。

まだ13歳だった彼女は親族の死や大きな病気も体験していなかったので、最初は感情のコントロールに苦しんでいるようだった。

理子が一番嫌だったのが、祖母の落胆の言葉を聞くことだった。

我が子翔一郎の突然の悲劇を受け入れられず、その原因もわからず、どこに怒りをぶつけることもできず、時折パニックになって、翔一郎自身に

「あんたはいったい、どうしてこんな姿に・・・」

と、泣き崩れていることがあった。

それまでの日常は翔一郎は同居の母の信子をさりげなく大事にしていた。

力仕事の殆どのことを祖母の代わりをしていたし、休みの日に大きなものを買いたいといえば、気楽に車を運転して連れ出していた。

母の美沙もそういう夫翔一郎の姿をほほえましく見守っていたのだ。

だから、と、いうわけでもないが、理子の思うには

「お父さんは病気なのに、何故おばあちゃんに文句をいわれなくちゃならないの?」

という疑問だった。

美沙は、姑信子の精神が安定しない間、自分の実家に理子を預けることも考えたが、恐らく理子がいないと、美沙と信子は煮詰まってしまうだろうと考えた。

これからも三人で翔一郎を介護していかねばならないのだから、理子にもその役割を一緒にわかっていってもらおう、と心に決めていた。

果たしてそれは功を奏したようだ。

理子は大人よりも柔軟に考える思考能力を持ち、面倒くさがるより先に、父との時間を率先して作っていったのだった。

信子は翔一郎が目覚めたという連絡を受けて、病院に急行したが、残念ながらうまくその日は
目覚めず、臍をかむような思いをさせられた、と少々文句が言いたげたった。

こんなときに、美沙が杓子定規に

「すみません、でも私たちがわかりました。」

など言おうものなら、嫉妬に狂うような発言をしかねないと、わかっていたように・・

「理子のことはわかったようですが・・私のことはもう一つわからないのです。」

と、だけ言っていた。

それはその時の信子の心には大事なケアになるようだった。

『大人の世界は、結構本当でない心があるのだ』と

初めて感じたのだった。

つづく


小夏庵ものぞいてくださいね。

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by akageno-ann | 2009-01-17 23:16 | 小説 | Trackback | Comments(4)

目覚めたとき・・

第2章 その1

翔一郎は目覚めた。

と、いうより彼はやっと言葉が発せられたのだ。

「美沙、悪い!」

第一声はこれだった・・・・

最初に気づいたのは理子だった。

「おとうさん、おとうさん、わかった?お母さんもいるのよ・・」

「理子!わかるよ・・」

そのまま翔一郎の目から涙が流れた。

ツーーーーっと彼の頬を流れるその一筋はその場にいた美沙と理子の心を
この世で最上のやさしいものにしていた。

「あなた、おはよう・・・」

美沙は事のほか明るく語りかけた。
そうしないと泣けてしまいそうだった。

理子はすぐに祖母の信子に携帯で電話していた。

「おばあちゃん・・お父さんが目覚めました。」
そういって電話を翔一郎の耳元に近づけたが・・

そのとき彼はまた眠っていた。

「と、思ったけど・・またねちゃった・・でもちゃんとしゃべったよ!」

信子はとにかくすぐタクシーで出かけると言ったらしい。

「おばあちゃん、焦ってきちゃだめよ!気をつけてね」

そんな気遣いも理子はできるようになった・・と美沙は目をほそめていた。

翔一郎は安心したのか、涙をぬぐってあげるとほっと少し微笑むようにして
再び眠りについた。

「お父さん、とても疲れたと思う・・きっとしゃべりたくてしかたないのに
言葉を出すエネルギーを出すのに時間かかったのよ。」

「そうねえ、私たちのうるさいよびかけ聞こえてたのね。」

よかった・・ほんとうに・・・

ただそれだけの言葉が二人の胸に迫っていた。

そしてこれからがまた新たな試練があるだろうが・・

しかし目覚め家族を認識できたことはまず奇跡だった。

生きていること、そして目覚めたこと・・・

そのことにただ感謝する美沙と  父を失わずにすんだ娘の理子の笑顔が
そこにあった。

つづく


小夏庵ものぞいてくださいね。

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by akageno-ann | 2009-01-15 11:18 | 小説 | Trackback | Comments(11)

見舞いの人々

第1章 その9

翔一郎は病に倒れて1週間、意識が混濁していた。

誰の呼びかけにも応えず、ただ生きているということがわかるのは、「ごーごー」と聞こえるほど大きな鼾で眠ることだった。

医師は脳の損傷についてかなり厳しいことを語った。

しかしその最悪の状態を語っておく必要が現代の病院側の現状としてはいたし方のないことだったと思う。

理子は泣きじゃくりながらも次第に冷静さを取り戻していた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「パパ、理子よ~~~起きて~~そんなに寝てばかりいないでくださ~~~い!」

「おとうさ~~ん・・どうしたんですかあ~~~・・はい!右手動きますよ~~私の手を握り返してくださ~~い!」

ベッドの傍らで本当に時に看護士に静かにするよう注意を受けるほど語りかけていた。

もちろんそんなに冷たい注意ではない、ちょっと度が過ぎる声の大きさのときだけ、

「お気持ちはわかるけれど、他に患者さんがいるから・・」

とは当然の注意だった。

私はわかっていた。静かに過ごさなくてはならないことは・・

でも父が目覚めて、もし私がわからなかったら・・と思うと、今この瞬間も父の脳に自分がただ一人の娘であることを知らせたかった。

母は父の足をさすり動かない左手を一本一本指をマッサージして、やはり必死のリハビリを
素人ながら続けていた。

父の学校関係者が見舞いに来てくれるが、その都度いろんなアドバイスをしてくれるのはだんだん聞くのも辛くなっていった。

一番母が辛かったのは・・

「何故個室にしないのですか?こんな環境では危ないですよ!」

と父の友人に言われたときだった。

その人は父の同僚で同学年の担任で独身の女の先生だった。

父を尊敬してます・・から始まって、お疲れがたまっていたんですね・・と涙を浮かべて父を哀れむ姿は見ていて奇妙だった、いえ、気持ち悪かった。

こういうとき親族以外の人にあまり立ち入られるというのはすごく患者の家族を辛いものにする。

でも母は、藁にもすがってなにか良い方法をと、思っていたらしい。

「はい!」という返事を真剣に繰り返し、アドバイスを素直に受け入れるようなところがあった。

結果その母の忍耐強さは人々に感銘を受けさせたらしい。

しかも始めはいろいろ言いつつ見舞いに現れる人々も時間と共に次第に少なくなってくることを、母はよく知っていた。

そして、10日目に父は初めて、しっかりと目覚めたのだ。

第1章 了


小夏庵ものぞいてくださいね。

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by akageno-ann | 2009-01-13 22:34 | 小説 | Trackback | Comments(12)

介護・・・

第1章 その8

理子は感受性の強い子ではあったが、どこかのんびりしていてあまり闘争心を持つほうではない。

そういう子供に育てたいと思っていたのは美沙だった。

理子の祖母である信子は一人っ子の理子をかなりスパルタで教育しようとしたが、愛くるしい顔で『ばあばあ』と懐くので、結局かなり甘やかしていまっていた。

しかし、美沙は出産後非常勤講師なども辞めて、理子を育てることに専念した。

姑である信子は彼女自身が息子を保育園に預けながら教師を続けた人なので、美沙のその姿勢にはちょっと納得がいかなかったのだが、息子の翔一郎が美沙が家にいることを望んだので、何も口は挟まなかった。

最近は保育園の教育もしっかりしていて、子供たちが元気に育っている様子も知っていたので
あまり神経質に育てたくはなかったが、祖母である自分は外野に回らねばならないことも承知していた。

だが、理子は伸びやかな天性があり、そのまま素直に伸びていった。

一人っ子も多くなった昨今、それゆえの弊害があるようにはなかったし、美沙たちの40才に近い年齢になって授かった子の子育ては、意外にも穏やかでゆったりとしていたのだ。

美沙はその時を待っていたかのように、日常生活に焦りもなく、理子が眠っている時は傍らで読書したり編み物したり、時には一緒に昼ねしていた。

公園に出るようになってからは、近隣の自分よりも若い母親たちと盛んに交流し、それまで信子に任せていた近所付き合いを一手に引き受けていた。

やはり子供がいるというのは、家庭が豊かになる。

信子との嫁姑の関係も理子の存在だけで まったりとした空気に包まれていた。

理子はその二人の女性との日々の生活を 生まれでた時から自然に体得しているというのは、その後の暮らしに影響するようだ。

一見理想的に営まれているようなこの家庭でも、一つ大きな事件がおこればどうしても様々な歪が一時に出る。

特にしっかり者の理子の祖母信子は、一人息子で50才までを比較的順調に過ごしてきた翔一郎が脳卒中で倒れ、一瞬のうちにそれまでの生活が奪われたことを心の中に取り込むことができなかった。

理子は多感なティーンエイジャーになっていたが、祖母の悲しみを誰よりも理解できた。

母親の美沙は、理子妊娠当時、前置胎盤で不安と共に過ごしながらも元気に生まれでた理子の存在にずっと感謝してきた。

そして夫翔一郎の突然の悲しい変化にもこの理子の存在が最初から大きなものであったことを一番よくわかっていた。

その時から始まった、夫の介護であったが、娘の存在に感謝していた。

つづく

小夏庵ものぞいてくださいね。

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by akageno-ann | 2009-01-11 22:58 | 小説 | Trackback | Comments(10)

かけがえのない日本の片隅からの発信をライフワークとして、今は老いていくにも楽しい時間を作り出すことを考えています。


by ann