アンのように生きる・・・(老育)

akagenoann.exblog.jp

かけがえのない日本の片隅からの発信をライフワークとして、今は老いていくにも楽しい時間を作り出すことを考えています。

ブログトップ | ログイン

<   2009年 03月 ( 20 )   > この月の画像一覧

古き映像

第5章 その10

4月の春らしい穏やかな夕刻に片山家は煌々と灯りをともし、いつもよりも華やかな玄関の生け花も訪れる人の心を励ましているようだった。

花の好きな翔一郎の母信子が知り合いの花屋に頼んで持ってきてもらった黄色を主体にした春の花たちがその日の片山家を一層賑やかせていた。

「黄色のチューリップ。素敵ですね」

訪れためい子もその美しさに目を輝かせていたのだ。

その日の客人は美沙の考えで現在の翔一郎を支えてくれる人々を招待していた。

平田めい子はこの翔一郎の病気をきっかけに見舞いに訪れてくれたインド デリー時代の友人の一人娘だった。

扶川夫妻は片山家の隣人で一番親しく、翔一郎を案じ、片山家の3人の女性たちを心から支えていた。
この日も扶川夫人はきれいなちらし寿司を重箱に美しく詰めて持参してくれていた。

いつもヘルパーとして来てくれている井上さんはこの日も仕事として参加してくれていた。

そしてこの日翔一郎が最初に担ぎ込まれた病院の脳外科医H氏がスペシャルゲストとして招待されていた。

H氏は中堅の40歳になったばかりの医師で、本来ならこのような個人的な付き合いはできないと考えるであろうが、美沙は翔一郎が今こうして誕生日を迎えるにあたって一番お世話になった人だと考えていた。

彼が当直でなかったら、おそらく翔一郎はここまでの回復は無理だったのではなかろうか・・

それは医学的にというより直感的に美沙には感じられたのだ。

H氏がこの日ここへ参加したのにも期間をかけた美沙との心の交流があった。

とりたてて親しくしたいというのではない、一人の人間が生き延びたということに大きな力を差し出してくれたことへの深い感謝を現したかった、という美沙の真意をH氏は受け取ったのだった。

そしてその夕刻からゆったりとした心のこもった片山翔一郎56歳の誕生日が行われていた。

そのアニバーサリーのメインに、美沙はデリー時代の古いビデオテープを用意していた。

つづく

c0155326_1214449.jpg

牧場公園
ブログひげじい~脳梗塞からの軌跡ひげじいさんの作品です。

 「ここに使われる絵や文章の無断転載は固くお断りいたします。
    よろしくお願いします。」

小夏庵ものぞいてくださいね。

にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ

この小説の冒頭は・・こちらへ
by akageno-ann | 2009-03-31 22:03 | 小説 | Trackback | Comments(7)

誕生日を喜ぶ

第5章 その9

その年の4月17日はちょうど土曜日だった。

理子は私学の高校だったので休みではなく、半日の授業を行って戻ってくる予定になっていた。

だがその朝、母の美沙に帰り道にめい子と落ち合って、買い物をして一緒に帰ってくる、と楽しげに話していた。

美味しいバースデーケーキを買ってくるという。

久しぶりに美沙も楽しみだった。子供の頃バースデーケーキはバタークリームのものが好きだった。

最近は生クリーム系が多くて味もこってりとしている。

バタークリームのケーキのスポンジの間にはオレンジのジャムがはさまれていてそれが翔一郎はそれが好きだった、と思い出した。

今日はそんなことを彼も思い出すかもしれない・・・ふと美沙はそんな期待をして心愉しんでいた。

翔一郎には朝食の時からその日誕生日パーティを行うことを話していた。

「何歳になるか覚えてる?」
そう美沙が問うと、翔一郎は

「55歳だっけ?」
と、答えた。

やはり翔一郎は倒れた日から時間が止まっているのかもしれなかった。

時間の経過に焦ることもなく、日々は坦々と過ぎていたのだ。

しかし彼は自分の誕生日のパーティを開いてもらうことには喜びを表した。

「めい子ちゃんも来てくれるのよ。」

と、美沙がいうと、

「デリーでも誕生日したよな。」

そう翔一郎は答えた。

美沙はまたデリーの日々をしっかりと思い出す翔一郎に気づいた。

デリーの思い出を語ることが 記憶の糸を繋いでいく可能性を感じられた。

つづく
c0155326_203257.jpg

 「ここに使われる絵や文章の無断転載は固くお断りいたします。
    よろしくお願いします。」
小夏庵ものぞいてくださいね。


にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
by akageno-ann | 2009-03-29 22:56 | 小説 | Trackback | Comments(8)

アニバーサリー

第5章 その8

人生にはいくつかの記念日がある。

誕生日、結婚記念日、その二つが片山翔一郎に、その4月一緒にやってきた。

翔一郎と美沙は4月1日が結婚記念日だった。

今回で28年が過ぎていた。

教員は休暇中に結婚することが多い。

特に姓が変わる場合は4月の新学期にその変更があったほうがいろいろと都合がよく、美沙はその時期を選んでいた。

しかし結婚前の美沙に担任された教え子は、美沙を未だに旧姓で呼んでいる。

教師への思いはその当時の名前と一緒に繋がっているようだ。

4月17日は翔一郎の56回目の誕生日だった。

結婚記念日は意識しないまま、忙しさにかまけて忘れ去ってしまっていた美沙だったが、翔一郎の誕生日は賑やかに行おうと意気込んでいた。

もちろん理子もその思いは同じだった。

そして理子は平田めい子にその話をして、17日の当日に一緒に祝ってくれるように誘っていた。

理子とめい子がそのように親しいことを美沙は素直に喜べたのだ。

めい子の聡明さは心の優しさが加味されて美沙の心を打っていた。

めい子の母よう子との因縁的な出会いを越えてめい子と理子の本当の友情が育っていることは嬉しいことであった。

めい子は両親がメキシコに赴任することで一人日本に残って大学生活を続けることで母親との関係に距離を置いたのだった。

それは偶然の出来事だったのだが、めい子にとって母よう子がそれからの成長の過程に大きく口出しをしなくなったことが心を解放することに繋がったようだ。

心の解放というのはなかなか難しいことであった。

母よう子は、めい子の友人関係に特に口を出した。

友人の家庭環境を特に重要視して、選り好みさせるような母の干渉がたまらなく嫌になっていたのだ。

めい子が一人日本で大学に通うと言い出したとき、よう子は激怒した。

その時のことをめい子は昨日のことのように忘れたことはない。

だがめい子の父の助言によって、めい子の日本残留は許されたのだ。

それから2年、めい子は助言してくれた父平田の思いに報いようとメールで日々の生活を丁寧に知らせていた。
またよう子も赴任先で校長夫人として人々と触れ合ううちに、彼女の偏った思考が次第に変化するのをメールの内容からめい子は感じ取っていた。

そこにこうしてかつて母よう子にとって、インド赴任時代のよきライバルのような存在だった美沙との日本での出会いによって、めい子は新たな心の成長を見せていた。

翔一郎の誕生日の日を美沙、理子、そしてめい子はそれぞれの思いを込めて準備をし、楽しみに待ち望んだ。

つづく
c0155326_203257.jpg

 「ここに使われる絵や文章の無断転載は固くお断りいたします。
    よろしくお願いします。」
小夏庵ものぞいてくださいね。


にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
by akageno-ann | 2009-03-28 23:00 | 小説 | Trackback | Comments(4)

ある洗脳

第5章 その7

訪問介護のスタッフは全部で2人が曜日を変えて、内容も違えて訪問してくれた。

リハビリは男性であったのでその力強い介助に翔一郎も安心して身を任せ、一歩でも足を前に踏み出す訓練を週二回午前中に行っていた。

しかし家に帰ってきてからはどうしても気持ちに緩みも出るし、母信子の感情的な声援も逆効果になったりすることがあって、思うような効果は出ていなかった。

しかし椅子に座ってテレビを見たり、時に理子と絵を描いたりする作業は比較的進んで行ってくれるようだった。

もう一人のスタッフは年配の女性で主に掃除を行ってもらっていた。

手馴れた様子で手際よく掃除をしてくれるのであり難かったが、身体障害者の家族を多く知っているせいか、彼女の持っている経験を言葉の端々に出すことが多くなっていった。

信子はそれを大変ありがたいアドバイスとしてよく話を聞いていた。

そしてその都度感心し、美沙に強く要求するようになった。

良さそうなことは全てやってみたいという勢いが信子の頭にはあったのだ。

それも当然のことであろう。

その信子の様子を見て、女性スタッフは主に信子と話をするようになっていった。

家族の中で患者とどうかかわるかは、そのキャラクターによって異なるのを在宅介護になってから強く感じる美沙だった。

それだけにこれまでとは違って日常のどの時間も夫翔一郎のことを中心に考える生活になっていったのだ。

外部の人が入ってくる家庭は、平穏な家庭ではなかった。

また介護の専門知識も不足している現状の中で、その専門家からの助言によって、単純に洗脳されてしまう者もでてくることを実際に感じていた。

人間は弱いものである。

一人で持ちこたえられない現実にふと人の意見をたやすく取り入れて、家族同士の亀裂が生まれることもままあることを美沙はまた新たに知っていった。

つづく

c0155326_1214449.jpg

牧場公園
ブログひげじい~脳梗塞からの軌跡ひげじいさんの作品です。

 「ここに使われる絵や文章の無断転載は固くお断りいたします。
    よろしくお願いします。」

小夏庵ものぞいてくださいね。

にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ

この小説の冒頭は・・こちらへ
by akageno-ann | 2009-03-26 16:35 | 小説 | Trackback | Comments(4)

シャンティを思う

第5章 その6

いよいよ在宅介助をうけることになった。

一番大事なのは自宅リハビリだと美沙は考えていた。

家族だけではどうしても徹底できないリハビリに 他人が介入してくれることで、少しでも翔一郎のやる気を起こしてもらいたかった。

幸いにして若い男性がきてくれることになって、体力的に安心できた。

翔一郎を支えるというのは容易なことではなかった。

家の廊下にはリハビリ用の手すりをつけ、少しでも足を前に出す訓練をさせたかった。

翔一郎本人の気持ちはどれほど前に向いているのだろうか?

美沙は測りかねていた。

あの負けず嫌いだった彼が信じられないほど、のんびりと構えているのだ。

それが脳の損傷に寄るものなのかもしれない。

徒らに励ましてはいけない、というが、様々な人々がどうしても適当に頑張れという激励をしてしまう。

しかし、そんな言葉も馬耳東風のようなそぶりを見せる翔一郎がいた。

「頑張る」と言っても、それが行動するという能力に繋がっていないのだ。

美沙は理子に精神的なリハビリを頼むことにした。

「理子ちゃん、お父さんは運動することより、貴方と競って絵を描きたいかもしれないわ。休みの日は一緒に同じものを写生するのはどうかな?」

その申し出に理子は

「うん・・私もそれがいいんじゃないかって思うの。一緒に何か描いて見るね。」

そう素直に応えてくれた。

『この子はどうしてこう伸びやかなのだろう?少しも哀しさを持っていないように思うのは思い過ごしだろうか?』

そんな気持ちもよぎるのだった。

理子が新しい人々との出会いに、その素直さで接し、その人々に可愛がられ良い関係を作っていくことに大人たちは援けられていた。

美沙はデリーのサーバントのシャンティを思い出した。

彼女は忠実で優しい家事手伝いを毎日続けてくれていた。

あの頃 美沙に子供がいればどんなにか可愛がってくれたであろう。

子育ての上手なシャンティにこの理子を会わせたいと、思うのだった。

つづく

c0155326_203257.jpg

 「ここに使われる絵や文章の無断転載は固くお断りいたします。
    よろしくお願いします。」

にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
by akageno-ann | 2009-03-24 21:04 | 小説 | Trackback | Comments(0)

第5章 その5

帰宅して間もなくは、桜が咲き誇る季節だった。

家の前の小さな公園の桜が見事な花をつけていた。

美沙と理子は思い切って、日中翔一郎を公園に連れ出した。

美しい桜の花びらが舞い降りる東屋のそばに車椅子の翔一郎を囲んで

親子3人で写真を撮った。

桜の頃はいつもここで家族で写真を撮っていたのだった。

翔一郎の母の信子は加わらなかったが、美沙は親子三人での写真撮影が何故か嬉しかった。

なんの気兼ねもなく、親子三人になれたような気がしていた。

翔一郎は桜の花をこんなに身近にゆっくりと見たことなどなかったのかもしれない。

静かな笑顔で自分の今の不自由な体のことを悲観することもなく、通り過ぎる近隣の人々とも挨拶を交わしていた。

「そうなのだ、こうしてまた新しい気持ちで社会と繋がっていけばいいのだ。」

日本の春は桜によって、皆 心機一転できる季節なのだ。

どんなに大変なことがあっても、また喜びを迎えることもできる。

桜の花びらのうっすらとした香りの中に3人は包まれて、幸せな感覚を味わっていた。

理子がその花をみながら言った。

「お父さん、一緒にまた絵を描こうよ!」

その思いがけない言葉に翔一郎は

「うん!」 と はっきりと応えた。

娘は確実に成長し、心は大人になっている。

その大事な時期の父親のこのような病をも、自然に受け止める。

子供であるということが、二人の間をとても近くしているように美沙には感じられた。

美沙自身は父親は未だ健在で、学生時代も苦労と感じるものはなかった。

我が子ながら、理子のこのような成長に大きく期待をしてしまいそうであった。

「この子の心の中を覗いてやらなくていいのだろうか?」

ふと美沙は不安になったが、今しばらく理子の若さに支えられていたい、と

桜の木の下でひとときの幸福感を感じていた。

つづく


今日は素敵なお人形を頂戴しましたのでここに掲載します。
私の拙いこの小説にいつも感想を寄せてくださるアメリカにお住まいのBa-chamaさんが
アメリカで人気のWillow tree というブランドの清楚な少女のお人形を贈ってくださいました。
感謝して、この少女に「理子」と名づけて飾らせていただいてます。

c0155326_203257.jpg

Ba-chamaさんとお人形についての解説を↓のmoreに書かせていただきました。

 「ここに使われる絵や文章の無断転載は固くお断りいたします。
    よろしくお願いします。」

にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ

More
by akageno-ann | 2009-03-22 20:33 | 小説 | Trackback | Comments(10)

本当の哀しみ

第5章 その4

人はその家に不幸が訪れると様々な形で反応する。

その行動の仕方はそれぞれに心の込められたものであるはずだが、ある時には何気ない言動でさらに深い悲しみに陥れてしまうことになる。

翔一郎と美沙の友人の中には、インドでの出会いを通した友人がいる。

インドで培った友情はそのまま日本でも繋がれていた。

美沙は翔一郎の不慮の病を必要以上には広めたくはなかった。

それはインドに行くというあの年に感じた 人の感性のあまりに異なる表現に出会ってしまったことがあったからだ。

インド・・・その国を何も知らずに蔑む人々があった。

いや、しかし美沙ですらインドを知らなかったから逆の立場になったときにどんな態度を表すかはわからない。

しかし、同じ人間、日本人でありながらも残念ながら、人は同じ感覚ではないことを思い知ることがある。


それまでもかなり親しいと思っていた、美沙の友人が退院後すぐに見舞いに来てくれた。

大勢でなく、ほんの2人で、友人の代表として、多額の見舞金を届けてくれたのだ。

恐縮する美沙に

「もちろん治られたら快気祝いをちょうだい。」

と 彼女たちは冗談を言って、できる限り翔一郎の役に立ちたい、と申し出てくれた。

彼女らは、多くを聞かず、また語らず、ただ静かにこれまでの病状を美沙から聞いて、

「どこかへ出かけたいとか、音楽会のコンサートや映画鑑賞などで刺激を与えたいと思ったら、私たちに連絡をくださいね。」

と、具体的な提案をしてくれていた。

病気などになってみて、初めて知る人の心の篤さだった。

インド時代にわかった、人の本音のところを感じ取る力を持ってしまっている美沙は、本能的に心地よい見舞いの言葉を述べてくれる人を選んでしまっていた。

あまりに気の毒だ、大変ね、可哀相、などと哀れまれることは、かえって哀しみを倍増させられた。

こうして大変と思われる家族であっても、笑うこともあれば、楽しい夕餉を囲むこともある。

その日、幸せを感じているときに、突然に現れた見舞い客にあまりに大きく慰められると、また再び哀しみの底に押し込められてしまうような気がしていた。

だから美沙は、本当に会いたい人を より分けてしまっていたようだった。

美沙自身は本当は一番哀しみを持っているのだ。

その美沙が絶望の淵に追いやられぬように・・と 考えてくれる友人こそが真に心をわかつことのできる友だったのである。

つづく

c0155326_1214449.jpg

牧場公園
ブログひげじい~脳梗塞からの軌跡ひげじいさんの作品です。

 「ここに使われる絵や文章の無断転載は固くお断りいたします。
    よろしくお願いします。」

小夏庵ものぞいてくださいね。

にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ

この小説の冒頭は・・こちらへ
by akageno-ann | 2009-03-20 23:33 | 小説 | Trackback | Comments(9)

父と娘

第5章 その3

理子は高校生活が始まって溌剌と登校していた。

父親が家に戻ってきたことを無邪気に喜ぶ高校生であった。

母親の美沙は全てを父の介護を中心に考え、毎日のスケジュールを立てていた。

それでも母は理子の弁当つくりには気持ちを込めてくれているようだった。

母の寝不足は間違いなく、理子は自分のことは自分でやらねばならない、と感じていた。

祖母の信子も料理はうまく、母と頑張っているが、80歳に手が届きそうな年齢なので、あまり無理はさせられなかった。

理子は決して哀しくはなかった。父親との病院での生活で障害者である家族がいることを自然に受け止めることができていた。

リハビリ病院でも父翔一郎のことを病人扱いするより、普通の健常の人に接するような雰囲気があり、その感覚を一番に受け止められたのは理子だった。

学業優先という立場にいる自分のことを、理子はそのままではいけない、と思っていた。
アルバイトもしたかったが、私学では公には禁じられているのでその分勉強し、余った時間は父との生活に喜んで費やしたかった。

毎日の学校での学習やクラブ、クラスのことを楽しげに車椅子に寄り添って話していた。

不思議なことにほかのことに喜びをあまり表さなくなっていた、翔一郎が理子の顔を見るだけで笑顔になり、理子の話を隈なく理解しようとする気持ちがあるように美沙には思えた。

ついそばにいて、言葉を挟んでしまいそうな自分を感じて、美沙は理子と翔一郎の時間は二人だけにするようにしていた。

自分の娘であっても理子に全てを任せてしまうことはできないし、また理子自身にどれほどの介護の力が備わっているかは、まだわからなかった。

しかし翔一郎の反応には大いに期待ができた。

今しばらくこの静かな状況を大事にしていこうと感じる美沙がそこにいた。

つづく
c0155326_1214449.jpg

牧場公園
ブログひげじい~脳梗塞からの軌跡ひげじいさんの作品です。

 「ここに使われる絵や文章の無断転載は固くお断りいたします。
    よろしくお願いします。」

小夏庵ものぞいてくださいね。

にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ

この小説の冒頭は・・こちらへ
by akageno-ann | 2009-03-18 12:08 | 小説 | Trackback | Comments(5)

その先のこと

第5章 その2

日常生活というのは、1週間もすればある程度の形ができてくる。

翔一郎はよく眠れているようだった。

4人部屋だった病院生活は自分より年配の人々と一緒で唸り声や泣き声が夜中に響くこともあり

安眠剤を使わないと眠れないことがあった。

しかし自分の寝室で隣に妻の美沙と供に眠るようになって熟睡できる夜が戻ってきた。

もともとよく眠れる方で、結局彼の病気は飲酒の多さと食事のアンバランスが要因になったのかもしれない、と思うと、美沙は自分の力のなさを感じずにはいられなかった。

今の状態を呼び込んでしまったことに改めて辛さが募った。

翔一郎は穏やかな性格になったが、その分何かにやる気を失っていた。

穏やかにこのままの時間が過ぎていけば、と思えたのはほんの最初だけであった。

リハビリは続けなければこれ以上の好転は望めないのだ。

どうしても日常に敢えて行うリハビリがそれまでよりも多くすることが困難だった。

週に2度、在宅リハビリに若い訓練士が来てくれるが、翔一郎はお茶を濁すような態度があった。

大きな病院のシステムの中で時間に区切られた生活の方がやはりやらねばならない、という使命感ができるのだと、思い知らされた。

だが、そんなことを思ってみても決して前には進めない。

とにかくここで何かを行おうとする意欲を湧き上がらせる必要があった。

家族4人の新生活はまだほんの序の口にあった。

翔一郎の母信子は、ひたすら幼い翔一郎を思うような気持ちで接していた。

最初から意見の相違を話し合うことを避けたが、美沙はこの状況はあきらかに翔一郎の気持ちの後退を感じていた。

母がこうして命をつないで戻ってきた息子を、それだけで喜び、迎えている姿は決していけないものではないのだ。

新しい局面はすぐに顕著になり、美沙は何かの打開策を考えていた。

つづく
 「ここに使われる絵や文章の無断転載は固くお断りいたします。
    よろしくお願いします。」

小夏庵ものぞいてくださいね。

にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ

この小説の冒頭は・・こちらへ
by akageno-ann | 2009-03-17 07:41 | 小説 | Trackback | Comments(3)

誰のために・・

第5章 その1

翔一郎の自宅第一夜は自分の寝室で訳8ヶ月ぶりに休むことから始まった。

昼ご飯は母信子が手作りの五目寿司を用意し、茶碗蒸しも熱すぎず、よく出来上がっていた。

ゆっくりと食べる翔一郎は

「おいしい!」を何度も言い、これまでにないほどの感謝の言葉を述べていた。

難しい話はしない、帰宅した喜びを素直に述べる翔一郎がそこにいた。

母信子は、そのことを喜んだ。

その日はとにかく、あの重病人だった一人息子が戻ってきた喜びに浸っていた。

「よくもどってきたわね。ゆっくりやって行きましょう。」

そう信子は言って美沙や理子に笑顔を向けた。

笑顔、このときほど人の笑顔に救われたことはない、と美沙は思った。

理子はとてもはしゃいで賑やかな昼食をとった。

そして初めてトイレにも行った。

片手片足でもなんとか立てるように補助棒が取り付けられていた。

ここのトイレは洗面所と一緒になっていたのが幸いして比較的広々していた為に車椅子が十分に入れて、そこで車椅子の回転もできた。

美沙の腰や腕には力がかかったが、美沙もあまり気張らずになんとか無事に夫と二人だけのその作業を終えることができた。

子供を育てるときのような喜びとは違うが、夫翔一郎がここへ戻ってきた喜びはあった。

「ゆっくりとやっていこう。」

近所の扶川さんの暖かい励ましにも守られているような気持ちがした。

扶川さんは一人息子を亡くして20年を同じ場所で過ごしていた。

家の近くでバイク事故で重傷を負ったその息子の介護をする覚悟で必死の看病をしたが、残念なことに1ヶ月の闘病の末亡くなってしまった。

半狂乱になりそうな扶川夫人を支えてきたのは信子だった。

同じ一人息子の翔一郎がいた信子への羨望の気持ちが、ぬぐえなかったであろう扶川夫人だったが、信子の献身はその心をゆり動かしゆっくりと素直な諦めの境地にたどり着き、そこからまた新たな仕事に燃える力を呼び込んだのだ。

信子はそのとき言った言葉を自分に取り込んでいた。

「扶川さん、誰のためでない、自分の為に生きなくてはいけない・・」

それはその時は少し驕った思いが手伝っていたかもしれないが、扶川夫人には少しずつ届いていた。

そして、今信子は自分にその言葉を呟いていた。

つづく

 「ここに使われる絵や文章の無断転載は固くお断りいたします。
    よろしくお願いします。」

小夏庵ものぞいてくださいね。

にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ

この小説の冒頭は・・こちらへ
by akageno-ann | 2009-03-15 20:16 | 小説 | Trackback | Comments(10)