アンのように生きる・・・(老育)

akagenoann.exblog.jp

かけがえのない日本の片隅からの発信をライフワークとして、今は老いていくにも楽しい時間を作り出すことを考えています。

ブログトップ | ログイン

<   2009年 04月 ( 15 )   > この月の画像一覧

高知への旅

第6章 その10

平田めい子が片山一家に加わってから変化したのは、皆の口数が増えたことだった。

他人が一人入ることで、しかもその人が優しい心を持っている人であったために、良い気遣いを皆がし始めていたのだ。

めい子はとても明るく聡明で年齢は20代前半であるにも拘わらず、人の心を読んで行動できる女性だった。

美沙は長く教職についていたので自分を含めて20代の初任時代に気遣いの足りなさを感じることが多く、ましてや最近の若い教職員の様子を見ていると、マイペースを通す人も多いことを少々疎ましく思うことさえあったのだった。

だが、めい子は何故か美沙の感性に似たものを持っていた。

そういう感性同士が引き合って、この状況を作り出したのかもしれなかった。

会話に理子はもちろんのこと、療養中の翔一郎、そしてその母信子も自然に加わり談笑するようになったのだ。

ありがたいことだった。

それはめい子にそれぞれが自分のことを知ってもらおうとする意欲を見せたからに他ならない。

家庭生活においても、必要なのは個々の意欲だった。

翔一郎はもちろん、少しでも麻痺している左足と腕を快復させようとリハビリに励み、もつれる舌を気にしながらも積極的に会話に加わろうとしていた。

そのことは間違いなく脳の活性化に役立っていたのだ。

立派な医療療法士が来てくれることも大事だが、日々のやる気を喚起することの重要性を皆が感じられた。

そして齢80になる信子は明るくなった。

始めは少し翔一郎の病を他人に隠そうとしていたが、今はこの状況のままを受け入れることができたようだった。

そしてその思いが全ての親戚にも翔一郎を会わせようとする意識に影響した。

信子は優しい顔でこう提案するのだった。

「この初夏の良い季節にみんなで高知へ行きましょう。私ももうこの年では何度もはいけないと思うの。親族にも会っておきたいし、私が旅行代を出すから2泊3日くらいで良い旅をしましょう。もちろんめい子ちゃんも参加してちょうだい。」

あまりに唐突な発言ではあったが、美沙は明るい顔で姑信子の顔を見ていた。
つづく
c0155326_17354720.jpg

「目に青葉 山ほととぎす 初鰹」の鰹のたたきのおいしい季節に土佐はなりました。

にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
いつも応援クリックに感謝しています。

小夏庵ものぞいてくださいね。
by akageno-ann | 2009-04-30 17:39 | 小説 | Trackback | Comments(7)
メキシコで発生した豚インフルエンザのニュースに連日心を奪われています。

今書いている小説の中でも平田夫妻がメキシコに在住するという設定ですので、他人事と思えません。

かつてインドのニューデリーに住んだ経験からも こういうニュースが日本に流れて、在外邦人に対するある種の不安をもたれることを危惧します。

どうか必要以上の恐怖感や偏見で考えないでいただきたいです。

在外邦人は日本大使館領事館の指示が細やかに出されています。

大抵の場合すぐに外出禁止が促され、そのことについて比較的早い段階で徹底されます。

どうしても現地の国民の暮らしの中には発展途上国の場合は衛生管理の方法に問題がある場合があります。

そういう場合は伝染病に対する認識の遅れや隔離の環境の手薄な点があって蔓延をふせぐことができないのです。

しかしWHOが乗り出すことによって、かなりの確立で封じ込めていくことは可能だと考えたいです。

異国でもまた日本人は日本人としてしっかりと対処する方法を考え励行します。

ですからこれから状況によって日本にその危険地域から帰国する人々が出てまいります。

各々が自分たちの考えに基づいて予防をすることは大切ですし、そういう場面に近づかないようにするのは大事なことです。

しかしそれにともなって当該地域から帰国する人々を誹謗中傷するようなことはあってはなりません。

かつてインドから帰国した人に向けて

本人は冗談だったといいますが、「マラリア蚊を連れ帰ってこないでね!」
と言った人がいます。

大人同士は まあその場で解決できますが、子供は大きな傷を心に残します。

どうぞそのようなことのないように皆でこれから もしかして訪れるインフルエンザの流行について

正しい知識を得て、身を守ってまいりましょう。

c0155326_936569.jpg

埼玉医大国際医療センターのエントランスの絵・・全てのものが救われるように
にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
いつも応援クリックに感謝しています。

小夏庵ものぞいてくださいね。
by akageno-ann | 2009-04-29 09:10 | エッセ- | Trackback | Comments(5)

アンのいる生活

第6章 その9

翔一郎はめい子の存在をとても喜んでいるように見えた。
娘が二人になったように、きちんと理子にも気を配りつつ、めい子を心の中に自然に受け入れている様子が家のなかに明るい空気として漂うのをそれぞれが感じられた。

めい子は理子を一番に気遣い、たくさんの会話をしていた。

それはとても運命的でまるで随分昔から一緒に過ごしている姉妹のような二人がそこにいた。

どんな気遣いよりも、この二人の出会いは翔一郎の病が大きなきっかけになっていることが驚きだった。

人との出会いはやはり大きな運命の力によって引き寄せられるのではないか、と美沙は思った。

こうして共に過ごすことを自然に許していった自分はやはり「アン」の存在が心にあったからだとも思えた。

一冊の本によってつながれる思いというのは時空を超えられるのかもしれなかった。

大きな病気や事件が起こった家庭には何か別の空気を入れる必要がある。

それも大きな愛情をもった空気が。       つづく

c0155326_7455172.jpg

この絵はアンをイメージして描かれた、ブログ藍色日記のfmutuさんの作品です。
この絵がアップされたことを知って、しかも私を通してアンを知ったので、と話していただいて、深い感動を覚えました。今私が刺繍しているアンも私の印象ですが、fmutuさんのこの淡い印象が清楚で優しさが溢れていて大変心癒される思いがしました。
感謝と共に、ここへの掲載をお許しいただけた喜びを感じます。
この方のブログにある絵の全てにこの淡い美しい色合いがあって心癒されます。
どうぞご覧になってください。そしてfmutuさん、本当にありがとうございました。
私の刺繍も進めていきます。

にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
いつも応援クリックに感謝しています。

小夏庵ものぞいてくださいね。
by akageno-ann | 2009-04-27 07:50 | 小説 | Trackback | Comments(4)

暮れなずむ町に

第6章 その8

翔一郎の住む街は母信子の時代に建売分譲住宅として購入したものであった。

そこで翔一郎は学生時代をすごし、やがて家庭をもって二代目として年老いた母と同居をしている。

それと同様にその住宅地全体が確実に老いている気配があった。

そのことは街の機能が少しずつ滞るようなことも増えたが、若い者たちの手で少しでも住みよい街にしようとする話し合いや、年配者も楽しく積極的に人と交流する場を増やすような雰囲気もできてきていた。

それに加えて、翔一郎のように一足早く病気を得て年を重ねていかざるを得ない者たちの存在も増えていた。

互いに援けあって過ごす時代がやってきていた。

美沙は年老いた義母の信子を支えて静かに生きたいと、思っていたのにその信子にも経済的にも精神的にも頼っている自分に気づき哀しい思いをしていた。

だが、理子の成長はその嫁と姑の関係に大きな明るい光をもたらしてくれていた。

幸い夫の方はあと2年の病気療養中のまま休職の措置がとられ、給与の一部が支払われていた。

「なるようになるのだから・・」

と、自然な流れに逆らわないように美沙は過ごすことにしていた。

このままやがて退職する翔一郎に代わって、自分が非常勤の仕事をしっかりやっていけば、成人する理子を待って、なんとか生活は同じように続けていけるはずであった。

もちろん、夫の退職は早まるかもしれない。それは彼の復帰の可能性の有無に寄るものだった。

たくさんの問題を抱えながらも、人生は明るく過ごしていきたい。

そう願う美沙だった。

少なくとも家庭には笑顔がほしかった。

そこへ前途洋々の平田めい子が加わってくれたことは大きな喜びであった。

小さな喜びを大きく育てていくことも、この暮れなずむ町、での人生に必要不可欠なことだった。

美沙は時折ほんの少し頭痛がしたが、自分の心のケアもしていかねばならなかったのだ。

ただ自分が倒れたらいけない、などという切羽詰った思いをもつことは止めていた。

『なるようになる』

彼女のこの思いはそのときとても強い思いになっていた。

つづく

追伸

私の住む街も随分と高齢者が増えています。
しかもお連れ合いに先立たれお一人住まいのお年よりも増えました。

そんな中で長いお付き合いの方とは時々お尋ねしたりして一緒にお茶をします。

先日はブログを通して知った「Chez Panipopo おいしいお菓子レシピ」の期間限定のネットショップでお取り寄せのお菓子を注文させていただいたら、先日届きました。
c0155326_1219775.jpg

蜜柑の種類のデコポンのカトルカールや抹茶のサブレ 焼きメレンゲなどなど目にも美しくおいしいお菓子がEMS便で一日で届いたのです。
ご近所の年配の友人宅でのお茶会にも持って行ってみんなで楽しみました。
また10月頃にはショップの再開もあるかも・・と願っています。

お菓子の繋ぐ心と心というものがある、とつくづく感じています。
ブログはフランスと韓国の香りもたっぷりの国際色豊かな写真も楽しめます。

Chez Panipopo おいしいお菓子レシピをのぞいてくださいね。

にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
いつも応援クリックに感謝しています。

小夏庵ものぞいてくださいね。
by akageno-ann | 2009-04-25 12:25 | 小説 | Trackback | Comments(5)

めい子との生活

第6章 その7

いよいよめい子が同居し始めた。

一番嬉しそうなのは、やはり理子だった。


長いこと一人っ子の暮らしに大好きな姉のように慕うめい子が訪れて、すでに高校生の理子は控え目ながら喜びを態度に表している。

話をすることが嬉しそうで、食事中の会話は明るいものになった。

翔一郎が帰宅してから翔一郎中心にセーブされた食事中の会話だったが、そのときはめい子が中心になっていた。

理子のために良かった、と美沙はこの決断に安堵していた。

「めい子さん、お休みの日はどうするの?」

という理子の問いに、めい子は

「買い物に出かけたり、家の掃除をしたりして過ごすのよ。」
と答えると、

「デートはしないの?」
と理子はあっさり聞いた。

美沙も年頃のめい子のその辺の様子は知りたかった。

「あはは・理子ちゃん・・はっきり聞くのね・・ でも残念ながらそれはまだないの。」

「でも、めい子さん素敵よ?」

そう理子は続けた。

「そうね、めい子ちゃん素敵よね。でもお付き合いしている方はないのね?」

と美沙はあまりしつこくならないようにそこで話を切った。

気になることではあるが、まずは彼女を信頼することだ。
そう感じていた。
両親の平田夫妻のことを考えれば、その辺のこともさりげなく気をつけてやりたい、と保護者の思いももっていた。
だが、めい子は既に成人となっていたのだ。

めい子も明るく食卓で話をしてくれた。

「よくインドから、一緒に旅行しましたね。シンガポールは楽しかったですね。」

「シンガポール、アジアの小さな国?どんなところなの?」

と理子が聞いた。すると翔一郎が

「美味しいものや買い物の天国だったよ!」

と、明るく答えるのだ。

理子は羨ましかった。素直に

「いいなあ、みんなでいきたいなあ!」
と答えた。

祖母の信子が残念そうに

「飛行機で行く場所は無理だわねえ。」

と残念そうに付け加えた。

が。そのとき理子は明るく細くするのだった。

「おばあちゃん、船で行くのがあるでしょう!?」

皆唖然として、そして微笑んだ。めい子がすぐに

「ほんとクルージングって素敵ですよね。」

皆微笑んで、ふと同じ思いで夢をみるような目をしていた。

クルージング、そうだ、体が不自由でも全て閉ざされているわけではない。

明るい未来も切り開いていけるのだと、ふと素直に思える美沙がいた。

つづく

追伸・・
クルーズのお話をだしましたが、私はとても憧れています。
実際に車椅子生活をする家族をつれていつか行きたい、そう思っていますが、今日は素敵なクルーズをされたクリスタルさんのブログ「Crystal Diary2」のクルージングの素敵な記事を是非ご覧になってください。
私はここでいつも癒されています。
Cozumelへ*旅日記* Day1をのぞいてくださいね。

にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
いつも応援クリックに感謝しています。
by akageno-ann | 2009-04-24 07:47 | 小説 | Trackback | Comments(6)

翔一郎のために

第6章 その6

やはり翔一郎もやっと自宅での療養になれてきた。

何が一番いいかと聞くと、食事だという。

療養中は一応きちんとしたダイニングがあって、そこに集まって食べていた。

味も美味しく、カロリーのコントロールもきちんとされていて、また翔一郎のように右手が使える者は自分のペースで食べることができたので、スタッフの手を煩わせることもなく、気楽ではあった。

だが、周りが皆病人だった。当たり前のことだし自分もその病人の一人なのだが、元気になるに連れ、わがままにもそのことが辛くなってきていた。

逆に言えば自身も入院当初はそういう印象を与えていたのだ。

そういうことはその場では明らかな思いに至ってはいなかったが、今こうして元気な娘の理子や妻と母との優しい気持ちに触れながら、自分の好物を作って共に食べるという嬉しさが過去を思い起こさせた。

過去を思い起こすということができるようになった。

正直なところ、発病後の事象は殆どまだ思い出せないでいた。

美沙が様々に話してくれるが、どうも発病前後の記憶がない。

脳自体の機能が働いていなかったのかもしれない。

人間の記憶は後から人から話されることで思い出したり形成されたりするもののようだ。

なんとなく、リハビリ病院での生活は自分の脳に記憶ができたようにも思えた。

だが、ここ自宅に戻ったことで、自分の日常の確実にしっかりしたものになってきたことを感じていた。

そして一番うれしいのは、自分の好きなものを食べやすく食卓に並べてくれる妻と母の気持ちだった。

その夜は、好物の天麩羅を小さく食べやすくして、膳に並べてくれていた。

つづく
c0155326_7433238.jpg
昨日は春の素材の天麩羅を食べやすく小さくして揚げました。海老も三つにあらかじめ切っておくと揚げやすく、アボカド、茄子、玉ねぎも同じ大きさにしました。c0155326_7424086.jpg
 こちらは昨日いっちゃんの美味しい食卓から頂戴したレシピで作った『キャベツと海老のパルメザン山葵マヨ胡麻合え』です。春キャベツと残った海老をボイルして・・大変美味しかったです。そして海老をボイルしたスープで美味しい味噌汁もできました。


小夏庵ものぞいてくださいね。

にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
by akageno-ann | 2009-04-22 07:51 | 小説 | Trackback | Comments(4)

その人のための刺繍

第6章 その5

美沙は、かつて見た古い洋画レベッカの一場面にある全てのリネンにレベッカのイニシャルRが刺繍されていたのを幼い頃から憧れていた。

レベッカはアルフレッドヒチコック監督の渡米第1作であり、英国作家ダフネ・デュ・モーリアの原作を元に英国の古い格式の中でのロマンティックなミステリーを創作した。

名優ローレンスオリビエの冷徹な雰囲気の紳士と、その後妻となる美しい女性役のジョーン・フォンティーンの不安に怯える目が印象的な映画だった。

その頃から手芸の中では特に刺繍をよくした美沙は、結婚の為に夫婦のリネンにイニシャルを刺繍したが、一人娘理子が生まれたときは、ことさらに幸せな思いでRのイニシャルを幼子の衣装に美しい金糸を使って丁寧に刺繍した。

しかし、最近は手芸をする時間をもつことなど到底思い浮かべない日々であった。

夫のためにも少しはそういう手作業を入れていくほうが、と思っても、心はいつも夫の病のことで全て占領されていて、なかなか針と糸を持とうとは思わなかった。

だが、この家に懐かしい子供 平田めい子が同居することになって、めい子へのウエルカムの気持ちを久しぶりに彼女の部屋のインテリアとして刺繍をしようと思ったのだった。

めい子がまるで「赤毛のアン」のようにここにやってくるような気がしていたので、美沙はアンを自己流にデザインして刺繍し、小さな額入りにして壁に飾ることにした。

一針一針刺し進めていくと、楽しさと優しさが心を占めて、忘れていた美沙の中の創作する心が湧き上がってきていた。
つづく
c0155326_2248334.jpg
久しぶりにクロスステッチをはじめています。

小夏庵ものぞいてくださいね。

にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
by akageno-ann | 2009-04-19 22:49 | 小説 | Trackback | Comments(10)

めい子の同居

第6章 その4
c0155326_10455685.jpg


平田めい子は幼い頃をデリーで美沙たちと3年、それはまるで家族のように共に過ごした記憶があった。

めい子は両親に大切に育てられていたが、母よう子による特殊な生活によって、本来の子供らしさが奪われていた時期があった。

デリーではサーバントの中のアヤという子守を専門にする女たちによって子育ての大半が行われていた。

もちろん主たる教育は両親が行うが、それにしても朝の起床から夜の就寝までの身の回りの世話をそのアヤによって優しくやってもらうような日常があればどうしてもお姫様のような扱いがなされるのは仕方のないことでもあった。

めい子は誰にも笑顔で接する子供であったので、ことさらにアヤにも可愛がられ、途中アヤの交替もあったが、楽しく日々を送っていた。

しかし、子供心にアヤが自分の両親に雇われている人間であることは、事実というよりニュアンスで感じ取っていたようで、同じく可愛がってくれる日本女性に対する憧憬の思いは特別のものだった。

美沙はその中でも特にめい子の心を捉えていたのだった。

だが、めい子の母よう子が様々な思いの中でめい子を美沙から遠ざけたこともあり、幼い心の中で不思議な思いにかられたまま、日本に戻っていたのだった。

その美沙にめい子はこうしてその夫翔一郎の病気見舞いによって再会し、改めて大人の女性としての魅力を感じたのだった。

その美沙とまた再び毎日の暮らしをもっと密に行えることにめい子は感動していた。

そして今度は理子という思春期の美沙の一人娘も一緒であるということをしっかりと念頭に置いた。

自分のそれまでの歩みの中で学んだ、人に対して優越感をもって接しない、という思いをさらに強くしていた。

つづく (上の写真は以前に作ったアンの小説に出てくるリンド小母さんです。)
小夏庵ものぞいてくださいね。

にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
by akageno-ann | 2009-04-17 11:28 | 小説 | Trackback | Comments(9)

女の子らしい部屋に

第6章 その3

翔一郎は自宅に戻ってきた当初は、まるで以前とは人が変わったように、家のことに興味を示さず、ただぼんやりしていたが、誕生パーティを行ってから、次第に自分に今の状況が理解されてきたようだった。

ただ穏やかになってしまったかと思われた性格にも起伏が見え出し、たまに落ち込んだり、ごく稀に苛立っている様子が伺えた。

それが長年連れ添った夫と初めて向き合うような気持ちにさせられることに美沙は時折戸惑ったが、不思議なことに後悔や哀しさがなかった。

これまでの闘病生活を支えた者としての新しい自覚が美沙の中に育っていたのだった。

だから、平田めい子が下宿人のようにこの家に入りたいという申し出にも何か大きな変化がもたらされることに次第に期待感を募らせていた。

おそらくは娘の理子ともいろいろな問題が起こるのかも知れなかったが、いずれは理子もここを出て行くであろうことも想定し、新しい局面に積極的になる心が生じていた。

平田めい子の両親が話し合った結果を電話してきた。

久しぶりによう子も電話に出てきた。

「美沙さん、ご主人のご病気は大変そうですね。めい子も大変心配しています。あの子は貴方が好きなのですね。
だからあなたの少しでも手助けをしたいのだと、思います。
本当に手助けになるのか、今の私にはめい子のことがわからないのだけど、主人は美沙さんの下なら安心だといいますから、お願いします。
下宿代は払わせてくださいね。」

その言葉には優しさが感じられた。美沙は、

「最初はそんなことをしてはご両親が心配されると思ったのですが、デリー時代のめい子ちゃんのままの素直な優しい気持ちに心打たれました。
我が家は主人もその母もそして娘の理子が大変喜んでいるのです。
下宿代は本人と話し合って決めさせていただき、ご報告します。
こちらもお世話になるのですから、本当に実費だけいただくことにしたいです。

何か問題が出たときはいつでもおっしゃっていただけますよう、めい子さんにもご両親にも申し上げておきます。」

少々固さのある言葉だったが、よう子には美沙という人間が昔とかわらない良い人間であるとわかるような気がしていた。

美沙は勝気な面も持ち合わせて、決していい加減なことをしない人間であることも、よう子はよくわかっていた。
若い頃に二人の中に生じた亀裂もこうして長い年月を経て、娘の成長によって埋められていることに二人とも何となく気づいているのだった。

そして美沙はめい子の部屋をアンが喜んだような女の子の夢を見られるような部屋にしようと考えるのだった。
つづく
c0155326_143756.jpg

雨上がりの庭の水場で

小夏庵ものぞいてくださいね。

にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
by akageno-ann | 2009-04-15 14:40 | 小説 | Trackback | Comments(0)
第6章 その2

平田めい子の片山家に同居したいという申し出は、美沙を驚かせたばかりでなく、もちろん彼女の両親、とりわけ母親のよう子の度肝を抜くような話だった。

めい子はメールでメキシコに赴任中の両親にこれまでのいきさつと、片山美沙をはじめとして片山家の人々が大変好意的で家族のようであることを彼女なりに丁寧に知らせてはいた。

最初にそれを読んだ父親の平田氏はめい子の気持ちが痛いほどわかっていた。

めい子は幼少の頃、デリーで片山美沙を親戚の大好きな叔母さんというように慕っていたのだ。

幼い頃に出会った、優しい大人の女性は幼い女の子にはそのまま憧れに繋がるものだ。

美沙はそうなって当然の美しく優しい女性だった。


今その夫でかつてデリーで平田氏の同僚だった片山翔一郎がかなり重い病に罹っていたとしても、おそらく片山家の暮らしには暖かな団欒があり、そこに娘めい子が溶け込んでいても不思議はなかったのだ。

だが、そのことを妻であり、めい子の母であるよう子にどのように知らせるべきか少々悩んでいた。

しかし急を要することであり、めい子に返信し、片山美沙とも話をしなければならないと思った矢先に美沙から国際電話が入った。
休日の早朝だったから、当然のごとく平田自身が電話に出て、美沙と長い無沙汰を互いに詫びた。

「平田先生、めい子ちゃんには大変お世話になっているのですよ。優しい聡明なお嬢さんで、本当に素晴らしいです。でもこのほどのお申し出はあまりにこちらがご迷惑をかけるように思えて、先生とよう子さんはどのようにお考えですか?」

と、美沙は率直に話した。

平田氏は少し慌てて、

「いや、美沙さん、無理をいっているのではないのかな、めい子は?
実はまだそのことをよう子が知らないのだ。今これから話すのでこちらから折り返しお電話します。
ただ一つ聞いておきたいのは、めい子の同居は可能なの?」

インドで3年間同じ時期を苦労して過ごした仲間は長い無沙汰のあとでもそれは何故か不思議に親しみが湧いていた。

その問いに対し、美沙は比較的簡単に答えていた。

「私の方は家族で歓迎ムードなのです。」

それだけ聞けば今の平田氏には十分だった。

「では後ほど」と言って電話は一度切れた。

つづく


☆いつもこの「アンのように生きる」をお読みいただいて本当にありがとうございます。
 私はアンをこよなく愛しつつ、そういうアンのような思いで暮らしている日本女性もたくさんいるように思って書かせていただいています。

小説は片山美沙という中年の女性からその娘の片山理子、そして友人の娘平田めい子という若い女性の生き方へと変遷していきます。

そしてその女性たちが同じ屋根の下で過ごすことになったときから少しずつ私の中にある、アンの生活ぶりを再現したくなってきました。

長いこと憧れつつ、これまで空想の中にあった、手作りの暮らしです。

今日はまだ自分ではなく、お気に入りの喫茶店のご夫妻がアンをこよなく愛し、その雰囲気のままに優しい憩いの空間を作られている場所を紹介させていただきます。Moreへお立ち寄りいただけましたら幸いです。

小夏庵ものぞいてくださいね。

にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ

More
by akageno-ann | 2009-04-13 20:20 | 小説 | Trackback | Comments(6)