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アンのように生きる・・・(老育)

かえる

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明け方モリアオガエルの声がした。

「帰ってきた」

夫はそういって、サンルームに白いテーブルを運んでその声に耳を傾ける。

3年ほど前に学校のプールに産みつけられたモリアオの卵が孵って
その子たちの何匹かを引き取って育てている。
その時に逃げてしまったものがいて心配していたが
どうやら庭に一匹、生息しているらしい。

モリアオの鳴き声はとても清清しく透明感があって、朝な夕な楽しませてもらえそうだ。

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この水場は夫が作ったもの。
そこにいるらしい、まだ姿は見せない。
声がするのはオスである。

帰ってきた、その言葉はふと義母がもどっているようにも思えて不思議な思いがした。

とても母に見守られたい。義父は今病院にいる。

「母さんが死んでから32年、こんなに長生きできるとは思わなかった。」

義父の今日の言葉に私は何かとても深いものを感じた。

32年、この私とここで過ごした。
母が見守っていなくてはとても無理だったと思って、

雨だったので今日やっと義母の墓前に花を手向けた。

「どうか私たちの幸せを見守ってください・・・」

ちょっと陳腐なその言葉を今日は真面目に呟いた。

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by akageno-ann | 2009-05-31 21:52 | エッセ- | Trackback | Comments(10)

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結婚ということを意識しはじめると自分の住んでいる場所から心が離れる時期がある。

都心に程近い場所に住んでいた自分は郊外の自然に急に目を向け始め、

まるでそこが自分にとってあたかも神聖な場所であるかのように感じたのを思い出した。

そして義母となる人の急逝によってより一層その意識が高まった。

同じ頃、かなり年上の人からの求愛を受けていたが、その義母の存在は私の心を決定的なものにしたようだ。

亡くなって尚、その大きなエネルギーを発する人だった、いえ、亡くなった故にというべきかもしれない。

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この地に住んだのは、結婚後1年を他所の場所で過ごしてからだった。

3月末のその日、引越し荷物を収めた夕刻に初めてこの家の周りの掃き掃除をしたようだ。

ようだ、というのはそれから2年して、ある女性から声をかけられた。

「貴方と同じ日にここへ引っ越してきたのです。やっとお会いできましたね。」

美しいそしてやさしいその人とこの地でのお付き合いがはじまった。

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今日もまだ雨・・・・


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by akageno-ann | 2009-05-31 07:47 | エッセ- | Trackback | Comments(2)

ほほえみかける

花が微笑むという感じを今朝は掴みました。

雨はまだ降り続いていますのに、木漏れ日も感じられて5月の明け方の雨は優しいです。

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義母が好きだったという紫陽花を我が家は一度たやしてしまって、今また育てています。
小さいけれどまた花がついています。

これからは紫陽花が楽しみな朝の散歩です。
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寺への山道はこうして紫陽花の道になっています。

義父との暮らしは三十年になります。
義母は銀婚式を終えてすぐに亡くなりました。

私に二度あって、「この家にいらしていただけますか?」そういい遺して
8日後に突然亡くなりました。心筋梗塞でした。

それから3年して、私はここへ嫁いできました。

今朝も睡蓮を撮りながら、

「お父さんとお母さんよりも長くおつきあいしちゃいました。」

そう語りかけたら、母はちょっと微笑んだように思いました。

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追記に

イギリスから世界に美味しい物 楽しいことを発信している、
とっても可愛い妹のようないっちゃんがこのブログを紹介してくださいました。
照れつつもとても励まされました。
ありがとう!


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by akageno-ann | 2009-05-30 07:58 | エッセ- | Trackback | Comments(5)

あるメッセージ

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子供たちが公園から蹴り上げたボールが昨日は雨にまみれて泥んこになって沼に残されている。
その向こうの小高い場所にある寺の墓地に義母が眠っている。
ちょうどここを見下ろすように。

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雨なので、今日の開花は遅いが、静かに開きかけているように感じた。

今日は義母の月命日 彼女と入れ替わるようにこの地に住んで、30年
今母の年になった。

まだ開発途上だったこの住宅地はすっかり洗練され、尚年輪を重ねている。

母はここで今も見守ってくれているように感じられた。

人が土地を選んで住み始め、その地に根付くまでには相当な時間が必要なのかもしれない。

私はこの地がいつの間にか好きになっていた。

古い家を改装しつつ暮らしている。

5年前に隣人がふるさとに転居する折に家を譲り受け、その家を別荘のように使っている。

その家がきたときも、私は義母からのプレゼントのように思えた。

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小さな庭に好きな花を育て、サンルームを取り付けて寛ぎの場を増やした。
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今年はここにミニトマトを栽培している。
いつの間にか大きくなっているトマトも愛らしい!

そして今日、SMAPの草彅剛さんも復帰・・
再出発の日に相応しい日なのかもしれない、と思った。

睡蓮の花を見ると 母のメッセージを聞き取れるように思う。

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by akageno-ann | 2009-05-29 08:11 | エッセ- | Trackback | Comments(12)

私のライフワークのタイトルです。

この日本は今少し迷走しています。

いや瞑想しているのかもしれない。

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毎朝空を見上げて、こんな日本の片隅からも日本の未来への繁栄を願っています。

ときどき恋愛小説を試みながら私の小説風エッセーを書かせていただこうと思います。

これまでの「アンのように生きる」も本当に声援をありがとうございました。

また楽しんでいただけたら嬉しいです。

これからもこのブログをどうぞよろしく!
by akageno-ann | 2009-05-28 20:59 | エッセ- | Trackback | Comments(7)

最終回に感謝をこめて

1年半にわたって、書かせていただいた小説「アンのように生きる」は私の良い記念になりました。
お読みいただいた皆様に心から感謝を申し上げます。

ブログ村への応援のお陰で何度も現代小説1位にさせていただけたことは、本当に大きな励みになりました。
ありがとうございます。

インドから高知へ舞台は移り、活気ある三十代をデリーで過ごした翔一郎は50半ばで脳卒中による障害者としての生活になりました。

その間にも理子という待望の一人娘が生まれ、インドの仲間たちとの心の交流や成長した平田めい子との新しい繋がりができました。

家族は一つの小さな単位ですが、時と場所を得て、人は様々に繋がり手を携えるということを考えていました。
「赤毛のアン」は孤児だったアン シャーリーがマリラ・マシュー クスバートという兄妹に引き取られて、新しい家族を形成し、幼馴染だったギルバートブライスと結婚して素晴らしい家族を作り出します。

血のつながりだけではなく、偶然や必然によって出会う人々によって家族ができる場合があることを示唆したいと思いました。

この時代に自分たちの個体の家族だけではやりきれない問題が生じてきている。

プライバシーを守りながらも大きな協力体制を作ることは大切なことだと考えます。

では前おきがながくなりましたが、最終回です。

最終章 最終回

夜間フライトになった飛行機は無事に高知龍馬空港を飛び立ち、美沙は心から安堵している。

日本国内の飛行は短いので、離着陸が少々怖い美沙には苦手な乗り物だが、こうして充実した旅の終わったあとのフライトは大変に軽い心がそこにあった。

信子は高齢だが、矍鑠と動いて皆を驚かせ、高知を美しい大好きなふるさとと思いつつも再びここへ戻り、骨を埋めるばしょでないことを今回思い知った。

しかし親戚の若い者たちは翔一郎の帰郷を喜んで迎えると申し出てくれたことは、信子にとって一番の喜びであった。

美沙はおそらく家族の形成を考えてすぐに押し奨めることはしないであろうが、なるべくその気持ちになってもらえるように後押しをしようと決めていた。

勘の良い平田めい子は、理子と共に関東に住んで、美沙と翔一郎は高知で療養生活をするのが良いのではないかと、少し生意気ではあるが・・と考えていた。

一時間ほどのフライトはそんな究極な夢のようなことを異次元の感覚で考えることのできる良い時間だった。

理子は父親と共にもう少し絵を描いていたかった。

やはり一人っ子は両親と兄妹のような感覚でいたのだ。

母と父、この二人とはなれることはまだ無理だと感じていたのだ。

祖母も食事つくりなど頑張ってはくれるが、やはりとても年齢的に年をとっていることをも感じていたのだ。

ただ父親が少しでも仕事として何かできることが高知にあるというのなら、自分は無理に引き止められないとも感じていた。

そう感じている先に姉のようにそこにいるひ平田めい子を思った。

めい子は両親と離れてしっかりと自分の道を歩んでいる。

いつか自立しなければならないのだとしたら、それは間もなくなのだと感じていた。

この短い旅はそれぞれが人生を考えていた。

翔一郎は少しでも自分のできることがある場所であることを何となくであるが感じているようだ。

美沙はこの1年を一つの大きな転機を迎える前の準備段階として進んで行こうと考えた。

病を得て家族の生活はほんの少しそこに停滞していた。

インドで暮らしたことを思えば日本の夫のふるさと高知、デリー時代の友人北川のいる高知をものすごく身近に感じることができたのだ。

やがて飛行機は高度を下げて、羽田空港に向かっている。

東京の夜景は煌びやかで美しい。

その便利さや活発さから果たしてすっかりと離れて暮らすことができるだろうか?

そう自問自答してみたが、答えは「YES」だった。

人生は決して留まらない、必ず躍動して進んでいく。

若い人々のことを一番に考えながら、まだ進歩できる自分たち夫婦のことも考えた。

また高齢の母信子の未来も閉ざしてはならない。

ともに手を携えて、少しでも大きな世界を見つめて生きていこう。

そう、時にはアンのような柔らかな気持ちも持ち続けよう。

そう思いつつ、美沙は翔一郎の背中をしっかりと抱えていた。

                                         完

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仁淀川の川原にて・・秋祭りのおなばれ
小夏庵も覗いてくださいね。

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by akageno-ann | 2009-05-25 22:39 | 小説 | Trackback | Comments(11)

それぞれの人生を

最終章 その5

土佐の旅は短いものであったが、そこで出会う人々とのかかわりは日常とかけ離れていたせいで、信子、美沙、翔一郎、理子、そして平田めい子の各々が心に響くものを見つけたようであった。

美沙ははじめ、この旅はただただ無事に遂行できたら、とだけ考えていた。

先ずは自宅から羽田空港まで介護タクシーで無事に時間通り着けるであろうか?

翔一郎は長い車の移動に気分が悪くなったりしないだろうか?

信子が高齢で、果たしてこの旅に本当についてこれるのであろうか?

そんな疑問符ばかりを頭の中に繰り返していた。

しかし娘の理子が大変喜び積極的だったことと、平田めい子が快く同行を承諾してくれたことに助けられていた。

そして出発の日は見事な好天気をあてた。

介護タクシーは車椅子ごと乗せることができて、クッションの良い車が時間通りに来て、皆を乗せ、快適に高速道路を走って、予定の時間の30分早く羽田に到着できた。

やればできる・・美沙は改めて力をもった。

空港内の介護用のトイレはゆったりと使いやすく、翔一郎も元気だった。

その幸先のいい出発がこの旅の全てを支配してくれていた。

土佐は最高に良い季節で皆を出迎えてくれた。

そして人々の優しい心・・さりげない励まし。

さらに美沙には北川の愛情こもる態度が心を躍らせた。

それらすべてを正直に素直に受け取ろうとした。

間もなく一行の復路が始まる。

高知龍馬空港にはたくさんの縁者が集まってくれた。

翔一郎がぽつりと言った。

「美沙、なんだかインディラガンジー空港から帰国した時のようだね・・」

翔一郎も心が躍っていたのかもしれなかった。

「はよう、またもどってこいや・・」

そんな言葉に見送られて、一向は東京行きの飛行機に乗り込んだ。

最終回へつづく
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web高知 土佐路ぶらりのサイトより拝借しました
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by akageno-ann | 2009-05-23 22:53 | 小説 | Trackback | Comments(4)

人々を繋ぐ

終章 その4

翔一郎の母信子は 自分の命がそれほどに長くはないことを感じ始めていた。

食もほそくなったし、何より自分自身 この世にあることにそろそろ疲れを感じていた。

逆縁の不幸のように一人息子の介護生活に携わらなければならない自分の人生を時には呪いたい思いがあった。だが、嫁の美沙は無心によく働いてくれた。

彼女にとって本当に良い姑だったかどうか、それは自分ではわからない。

ただ美沙はとても自分の本当の娘のように信子に対して信頼し、心を打ち解けていてくれる。

そう感じられることがありがたいことだった。

互いがわがままを言っていられる状況でないことがそういう良い方向性を向いているのかもしれなかった。

美沙は自分の置かれた立場に対してとても素直に相対しているように思えた。

高知で住むこともおそらくは考えているだろう。

だが信子自身は今さらこの地に戻りたくはなかった。

ここを離れてしまった自分の生活と共に心も離れていたからだ。

自分の最後はやはり関東の今ある家で、そう切に願った。

自分の死後に翔一郎たちは異動を考えてはどうであろうか?

ふと其処まで考えて、自分の身勝手さにひとり不適な笑いをもった。

しかしここでもっと親族と心を繋いでおこう。

若い世代になって、若い人同士が繋がっているようにもみえ、心強いことだった。

自分がなくとも何とかなるだろうと、そう持ち前の気楽さも最後まで押し通したい・・

そんなことも頭を過ぎる老齢の信子がいた。
つづく
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by akageno-ann | 2009-05-22 10:35 | 小説 | Trackback | Comments(2)

土佐の母の味

終章 その3

3日間という短い旅ではあるが、その内容はとても凝縮されていて、一日がその二倍あるかのような感覚を皆がもっていた。

土佐の人々は遠来の客を飽きさせず退屈させず、と必死でもてなすことが多い。

皿鉢料理にいたっては、祝い事や法事に突如参列してくれた人々をも、心から喜んでもてなしたいという思いの現れの様だ。

だから余るほどの皿数を必ず揃える。

信子はその若き頃の様々な思い出を蘇らせていた。

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信子の母は薬やの娘で不思議な人を癒す力を持った人だった。

実家からいつも薬をもらっているのか、特に小さな容器に入った軟膏を「おばあちゃんの薬」といって
信子が怪我をしたり、虫に刺されたりするとつけては治してくれた。

アロエを栽培してアイロンで火傷をすると、長い時間をそのアロエの透明な中身をずっと患部に貼っては炎症を抑えてくれていた。

孫の翔一郎が発熱すると、信子に触らせることもせず、自ら翔一郎に張り付くようにして看病をし、治してくれていた。

その母の得意料理は板取の煮付けや、リュウキュウという青物の酢の物、寒天を晒して作るみつ豆や心太だった。

特に祝い事の時は夜なべしてたくさんつくり、仕出しの皿鉢に加えて、家の大きな皿や鉢に その手作りの料理を並べていた。

子供たちは特にそのみつ豆をエンドウ豆とさくらんぼを競って食べたことを思い出した。

心太は関東のものとは異なって、ソーメンつゆに生姜汁をしぼって食べていた。

ソーメンは小豆島のものをたくさん茹でて、薄味のソーメンつゆにやはり生姜をすりおろして宴の最後の〆のように食べたことを思い出した。

今回の旅は翔一郎を親族に改めてその病気と共に紹介することであった。

信子自身も80歳を越え、そういつまでも気丈に生きているわけにもいかないことをわかっていた。

自分はなるべく人の手を煩わせないように人生を閉じられたら、と思っている。

しかしこの一人息子の翔一郎を妻の美沙と、娘の理子だけに背負わせるわけにもいかない。

親族に力を借りていかねばならない、と考えていたのだ。

つづく

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by akageno-ann | 2009-05-21 07:42 | 小説 | Trackback | Comments(5)

巣立つ雛たち

終章 その2
美沙は翔一郎が病に倒れた時に、一番に考えたことは娘の理子のことだった。

どんなことがあっても理子を路頭に迷わせてはいけない。

彼女のもつ限りない可能性や夢を阻んではいけない。

それは甘やかすことではない。

今ある生活をなるべくしっかり続けさせながら、父親が重篤な病にあることも見つめさせなければならない、と闘病生活の始めは、随分と心に負担がかかっていたことを、この土佐の旅で様々に思い出した。

燕の巣のある茶店は仁淀川の上流が見下ろせる国道の端にあった。

店の主人や店員の女性たちが親切で、車椅子の翔一郎や老齢の信子を優しく招き入れてくれた。

店は趣きのある囲炉裏があって、川魚の塩焼きがきれいに並べられていた。
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「ここの名物はこのおでんだよ。ねえもう100年煮込んでるよね。」

北川は笑いながらそういって、一本のゆでたまごの串をとって平田めい子に渡した。

「めい子ちゃん、ぼくはこのゆで卵が大好きなんだ。からしをつけて食べてごらん。」

めい子は皿にそれをとり、理子に渡すと、にこやかに今度は自分もゆで卵の串をとった。

それから銘々に好きなものを取り合わせて、席についた。
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一本百円というそのおでんはしっかりと味のついた素朴なもので、蒟蒻や豆腐、大きな竹輪と皆楽しんで食べた。

「今日はこの店でゆっくり休んで、森林浴をしよう。」

そう北川は提案した。

「その間に理子ちゃんとめい子ちゃんは手漉き和紙の体験をしてみないか・・」

「手漉き和紙・・わああ・・やってみたあ~~い」

理子は美術に興味があるのでその申し出にすぐとびついた。

祖母の信子も嬉しそうで、

「土佐は昔地場産業で手すき和紙が盛んだったんよ。そうそう美沙さんも行ってらっしゃい。
私と翔一郎でここにいるから、大丈夫よ。」

ちょっと土佐訛りに話した。

美沙もあり難くその申し出を受けた。

北川の車に子供たちと4人で乗ってそこから15分ほどの和紙工房に出向いた。

観光用の簡単な和紙の色紙と葉書を作るというものだが、簀桁(すげた)といわれる紙の大きさに合わせた枠を漉き船という大きな桶の中につけて、その中の紙の原料を掬い上げて均等にならす・・のだが、薄く仕上げすのはなかなか難しいのだ。

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それでも皆楽しんで、何度もやらせてもらった。ここの工房は北川が学校からの見学などでよく訪れているので懇意にしていたのだ。

山でつんだ、野アザミや露草など花と葉をちょっと散らしてみるとその自分の和紙の出来上がりが楽しみであった。

そんな行程を楽しみながら、北川は美沙に話しかけた。

「よくここまでがんばったな・・」

その唐突な声かけに、美沙はふいに胸の内をつかれ、こみ上げるものを押さえるのに、むせてしまった。

むせたのは、涙をこらえるためだった。

むせながら、涙をこぼし

「ごめんなさい・・むせちゃって・・」と

涙の言い訳をした。

その涙を北川ははっきりと理解し、ふとそんな美沙の肩を抱いてやりたい衝動にかられていた。

これから巣立とうとする理子とめい子はそんなことには気づかずに無心に紙漉きの体験に興じていた。

                                          つづく

小夏庵も土佐の旅です。覗いてくださいね。

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by akageno-ann | 2009-05-19 08:22 | 小説 | Trackback | Comments(7)