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アンのように生きる・・・(老育)

小説を描き始めたのが 2007年の11月30日からでした。

「アンのように生きるインドにて」

何故かこの日から初めてちょうど1年、皆さんに読んでいただきました。
あれからこうしてここまで書いていることにとても嬉しさを感じています。

その間にここに感想を残してくださった人々と多くの暖かい繫がりができて、そこにもまた新たな人間模様が生まれました。人は人とのつながりを大事にしていくことで素敵な人生を紡いでいける・・そう思えます。

たくさんの大変なこと苦しいことの中に必ずみつけられる光をしっかり求めて歩んでいけたらいいなあと、日々感じつつ ここで小説を展開させていただきたいと思います。

これまでのご高覧にも深く感謝します。

小説 コスモスのように
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CHILさんの描いた お子さんの りょんちゃんとコスモスです。

その11

月日は少しずつだが順調に流れ始めた。

紘一郎は 妻恵子がたおれて以来不安な日々が続いていた。

しかし人間は強いものだと、いや本来は鈍感なものなのだとも感じていた。

喉元を過ぎた苦い辛さは、日常が平穏に流れ始めると どんどん心が解き放たれるようになった。

夜同僚や部下と呑むことも久し振りに再開した。

すると今まではあまり感動もなかったそういうことにも、喜びや感動があった。

上司としての気分をいつもより盛りたてる部下の様子にも何故か心が浮き立った。

夕方までであっても 三田紀子が家政婦として家に居て、妻や父親の面倒を見ていてくれることが、こんなにも心が軽くなるものか・・と心強く思っていた。

それだけ三田さんが家族の中に必要な人になっていた。

彼女は優秀な人材だった。

彼女がもしかして今、この会社に居たとしても不思議はないほど、彼女の聡明な態度は心を軽くしてくれていたのだ。

恵子も安心して今までのようにバタバタした生活ではなくて義父への気持ちも楽になっているようだった。

恵子には気の毒だが、彼女の病気は決して無駄ではなかった、と思えるほどだった。

そんな思いが男の身勝手だということには 紘一郎は まだ全く気づいていなかったのだ。

つづく

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by akageno-ann | 2009-11-30 22:55 | 小説 | Trackback | Comments(9)

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小説を書いています。
このコスモスの絵は いつもタイトル画を描いてくださる 4歳のりょん君の作品です。
りょん君とその兄弟がモデルの絵日記ブログ→「かあちゃん、あのね

小説 コスモスのように

その10

「三田さん、みたさ~~ん!」

大きな声で舅が家政婦の三田紀子を呼ぶ声が聞こえた。

最近の朝のひとこまになった。

嫁の恵子を名前で呼ぶことが殆どできなかった彼も この三田さんという呼び名は心地よいらしい。

また三田紀子が綺麗で聡明な雰囲気が舅は気に入っているのだ。

その上若く、てきぱきとしている。

かつて自分もこんな感じだったのにな・・と恵子はちょっと首をすくめてみた・・

女は年をとれば家事にも鈍さが出てくるものだ。

ここの姑も晩年はまだ60歳少し前であったが、病気も抱えて辛い日々であったであろう・・と

恵子は一人彼女を偲んでいた。

大正生まれの姑は 黙って家の切り盛りを家族のためにする人のようであった。

恵子が嫁いできて、孫もみて、安心するかのように急死した。

病はおそらく別にあったはずだが、最後は心筋梗塞だった。

友人の主人も若くして亡くなったのは同じ原因だった。

若い日々はあまり病気などはかなりの症状が出ない限り気づかぬことが多いのだ。

夫の紘一郎は最近は妻を同じように早世させまいと、気を遣っている。

舅はというと、新しい自分の面倒を見てくれる人が現れたのでこれ幸いな様子が伺える。

もう80をとうに越えているせいか、我が身大切の気持ちはいたしかたなかろう・・

しかし、恵子は病を得て、朝の食事が終わると少し自室で休むようにしている。

こうしてみると、朝の家事は女にとってかなりの重労働だったとわかってきた。

三田紀子のきびきびとした家事労働の様子を音で感じていた。

洗濯物を2階のベランダに持っていくのに階段を上がる様子が軽やかだ。

まな板で包丁を使う音も実にリズムが感じられる。

その上、彼女の料理の盛り付けがとてもセンスがあって、子どもたちも喜んでいる。

ふと恵子自身がここに嫁いでキッチンが華やいだと姑に言われた遠い日のことを思い出していた。

つづく

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by akageno-ann | 2009-11-27 23:25 | 小説 | Trackback | Comments(8)

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このコスモスの絵は いつもタイトル画を描いてくださる 4歳のりょん君の作品です。
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小説 コスモスのように

その9

三田紀子は若くして夫に先立たれ、幼い二人の子どもを抱えて ホームヘルパーの仕事をはじめて2年がすぎた。

子どもたちは保育園と実母が面倒をみてくれているが、次第に自分がこういう家事を主体とした仕事に向いているのではないか・・と思い始めた。

この仕事で一番大事なのは責任感である。

守らなければならない事項はいくつもあるが、先方のいて欲しい時間を責任をもって確保することが一番大切だと感じている。

今は携帯電話があるので、突発事故などはすぐに連絡可能だが、それでもその日にいけない・・というのはいずれにせよ大きな支障を先方にも会社にも与えることを感じてきた。

幸い今までは 子どもの急な発熱などあっても、実母が代わってくれていたので、健康体を保てている本人の問題もなかったので、なんとか無事に勤めができている。

その実績がまだ浅い経験年月でも次第に重要な仕事に就かせてもらえるようになった所以だとも自覚があるところだ。

今回の堀田家の仕事は 先方から若くて明るい人、という条件に沿った人選だと聞いた。

どんな家庭なのか、さすがに最初の日は緊張と不安で向かうのだが、堀田家の人々はまことに自然体で、また夫妻がなんとも暖かい雰囲気を醸していて有り難いと感じた。

お年よりもいるが、まだ健康で、この度のこの家の主婦堀田恵子の病気療養で、自分もまだまだしっかりせねば、という気持ちがあることを感じた。

堀田恵子の病状は少し重症だとは聞いていたが、心は癒えているようで、雰囲気がほわんと柔らかい様子に先ずほっとした。

しかし三田紀子は気持ちは緩めず、まず1週間をこの家に慣れるべくかなりの神経を使って様子をみた。

家庭生活の上で食事つくりのためのキッチンの使い勝手は かなり大きな比重をおくが、堀田家は先ずあまり食への嗜好がうるさくなく、紀子が作ったものを「おいしい」と言いながら食べてくれることが嬉しかった。

恵子はその食事のメニュー作りに熱心で、紀子と無理のない程度に一緒に献立を考えた。

「三田さん、食事が楽しみになってきたことが一番元気になってきている証拠だと思えるの。」

「奥様、良かったです。本当に・・皆さんなんでもおいしいと召し上がってくださって、とても嬉しいです。」

「それは貴方がとてもきちんとお料理してくださるからよ。」

ふたりは和やかな会話をすようになってきていた。

この項つづく
by akageno-ann | 2009-11-25 08:12 | 小説 | Trackback | Comments(4)

主人が絵本を描いて毎日連載しています。
よろしかったら・・覗いてください。

私たちの愛する友人のお子さんをモチーフに描きました。

「かあちゃんに あいたい」です。どうぞよろしく!
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小説も続けます。

コスモスのように  その8

母親のいなかった家に母として妻として戻った恵子は しばらくは家政婦の三田紀子の手を借りて少しずつ生活を戻すことになった。

夫の紘一郎は今回の妻の病気によって随分と意識改革を行っていた。

ここまで元気に溌剌と家の中のひまわりのような存在であった妻恵子に倒れられ、長い病院生活をされてみて、初めて知った自分の身勝手さを思った。

考えてみると子どもや父親が具合が悪いからと言って、仕事を休むこともなかったし、自分が風邪を引いたときもわがまま放題を恵子がいつも暖かくケアしてくれていたことにも、今さらのように気づいた。

忙しさと家族のために二人でゆっくり旅をすることもなく、恵子はそれに文句も言わなかった。

たまに実家にもどったり、友人との食事を楽しむ程度でも恵子は楽しんで 多くを要求しなかったのだ。

そのまま恵子をもしかしたら死に向かわせてしまったのかもしれない、と今思い返すと身震いした紘一郎だった。

「コスモスのようでいいんだ。そんなに頑張っていつも明るく振舞って、みなのことだけを中心に考えるのはもういいんだよ。親父だって十分生きたんだ、君に甘えて何でもやってもらって、でも見てご覧 自分でやろうと思えばやれるんだよ。

君が家に戻ったからと言ったって、今まで通りにする必要は全くないんだよ。」

そう言ってやれてよかった・・と紘一郎は安堵していた。

父親も今のところは静かに暮らしている。

恵子に対して感謝の気持ちを表すようになった。

「ありがとう」という言葉を今まで忘れていたかのようなこの家庭に、家政婦の三田さんに感謝することから始まって、やっとこの家にも「ありがとう」が戻ってきた。

不思議なことに「ありがとう」を心から言い始めると、人間の生活の中に人に感謝する場面がいかに多いことかを痛感させられた。

子どもたちもしっかり言葉にするようになった「ありがとう」が生きていた。

三田さんも気持ちよく働いてくれているようだ。

恵子は気を遣い、また上手に甘え、女の人はこうして生活に潤いを持たせる術があると感じ始めていた。

つづく

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by akageno-ann | 2009-11-20 20:06 | 小説 | Trackback | Comments(9)

京都に行っていました。
幼馴染と歩く京都はちょうど中学校や高校時代の古典の時間を思い出させてくれたり、あの頃の記憶がふと蘇ることが旅を余計に楽しいものにしてくれました。
高尾の神護寺の境内までの2000段とも言われる石段を登りながら・・ふとサスペンスを考えてしまったり・・
鴨川の美しい土手沿いを通り抜けながら、テレビのサスペンスの場面を思い出したり、話題は尽きません。
お時間ありましたら・・小夏庵へもお立ち寄りください。京都の旅など綴ってます。
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京都南禅寺天授庵のライトアップです。

小説を書いています。

コスモスのように その7

長谷田美津子と対面した恵子は 女の子の育て方というものを考えていた。

我が娘 沙耶は もしも結婚相手の母親と対面したときに美津子のようなしなやかな態度がとれるのであろうか?とふと不安にもなった。

が、まだまだ大学を卒業していない彼女のことを思うと そのまま子供っぽくいてほしい、という気持ちにもなってしまっている。

娘に恋の話一つされないのは心配ではあるが、年上の中村との恋愛に終止符をあっさり打った後、沙耶は女友達と実に楽しく伸びやかに過ごしていた。

そしてその矢先に母 恵子の病気入院に対峙して、彼女は実に熱心に看病にあたってくれた。

娘として十分な心遣いであったのだ。

その間の優しさはきっとこれから先も恵子自身の心の支えになると、わかった。

そういう意味からすると 長男の嫁になってくれるかもしれない 長谷田美津子は全く違う存在価値なのだと自然にわかってきた。

その人をこの堀田家に馴染ませようと無理強いは決してしまい、と心に決めた。

彼女は長谷田家の大切なお嬢さんとして大事にしていこう。

考えてみると姑が早逝したために、その後を当然継ぐような形で主婦の仕事一切を受け継いだ恵子は、もしかして大切な女性として扱われそこなったのではないか・・と思った。

それはそれでしかたがないが、やはり自分と同じように美津子も沙耶もさせたくはなかったのだ。

沙耶はきっといずれ他家へ嫁いでいくであろうし、その時に自分をしっかりと持ちながらも相手の家の雰囲気を飲み込んで役に立っていこう、と考えられるような女性になってほしい・・と切に願う恵子がいた。

恵子はこうして、心も次第に元気になっているようであった。

そして舅の待つ我が家へ、少しずつ元通りに戻っていくことを願うようになっていた。

つづく

夫の絵本ブログ「かあちゃんに あいたい」も覗いてみてください。

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by akageno-ann | 2009-11-17 23:13 | 小説 | Trackback | Comments(2)

コスモスのように  小説

その6

優は長谷田美津子という女性を伴って、恵子の病室を訪れたのはそれから間もなくのことだった。

その二人の熱心さがこの恋愛の深さを意味すると恵子はわかっていた。

小さな紙袋に入った見舞いの品は 黄色いバラをカービングした石鹸だった。

「美津子さんがお作りになったのね・・心のこもったお見舞いをありがとう。」

美津子の儚げな雰囲気が恵子には少し不安を感じたが、優しく大人しい性格は優の相手としてはちょうどいいとも感じていた。

「はじめまして、美津子です。」

緊張気味な美津子に椅子を勧めて、病室の冷蔵庫に入っているゼリーを優に持ってこさせよとした。

「あの、私がいたします。」

静かに立ち上がって冷蔵庫に向かう美津子を、ちょっとしっかりしすぎているのでは・・とも感じた。

だが今はそういう気遣いのできる若い女性は希少価値かもしれなかった。

少しずつその場の空気を読むように、優と恵子の親子関係中に入ってきて、優しい会話が広がっていた。

「優は優しくしていますか?そういう人になってほしくて、優という名にしたのよ。」と冗談を交えるように聞くと、

「はい!とても優しくしてくださいます。」

と、ストレートに返ってくる。

この素直さは我が家のどの子どもよりも素晴らしいと思った。

初めて、あらたに家族になるかもしれないこの女性が新しい感覚を我が家に運んでくれるのだと思えた。


さて、堀田家は舅の采配で順調に時に大変なこともありながら、キッチンと風呂場の改装が進んでいた。

長いこと自動温度調節器のついてなかった風呂の湯沸しで何度失敗したかわからない恵子の苦労を、少しずつ皆がわかってきていたのだ。

今度の風呂には自動湯張りの装置がしっかりしていて、スイッチ一つで入りたいときに入れるという新兵器が導入された、と舅も 大いに喜んでいた。
by akageno-ann | 2009-11-12 23:05 | 小説 | Trackback | Comments(5)

コスモスのように  小説

その5

紘一郎と恵子の長男優(すぐる)が生まれた時に、一番優を可愛がってくれたのが亡き紘一郎の母だった。

いとおしそうに抱いては優しい声で子守唄を歌うと初孫の優は気持ち良さそうに眠っていた。

その母は60歳を前にして心筋梗塞であっという間に亡くなったのだった。

そのあまりに突然な出来事にそれまで家庭を妻に預けて、気ままを通してきた舅は魂が抜けたようだった。

仕事も定年を迎えて、嘱託で働いていた時期で何もかもやる気が失せてしまっていたのだった。

その父親をほってはおけないと 紘一郎はすぐに同居を決めた。

家も大きく同居にも無理はなかったので 恵子もそれに応じた。

こんなことなら、姑が元気な頃からそうしておけばよかった、と その後も何度思ったかしれなかった。

孫への慈しみも女親の方がより強いものがあったのだ。

家庭にいることになれない舅と恵子は見えない壁が薄くあって、恵子は心が重かったようだ。

それでもその後子供たちが3人になって、その子育てと家事に追われて年月は瞬く間に過ぎていったのだった。

その長男優は適齢期になって、つきあっている女性がいることを恵子はうすうす感じていた。

男の子を持つと、相手の女性に対して我が息子が優しい心遣いができているのかとても心配だった。

恵子はある日 一人で病院を訪れた優に しっかりと聞いてみた。

「貴方はお付き合いしている人とはこれからどうするの?」

優は唐突な母親の質問に笑顔で応えた。

「結婚したいと思ってるよ。良い子なんだ、母さんのこともとても心配してるしさ、彼女お母さんが小さい頃になくなっているんだよ。」

その最後の言葉に心を捉えられた恵子は

「会いたいな、お母さん、その方に」

そう自然に申し出た。

「つれて来ていいのかな?」

「来てくれるの?」

「うん、お見舞いしたいって言ってるんだ。」

そう話はスムーズに流れたので、恵子はこの恋愛はかなりすすんでいるのだ、と感じた。

「そう、では入院中に紹介してちょうだい。」

優はほっとしたように久し振りの笑顔になっていた。

つづく

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コスモスのスケッチ画はブログの友人 CHILさんの作品を拝借しています。

 ☆ これからまた作品を書かせていただきます。

   どうぞ気楽に覗いてください。よろしくお願いします。

小夏庵ものぞいてくださいね。

                                              Y.N.

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by akageno-ann | 2009-11-10 12:11 | 小説 | Trackback | Comments(5)

コスモスのように

その4

子供というのは成長と共に その親の思いがそのまま彼らに通じているかと思うと 意外に子供の頃の感覚のままにあることを思い知らされるものだ、と恵子は感じていた。

が、こうして主婦としての自分が家庭に居られない状況になると、そこで子供たちは突然にやむを得ないように成長を早めることがある。

そんなときは思い切って子供たちに任せてみるのも一つの妙案で、知らず自分が楽になっていることに気づいた恵子だった。

舅との生活も離れてみるとこんなに心が楽なものなのか・・とびっくりするほど感じることができた。

自ら離れようとは思っても見ず、子供たちとの間に入って自分ひとりで苦労したような錯覚を持っていた時期もあったと、今はじめて知った。

若い頃に今の恵子の年齢にそう遠くない舅との距離はかなり遠いものだった。

恵子はなんとか自分をこの嫁ぎ先に受け入れてもらおうと、あるいはかなりの無理をしたのだ、と今、あらたに思い知ったところだった。

しかし、我が子が成人して、こうして病院のベッドに横たわると自分も随分と年をとった、と感じられてほっとしている恵子がいた。

夫の優しい心遣いは今までにないものがあり、常に無理をしなくていい、家庭の中でいつも光り輝く太陽のような母でなくていい、ひそやかにそこに佇んで可愛らしく長く咲いているコスモスのようでいてほしい、と言われて、この人はいつもよりずっと詩人のような言葉を投げかけてくれると、微笑んでしまった。

そのくらい妻の重病に動転していたのだろう。

この機会がなかったら、もしかしたら自分たち夫婦はちょっと別な路線に進んでいたのだ、とも感じた。

子供たちはなるべく苦労させないように、とばかり考えてここまできていた。

もちろん苦労はさせたくはない、だが苦労のなさすぎる生活は決して子供たちを成長させないとも知った。

娘の沙耶は中村との失恋も子どもっぽい感覚で立ち直っていた。

その時の支えも母の恵子だったのだ。

その母が直後に病に倒れて、沙耶は自分の甘さを思い知ることになった。

母があの時 命を落としていたら・・と想像するだけで震えがきた。

だが、親にいつまでも甘えてはいられないということを一番に理解したのもこの沙耶だったかもしれない。

つづく

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コスモスのスケッチ画はブログの友人 CHILさんの作品を拝借しています。

 ☆ これからまた作品を書かせていただきます。

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by akageno-ann | 2009-11-07 23:34 | 小説 | Trackback | Comments(3)

小説を再開しました。

コスモスのように

その3

恵子を退院させるにあたって、夫の紘一郎は家庭のあり方を考え直さねばならないと思っていた。

自分の父親の面倒を看てもらおうと、結婚の当初から同居を恵子に頼み、恵子の両親は決して賛成ではなかったが、恵子の純粋な自分への愛情から舅との暮らしを優先してくれたことを今さら感謝していた。

だが、こうして病気になった妻恵子を見ていて、それは彼女にどれほどの負担を強いていたのかを改めて思い知ることになったのだ。

自分の父親は所謂大正生まれの家長制度の名残りをしっかりと持っている男だった。

今でこそ孫たちにその権威は振りかざさないが、結婚当初の恵子に対する横柄な態度は正直に腹立たしいものがあった。

こちらは居候に入ったわけではないのに、恵子に対する態度は明らかに家長としての権力を振りかざすようところがあった。

恵子の手料理を誉めたり、恵子に感謝の言葉を述べられないのは、その妻つまり紘一郎の母に対する態度以上のところがあった。

若く熱心だった恵子はその男のために機嫌を取るようなことをしていたかもしれない。

とにかく、不自由させないようによく気を配っていた。

いつだったか、紘一郎の友人が遊びに来たときに、手料理でもてなしながら、階下の舅への気遣いをする恵子を見て、

「いいなあ、いい奥さんもらったなあ」と、あまりに羨ましがるので鬱陶しくなった記憶が蘇った。

そんなことを何気なく優越感として感じていた自分はこの父親と同じく本当はとても不遜であった、と感じた。
そのことは以前にも感じたことはあったが、具体的にそこから彼女を救い出そうとはしていなかった。

だが、今回の恵子の重病の様子には ほとほと参っていた。

このまま家に戻しても殆どはまた同じ暮らしの繰り返しになる、と紘一郎は考えていた。

だからといって、今さら父親との別居は無理であるし、恵子自身もそのようなことを望むものではないこともわかっていた。

先ずは紘一郎は台所の改装を考えた。

大きな改装はできないが、システムキッチンを入れて、食器洗い機をつけようと先ずは考え付いた。

幸いエレベーター会社の母体は大手の家電販売業を営んでいたので、そこのリフォーム部に相談すると快く見積もりを出し、恵子の退院までに完成する約束をしてくれた。

その工事の監督をわざと高齢の父親に任せた。

この父親はこの度の嫁恵子の一大事を少しは深く受け止めているはずだった。

                                                つづく
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コスモスのスケッチ画はブログの友人 CHILさんの作品を拝借しています。

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by akageno-ann | 2009-11-05 21:25 | 小説 | Trackback | Comments(6)

小説を再開しました。

コスモスのように

その2

堀田優(すぐる)は25歳を迎えた。
堀田紘一郎と恵子の長男として、大いに期待を持って育てられた。

大学を卒業してから しばらくはスーパーマーケットの派遣社員のようなことをしていたが、接客業が意外に向いていることに自ら気づき、ホテルマンとしての再出発を心に期した。

そのことを一番に報告し、賛成をしてくれたのが母 恵子だった。

恵子には病床に報告したのだが、優しい微笑を浮かべて

「好きなように生きていきなさいね・・」

と母恵子は言った。

恵子自身も病床にある自分が今までの思想とかなり変化していることを感じていた。

長男として育てた優にはこの家を継いでいってもらいたい、などと考えた時期もあったのだ。

自分が舅と共に生活していたので、逆に良い姑になれるような気がして、共に優のもつべき家族と共に生活する日も夢見ていた。

だが、誰かが誰かを束縛するようなことは、例え親子であっても、あってはならない事実だと感じた。

舅には申し訳ないが、やはり自分はかなりな部分で舅という存在に囚われすぎていたと、ベッドの上でその解放感に浸ったのだ。

このような思いを我が子優や未来の彼の妻たる女性に味合わせてはいけないとつくづく思った。

恵子の母は長く義理の両親に尽くした人であったから、恵子が舅と暮らすときには大きな反対をしていた。

今さらのようにその思いがあり難く感じられる恵子だったのだ。


つづく
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by akageno-ann | 2009-11-03 23:26 | 小説 | Trackback | Comments(0)