アンのように生きる・・・(老育)

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かけがえのない日本の片隅からの発信をライフワークとして、今は老いていくにも楽しい時間を作り出すことを考えています。

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いよいよ年の瀬です。
この小説もここまで続けてこられました。
読んでくださって本当にありがとうございます。
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初作「アンのように生きる」から丸二年・・自分のライフワークになっています。
コスモスのように・・の堀田恵子はいよいよ来年は「アンのように」というタイトルの中で精一杯の人生を再出発させます。

どうぞまたお立ち寄りください。
今年最後の小説です!

小説 コスモスのように

その20 最終話

三田紀子への感謝の会を堀田家は盛大に行うことにした。

恵子と娘の沙耶、そして男たちも手伝って、三田紀子にご馳走しようという計画を立てた。
会は1週間後のことだった。

その日が紀子の家政婦として最後の仕事の日だった。

紀子はいつも午前中から来てもらっていたが、最後の一週間は彼女がいなくなる生活に恵子が慣れる様に、午後からにしてもらっていた。

土曜日の午後・・その日 紘一郎も 長男の優も仕事は休みで、家にいた。
もちろん次男の貴も 舅も。

皆それぞれに三田紀子への思いは違っていたが、共通するのは彼女への大きな感謝だった。

主婦の恵子が長い入院生活にいる間も、家庭生活が殆ど滞ることなく送れたのは、紛れもなく紀子のお陰だった。

決して派手ではないが、毎日味の良い食事つくりときちんとした掃除。

洗濯は皆それぞれに洗濯機で行っていたが、取り込みは彼女に委ねていた。

次第に崩れる緊張感とは裏腹に親しみが湧き、次第に甘えも出かけていたところだった。

家族の絆は主婦が病に伏せることで深まることはなかった。

それを一番に感じたのは恵子だった。

自分の代わりはいるのだ・・と痛感した。

そしてそのことは決して哀しいことではなかった。

もっと自分のための人生を考えなくてはいけない、といういいきっかけになった。

そう思えるようになったのも、恵子の健康が戻ってきた証拠のようだった。

家族の絆は、また新しく築いていこう、恵子はそう一人思っていた。

病で得たものは、主婦としてマンネリな生活に慣れ親しんで年をとっていくことは、ある種の危険があるという教訓だった。

自分はこれだけ頑張ったのだから、という自負は持ってはいけない、ということだった。

それよりも、これから今までのように活動的ではない、自分ができることはかつて好きだった手芸や園芸を復活させることだと、気づけた。

子どもたちが小さな頃は家に閉じこもっていたから、よく手芸に打ち込んでいた。
しかしそのときに作ったものは子供の喜ぶようなデザインや、学校からの指定のもだった。

いつか自分らしいものを・・と思いながらここまで過ぎてしまったら、ミシンも編み棒も自分の目の届かない場所にあった。

幼い頃から憧れていた、少女小説「赤毛のアン」の世界にあるようなハンドメイドの世界を自分なりに展開することだった。

それがきっとできるような気持ちなった。

家事はもっと家族に手伝ってもらおう。

何もかも完全を目指して行うのはやめよう。

そう夫の紘一郎は促してくれているのだ。


素直に、自分のしたいことを遠慮なくやっていこう。

そう思ったとき、恵子は大きな呼吸ができた。

三田紀子に感謝をして、彼女が整理整頓してくれた家庭を維持して、自分もまたここで行きなおしていこう、と恵子は心元気に思うことができていた。

しかし、家族はまだ恵子の決心には気づいていなかった。


小説「コスモスのように」                             了

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これまでの作品はこちらから「アンのように生きるインドにて」
by akageno-ann | 2009-12-30 00:13 | 小説 | Trackback | Comments(6)
いよいよ年末・・2009年が暮れていきます。
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友人からのハンドメイドのプレゼントに心癒されています。
年末の煩瑣な生活の中にほっとする一時でした。

小説 コスモスのように

その19

恵子はこの度の病によって一番衰えたのは口元だと思えた。
歯茎が弱まったせいか、頬が痩せて哀しかった。

若い頃はそれなりに魅力ある顔立ちで、そこそこに男子陣からも人気もあり、ちやほやされるという経験もあったのだが、そんな事実さえ、もう誰も認めてはくれないだろうとちょっと落ち込む思いを夫の前では無理して隠していた。

三田紀子の清楚な美しさを正直に誉める夫や舅に 体が嫉妬心をあらわすように緊張する癖が出ていた。

しかしそんなことを強めていると折角良くなってきている体調にも悪い。

しかも紀子は全くそんな気配も見せない、気丈さがあった。
きっと亡くなった彼女の夫との夫婦生活は充実していたのであろう。

夫婦の時間はそのどちらかが命を無事終えたときに、残された者に充足感が少しでもあれば、人間は一人で暮らしていけるのかもしれない、と思えた。

恵子と紘一郎の夫婦はどうなのだろうか?

その努力はしてきたつもりだが、こうして体の弱まった者からするとそれは心もとない事実になっていた。

例えばこうして旅をして思い出を作っておくこと、美味しいものを食べたり 二人でお酒を飲んだりして心地のよい時間を共有しておくこと、それが必要な気もしてくる。

そして空元気でもいいから幸せな感覚を互いに知らせておく必要があると思えた。

家庭の中で互いの必要性をやはりしっかりと表すときがあり、認め合うことがあれば、家族はほんの少しそこで幸せになれそうだ。

子どもたち、舅の関係においてもそれはいえることなのかもしれない。

そう恵子がふと気づくと・・素直に生きていこうと思えるのだった。

それは創り上げるというよりも自然に行う心の作業だと思うのだった。

つづく

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by akageno-ann | 2009-12-26 22:51 | 小説 | Trackback | Comments(3)
Merry Christmas024.gif
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お気に入りの喫茶店のツリーが素敵でした!

小説 コスモスのように

その18

紘一郎と恵子の短い旅は、静かな癒しを以って無事終わった。

やっと日常生活に戻れそうな気力が沸々と湧いてくるようなそんな気配を恵子は感じていた。

三田紀子が来てくれたお陰で自分に何か生きて行こうとする意欲が湧いたのだ。

もしかしたらそれは若いしっかりとした清潔な美しさのある彼女に対するある種の嫉妬心からかもしれないと、恵子にはわかっていた。

しかしその嫉妬心は若い時のそれとは違って、どこか穏やかで後ろ向きではない諦めがあった。

それゆえに自然に素直な心と向き合い、恵子はまた生きて行こうと決心がついたのだった。

思えば亡くなった姑は、恵子が堀田家に嫁いで1年余という短さで、あっという間に逝ってしまったのだった。

彼女は今思うと、それまでの生活の疲れの深さと、恵子が家事を代わってやるようになってから、あまりにやる気を失せさせたのかもしれなかった・・と 思い返すのだった。

あの頃、50代の舅姑を 20代の恵子はとても年寄りに感じてしまっていた。

本人たちが年をとったという自覚が強かったせいもあるが、30歳という年齢差が自然にその差を歴然とさせたのかもしれなかった。

しかし今恵子自身がその年になったときに、時代の変遷もあるが、まだまだ若く、老いている自分の自覚がないことに気づいた。

その差が同じ疲労した主婦であっても、生きていく自信のあるなしに拘わっているのだとわかった。

最後に姑が作ってくれた、ワカサギのフライと 南瓜のグラタンの綺麗な仕上がりをふと思い出し、亡き姑のきちんと暮らしていた姿を思い起こすのだった。

自分もあの人のように綺麗に年を重ね、静かに人生を閉じられたら・・とも考えた。

それまではまだ残されているたくさんのエネルギーをしっかり使い果たそうと心に決めていた。

つづく

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by akageno-ann | 2009-12-25 00:34 | 小説 | Trackback | Comments(6)
今日は一人車を飛ばして東京郊外の武蔵五日市へ寒風を吹き飛ばすように
出かけてきました。
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寒いけれども抜けるような青空・・途中の圏央道から見える富士山の雪を頂いた美しい姿にも感動があります。
ブログを通して出会えた人々、特に今日はお菓子やパンを丁寧に作られる方々・・いずれゆっくりご紹介したいのですが、その出会いによって発想した今日の小説をお読みいただきたいです。

小説 コスモスのように 

その17

堀田紘一郎と恵子夫妻は新しい二人の生活をこの旅でじっくりと考えることになった。

3人の子供たちを育て、上の二人は社会人になっている。

特に長男の優は間もなく結婚しようという伴侶にもめぐり会えた。

長女の沙耶は失恋をしてしまったが、そのことでまたひとつ大人になっているようにも見受けられる。

親としては社会人になった子どものことは少々推し量れなくなっている部分が増えた、と感じていた。

そんなときは無理に子どものことを理解しようと追いすぎることなく、むしろ夫婦のこれからの生き方を考えることに時間をかけようと、それぞれがなんとなく思っていたようだった。

夫婦は夫婦として年老いたときに、それぞれの生きる形を作っていくことが、また子どもたちへの新しいエールになるのかもしれないのだ。

紘一郎は妻恵子の病によって、気づかされたことの多さに神様に感謝するような思いが沸きあがっていた。

妻に感謝する思いは、あると思っていても、実際はなかなかそれを相手に現すことはない、形でなく本当の心で表すこと・・形はほんの少しの手助けで、思う心の強さはこうして一緒に過ごす時間にこよなく互いが機嫌よくいられるように心がけることなのではないだろうか・・

紘一郎は時として仕事での疲れによって彼女に当たったこともあったし、暴力こそふるわないが、語気の強さだけで妻を傷つけていたこともあった・・と今さらにわかるのだ。

そういう面を見せていては息子もまた、反面教師ならばよいが、結婚して良い伴侶になるために決して良い見本ではなかった。

しかし間に合ったと紘一郎は確信した。

そんなことを気づかせてくれた妻の病をこの場合大切な経験として受け止めることができてきていた。

美味しいものを「おいしい」と語らいながら食し、妻のいるその風景を写真に収めたり、大事な時間をその旅で費やしていく幸せを感じていた。

その宿舎の食事は素朴であったが、心のこもった暖かい料理であった。

何よりも小さな囲炉裏で川魚やキノコや野菜を二人で焼きながらの夕食と、焼きたてのパンに手づくりのりんごジャム、ゆで卵に生野菜 と薫り高いコーヒーの朝食がこよなく二人を幸せにしていたようだった。

つづく

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by akageno-ann | 2009-12-20 21:33 | 小説 | Trackback | Comments(6)
小説を書いています
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いよいよ寒くなってきました。
今日の関東の雨は雪になるような気配が・・

車は山間部は雪の場合はスタッドレス・・換えてきました・・

小説 コスモスのように

その16

恵子と紘一郎は 三田さんがやめる前に二人で休養の旅に出ることにした。

紘一郎の運転で近場の温泉のあるところへ。

春先の八ヶ岳のふもとに静かな療養型のメンバーズホテルが紘一郎の会社が法人として権利を有していたので、会社の方から予約をしてもらった。

1泊2日にはちょうどいい距離だった。

久し振りに華やいだ気持ちの恵子は真紅のコートドレスを着て車に乗り込んだ。

助手席ではなく、ゆったりと後部座席に座らせて、紘一郎も久し振りに二人だけのドライブに慎重な運転にした。

二人が出かけたあとは 三田さんが来てくれる事になっていた。

舅は三田さんがご贔屓だから、今回のこの急な二人の旅行に

「美味しいものでもも食べなさい。」

と一万円を紘一郎に渡してきた。

紘一郎はびっくりしたと同時に、この25年の間にこういう気遣いが果たしてあっただろうか?

そんなことを考えてしまった。

父と自分の家族との関係はあまりにあやふやでその間をいつも恵子が取っていたのに・・

父は今になってやっとわかってきた家族の関係がある。

それも三田紀子の家政婦としての出現があってからだから、何か皮肉なものを感じていた。


恵子と二人のドライブは晴天に恵まれた。

中央高速道は空いてて、快適な走行をだった。

山梨に入ってくると実に美しい八ヶ岳連峰が見えてくる。

春霞でうつくしいその景色は恵子の心を癒しているようだった。

家庭から離れることの大事さを紘一郎はつくづくと感じていた。

小淵沢で高速をおりて、田舎道をゆったりと走り、30分ほどでその宿舎に着いた。

美しい美術品をたくさん所蔵しているゆったりとしたホテル形式のその宿舎は二人を丁寧に持て成してくれようとしていた。

つづく

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by akageno-ann | 2009-12-16 17:08 | 小説 | Trackback | Comments(6)
小説を書いています。
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コスモスのように
その15

「あなた、そろそろ私も一人で家事をやって行こうと思うの。
今までいろいろとありがとう。三田さんの手助けが一番有り難かったわ。」

恵子はそう切り出した。
紘一郎は

「まだそんなに張り切らなくていいんだよ。三田さんも慣れてきているし、君も別に彼女が嫌ではないのだろう?」

そう応えた。

恵子はそう来るだろうと思っていたので、言葉を続けた。

「その通りなの。三田さんがいてくれて、とても助かるわ・・そして頼ってしまうのよ。
皆もそれが当たり前になって、特に沙耶が殆ど手伝わなくなってきてしまって・・

それが私はなんだかとても寂しいの。」

その率直さが紘一郎には初めての経験のように思えた。
恵子がダダをこねているようにも思われたが、ひどくそれが可愛く見えた。

「そうか、しょうがないな、まだまだ子どもで。あんなに自分はがんばると言っていたのに、すっかり頼っているんだな。」

紘一郎はそうまっすぐに捉えて応えた。
それが今の恵子には嬉しかった。

「私の嫉妬なのね・・きっと・・やはり主婦は一家に一人でいいんだと思う。」

その恵子のそばによって、顔をのぞきこむようにして紘一郎は言った。

「そういう気持ちになってくれたのは、本当に元気になってきているからなら、すごく嬉しいぞ。」

恵子はにこやかに笑って

「ええ、大丈夫無理はしないわ。若い時とちがって、本当に無理はできないのよ。」

そうだな・・と紘一郎は笑って、それでは少しずつならす様に家事を増やしていこうと言った。

恵子は嬉しかった、舅はきっと三田さんの存在が嬉しくて、その案を否定しただろう。
でもここは夫婦でしっかり考えて、子どもたちにも理解してもらって、元の生活に戻していこう。

そう強く思った。

優秀な家政婦さんがいるというのは主婦が心が萎える。

そのままのんびりと一生を終わるわけにはいかない、と恵子は強く思ったのだった。

つづく

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by akageno-ann | 2009-12-12 22:10 | 小説 | Trackback | Comments(7)
師走はスピード感をもって時間が経ちます。
天気も様々に変化し、晴れの日には思い切り何かかが進むのですが
ふっと楽しい場所にワープしたくなります。
moreで秋を追いかけてみました。
お時間あったら覗いてみてください。

小説 コスモスのように

その14

三田紀子が恵子の代わりの家事をやるようになってから、堀田家の生活は順調に過ぎるようになっていた。

恵子の一人娘沙耶は大学4年生になり、いよいよ就職活動に入りそれまで家事をかなり手伝っていたが、三田さんがかなりやってくれる、とわかってからは現金なものですっかりその時間が減少していた。

恵子も娘の大切な青春の時間を束縛したくはなかったので、そのことを喜んでいたのだった。

長男 優(すぐる)は 結婚を意識してつきあっている長谷田美津子との関係を大事にしているようだった。

おっとりとした彼は結婚を急ぐそぶりは全く見せずに、仕事優先の生活をしているように見えた。

しかし相手の美津子のことを思えば、恵子も回復を急ぎ息子のための結婚準備をしてやらねばならないと恵子自身少し心が急くのであった。

三田の存在はなくてはならないものになっていたのだが、恵子はこのままこれを続けていくと自分も体たらくな気分になっていそうだ、と心配にもなっていた。

ましてや家計に三田さんへの給料がかなりのウエイトを占めるのは必須であった。

舅は息子である 紘一郎に自分も面倒をかけているから・・と少し援助を申し出たらしい。

金銭にうるさい彼がそういう申し出をしたというのは、三田さんを舅がかなり気に入っている、ということだと思われる、恵子は複雑な思いがしてきていた。

家事をそれなりにこなして、なおかつ美しく才気に富んだ女性が行うというのは、そこに病気の主婦が居る場合、なかなか難しい感情のもつれが生じるものだと、恵子は想像できた。

このままではいけない・・自分はもっと元気にならねば・・

そう思う心が決心させて、夫紘一郎にある日申し出をした。


つづく

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by akageno-ann | 2009-12-10 19:40 | 小説 | Trackback | Comments(2)
師走と聞いただけで、忙しない日々が始まるように思います。
この1年をきちんと締めくくれるような日常にしたいです。


いつも小説を読んでいただきありがとうございます。
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小説 コスモスのように 

その13

三田紀子の夫はそのとき 30歳だった。

彼はスポーツマンで怪我は多かったが そのほかの健康を害したことは一つもなかった。

30歳という年齢でことさら健康への注意を怠っていたようなことは全くなかった。

ただ強いて言えば、自分の生活への自負が強かった点が気になるといえば、気になる・・という程度のものだった。

紀子との結婚生活も順風満帆、仕事も熱心で中学校の数学の教師をしていた。

クラブ活動はバスケットボール・・土、日も出勤する日々だったが、家族との時間も大事にしていた。

紀子は幸せだった。

身重な幸せなこの期間を楽しんでいた矢先だった。

夫はそのまま帰らぬ人になってしまった。

せめてもの慰めは 彼女が病院に到着して、夫と面会してからしばらくの時間があった。

夫はそのまま紀子に看取られて静かに息を引き取った。

そのあまりに突然の出来事に信じられない、というよりも夢の中のできごとのようで、哀しみは湧いてこなかった。

そのことは周りにもよく伝わって・・全ての人々の哀しみに変わっていたのだ。

通夜、告別式とあまりに流れるように質素に行われた。

紀子は学校側からの大勢の葬儀への参列を固辞した。

その人々に会ってしまったとき、大きな哀しみに襲われると感じたからだった。

そこで崩れたら自分はその後生きていけないように思った。

夫の両親もその紀子の申し出を静かに受けてくれた。

ずっと自分の心に生きていてもらうために・・と、紀子は言った。

それはその後の紀子の生きていく上に大きな決断だった。

つづく

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by akageno-ann | 2009-12-07 23:03 | 小説 | Trackback | Comments(4)
挿絵にさせていただいている この絵の作者 CHILさんに 第3子が誕生しました。おめでとうございます。
母子共に健康でいらっしゃいます。
今日もその絵を使わせていただきます。
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小説 コスモスのように

その12

三田紀子は31歳になっていた。

子どもは5歳の女児と 3歳の男児がある。

夫とは大学時代の先輩後輩の関係で、卒業後の就職先で再会して結婚に至った。

幸せな結婚であった。

三田自身の父親は早くに亡くなっていたので、少し年上の夫は父親のようにも頼もしく感じていた。

体躯も立派で実に包容力のある、友人たちも羨むような相手との結婚だった。

紀子は母とつましく暮らしてきたので、家庭的で料理も上手く、彼女の夫は紀子を愛おしく思っていた。

その二人の間に暗雲が漂い始めたのは、は二人目の子どもを授かったとわかって三ヶ月程過ぎた日のことだった。

いきなり池袋付近の病院から電話がかかり

「ご主人が池袋駅構内でたおれ、心筋梗塞の恐れで入院されています。」

と、いうのだ。

あまりの唐突さに信じることもできず、ちょうど子どもたちも一緒に集っていた母親グループに事情を話してみると、

「とにかき、今の電話が本当かどうか・・ちょっとその病院に電話をしてみるわ。」
と、その中の一人が確認の電話をしてくれて。

そして、その事実は確認されてしまった。

そこに三組の母子がいたが、もう一人の母親が 

「主人に車を出させるから、乗っていったほうがいいわ。病院からまた連絡をしてちょうだい。必要なら行くから」

と、てきぱきと計らってくれた。

少し呆然としてしまった紀子は 近くに住む母親に電話をして、事情を話し、すぐに家に来てもらった。

そして上の子どもをその母に任せて、紀子は後部座席に静かに乗って、指定された病院へ出発した。

早春の夕刻のことであった。

つづく

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by akageno-ann | 2009-12-04 22:26 | 小説 | Trackback | Comments(6)