アンのように生きる・・・(老育)

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かけがえのない日本の片隅からの発信をライフワークとして、今は老いていくにも楽しい時間を作り出すことを考えています。

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老育  一人暮らし

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「かけがえのない日本の片隅から」

老育

ここ数年近隣の住宅地を見ていて、高齢のご夫妻だけの暮らし、一人暮らしがずいぶんと多くなってきた。もちろん見守る家族や機関、訪問の人々もあるのだが、静かに自分の生活を営んでいる姿に感動することもあれば、とても心配になることもある。

ここは高台の坂のある住宅地で、自宅玄関まで階段が数段ついている家が多い。
皆40代前後で引っ越してきたころは、その階段はちょっと高い位置に家がある、という利点だったはずだ。玄関アプローチは狭くとも階段に花のポットを置いたりもできておしゃれ感があった。

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一人住まいになった人々もさらにその花の栽培に力を入れ、美しい花が季節を変えて咲いている。
一人を楽しんでいるようでもあり、一人を励ましているようでもある。

きちんとした生活の様子はその方の生き方を反映するようで、家族のせいにしながら散らかったままの私の部屋を恥じることもある。

己が生活を守る、ということは大変なことなのだ。

個人の家屋は修繕も自分の裁量でしなくてはならない。

経費も気も遣う。
故郷の祖父母の家もまた大変な朽ち様であった。

多分、私たちに掃除も手伝わせなかったのは、自分たちの代でこの家は終わりでよいのだから・・と言っているようにそのままに過ごしていた。

特に祖母が、家を弄られるのを拒んだ。

あとになって、もっと住みやすい家に過ごさせてあげたかった、と両親が言っていたが、祖父母たちはそれなりに暮しを確立していたのだろう。

楽しみもあったようだし・・・

今はその遺物を整理して家を大きく改修して、祖父母のそこにいた雰囲気だけを残している。

家を片づけながら、祖父母との会話がずいぶんにできた。

                                     つづく

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小夏庵にも→☆
by akageno-ann | 2011-06-30 22:20 | 小説 | Trackback | Comments(1)
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「かけがえのない日本の片隅から」

老育

お年寄りを大切に・・その言葉は小さなころから教育の中に取り込まれ、自然に体の中に入っていたはず。しかし海外赴任から帰国して、真っ先に祖父に帰国の電話をしたが、遠方であることで顔を見せに行くことを先延ばしにしていた。

それはそれまでも年に一回法事や祝い事などのきっかけで帰郷していたにすぎない生活パターンが、そのまま祖父の死に際に立ち会えなかった後悔になった。

それでも海外赴任から戻り、その葬儀に間に合った、というだけで、親族からは許された。

だが、その後たった一人残った祖母について、私たちはどれほど心を砕いてあげたか・・

その思いを今私は自分の親に対してまじめに取り組む大きなきっかけになった。

祖母は祖父にとって後妻であった。

私にとっては生まれた時からその人が「おばあちゃん」だったので血がつながっていない、という印象もなかった。

祖母は私の父が18才でこの家に入ったから、そのまま自分の子供を持たずに人生を過ごした。

すでに40代になっていたので、あのころは高齢出産は無理しなかったのかもしれない。

だがその祖母が私の子供のないことへの一番の理解者だった。

田舎に戻ることの中で一番のつらさは、結婚はしても子供のないことだった。

辛辣にそのことに触れる男たちを憎んだこともあった。

心配のあまり、少々怪しげな治療院に無理やり連れて行かれたこともあった。

皆女の方に問題があると決めつけている。

そういうことに次第に慣れていった。

だが、時代は不思議な方向に進み、そうした人々の身内が結婚しなかったり、結婚を解消したりということがあって・・次第に

「子供のないのがいいよ。」などと投げやりに言うようになる傾向も見てきた。

そんな中に祖父母は本当に自然な優しさがあった・・とつくづく感じる。

年をとったら、さらに優しくなる・・・

こうでなければ・・正しい老いはない・・と、自分に言い聞かせている。

                                       つづく
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by akageno-ann | 2011-06-29 23:57 | 小説 | Trackback | Comments(0)
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「かけがえのない日本の片隅から」

老育

祖父の最後は心不全だった。
古い家屋の二階に最後まで寝室を置いていた。

祖父の死後10余年後に、祖母が介護施設に移ったことを機にこの家の改修を行った。
重い雨戸、建具 トイレは一階の風呂場の奥で、冬は南国土佐といえども寒く遠かったはず。

土間は私たちには便利なものでも、年老いた人々には降りるのにも難儀であったはず・・
と改修のための話し合いを工務店の人としながら、祖父母の暮らし方に敬意を持った。

その二階の寝室から遅い寝起きの祖父が 階段の軋む音をさせながら降りてきて、すぐに倒れたという。

長いこと長男の父は東京に住んでいたから、祖父の隣家の父の従弟から祖父入院の連絡があって父はとるものもとりあえず飛行場に向かった。
四月の早朝だった。

ためらうように早朝の私の電話が二度鳴って止んだ。
祖父が弱っているとは思ってはいなかったが、何か予感がしてすぐに実家に電話をした。

まだ携帯電話のない時代で父は

「悪いな、おじいちゃんが入院して危ないらしい、お父さんは今から空港に向かう。」
その言葉を聞いて、

「私もすぐに出ます。」と即答していた。

父は

「無理をするな、お舅さんにもきちんと許しを請うてからでいいのだよ。」

「わかってます。お父さん気をつけて。。」

父はすぐに行くと言った私に満足しながらも、あえて嫁ぎ先に気を遣う性格だった。

私はそのときすでに後悔をしていた。
                              つづく
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by akageno-ann | 2011-06-28 23:45 | 小説 | Trackback | Comments(0)

老育

かけがえのない日本の片隅から

老育

幼児教育が大切なように、老育もかなり重要な位置を占める。

「老いては子に従え・・」という諺はすでに死語かもしれない。
老いて尚自我は強くなるのが人間の性のようだ。

人に従えるようになったときからもしかしたら老いが始まっているとも最近感じる。

と、いうのは従ってのんびり暮らしたい欲求があるのだ。

何かを手伝うのは楽しいが、何かで皆を引っ張っていくのはしんどい。

友人が15年はやく60歳になったときに、彼女はこういっていた。

「これからはあまり主体的でなく、従属的に過ごしていきたい・・」

と。


なるほど、その意味が今はっきりと理解できた。

彼女は人生を逃げたのではない。

自分の役割を年齢とともに仕分けしたのだ。

それから10余年彼女はなくなるその日まで、家族のためにひたすら生きた。

途中に得た病はかなり厳しいものであったが、病を引き受けた人間であるように、

まじめに病と向き合っていた。


もちろんひとりでそうしてかっこよく生きれたわけではないが、

家族をうまくまとめて引きあげていた。

そう思えてしかたない。

私の祖父の死も、正に何かのまとまりをもとめるような時期だったと

改めて思う。

彼らは老いてなお、学習を重ねていた。

決して頑固にならずに・・


                        つづく

小説「アンのように・・」は友人から再録を希望していただいて、ここにリンクの形でこのまま続けさせていただきます。  →☆「アンのように生きる」
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by akageno-ann | 2011-06-27 14:53 | 小説 | Trackback | Comments(0)

老育

いつもこの「アンのように生きる・・インドにて」をおよみいただきありがとうございます。
小説は数年前のものを再録させていただいていますが、その後ライフワークとして書き綴っていた
「かけがえのない日本の片隅から」の小説風エッセーが震災以来かけないでおりました。
思いはさらに強いのに、今回の日本の被災の現状のあまりのむごさに、正直どうやって自分も力を出すことができるのか・・非力であることを痛感して、いまだつらい日々を過ごしています。

しかしこの事態収束には多くの時間が必要で、この三か月余りに感じた様々なことから目を背けることなく進んで行きたい、と思っています。

小説「アンのように・・」は友人から再録を希望していただいて、ここにリンクの形でこのまま続けさせていただきます。 →☆「アンのように生きる]

そしてここに・・新たに、日々の思いをつづらせていただきます・・・

かけがえのない日本の片隅から

「老育」
実年齢の10歳は若いといわれる壮年世代の人々の仲間入りをした。
地域の中でもやっと「あなたもそんな年になったの・・」と認められて、
さらに「でもまだまだ若いわよ。頑張って・・」と発破をかけられる日々である。

あと3年で還暦。
かつて還暦はかなりの年配者であった。
私も祖父の還暦を祝う会では「おじいちゃん」の年齢を年寄りの位置に認識していた。

赤いちゃんちゃんこ姿の祖父は土佐のいごっそうたちに囲まれて満面の笑みを浮かべて酒を酌み交わしていた半世紀前を鮮烈に思い出す。

その祖父はそれから20年元気に生きて、心不全で急逝した。

私が在外赴任の夫について行き、三年の無沙汰を詫びて帰国の挨拶をしに行くから、と電話をして一週間目のことだった。

間に合わなかった。

あの還暦のにぎやかな宴会をした2階の床の間に北枕で眠っていた祖父にすがりついたが、その体は冷たく硬くなっていた。

「おじいちゃん。あなたが一番会いたがっていた人が帰ってきましたよ。」

枕元の祖母が落ちついて語るのを聞いて、泣き崩れてしまった私だった。

                                          つづく


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by akageno-ann | 2011-06-26 07:53 | 小説 | Trackback | Comments(0)

カシミールのその後

「やってしまいました。」

美沙は北川怜子の家の居間で、カシミールのできごとを話していた。

カシミールに意気揚々と出かけたのはつい1周間前である。

オベロイに前後1泊ずつ、ハウスボートに1泊、パハルガムというヒマラヤの麓に2泊、グルマルグという高原に1泊して一応無事デリーに戻ったところである。

帰りの飛行機はほぼ2時間を全ての人々が沈黙して、またグッスリ眠って、行きの飛行機で機体の古さを心配したことなども忘れて戻ってきた。

この1週間、三組の新人がいよいよ新人から足を洗った感じに、脱皮し、しかもその脱皮の仕方は各々に方法が違っていた。

山下文子は、一番己をさらけ出し、いわばもう怖いものなしになっていた。

顔つきも最初の頃よりさらに目が引きつってみえ、時としては取り付く島がない様子を見せた。

平田よう子は日和見主義を露呈、優柔不断なのは片山美沙だった。

夫たちは妻の素性が知れたらもう気取ることはないと思ったのか、かえってフランクに話し合っている。

夫たちはさすがに、日本の役所を背負って働きにきたことを自覚したのかもしれなかった。

「それで、どうだったの?」

怜子(さとこ)は興味深げに聞き入った。

「山下さんはとにかく自分の家族が第一で、子供がない私に対しては大きな偏見を持っています。平田さんと教員同士の繫がりがあることにも嫉妬するし。最後は取り付く島がなくなってしまって」

と、美沙は疲れきった様子で話し始めていた。

「あたりまえでしょう・・自分に小さな子供がいてごらんなさい、それは母親として当然のことだわ・・・・・・と思ってあげないとね。」

怜子の言い回しにちょっと笑って気持ちがほぐれた美沙は、ほっとしてさらに話しを続けた。

「インドに来ているのですから、多少はこちらの風土だって認めないといけないと思うんですよ、平田さんにいたってはお子さんが風邪を引きかけたといってはグルマルグの全てを否定しようとするし、もう会話についていけなくて。日本で電話しているときはそんな人じゃなかったんですけどね。」

グルマルグはオベロイよりは山間部にあって、イスラム教徒が多くいるせいか少し欧州の香りもし、山ふところに抱かれた小さな宿舎では食事も粗末な上に雨に降り込められて少々怖い思いもしたのであった。

「まあ、3人3様なのだから、まだなれない場所での暮らしには不安がつきまとい、そこを人に話し、時には当たることで気持ちを落ち着けていくというタイプの人もいるわよ。」

「主人たちはのんびりしていて、気楽なんですよ。」

「そうよ、それでいいの。ご主人の仕事は過酷よ。
その上奥方たちのいざこざに巻き込まれると大変なことになるから、なるべく良い環境を作ってあげてね。
と、かくいう私はこうして病気になって日本に帰っていたのだから、偉そうなことはいえないわ。主人の足を引っ張ったことになるもの。」

「そんなあ、病気は仕方がないことでしょう・・・」

美沙は怜子の言葉を強く否定した。

「ありがとう、美沙さん、でもね、デリーでこんなことに、しかも私は医療関係にいたでしょう。
だから、ここまできて自分の健康管理ができていないって、言う人はいるのよ!」

美沙はびっくりした。その顔を見ながら怜子は、

「日本じゃないの、ここは。皆必死でここでの仕事を遂行させて帰国することが第一!!
家族は遊びに来たんじゃないの。その仕事をする夫のサポートよね。単身の人の家族は殆どお子さんの教育問題がここではうまくいかないから、止むを得ず日本に残り、奥さんが留守宅を守ってるんだと思う」

穏やかながらしっかりしたその言葉に意見を差し挟むことは、今の美沙の知識ではできることではなかった。

「とにかく、厳しいことをいうようだけど、ここではまず自分の家庭がうまくいくことが第一、友人はできないと思って、こうしてちょっと話が合いそうな人々で集まって日ごろの憂さをちょっとだけ晴らす・・あとは黙って静観する。それがここで無事に生きていく処世術なのかもしれないの」

最後の言葉を曖昧にしてくれたことが、この時の美沙にとって唯一の救いだった。

「私はまだまだここの生活がわかりませんけど、こうしてたまに聞いていただけますか?」

と、怜子の機嫌を伺うように美沙は尋ねた。

「ええ、これから学校関係でない人たちとのお付き合いもでてくるし、そういうことをまた大事にしていくのも生活が少しでも楽しくなるこつよ。今度若い方で私の友人を夕食に呼ぶから一緒にいらっしゃいね、学校関係はいないわよ。」

と、ウインクする怜子の茶目っ気に大いに期待してしまう美沙がいた。

カシミールの後半は人間関係は冷えてしまって、そのあとのパハルガムというヒマラヤの麓の壮大な場所でのポニーに乗ってのトレッキングも最後に大雨に降られてびっしょりになってしまったこともあって、楽しい思い出にならなかった。

しかもそこへは結局平田家は娘のめい子の風邪気味を理由に、きまづい関係になっていた山下一家との二組で出かけた。

平田家はオベロイが気に入って、そこに戻ってしまったのだ。

夫の久雄が、常に妻の機嫌をみて行動するその家庭が、美沙にはこのインドにおいては少し羨ましくなっていた。

                                   つづく

追記
 
この小説は2007年から1年間掲載したものを再録しています。

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by akageno-ann | 2011-06-24 07:35 | 小説 | Trackback | Comments(2)

ハウスボートのオーナー

その夜、事件は起こった。

食事は思ったより美味しいと、平田よう子が認めたから、間違いなくここのインド料理は上品な味わいだった。

ホテルオベロイのダイニングのバイキング形式のインド料理を美沙と翔一郎は思い切り堪能していたが、子供連れの二組はあまり食が進まず、美沙たちを半ば呆れ顔でしかし

「いいわね、片山先生のお宅はインドが合ってらして・・・」という言い方で羨ましがれられた。

美沙は彼女の中学校時代から進学校にいたせいか友人たちも好奇心旺盛・・前向き志向・・と、個性豊かな連中に囲まれていたせいか、
「人は人、自分は自分という思いの中にも協調性というものを尊ぶ」その学校の校風でどんなところでも同じ精神で進んでいく力を身につけていた。

多少の厭味も笑って受け流すという術を知っていた。

兎にも角にもこの旅を成功させて、次のデリーの暮らしに役立てたかったのだ。

が、いくつもいくつも押し寄せるインドの試練は果たしてそいう果敢な気持ちでいる美沙をくじけさないでおくことができるだろうか?

それが今の一番の疑問だが・・本人はおそらくできる・・・とこのときは思っていたのだ。

6人の大人と3人の子供たちが、まあまあの広さの船のダイニングで集って日本語だけで和気藹々と食事が摂れたのもこのハウスボートならではのことで、一同は一様に喜んでいた。

その様子を見ながら、オーナーの男と召使の男も心なし嬉しそうに佇んでいた。

片山夫妻と山下氏はインドビアのキングフィッシャーという銘柄を飲んでそれなりに美味しく感じ、 ほろ酔いだった。

その時、山下文子が叫んだ・・・

「いやだ・・このミネラルウオーター・・新しくないのじゃないの??
蓋が簡単に開くわよ・・だいいちこのボトル古いじゃない・・・」

ミネラルウオーターを見ながら叫んでいるから・・たとえ日本語でもオーナーには理由は歴然と理解できた。

「ノーマダム・・ノープロブレン」

慌ててそのボトルを取り上げ そうにして叫ぶオーナーに向かって文子は言った。

「シャーラップ・・・だまりなさい・・私たちを甘く見ないで・・・」

その顔を赤くして怒りをあらわにするフ文子の様子に一同は一瞬たじろいだが

そのオーナーのインド人はひるむ様子もなく、

「この男が悪いのだ!」

と、まるで活劇を見るように召使の初老の男を突き飛ばした。

「子供たちの前だわ・・やめて!文子さんも気を落ちつけて」と
美沙が取り成したことで、かえって文子はエスカレートしていった。

「貴方ね、子供がいないからそんな暢気なことが言えるのよ。こちらは子供の命がかかってるわ。」

その言葉に初めてたじろいだ美沙は押し黙った。

「いや、美沙さんはそんなに無神経な人じゃないでしょ。」とよう子が取り成すと

「あなたたち二人は最初から教員同士で仲が良いからそうやって庇いあうのね!
いいのよ、私はいつもこうして一人で戦ってきたわ。」

そういう女たちのバトルをみて、オーナーはこの三組の日本人は今までの客の日本人とは様相が全く異なる、と初めて甘さに気付くのであった。

「文子、やめなさい、それは君がちょっと言いすぎだ。」

初めてゆったりと文子の夫の山下氏は口を挟んだ。

穏やかな美男子で物言いが全て決まる。

「また貴方がそうしてのんびりしているから、私が子供たちのために苦労するのですわ。」

雲行きはそこここに暗雲たちこめているようで、それぞれのこれまでのインドの生活の憤懣にさらに油を注ぎ火をつけるような勢いになった。

平田家の明子(めいこ)が泣き始めた。

その哀しい泣き声に一同は改めてはっと気付かされだれともなく

「ごめんなさいね・・悪かったわ」と

声のトーンを落とすのだった。

そして、その場はオーナーが

「食事代は無料にするから。」と謝罪を述べて、一先ずその場は収まりを見せた。
                                   つづく


追記
 
この小説は2007年から1年間掲載したものを再録しています。

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by akageno-ann | 2011-06-22 07:42 | 小説 | Trackback | Comments(2)
カシミールの過ごし方には日本人には日本人の、一応セオリーがあるようで、オベロイホテルで過ごしたあとは、付近のダル湖かナギーン湖というあまり美しいとはいえない湖にこれまたあまり綺麗とはいい難い船上ホテルが何隻もならんでいる、そこへ宿泊するのも一考らしい。

その一団も その中で、世界の有名人も泊まるという一隻の大きな釣り船風のホテルを三組で借り切った、と聞いていたので、ホテルから例のタクシーでダル湖に向かった。

何が起こるかわからない・・これぞミステリーツアーだと大きな声で言い切れるインドの国内旅行。

予想に反さず・・予定通り、次のお約束は・・あった。

タクシーが川岸について、三組の家族は荷物共々下ろされ、向こう岸近くに停泊する船宿まではシカラという渡し舟で川を渡るという・・・風情があるようだが・・なんとなく怪しげな雰囲気が漂っていた。

川岸にはとにかく浮浪者のようなインド人の男がたむろしていて、別に危害を加えそうな雰囲気はないのだが・・・きた来た来た・・・という感じで一つの荷物に3人くらいずつが一斉に群がる。

その浅ましいまでの仕事の取り合いを眺めているわけにはいかない・・自分の荷物の確保と共に誰に頼むかを即決せねばならない。

北インドが人が悪い、とまで言わせるのは・・・・この職業難があったのだ。

観光客相手の仕事など、そうたくさんわるわけでなく、ひとたび捉まえた客をそう安々と手放せるわけもない。

しかも、日本人は金離れがいい、チップや物をくれるのだ。

しかもこの子連れの一団体はかなりリッチな旅をしているようだ。

と、彼らはピラニアのようにくいついている。

平田よう子は もう  うんざりだといわんばかりに泣き始めた。

「パパ、もうだれでもいいわよ・・早くして!!」

「はい、もう貴方と貴方・・あとは帰りなさい」と山下文子は二人を雇った。

一番綺麗気な男だった。

片山翔一郎は憮然として

「自分で運ぶからいい」といって荷物を奪い返した。

別に捕られるわけではないが、どうなるのかは流石に不安になった。

平田久雄は申し訳なさそうに一人を選んであとはお引取り願った。

だが外されたインド人が暴動を起こすわけでもなく・・静かに散っていったことが逆に不思議だったくらい、あっけなく彼らは去っていった。

しかしこの手のやりとりはここにいる限り永遠に続くのであったが・・・

シカラはあまり大人数は乗れないので、三艘にわかれてそれぞれの荷物と一緒に乗り込み、泊まり先のハウスボートに到着した。

若い男と、その召使いをしているような初老の男が待ち受けていた。

大歓迎をするような手振りで。

先ず船内ツアーを行った。

しかしどうも平田よう子などはすぐにもオベロイホテルに帰りたいような顔をしていたが、
誰一人不満を言わないので、かろうじて抑えていたようだ。

片山美沙は興味津々に各部屋を覗いている。

その彼女を少々嘲笑うように見て、山下文子は毅然と

「この一番大きな部屋をいただいていいですか?」

と、語った。

平田家も片山家も異存はなかった。

その次に問題になったのはその夜の食事だった。

台所は岸にある家の方だ、というので女たちは子供を夫たちに任せて
見学に行った。平田よう子はしっかり日本米を持って来ていた。

「今日はこれを炊いてもらいましょう。」

インドの主食に米はあるので、釜はある。簡単なものだが日本と同じように炊くことを知っていた。

台所には先ほどの若い男の妻なのか、若くて小奇麗な女がいて、にこやかに迎え入れた。

インドのカレー料理の香りがしていた。

すでに用意しているのだ。

主菜は鶏肉でチキンティッカという焼き鳥だそうだ。

まあ痩せてはいるが、鶏が捌かれていた。

この状況にも日本の女たちは既になれていた。

米は自分たちで炊かせてほしいというと、快く場所を提供した。

水はミネラルウオーターを頼んだ。

気休めであっても日本米を完全に炊き上げたい思いからだったのだが

ご飯をミネラルウオーターで炊くことが果たしていいのかどうかわからなかった。

ただただそこの水が信じられなかった。

そんな3人の女のやっていることをオーナーの男はニヤニヤしながら見ていたのである。

                                     つづく

追記
 
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by akageno-ann | 2011-06-19 21:24 | 小説 | Trackback | Comments(1)

一生に一度のカシミール

北インドのカシミール地方は、デリーから避暑地として真夏に移動する休息の地であったが
パキスタンとの抗争に巻き込まれつつあった。
今も容易に行ける場所ではないようで、さびしい・・八ヶ岳高原と同じ空気だった・・

061.gif小説を書いています。
アンのように生きる インドにて


オベロイホテルの部屋は全て1階で、広い中庭に面し、部屋の窓を開けると爽やかな涼風が入ってくる。

「ここは八ヶ岳のようだわ・・」

と、中学校の教員だった美沙は日本の夏の八ヶ岳の合宿施設で感じた高原の風を思い出していた。

すったもんだがあったせいで、昼食をとる前にすっかり疲れ切った三組の家族は、まずそれぞれの部屋でゆっくりしようということになり、三々五々に別れた。

一応3時のお茶を一緒にしようと、約束して・・・・

部屋に入ると落ち着いた高原のホテルの部屋は日本のそれと殆ど変わらず、一瞬で寛げる空気を感じ取ることができた。

美沙は子供のようにベッドに飛び乗って

「あああぁぁぁぁぁぁぁ・・・・つかれた~~~」とその旅の洋服のまま倒れこんでしまった。

「これが避暑かあぁぁぁ~~~~~」と実感する翔一郎と共にそのまま睡魔に襲われてしまったのである。

「寝れる寝れる・・・」と夢の中で小さく叫びながら、それぞれの睡眠に深く落ちていったのだ。

夢をたくさん見ているようだが・・・あとで思い出すことはできなかった・・・・

体はもうベッドに張り付いたように離れず、時間はどんどん過ぎているとわかっていても目を開けることができなかった。

しかし・・約束がある・・・と思いつつ、時計をみると 三時半だった。

「あなたあ・・・もう時間だわ」

夫もそれはもう深い眠りに落ちているので、美沙は一人でとりあえずロビーに出てみた。

日本人はだれもいなかった・・・

庭を見回しても子供たちも遊んでいない・・・

美沙にはすぐに理解できた。

皆疲れているのだ・・・むさぼるようにこの涼しい空気の中で美味しい酸素を吸いながらゆっくり眠りを楽しんでいる。だからまだだれもここへ出てはこないのだ・・・

美沙はゆっくりひとりで庭を散策し始めた。
少し肌寒いような空気に変わり、この空気はちょうど日本を発つ時の日本の気候だ・・と思った。

庭の向こうに大きなテントがあるので行って見ると、野外のティルームになっていた。

インド人スタッフがにこやかに迎え入れてくれた。

「グッド アフタヌーン・・マダム」

優しい声かけにフラフラと誘われてテーブルについた。

「ウジュ ライク サム ドリンク?」

デリーで日ごろ使っている ジャパニーズイングリッシュとは異なる正しいイギリス英語が耳に優しい。

「ティ プリーズ」

少し気取って、だが思い切り笑顔でオーダーした。

「イエス、マダム」

先ほど空港でもめたタクシーの運転手との会話とは全く違う、客への丁寧な英語だったのだ。

美沙は一人で味わう初めての北インドの空気と一人のマダムとしてのホテルライフを満喫していた。

「美沙さん、楽しそうね・・・」

お茶を飲んでいると、平田よう子がやってきて、笑顔で横に座った。

「よく眠れたわね・・・今皆さん集まりましたよ。」

「私も寝過ごしたと思って急いで来てみたけど皆さん疲れていたのね。」
と、美沙もよう子に紅茶を勧めた。

その午後は皆それぞれにゆっくり過ごす事にして、よう子と美沙はしばらくその場に身を置き、

ホテルの部屋の前の庭のブランコで幼い子供たちがよう子の夫や山下一家と一緒に遊ぶ姿をまるで一幅の絵画を見ているように穏やかに眺めるのだった。

                                     つづく

追記
 
この小説は2007年から1年間掲載したものを再録しています。

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by akageno-ann | 2011-06-18 09:15 | 小説 | Trackback | Comments(0)
旅行社からチャーターしておいてもらったタクシーはきちんとこちらの名前をローマ字で書いて男が二人到着ロビーで待っていたから・・
『あ!!予定通りだ・・インドも大したものだ・・』とそれぞれにほっとしてタクシーに向かった。
1台目に山下家の4人が乗り、2台目に平田家、片山家が乗ることにして先を急ごうとすると
山下家の奥方の文子が血相を変えてこちらに来る。

「ねえ、この運転手たちとんでもないこと言ってます。」

「え?なに?」とのんびり片山翔一郎が近づいて行くと、山下氏は少し厳しい口調で

「ホテルの名前が違うんですよ。オベロイが混んでいるから変わったって言ってるんです。」

「なに言ってるんだ・・そんなはずはないよ。だめだオベロイに行け!」

と、英語で厳命するが、運転手は

「ダメだ。こちらのホテルもファイブスターだ・・心配ない!」と言い張る。

三組の日本人家族は一緒に集まって話し合った。

「これがインドの試練じゃないのかしら?」と文子は言った。

「いやよ、オベロイじゃなくちゃ・・」と平田よう子が顔をしかめた。

「行ってみて、本当に混んでたら、その人の言うとおりにするしかないのじゃない?」
と いう美沙の言葉を受けて平田久雄は

「そうだ、とにかくオベロイに行かせよう。」

と、決定して、運転手に面差しは柔らかいがキッパリと告げた。

「アッチャ ティーケ」 

デリーに来てからここまで何度聞いたかわからないこの極めて軽い相槌

「OK」という承諾の言葉だった。

その軽い響きははじめのうちこそ、面白いと思っていたが、あまりに軽く使うので
次第にその信憑性は薄れ、自分の家のサーバントにはきちんと
「イエス、サー」
「イエス、マダム」を他にならって使うようになっていた。

さて、とにもかくにもそのタクシー2台は怪しげながら、三組の日本人家族を乗せて
オベロイホテルを目指した。
時間は空港についてから1時間が過ぎランチタイムを過ぎてしまっていた。

ほぼ40分ほどで目指すホテルに到着した。
オベロイ系はデリーの住宅のすぐ近くにあって、なかなか重厚で雰囲気の良い
ホテルだったので、安心していたが、入り口からのアプローチのなんと緑の多い
美しい庭園が広がっていて・・三組の家族はそれぞれに

『何が何でもここへ宿泊したい』と決心して車を降りた。

先ほどの男性陣の応戦のあとは夫人3人でホテルのフロントに赴いた。

名前を告げて、本日の予約をしてある旨を伝えると、黒いサリーで身を包んだ美しい
女性スタッフが、にこやかに応対して間もなく戻り、

『お待ちしていました』という感じに、ウエルカムを告げてくれた。

ほっとしながらも、その新人家族は先ほどのタクシーにもどり、
「どういうことなのだ・・・」と詰問するが、彼らはニヤニヤするばかりであった。

それどころかそこでまたチップをよけいに要求する。
「我々は他のホテルに頼まれていただけだ。」といとも簡単に言い訳し、詫びることはない。

これもインドなのだ・・・と諦めて、また新しい処世術を得たような気持ちになった。

タクシーが去った後、先ほどの女性スタッフがホテルの案内をしてくれるという、あまりの美しさ品の良さに感動して、写真撮影を一緒にした。

そしてホテルの広々とした庭の薔薇の咲き誇る庭で皆で記念写真をさっそく撮ってもらった。

全員で勝ち取った、このホテル滞在を祝福するように。
by akageno-ann | 2011-06-16 13:31 | 小説 | Trackback | Comments(3)