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なみだ・・涙・・泪

「花子とアン」が終わりました。
曲がり角の先に・・

 そこには必ずしも幸せだけが待っているわけではないのですが、思い切って曲がらなければならないこともあるのです。

 その気持ちはいつも持ち続けていました。
 インドに渡った時も アンの夢の家・・でアンの仲良しが宣教師のご主人とインドに住んでいることを思い出していました。
インドへの荷物に赤毛のアンののシリーズを持っていきました・・

 そのときのことはこのブログを最初に始めた時の小説「アンのように生きる・・インドにて』に書きました。

ブログへクリック⇒⇒ 「アンのように生きる」
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今日はその時の様々なことを思い出して最終回の「花子とアン」を見ながら涙がこぼれました。
by akageno-ann | 2014-09-27 08:51 | エッセ- | Trackback | Comments(5)

義父と父  そして相棒

結婚をすると、父と名のつく人が増える・・
そのことを何度か感じていたのだが、葬儀の日ほどそれを感じたことはなかった。

義父が亡くなった朝・・最初にかけつけた私は 数え切れないほどの「お父さん・・」を
言って・・父を見送った。
主人は照れもあるのか、その言葉を全て私に託しているようだった。

けれども、葬儀の日、実の父が私の後ろに控えているのを感じると・・これがなんだか心引けて大きな声で出棺の義父を「おとうさ~~ん」とは声に出せなかった・・
その代わりに、甥が「おじいちゃん」と言ってくれたから本当によかった・・
私の甥たちが義父の棺を車に乗せてくれた。
孫が棺を抱えられるほどの年齢になるまで生きてくれたことへの感謝も湧いた。

恐らくこの時、柴犬の小夏は家でこの義父と会話していたことだろう・・
亡くなった朝・・4時頃に普段無意味に吠えることのない柴犬の小夏が吠えたという。
私は起きて台所で水を使っていたので気づかなかった。
ただ後で、隣の方から、「朝 小夏ちゃんが吠えていたけど何かあったの?」と
問われたときに・・不思議な想いがした。

多分小夏は父の死を感じとったのだと思う・・
だからその後は静かに過ごしていた。もう彼女が見守る人はここにいないことを一番よくわかっていたみたいだ。

小夏は本当に不思議な勘が働く子で、そのお隣の奥さんが我が家に用事があるときは
台所の出口を開けたとたんに吠えて私に知らせる。

その台所は奥さんが何かと用事で出入りするのだが、彼女も本当に驚くのは
「なぜ、私がお宅に用事があるときだけ吠えるのかしらね?なんだかテレパシーが働くみたい・・」と言われたことがあるが・・実にそうなのだ。

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父の晩年は こうして父が座った後の椅子にひょこっと乗ってそのぬくもりを愉しむように寝ていることが増えていた。
小夏も人間の年齢に置き換えれば、80歳を超えているようだ。
多分父の一番の相棒だった・・
by akageno-ann | 2014-09-23 02:04 | エッセ- | Trackback | Comments(3)

最後の写真

NHK朝の連ドラ「花子とアン」はいよいよ最終週を迎えるが、20日土曜日のドラマは本当に素晴らしかった。小学生で出会った、「赤毛のアン」は第二次大戦の非常時をも必死にくぐり抜けた村岡花子さんによって日本の少女たちに届けられ、そこに流れる精神がいつの間にか私にも根付いていたことに改めて感謝と感動を覚えた。
私はことさらに第6赤毛のアンとよばれた「アンの夢の家」が大好きで、今も時折読み返す。
その古い本にはたくさんの鉛筆での傍線がある。
今思い出すのは アンが結婚する日に 最愛の育ての親である亡きマシュウに心を寄せて、「亡くなった人々は私たちが忘れない限り本当には死なないものだ」(メーテルリンク青い鳥より)を引用している。
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この花束を抱いている義父を私も忘れることはないだろう・・

故郷の叔父を見舞いにちょっと高知へ行ってきた。
その妻である叔母はこの葬儀にわざわざ高齢なのに飛んできてくれたのだ。
葬儀の感想で最初に言ってくれたのが「あの花束の遺影が素晴らしかった」・・・

そう、私も葬儀社アーバンフューネスの方があの写真を奨めてくれて、参列された父の生徒さんたちから歓声があがったことが、ありがたかった。
喜寿の祝いを生徒さんたちがしてくださった日の写真だった。

最初米寿の写真を考えていたのだが、どこを探してもその写真がなくなっていた。
義父もまた、この写真が気に入っていたのだろう。
葬儀が終わって片づけているときに引き出しから出てきた米寿の記念写真より、はるかに良かった。
これも父の最後の演出のような気がした。

花の祭壇で、父の作品のコーナーを作る・・
父の生活の様子を丁寧に聞いてくれて・・そのイメージを葬儀の形に組み込む・・
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スタッフは遺族の心に寄り添う・・ということをモットーとしているということを4月頃テレビで紹介していて、この葬儀社を知ったのだった・・偶然に・・

あの亡くなった朝・・どうしようか・・と恐る恐る早朝に電話したら、ワンコールで丁寧な応対をしてくれた。
流れるような運びに少し戸惑ったが、病院側も協力してくれて、結果私たちは救われていた。
今葬儀後一か月を過ごしてみて、ありがたいという思いが、さらに深まっている・・・
by akageno-ann | 2014-09-20 23:36 | エッセ- | Trackback | Comments(1)

花束を

あっという間に一か月が過ぎてしまった。と、言うより・・・
毎日毎日 曜日を確認するように日を過ごしていた・・という方が正しい気もする・・
35年一緒に住んだ舅がこの夏に逝った・・
その朝は全く私は油断していた・・
暑い夏の朝は早起きなので 4時頃から目が覚めていた
柴犬の小夏が、初めてのように朝遠吠えをした
だが、その前日義父はしっかりしていたので何も感じることなく5時になって朝餉の準備をしていた
夫はこの夏神職の資格をとるべく早朝から渋谷まで出かけて行って一日勉学に勤しんでいた。
5時15分・・家の電話が鳴った

一瞬自分の心臓が止まりそうだったが・・すぐに受話器をとった
「○○病院です。」
「お父さまの呼吸が弱くなられました。」
「すぐ行きます」

朝ぶろに入っていた夫に「先に車で行くから、気を付けてくるように・・」と言い置いて
台所のガスの確認だけして病院に向かった。

5分で到着・・病院は私の為に当直の警備員さんがドアを開けて待っていてくださった
二階に駆け上り・・そこにいた看護士さんに案内されてICUに・・
そこはつい先日肺炎の疑いで入った病室だった。

だいぶ良くなって、普通病棟に移っていたのだが、食欲が出なくて心配されていた矢先だった。

「おとうさん・・おとうさん・・おとうさん…」手や足をさすって呼びかけるが・・父は
もうその時は何も答える様子はない・・ただいつものように眠っているだけ・・・
ほどなく夫が駆けつけて・・

二人で臨終を見守った・・・・・・・・・・・・

こういう日がいつかは来る・・その日は近づいていると・・随分前から覚悟はしていた・・
が・・・実際に訪れたのだ・・

春先から父の寝息はとても弱くなっていたので・・・夜中や朝に見守るときに電気をつけて
顔の傍まで近づいて確認するようになっていたので亡くなったことが信じられないような様子だった・・しかし当直の医師と看護師の方々で最期を告げていただいて・・父は人生を閉じた。

早朝の6時だった・・あと二日で90歳卒寿の誕生日を迎えるはずだった・・・

私がふと思ったのは・・前日に父の義理の姉・・つまり早世した妻の姉が94歳でやはり永眠したとの知らせがあったのだ。その訃報を父にも話していた・・・
仲の良かった伯母さんの死を父にも知らせたことは・・・・それまで持っていた気力が一瞬にして失せさせてしまったのかもしれなかった・・・弔電を打っておいてくれ・・・

今思うとそれが父の最後の私への指示だった

主人と二人で見舞ったその日は「明日またね・・」の我々の言葉に「ありがとう・・」だったと今改めて思い出す・・

まだ実感のない舅のいない生活の中に・・一枚の写真が新たな存在感を示している・・
花束・・喜寿の祝いに書塾の生徒さんからいただいた花束を抱えて微笑む写真だ・・
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by akageno-ann | 2014-09-17 01:24 | エッセ- | Trackback | Comments(2)

かけがえのない日本の片隅からの発信をライフワークとして、今は老いていくにも楽しい時間を作り出すことを考えています。


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