アンのように生きる・・・(老育)

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かけがえのない日本の片隅からの発信をライフワークとして、今は老いていくにも楽しい時間を作り出すことを考えています。

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実家にて

こういう暮らしもありという事だが実家に宿泊して二週間目が終わる。両親は満足してくるから驚く。どんどん自分のペースを取り戻している。妹と良い施設もみつけてみたりしているが要するに自宅で最後までという希望は強いのだ。
ならばそれを叶えることが子供の努めか?とも思う。舅とは35年ともに暮らした。その決心をしたのは結婚後半年たってのことだったと記憶が蘇ってくる。
その時の一人暮らしの舅が気の毒という純粋な思いが60才を過ぎた今少なからず変化していることに残念な思いがある。そんなことをつづる自分にも老いが忍び寄っているのだということなのだ。まだこの実家の一室を自分の部屋にしようと思わないのは、今くらす自分の家と25才までくらしたこの家の様相が違っているからにほかならない。
さてこれからどう変化していくかはもちろん両親によるが少し自分勝手になっているが尚やさしくかわいらしい母と、かなり頑固さを増しつつ自立心を保とうとする父らしい父との小さないえやや大きくなりつつある攻防戦が始まりそうだ。

今日は日中自宅に戻り地域の敬老会に顔を出してきたが百十余名集まった後期高齢者の様々な生き方を感じてまた気持ちがゆらいでいる。
今夜母はおだやかな寝顔だ。

by akageno-ann | 2017-09-24 23:05 | Trackback | Comments(0)

母平静に戻る・・・

とても心配な日々が2日続いたあと・・・母はまるで憑き物が落ちたように穏やかになって
病室にいた・・いやその日はベッドが空で・・・心配したら 車いすで看護士さんとリハビリ中だった
母が「ここよ・・」と手をふっている
「何かございましたか?」と尋ねると・・「ベットばかりでないように移動してみました・・」
と当番の若い看護士さんが言ってくれた・・

「ありがとうございます・・」と感謝すると 母は「なんでもやってもらってしまって・・」と
すっかり落ち着いている・・しかもその日は入院前よりクリアな母がいた・・

ごくまれに 本当にこんな風にクリアになる話も聞いてはいるが・・これもひと時の母の情況だと
こちらもぬか喜びはしないが・・でもこの日はこのしっかりと話してくれる母であることを喜びたくて
妹にもさっそくメールした・・

とりあえずこの病院での暮らしに慣れてはきたようだが・・このあとをどうするか・・が
問題である。

普通はリハビリ病院へ移ってから自宅なのだが・・母は自宅を願っている・・
その願いは父も同じだ・・

ここで心つもりをしなくてはならないのは私の行動である・・

私の自宅は幸い二軒になっているから 引っ越してもらうことが私は楽なのだが・・
そうは簡単には行かない話である。

二人は今の都心の生活から離れる気持ちは全くない・・

住みなれてご近所もいいその場所がいいのである・・
と、いうことは私たちが毎日通うことになるが・・たまに寝泊りもして
それが一番良さそうだ・・主人の父とは30年以上一緒に暮らしてきた
それとはまた別の感覚がある・・

でもいよいよ実の両親との新しい暮らし方を模索するときがきた・・

ただ有難いのはケアマネージャーさんやケースワーカーの方 そして従妹の施設の
方たち・・皆多くの経験をもって相談にのってくださる・・
私も自分の心を正直に相談している・・
それが義父の時とは違っている  そして時代もずいぶんと老人の多い問題点を
抱えるようになっていることも感じている・・

さて今日は母はどんな感じで病院で待っているか・・と考えながら 出かけていく・・


by akageno-ann | 2017-09-07 09:56 | 老育 | Trackback | Comments(1)

母の反乱

こうしてここに書けることをまず嬉しく思う。
先週母が突然吐血して救急搬送されると朝電話がかかり・・・
これはいよいよ・・・と覚悟しながら すぐに電車に乗った。
幸いすぐに行動できる時間帯だったことと 実家のご近所の
お二人の奥さんが本当によくフォローしてくださって・・

病院にかけつけると 父が心配そうにだが結構しっかりと
状況を看護士に説明しているところだった。

ただ耳が遠いので聞き返しも多く・・看護士の方たちも
根気よく聞いてくださっていた。

母は幸い意識もあり、落ち着いていたのでほっとしたが・・
やがて妹も車で駆けつけ・・いよいよ病状の説明になった。

腸閉塞だった・・前日に実家で母は元気そうだったが、なんとなく
食欲がいつもほどではないな・・と思っていたらそれが症状だったようだ。

その日の治療は鼻から管を通して造影剤を注入してのレントゲン撮影に
なったようだが、その管を挿入するのが苦しかったらしい・・

翌日いったら管は夜中の間に母が抜いてしまう・・という状況に
変わっていた。「苦しかったのですからしかたないのです。」
と看護師も医師も説明してくれたのだが・・・

今後の治療が心配になった。
しかも吐血時の吐くという事象が誤嚥性肺炎も引き起こしていた。
母はいきなり病院のベッドにいろいろな管で繋がれることになってしまった。

妹と様々なことを相談し・・父のケアと共に行ったり来たりの一週間が過ぎた・・

従妹の施設のケアマネージャーにも相談させてもらって
いよいよ・・・と考えていると、ケアマネのOさんがアドヴァイスしてくれた。

「経過は日々刻々変わるのでゆっくり考えていらっしゃれば大丈夫ですよ・・」
そのことは入院先の医師や看護師も言ってくれた。
「お母様は今は病院にいる状況も受け入れられなくて、混乱されてますが落ち着きますから・・」
永年の経験をお知らせいただくのは本当に有難いし・・確かに私も義父や従妹をみていて
いろいろあったな・・と落ち着くことができた・・
ただ妹が行ったときには 母はベッドで 暴れていたらしい・・・
私がいくと手にミトンをされていてそれがうっとおしそうだったが 私たちが見守るとき以外は
外すことができなかった・・

叔母が心配して電話してくれた時に・・母の実家の神社で病気平癒のお祈りしているから・・伝えて
といってくれたので、母の両親の写真を持って行ったりして・・なだめるように話すと
次第に納得するような気配もあったが・・やはり苦しさはとれなかった・・

妹は心から心配していたが・・・「母のこれが初めての反乱だね・・」と認めることが
できた私たちだった・・母は 一度だって私たちの前でわがままを言わない人だったから・・

by akageno-ann | 2017-09-05 01:59 | エッセ- | Trackback | Comments(1)