アンのように生きる・・・(老育)

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かけがえのない日本の片隅からの発信をライフワークとして、今は老いていくにも楽しい時間を作り出すことを考えています。

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八ヶ岳のようなカシミールから帰って夏休みの後半は瞬く間に終わりそうになった。
夏休みの間は日本人はそれぞれの予定で動き回るので、静かなデリーの暮らしが坦々と行われていた。

新人三組も次第に脱皮し始め、少しずつ個人的な食事会などにも招待されたり各々の知り合いを増やし始めた。

北川怜子と親交を深めた美沙たち夫妻は北川家の小さな夕飯の席に招ばれて、独身の大使館員、子供の小さな商社員夫妻、新聞記者夫妻と同席した。子供は家に子守と残して来ていたが。

皆ゴルフ仲間として親しいらしく爽やかな夕食会になった。

「片山さん、どうですか?デリーの夏は・・・これからどんどん暑い日は続きますからね、こうやって皆で飲んで歌って、暑い暑いといいながら過ごしていくのがいいのですよ。今度は一緒にゴルフやりませんか?」

片山翔一郎はゴルフを好むので道具を持って来ていたが、派遣のための研修中に

『娯楽性の強いものに父兄とあまり同席するのは好ましくない』と聞いていたので、曖昧に返事してにこやかに過ごしていた。

美沙は、その夫に対して、『もう少し愛想よくしたほうがいいのに・・』など思いながら、奥方たちとの会話を楽しんでいた。

翌日北川家に昨日持ち込んだ一品料理の皿を受け取りに尋ねると、また怜子がお茶に誘った。

「美沙さん、まだ緊張があるかもしれないけど、昨日の仲間は遠慮は無用よ。皆本当に気が良くて、心から貴方たちを歓待してるわ・・さっき新聞社のK夫人がお礼の電話をくださって、貴方たちの謙虚な雰囲気がとても良い感じなので今度は是非ゴルフに誘って・・って言ってたわ」

「まあ、ありがとうございます。」美沙はまるで面接試験に受かったような気持ちになった。

「片山先生がゴルフの誘いに躊躇する気持ちわかるし、正しい!!
でもわきまえて付き合っていかないと、ここの社会は狭いから保護者ばかりだし。
それに皆インドで頑張ってるということには変わりないもの・・大丈夫少しずつ気を
許していっても・・3年間たのしまないとね・・」

「はい!!ありがとうございます。私もゴルフやれるのかなあ?」

「もちろんよ、ここは安いし、そしてクラブのインド料理が美味しいし、孔雀たちは遊んでるし・・あ!!でもブッシュにはコブラの赤ちゃんもこの時期いるから気をつけてね・・」と
悪戯っぽく怜子は笑った・・

「コブラの赤ちゃん!!」

絶句する美沙をみて、サーバントまで笑っていた。

インドはまだまだ面白いっことがあるらしい、と美沙は思ったことだった。

「そうそう、カシミールでのできごとはもう結構噂になっているから覚悟してきなさいね。」

「え?なんで?誰かしゃべったの??」

「多分ね、学校関係の誰かにしゃべれば。悪気はなくても、伝わっていくのがここの社会・・でも大丈夫よそんなことで人を評価するような人とは深く付き合わなければいいし、堂々としてればいいの。貴方は分が悪いかもしれないけど、何も言わない方が得策ね。
山下さんの奥さんはどうもおしゃべりだし、話題が乏しい分あることないことしゃべってるわね・・でも、それもストレス解消方法!!
彼女はそうでもしないとお子さん抱えてこの地での暮らしはきついんだと思う・・
かく言う我々も、こうしてしゃべってるわけだし・・・・」

美沙は呆れて言葉を失ったが・・気持ちがふさいでも、いた仕方ないことなのだ、と
諦めざるを得なかった。

それよりもこうして情報を入れてもらえることに感謝した。

ここはなかなか厳しいデリー日本人村なのだ。

この旅も皆三組がさらに仲良くなって帰ってこれるかどうか、皆こうやら注目していたらしい。

教員仲間でもさりげない探りがあったこと、また怜子には美沙も全て話してしまった。

すごく自然なことであったし、文子にしてみれば、かなり被害者意識が強くなっている。
そう感じて、大人しく静観しようと、心に決めた。

人と付き合い人を信じていくにも、こうして語る・・ことが大きな手段になると人生の中での大きな試練を迎えているらしいことも感じていた。

 つづく
# by akageno-ann | 2008-01-11 09:20 | 小説 | Comments(2)

カシミール その後

「やってしまいました。」

美沙は北川怜子の家の居間で、カシミールのできごとを話していた。

カシミールに意気揚々と出かけたのはつい1周間前である。

オベロイに前後1泊ずつ、ハウスボートに1泊、パハルガムというヒマラヤの麓に2泊、グルマルグという高原に1泊して一応無事デリーに戻ったところである。

帰りの飛行機はほぼ2時間を全ての人々が沈黙して、またグッズリ眠って、行きの飛行機で機体の古さを心配したことなども忘れて戻ってきた。

この1週間、三組の新人がいよいよ新人から足を洗った感じに、脱皮し、しかもその脱皮の仕方は各々に方法が違っていた。

山下文子は、一番己をさらけ出し、いわばもう怖いものなしになっていた。

顔つきも最初の頃よりさらに目が引きつってみえ、時としては取り付く島がない様子を見せた。

平田よう子は日和見主義を露呈、優柔不断なのは片山美沙だった。

夫たちは妻の素性が知れたらもう気取ることはないと思ったのか、かえってフランクに話し合っている。

夫たちはさすがに、日本の役所を背負って働きにきたことを自覚したのかもしれなかった。

「それで、どうだったの?」

怜子(さとこ)は興味深げに聞き入った。

「山下さんはとにかく自分の家族が第一で、子供がない私に対しては大きな偏見を持っています。平田さんと教員同士の繫がりがあることにも嫉妬するし。最後は取り付く島がなくなってしまって」

と、美沙は疲れきった様子で話し始めていた。

「あたりまえでしょう・・自分に小さな子供がいてごらんなさい、それは母親として当然のことだわ・・・・・・と思ってあげないとね。」

怜子の言い回しにちょっと笑って気持ちがほぐれた美沙は、ほっとしてさらに話しを続けた。

「インドに来ているのですから、多少はこちらの風土だって認めないといけないと思うんですよ、平田さんにいたってはお子さんが風邪を引きかけたといってはグルマルグの全てを否定しようとするし、もう会話についていけなくて。日本で電話しているときはそんな人じゃなかったんですけどね。」

グルマルグはオベロイよりは山間部にあって、イスラム教徒が多くいるせいか少し欧州の香りもし、山ふところに抱かれた小さな宿舎では食事も粗末な上に雨に降り込められて少々怖い思いもしたのであった。

「まあ、3人3様なのだから、まだなれない場所での暮らしには不安がつきまとい、そこを人に話し、時には当たることで気持ちを落ち着けていくというタイプの人もいるわよ。」

「主人たちはのんびりしていて、気楽なんですよ。」

「そうよ、それでいいの。ご主人の仕事は過酷よ。
その上奥方たちのいざこざに巻き込まれると大変なことになるから、なるべく良い環境を作ってあげてね。
と、かくいう私はこうして病気になって日本に帰っていたのだから、偉そうなことはいえないわ。主人の足を引っ張ったことになるもの。」

「そんなあ、病気は仕方がないことでしょう・・・」

美沙は怜子の言葉を強く否定した。

「ありがとう、美沙さん、でもね、デリーでこんなことに、しかも私は医療関係にいたでしょう。
だから、ここまできて自分の健康管理ができていないって、言う人はいるのよ!」

美沙はびっくりした。その顔を見ながら怜子は、

「日本じゃないの、ここは。皆必死でここでの仕事を遂行させて帰国することが第一!!
家族は遊びに来たんじゃないの。その仕事をする夫のサポートよね。単身の人の家族は殆どお子さんの教育問題がここではうまくいかないから、止むを得ず日本に残り、奥さんが留守宅を守ってるんだと思う」

穏やかながらしっかりしたその言葉に意見を差し挟むことは、今の美沙の知識ではできることではなかった。

「とにかく、厳しいことをいうようだけど、ここではまず自分の家庭がうまくいくことが第一、友人はできないと思って、こうしてちょっと話が合いそうな人々で集まって日ごろの憂さをちょっとだけ晴らす・・あとは黙って静観する。それがここで無事に生きていく処世術なのかもしれないの」

最後の言葉を曖昧にしてくれたことが、この時の美沙にとって唯一の救いだった。

「私はまだまだここの生活がわかりませんけど、こうしてたまに聞いていただけますか?」

と、怜子の機嫌を伺うように美沙は尋ねた。

「ええ、これから学校関係でない人たちとのお付き合いもでてくるし、そういうことをまた大事にしていくのも生活が少しでも楽しくなるこつよ。今度若い方で私の友人を夕食に呼ぶから一緒にいらっしゃいね、学校関係はいないわよ。」

と、ウインクする怜子の茶目っ気に大いに期待してしまう美沙がいた。

カシミールの後半は人間関係は冷えてしまって、そのあとのパハルガムというヒマラヤの麓の壮大な場所でのポニーに乗ってのトレッキングも最後に大雨に降られてびっしょりになってしまったこともあって、楽しい思い出にならなかった。

しかもそこへは結局平田家は娘のめい子の風邪気味を理由に、きまづい関係になっていた山下一家との二組で出かけた。

平田家はオベロイが気に入って、そこに戻ってしまったのだ。

夫の久雄が、常に妻の機嫌をみて行動するその家庭が、美沙にはこのインドにおいては少し羨ましくなっていた。

 つづく
# by akageno-ann | 2008-01-10 11:15 | 小説 | Comments(4)

ハウスボートでの事件

その夜、事件は起こった。

食事は思ったより美味しいと、平田よう子が認めたから、間違いなくここのインド料理は上品な味わいだった。

ホテルオベロイのダイニングのバイキング形式のインド料理を美沙と翔一郎は思い切り堪能していたが、子供連れの二組はあまり食が進まず、美沙たちを半ば呆れ顔でしかし

「いいわね、片山先生のお宅はインドが合ってらして・・・」という言い方で羨ましがれられた。

美沙は彼女の中学校時代から進学校にいたせいか友人たちも好奇心旺盛・・前向き志向・・と、個性豊かな連中に囲まれていたせいか、
「人は人、自分は自分という思いの中にも協調性というものを尊ぶ」その学校の校風でどんなところでも同じ精神で進んでいく力を身につけていた。

多少の厭味も笑って受け流すという術を知っていた。

兎にも角にもこの旅を成功させて、次のデリーの暮らしに役立てたかったのだ。

が、いくつもいくつも押し寄せるインドの試練は果たしてそいう果敢な気持ちでいる美沙をくじけさないでおくことができるだろうか?

それが今の一番の疑問だが・・本人はおそらくできる・・・とこのときは思っていたのだ。

6人の大人と3人の子供たちが、まあまあの広さの船のダイニングで集って日本語だけで和気藹々と食事が摂れたのもこのハウスボートならではのことで、一同は一様に喜んでいた。

その様子を見ながら、オーナーの男と召使の男も心なし嬉しそうに佇んでいた。

片山夫妻と山下氏はインドビアのキングフィッシャーという銘柄を飲んでそれなりに美味しく感じ、 ほろ酔いだった。

その時、山下文子が叫んだ・・・

「いやだ・・このミネラルウオーター・・新しくないのじゃないの??
蓋が簡単に開くわよ・・だいいちこのボトル古いじゃない・・・」

ミネラルウオーターを見ながら叫んでいるから・・たとえ日本語でもオーナーには理由は歴然と理解できた。

「ノーマダム・・ノープロブレン」

慌ててそのボトルを取り上げ そうにして叫ぶオーナーに向かって文子は言った。

「シャーラップ・・・だまりなさい・・私たちを甘く見ないで・・・」

その顔を赤くして怒りをあらわにするフ文子の様子に一同は一瞬たじろいだが

そのオーナーのインド人はひるむ様子もなく、

「この男が悪いのだ!」

と、まるで活劇を見るように召使の初老の男を突き飛ばした。

「子供たちの前だわ・・やめて!文子さんも気を落ちつけて」と
美沙が取り成したことで、かえって文子はエスカレートしていった。

「貴方ね、子供がいないからそんな暢気なことが言えるのよ。こちらは子供の命がかかってるわ。」

その言葉に初めてたじろいだ美沙は押し黙った。

「いや、美沙さんはそんなに無神経な人じゃないでしょ。」とよう子が取り成すと

「あなたたち二人は最初から教員同士で仲が良いからそうやって庇いあうのね!
いいのよ、私はいつもこうして一人で戦ってきたわ。」

そういう女たちのバトルをみて、オーナーはこの三組の日本人は今までの客の日本人とは様相が全く異なる、と初めて甘さに気付くのであった。

「文子、やめなさい、それは君がちょっと言いすぎだ。」

初めてゆったりと文子の夫の山下氏は口を挟んだ。

穏やかな美男子で物言いが全て決まる。

「また貴方がそうしてのんびりしているから、私が子供たちのために苦労するのですわ。」

雲行きはそこここに暗雲たちこめているようで、それぞれのこれまでのインドの生活の憤懣にさらに油を注ぎ火をつけるような勢いになった。

平田家の明子(めいこ)が泣き始めた。

その哀しい泣き声に一同は改めてはっと気付かされだれともなく

「ごめんなさいね・・悪かったわ」と

声のトーンを落とすのだった。

そして、その場はオーナーが

「食事代は無料にするから。」と謝罪を述べて、一先ずその場は収まりを見せた。


 つづく
# by akageno-ann | 2008-01-09 10:56 | 小説 | Comments(6)

ハウスボート

カシミールの過ごし方には日本人には日本人の、一応セオリーがあるようで、オベロイホテルで過ごしたあとは、付近のダル湖かナギーン湖というあまり美しいとはいえない湖にこれまたあまり綺麗とはいい難い船上ホテルが何隻もならんでいる、そこへ宿泊するのも一考らしい。

その一団も その中で、世界の有名人も泊まるという一隻の大きな釣り船風のホテルを三組で借り切った、と聞いていたので、ホテルから例のタクシーでダル湖に向かった。

何が起こるかわからない・・これぞミステリーツアーだと大きな声で言い切れるインドの国内旅行。

予想に反さず・・予定通り、次のお約束は・・あった。

タクシーが川岸について、三組の家族は荷物共々下ろされ、向こう岸近くに停泊する船宿まではシカラという渡し舟で川を渡るという・・・風情があるようだが・・なんとなく怪しげな雰囲気が漂っていた。

川岸にはとにかく浮浪者のようなインド人の男がたむろしていて、別に危害を加えそうな雰囲気はないのだが・・・きた来た来た・・・という感じで一つの荷物に3人くらいずつが一斉に群がる。

その浅ましいまでの仕事の取り合いを眺めているわけにはいかない・・自分の荷物の確保と共に誰に頼むかを即決せねばならない。

北インドが人が悪い、とまで言わせるのは・・・・この職業難があったのだ。

観光客相手の仕事など、そうたくさんわるわけでなく、ひとたび捉まえた客をそう安々と手放せるわけもない。

しかも、日本人は金離れがいい、チップや物をくれるのだ。

しかもこの子連れの一団体はかなりリッチな旅をしているようだ。

と、彼らはピラニアのようにくいついている。

平田よう子は もう  うんざりだといわんばかりに泣き始めた。

「パパ、もうだれでもいいわよ・・早くして!!」

「はい、もう貴方と貴方・・あとは帰りなさい」と山下文子は二人を雇った。

一番綺麗気な男だった。

片山翔一郎は憮然として

「自分で運ぶからいい」といって荷物を奪い返した。

別に捕られるわけではないが、どうなるのかは流石に不安になった。

平田久雄は申し訳なさそうに一人を選んであとはお引取り願った。

だが外されたインド人が暴動を起こすわけでもなく・・静かに散っていったことが逆に不思議だったくらい、あっけなく彼らは去っていった。

しかしこの手のやりとりはここにいる限り永遠に続くのであったが・・・

シカラはあまり大人数は乗れないので、三艘にわかれてそれぞれの荷物と一緒に乗り込み、泊まり先のハウスボートに到着した。

若い男と、その召使いをしているような初老の男が待ち受けていた。

大歓迎をするような手振りで。

先ず船内ツアーを行った。

しかしどうも平田よう子などはすぐにもオベロイホテルに帰りたいような顔をしていたが、
誰一人不満を言わないので、かろうじて抑えていたようだ。

片山美沙は興味津々に各部屋を覗いている。

その彼女を少々嘲笑うように見て、山下文子は毅然と

「この一番大きな部屋をいただいていいですか?」

と、語った。

平田家も片山家も異存はなかった。

その次に問題になったのはその夜の食事だった。

台所は岸にある家の方だ、というので女たちは子供を夫たちに任せて
見学に行った。平田よう子はしっかり日本米を持って来ていた。

「今日はこれを炊いてもらいましょう。」

インドの主食に米はあるので、釜はある。簡単なものだが日本と同じように炊くことを知っていた。

台所には先ほどの若い男の妻なのか、若くて小奇麗な女がいて、にこやかに迎え入れた。

インドのカレー料理の香りがしていた。

すでに用意しているのだ。

主菜は鶏肉でチキンティッカという焼き鳥だそうだ。

まあ痩せてはいるが、鶏が捌かれていた。

この状況にも日本の女たちは既になれていた。

米は自分たちで炊かせてほしいというと、快く場所を提供した。

水はミネラルウオーターを頼んだ。

気休めであっても日本米を完全に炊き上げたい思いからだったのだが

ご飯をミネラルウオーターで炊くことが果たしていいのかどうかわからなかった。

ただただそこの水が信じられなかった。

そんな3人の女のやっていることをオーナーの男はニヤニヤしながら見ていたのである。

 つづく
# by akageno-ann | 2008-01-08 21:27 | 小説 | Comments(2)

カシミール oberoi

オベロイホテルの部屋は全て1階で、広い中庭に面し、部屋の窓を開けると爽やかな涼風が入ってくる。

「ここは八ヶ岳のようだわ・・」

と、中学校の教員だった美沙は日本の夏の八ヶ岳の合宿施設で感じた高原の風を思い出していた。

すったもんだがあったせいで、昼食をとる前にすっかり疲れ切った三組の家族は、まずそれぞれの部屋でゆっくりしようということになり、三々五々に別れた。

一応3時のお茶を一緒にしようと、約束して・・・・

部屋に入ると落ち着いた高原のホテルの部屋は日本のそれと殆ど変わらず、一瞬で寛げる空気を感じ取ることができた。

美沙は子供のようにベッドに飛び乗って

「あああぁぁぁぁぁぁぁ・・・・つかれた~~~」とその旅の洋服のまま倒れこんでしまった。

「これが避暑かあぁぁぁ~~~~~」と実感する翔一郎と共にそのまま睡魔に襲われてしまったのである。

「寝れる寝れる・・・」と夢の中で小さく叫びながら、それぞれの睡眠に深く落ちていったのだ。

夢をたくさん見ているようだが・・・あとで思い出すことはできなかった・・・・

体はもうベッドに張り付いたように離れず、時間はどんどん過ぎているとわかっていても目を開けることができなかった。

しかし・・約束がある・・・と思いつつ、時計をみると 三時半だった。

「あなたあ・・・もう時間だわ」

夫もそれはもう深い眠りに落ちているので、美沙は一人でとりあえずロビーに出てみた。

日本人はだれもいなかった・・・

庭を見回しても子供たちも遊んでいない・・・

美沙にはすぐに理解できた。

皆疲れているのだ・・・むさぼるようにこの涼しい空気の中で美味しい酸素を吸いながらゆっくり眠りを楽しんでいる。だからまだだれもここへ出てはこないのだ・・・

美沙はゆっくりひとりで庭を散策し始めた。
少し肌寒いような空気に変わり、この空気はちょうど日本を発つ時の日本の気候だ・・と思った。

庭の向こうに大きなテントがあるので行って見ると、野外のティルームになっていた。

インド人スタッフがにこやかに迎え入れてくれた。

「グッド アフタヌーン・・マダム」

優しい声かけにフラフラと誘われてテーブルについた。

「ウジュ ライク サム ドリンク?」

デリーで日ごろ使っている ジャパニーズイングリッシュとは異なる正しいイギリス英語が耳に優しい。

「ティ プリーズ」

少し気取って、だが思い切り笑顔でオーダーした。

「イエス、マダム」

先ほど空港でもめたタクシーの運転手との会話とは全く違う、客への丁寧な英語だったのだ。

美沙は一人で味わう初めての北インドの空気と一人のマダムとしてのホテルライフを満喫していた。

「美沙さん、楽しそうね・・・」

お茶を飲んでいると、平田よう子がやってきて、笑顔で横に座った。

「よく眠れたわね・・・今皆さん集まりましたよ。」

「私も寝過ごしたと思って急いで来てみたけど皆さん疲れていたのね。」
と、美沙もよう子に紅茶を勧めた。

その午後は皆それぞれにゆっくり過ごす事にして、よう子と美沙はしばらくその場に身を置き、

ホテルの部屋の前の庭のブランコで幼い子供たちがよう子の夫や山下一家と一緒に遊ぶ姿をまるで一幅の絵画を見ているように穏やかに眺めるのだった。

 つづく
# by akageno-ann | 2008-01-07 22:52 | 小説 | Comments(4)
旅行社からチャーターしておいてもらったタクシーはきちんとこちらの名前をローマ字で書いて男が二人到着ロビーで待っていたから・・
『あ!!予定通りだ・・インドも大したものだ・・』とそれぞれにほっとしてタクシーに向かった。
1台目に山下家の4人が乗り、2台目に平田家、片山家が乗ることにして先を急ごうとすると
山下家の奥方の文子が血相を変えてこちらに来る。

「ねえ、この運転手たちとんでもないこと言ってます。」

「え?なに?」とのんびり片山翔一郎が近づいて行くと、山下氏は少し厳しい口調で

「ホテルの名前が違うんですよ。オベロイが混んでいるから変わったって言ってるんです。」

「なに言ってるんだ・・そんなはずはないよ。だめだオベロイに行け!」

と、英語で厳命するが、運転手は

「ダメだ。こちらのホテルもファイブスターだ・・心配ない!」と言い張る。

三組の日本人家族は一緒に集まって話し合った。

「これがインドの試練じゃないのかしら?」と文子は言った。

「いやよ、オベロイじゃなくちゃ・・」と平田よう子が顔をしかめた。

「行ってみて、本当に混んでたら、その人の言うとおりにするしかないのじゃない?」
と いう美沙の言葉を受けて平田久雄は

「そうだ、とにかくオベロイに行かせよう。」

と、決定して、運転手に面差しは柔らかいがキッパリと告げた。

「アッチャ ティーケ」 

デリーに来てからここまで何度聞いたかわからないこの極めて軽い相槌

「OK」という承諾の言葉だった。

その軽い響きははじめのうちこそ、面白いと思っていたが、あまりに軽く使うので
次第にその信憑性は薄れ、自分の家のサーバントにはきちんと
「イエス、サー」
「イエス、マダム」を他にならって使うようになっていた。

さて、とにもかくにもそのタクシー2台は怪しげながら、三組の日本人家族を乗せて
オベロイホテルを目指した。
時間は空港についてから1時間が過ぎランチタイムを過ぎてしまっていた。

ほぼ40分ほどで目指すホテルに到着した。
オベロイ系はデリーの住宅のすぐ近くにあって、なかなか重厚で雰囲気の良い
ホテルだったので、安心していたが、入り口からのアプローチのなんと緑の多い
美しい庭園が広がっていて・・三組の家族はそれぞれに

『何が何でもここへ宿泊したい』と決心して車を降りた。

先ほどの男性陣の応戦のあとは夫人3人でホテルのフロントに赴いた。

名前を告げて、本日の予約をしてある旨を伝えると、黒いサリーで身を包んだ美しい
女性スタッフが、にこやかに応対して間もなく戻り、

『お待ちしていました』という感じに、ウエルカムを告げてくれた。

ほっとしながらも、その新人家族は先ほどのタクシーにもどり、
「どういうことなのだ・・・」と詰問するが、彼らはニヤニヤするばかりであった。

それどころかそこでまたチップをよけいに要求する。
「我々は他のホテルに頼まれていただけだ。」といとも簡単に言い訳し、詫びることはない。

これもインドなのだ・・・と諦めて、また新しい処世術を得たような気持ちになった。

タクシーが去った後、先ほどの女性スタッフがホテルの案内をしてくれるという、あまりの美しさ品の良さに感動して、写真撮影を一緒にした。

そしてホテルの広々とした庭の薔薇の咲き誇る庭で皆で記念写真をさっそく撮ってもらった。

全員で勝ち取った、このホテル滞在を祝福するように。

 つづく
# by akageno-ann | 2008-01-06 20:01 | 小説 | Comments(4)
カシミールの話の途中ですが・・・今日は久々メチャメチャデリーを身近に感じてしまったので・・デリーのインド人とインド料理の話題です・・お付き合いください・・

友人が良いインド料理の店を探し当てた・・ということで案内してもらいました。

だいたい日本に戻ってからは、たまあ~~~にインド料理を付き合いで食べることはありましたが、わざわざインド料理レストランに出向くことは少ないのです・・・何故か??

それはまず高いからです。そしてインドの香辛料の香りが強くて帰りの電車の中でちょっと我が身の匂いが気になってしまいます。

赤坂の麻布警察署の隣にモティという本格的なインド料理のレストランがあり、味が本場ものというので行きましたが・・・本場過ぎて香辛料は強すぎるのです。

やはり日本の気候風土に合わせて供しないと、再度行こうという気持ちは失せます。
有名であるし、場所柄人々もたくさん利用するせいか、ほんの少し店の驕った気持ちを感じました。帰国後すぐに行きましたからそれから長いこと本当に懐かしいインド料理レストランにはなかなかお目にかかれず、そのうち自分も熱心に探すことをせず過ごしていました。

友人のお誘いは大分前からいただいていたのに・・ちょっと引き気味だったかもしれません。

しかし、今日そこへ仲間と集って感動しました。

先ず、昨日のうちに予約を電話で入れることにしました。

『明日のランチ予約できますか?』
電話の向こうはあきらかにインド人でしたが日本語で聞きました・・

『よやく??なんですか?』

『キャナ アイ リザベイション』

まったくいい加減な英語ですが・・

『オウ!リザベイション・・OK・OK』

という懐かしいデリー英語が帰ってきて・・・その時点で嬉しくなりました。

思わず主人に

「久しぶりにインド英語に出会えたわ」  と、話して、ものすごく楽しみになりました。

正直いうと、インド料理で予約が必要なほど人気はないはず・・しかも東京郊外です・・

と、思って本日行きました。

驚いたことに全てインド人スタッフでオーナーはニューデリー出身だということがわかりました。

しかもなかなかの絵画の名手です。なかなか親切で、日本に馴染もうとしている様子がいい感じです。

店の調度は正にインド・音楽もインド音楽です。

シタールも飾ってありました。

午後三時までランチタイムということで1時半という遅い集合でしたので行ったときは
ガラガラで「大丈夫」・・・どうぞどうぞと日本語もまあまあですが・・めちゃめちゃインド英語が通じます・・・文法もめちゃめちゃなのに・・なんだか平気でしゃべってしまう自分がいました。
インドの人は外国人にとても慣れています。フレンドリーです。

そうこうしているうちにお店にはアメリカ人も含めて入れ替わり立ち代りたくさんのお客さんが入ってきてバイキングを気楽に楽しんでます。

日ごろは友人が英語に堪能な人なので頼っているのですが今日はもうしゃべりたいのです・・
この感覚不思議でした。

インド料理はいろいろあるのですが、ランチの1200円のバイキングがなかなか美味しくすばらしく・・ナンもタンドリーチキンもチキンカレー、チャナカレー(ヒヨコ豆のカレー)キーマカレー(ひき肉)スープはチキンスープ・・サラダ・・これらは日本向きにしてありました。


日本向け・・これってすごく大事です。インドでは例えばあの酷暑の中で食べるカレー料理はかなり香辛料を強くする必要があります。そして辛いということも必須です。

しかし今日のカレーは『マイルド』という言葉に尽きました。

それはとても重要なことでした。この日本では上品な味・・は必要不可欠です。

それでいて、コクのある、良い味でした。

タンドールという特別の窯で焼いたナンは大変暖かくて美味しく、ご飯は日本米、タンドリーチキンは完璧なできでしたが、一口サイズ・・・日本人を知ってます。
あの鶏の大きな肉だけをたくさん食べない習性を・・

パコラというインド風天麩羅・・これは野菜をカレーと小麦粉をあわせた衣で揚げたものです。

ナンの横に、パパドゥというポテトチップの大判のようなパリパリとした食感のつまみもデリーから取り寄せているのでしょう・・

今日は車だから飲めませんが・・インドビアのキングフィッシャーのラベルに胸が熱くなりました。

ライスプディングというデザートは米の粉を使ったヨーグルトのような感触のものですが
様々な香辛料で味付けされています・・すごく不思議な味です・・友人たちは楽しんでいました・・・私はこれはダメなんです・・残念ですが・・・

でも美味しい紅茶で締めくくりました・・

主人に報告したら・・「明日いくぞ~~~」って言ってます。

今我家には思い切りニューデリーの空気が流れています。

明日はまたカシミールの続きです・・どうぞよろしく・・

 つづく
# by akageno-ann | 2008-01-05 21:36 | 番外編 | Comments(7)

カシミールへ

新人の三組は仲良くカシミール地方に避暑にいくことにしていた。
飛行機のチケットは学校の避暑のインド人スタッフが手配してくれ、ホテルも
最高級といわれるオベロイホテルを予約したと聞き、ここデリーのホテルも
ファイブスターとよばれるものは、なかなかの重厚なつくりで併設のレストランも
インド料理、イタリア料理、フランス料理、中華料理とあって、期待できるものであった。

何より、北インドは気温が低いというのが一番の魅力であった。
どんなところなのか、ほとんど知識がないままでかけるのであった。

デリーに住み始めて2ヶ月がたったところで、ほんの少しだがインドで暮らしていけるという気持ちが育ち始めていた。

三組でいけば、きっと見知らぬ土地でもなんとかなるのではないか・・とそれぞれが感じていたのだ。

6月のはじめにいよいよ出発することになった。
行き先はカシミールのシュリナガル。
インディラガンジー空港を飛び立って2時間ほどでつくことができた。
東京から北海道に行くような感じだった。

荷物は一応に日本食のインスタント品を持ち、涼しいことを期待してカーディガンやセーターも荷物に入れた。

飛行機はインディアン航空国内線である。

インドのパイロットは操縦が抜群にうまい、と聞いている。
それは先進国より払い下げた古い飛行機を操縦するからだ、などと噂に聞いていたので
安心はしていたが、飛行機の古さはなるほどと思えるものだったので三組の夫婦は顔を見合わせつつ、無事を祈った。

先ず、天井にひびが入っていて、それもかなり大きな範囲で、その補修をなんとガムテープでとめてある、しかも一箇所でなく。

『いやだ、怖いわ』と、夫人たちは口々にいう。

男たちも女子供を連れての旅ではなんとも不安になってくる。
しかし、ここでだれも『いくのを辞めよう』とは言わなかった。

きっと良い場所に連れて行ってもらえるのだ、という気持ちが先行していた。

デリーの暑さはそこまできていた、と言ってもいい。

機内食はまずくはないが、美味しいとも感じなかったインド料理で、美沙たち夫婦は食べたが、子供連れの二家族は、持参した水筒の飲み物と、スナック菓子を食べさせていた。

無理もないことだった。

だれもまんじりともせず、飛行機内を過ごした。

子供たちも大人の心配が抱かれた腕の強さでわかるのか、静かにしていたが、決して眠りはしなかった。

まるでどこかの収容所にでも運ばれるような飛行だった。

それでも無事についた飛行場は本当にローカルで地上にタラップで降りた。

気温が低かった・・爽やか・・・という文字が久しぶりに全員の肌を包んだ。

それだけでも大きな歓迎だったようだ。

だが、国内であるにもかかわらず、外国人には入国審査のようなものが別に課された。
女性管理官ではあったが、下着の中まで調べられるような屈辱的なものもあって、
驚かされた。

だが、ここでごねても仕方がない。一瞬のことなのでじっと耐える。

日本でも外国人に対してこんなことやってないよなあ・・・と皆それぞれに不思議や不合理を感じつつ新しい土地に足を踏み入れる。

だがここでまた荷物検査が厳しい・・と、いうより、心優しい日本の婦人たちを怒らせるようなことがあった。

バッグの化粧ポーチの中まで見せて、検査官は口紅やボールペンを取り出しては
『プレゼント?フォーミー?』 などと信じられないことを口にしている。

妙に腹が立った美沙は

『ノー』ときっぱり言って自分でポーチをしまった。

その態度が毅然としていたからなのか、一応言ってみただけなのかわからないがとにかく検査は済んで到着ロビーへ入れた。

「すごく感じ悪いところね」と 平田よう子も心は閉ざし気味であった。

男たちもみな緊張感をもって、約束の車のドライバーを探した。

幸いこちらの旅行者のネームプレートを持った男が二人にこやかに手を振った。

日本人の一団体はここではかなり目立ったようだ。

「やれやれ、なんとか旅は続けられそうだ」 と、平田氏が言って、山下家が1台のタクシーに四人で乗り、もう一台に平田夫妻と膝に明子ちゃんを載せ、美沙たちが一緒に乗り込んだ。

デリーのそれよりは綺麗な車だった。

そこで行き先のオベロイホテルを名指したが、とんでもないことを運転手は言い出したのである。

つづく
# by akageno-ann | 2008-01-04 22:51 | 小説 | Comments(8)

長い夏

5月のデリーの太陽は容赦なく照りつけて、憔悴して勤務から帰る夫にエネルギーをつけようと美沙は食事はなるべく和食にしていた。

インド料理は美味しいが最初に物見遊山で食べ歩いた時にお腹を壊してから少し控えてしまっている。

別に体に悪いものではなく、むしろ香辛料はこの暑い夏を越えるにはかえっていいらしいという話も聞いている。

お腹を壊したのは、油が日本から来たばかりの人間には消化酵素がうまく働かなかったようだ、と勝手に解釈した。

美沙は幼い頃から何でも食べてみる、食わず嫌いはいけないと、育てられているので食に対する感覚は前向きであった。

一度や二度口に合わなかったりしても諦めず、果敢に挑戦する気持ちがあった。
しかもインド料理は美味しい。

他の新人一家は小さなお子さんがいるために外食は避けていたので、美沙たちは先住の人々からも誘われては出かける意欲を次第に持ち始めていた。

夏休みに入ると、皆国外やインド旅行を楽しむ人々が増えて、デリーの日本人会はすっかり閑散とした状態で、寂しくなっていたが、一番近い日本人で同僚の北川家は今年は怜子の病後もあるのでここでのんびりするという。

「美沙さん、遊びに来てね。」という言葉のままにすっかり日参するようになっていた。

日本の状況より気楽なのはサーバントがお茶だしをしてくれて、病後の怜子に気苦労をかける必要がないから、美沙は日本のちょっとしたお菓子を少しずつもって尋ねるのだった。

考えてみると、こうして病後である怜子が気を紛らすことがここには不足していた。

ふとぼんやり、これからの自分の状況を考えてしまいがちな日々に新入りの美沙たちとの会話はまことに良い気分転換になった。

またこの夏の終わりごろ友人夫妻が夏休みを利用して、怜子の見舞いを兼ねてここデリーへ旅行に来るという。
ほんの少ししんどさもありながら、この美沙たち夫妻に助けてもらってその友人たちを歓迎しようという思いもあった。

「ねえ、美沙さん、この8月に私たちの親友夫妻がここへ遊びに来る予定なの。高知からなのよ。どうか是非いっしょに迎えてやってくれるかしら?」

唐突であるようなこの話も 美沙にも大変嬉しいことに思われ、

「まあ、高知からいらっしゃるんですか?ご夫妻で仲良しなんですね?」

と弾んで聞き返すと、怜子は嬉しくて教頭の北川との馴れ初めからを詳しく語り始めた。

北川夫妻は同級生結婚だった。

高知県は中学校から私学への進学者が多くて二人とも同じ私立中学高校へ進んだ。

大学は夫の北川はそのまま地元の国立大学の教育学部へ進み、怜子は他県の医学部へ進んでいた。怜子は優秀で医師を目指していたが家庭の事情で途中から看護学に移り4年で卒業し県内の赤十字病院で勤務していた。

中高一貫教育の学校に学んだ二人は偶然にも同じクラスでいる期間が長く、友人も共通で友達づきあいが長かったのだ。

「医学を勉強しながら、このありさま・・」 と、今現在闘病中の彼女は我が身を恨んだが、

「だからここでへたってるわけにはいかないの・・」と気丈さを見せる。

美沙はそういう前向きな怜子が好きであった。

「私も是非ご一緒に楽しませていただきたいです。お手伝いすることがあったら言ってくださいね。正直この長い夏をどうやって過ごそうかと思っていました。旅行も北インドにちょっといくだけですから・・」

「カシミールへ行くのね・・・あそこは八ヶ岳のような気候よ・・・・きっとよく眠れると思うわ。
そして新しい仲間たちとの旅でこれからの関係が決まるように思うわ。」

と、怜子は語った。

「え?どういうことですか?」と 美沙が訝しげに問うと

「うちはね、同期の人とカシミールに二組で行ったんだけど・・・結局その時の気まずさがそのまま尾をひいてしまってね、今はご挨拶する程度なの。」

デリーの夏は まだまだ試練がありそうであった。

 つづく
# by akageno-ann | 2008-01-03 19:52 | 小説 | Comments(4)

夏は夏の風に酔ふ

もう一つの新人の悲しみは、夏休みに入って翌日から、デリーは出国ラッシュに沸いたことだった。

むろん全員帰国するわけではなく、半数以上の家族は夏のバカンスに国外へ脱出するのだ。

もちろんインド国内を見て周るのを楽しみにしている人々もいるが、殆どの日本人の過ごし方は

避暑を兼ねた日用品の買い物である。

日本食材しかりであった。

夏真っ盛りの日々までに冷蔵庫を空にして、しばし、デリーの家を空けることは最高の休養になりそうであった。

これもまた、みな密かに計画し、親しい人々にのみ告げて、深夜の空港を飛び立っていく。

インディラガンジー空港の夜半の出発搭乗口では日本人同士が軽い会話を交わしつつ飛行機へ乗り込む。

『あともう少しで別天地ですね・・・美味しい和食をいっぱい食べて来たいですなあ』

『どちらへ?うちはバンコクです。』

『我家はフランクフルトに飛びます。』

そんな会話をする人々の心は明るく軽快だったのだ。

新人教員たちは最初の6ヶ月をインド国外への旅行を禁じられていた。

文部省(現 文科省)からはかなりの拘束力があった。

来てみてわかる必要品の数々、もう一度日本で荷物をしたら、もっと違う荷造りになっていただろうと思いつつ・・まさに後の祭りである。

ここを出て健康管理休暇がとれるのは9月である。

果てしなく遠い日々だと新人たちは深くため息をついた。




美沙は陶芸を趣味にしていたので、日本の地元の窯元で月に一回土を捏ねて小さな皿や湯飲みを焼いてもらっていた。
その中で気に入りの皿を一枚持ってきた。

インドはジャイプール焼きというコバルトブルーを貴重にした花の文様を幾何学的に並べた美しい陶芸の技術がある。

写真でその皿を見たときに、インドへの興味が少しずつ湧いてきたのだった。

デリーの荷物にいれた大皿には白い釉薬で

『夏は夏の風に酔ひ』 とその陶芸の師匠の文字で描かれている。

『美沙さん、インドはね、私は二度ほど行ってますが、ちょっとやそっとで見渡せる国ではないですよ。熱風を体に直に受けながらジャイプールに車で行ったときのことを思い出しますが、あのように荒廃したような大地にどこでこのような美しい色合いが生まれてくるのか・・不思議でした。荒廃したような大地にあって、人間の美しいものへの執着はさらに深まるのですね。

大変なことはあるでしょう。でも人々が古代から生き抜いて文明を開いた場所ですから、奥深いその芸術の粋を少しでも探しだして触れてきてほしいと思います。
3年なんて、あっという間ですよ。帰ってきたら、そこで学んだことを陶庵に持ち込んでほしいです。』

美沙は芸術家には魅力のある土地らしいインドに思いを馳せながら

『先生、私はどんな暮らしをそこでしていくのかまだ見当がつきませんが、どうぞいらしてください。お待ちしてます』

と、語ったことを思い出していた。


そうだ、この夏のここの風に酔いしれながら、楽しんで暮らしてみよう、そう思えたのだった。

つづく
# by akageno-ann | 2008-01-02 08:23 | 小説 | Comments(6)