アンのように生きる・・・(老育)

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かけがえのない日本の片隅からの発信をライフワークとして、今は老いていくにも楽しい時間を作り出すことを考えています。

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混沌 その1

美沙のお腹の調子はなかなかよくならず、夫の翔一郎は学校でのトイレにも不自由しながらの凄まじい新学期になってしまっていた。

しかし、下痢がつづいているというだけで、熱があるわけでもなく、痛みも日陰ではちょっとシクシクするのだが、気温の高い4月のデリーではなんとか持ちこたえられる状態であった。

美沙と翔一郎は一緒に渡印した三組の仲間との最初の集いである山下家の夕食に参加した。

食べながら治して行こうと、二人で決めていたので、あとのトイレ通いを覚悟しつつ、約2時間山下家に滞在して、ここのジョージという太っ腹の、実際の腹も太いコックのなかなか立派なもてなし料理を楽しんだ。

献立はおでん風煮物に茶碗蒸し、ほうれん草のお浸し、炊き込みご飯に若布の味噌汁だった。

ダイニングテーブルには前任者が置いていったというランチョンマットが敷かれて、これまたどうしたのか箸置きに割り箸がセットされている。

きちんとご飯茶碗は左に置いて、など山下夫人に言わせるとなにも教えることはないほど、きちんと日々の料理を作り、また彼の妻が二人の子供たちの面倒を楽しそうに見ているというのだ。

「美味しいなあ、この茶碗蒸し・・すも入らずにきれいにできてますねえ。」

茶碗蒸しが大好きで、母親の作るそれをいつも楽しみに食べていた翔一郎が先ず言った。
下し腹にはこういう優しい和食は涙が出るほどありがたいのだ。

「うちのミウリもかなり頑張ってくれてるがこれにはかなわないね。ママ」
と、思わず妻のよう子を振り返って、『しまった』と思ったのが平田久雄だった。

よう子は、顔色を変えていて、

「いいわねえ、山下家は、これで安泰だわね・・」と、憎らしそうに言葉をはなった。

美沙は急いで

「我家が一番だめよ。まだ新米さんだから。」

と口を挟んで、険悪なムードになるのを避けた。

こういうお節介はいずれ嫌がられることにもなるのだが、このときはまだ効き目があった。

大人しい山下氏は二人の男の子と平田家の一人娘明子との相手をしてやっていた。

大変、子煩悩な人であった。

なかなかハンサムなので、平田よう子は彼を気に入ったのか、明子を預けて珍しく会話の中心になっていた。

そのことを平田久雄も喜んでいた。

美沙は、日本から持ってきていた子供たち用の日本のお菓子をお土産にしていて、こういう場所柄、思いがけず大変よろこばれた。日本で100円ほどのスナック菓子だが、中におまけがあって、子供たちは懐かしそうに歓声をあげた。

美味しいものを一緒に食べるのはやはり心をつなげるのか、ましてやここでは、余計に幸せを分かち合うような感触が互いの心の中に宿った。

「一月に一度はやりましょう、持ち回りで」と誰ともなく言って、最後は優しい空気が流れていた。


三組のデリー1年組がそれぞれに暮らし始めたのはその会食の翌日からだった。

美沙は、次回は自分の家に招きたいと思ったのか、この辺の家庭では皆が使っているランチョンマットを買いに行きたいと、世話係を引き続きやってくれてる、安岡夫人に案内を頼んだ。

買い物は殆どが車を仕立てて行かねばならない。

その辺を走っているオートリキシャと呼ばれるオート三輪の小型の乗り合いタクシーは便利そうで興味があったが、外国人はあまり使わないようだ。

何か掟でもあるのかもしれない、と思いながら、一方では一度は乗ってみたいという好奇心にもかられていた。

しかし、四月はまだ日も浅く、西も東もわからない状態ではお世話されながら買い物に行くしかなかったのである。

安岡夫人は幸いにも買い物が大好きなようで、美沙の申し出を快く引き受け、グレーターカイラシュという少し高級そうな店が並ぶ地域に連れ出してくれた。

タクシーで30分ほどのところにあった。

住宅街から本道のような広い道に出たとたん、混沌という文字がぴったりなインドに出会う。

『混沌とした悠久の地・・インド』とはここに渡る前に様々なインドに関する本やガイドブックに見つけられた言葉だった。

混沌としている状態は正にこれである、と、タクシーの車窓から見られる世界を不思議な感覚で眺める美沙だった。

道路には車が一方向に何列も折り重なるような走りをするが、決して事故はおこっていない。

だが、小さめの乗用車はいわゆる日本の軽自動車で、スクーター、バイクもどういうわけか、人が三人以上乗っているのも少なくない。

バスは二階バスがあるが、人が外にぶら下がっているようなのも見える。

その合間を縫うように、使役動物として象やらくだが材木や荷物を運んで悠然と歩いている。

そして牛は道路脇ではあったが、のんびりと横たわっているのだ。

ヒンズー教の国であるここは、聞いていたとおり、牛を神の様に大切にしているようであった。

というより、そのまま自然のままにおいているようだった。

つづく
# by akageno-ann | 2007-12-17 02:36 | 小説 | Comments(4)

洗礼 その3

平田よう子はその月曜日の朝、夫の久雄が学校へ出勤しても、ベッドルームから出ようとはしなかった。

ミウリという女のコックが朝食の準備もしっかりやってくれているし、明子はまだ眠っている。
久雄は

「よう子、無理しなくていいんだよ。ゆっくり慣れればいいんだからね。」

と朝の準備も全て自分でやっていくので、その言葉に甘えた。

8時になって明子が起きたので、一緒にダイニングに出て行った。

[グッドモーニング・・・マダム・・グッドモーニング 明子ちゃん]

とても明るい声で迎えてくれるこの人を認めなくてはいけないが・・しかし彼女の大きな体と
ギョロッとした目にはどうしても馴染めない。

テーブルにはすでにトーストとハムエッグがきちんと並べられて、ティーポットにはポットカバーがかけられ、紅茶がカップにつがれるのを今やおそし、と待っているようだった。

こういう図はイギリス式で、なかなか優雅な図なのだが、よう子はこんなことでだまされない、とまだ心を頑なにしていたのである。

9時になって同僚の妻山下文子が電話をかけてきた。

「平田さん、どうしていらっしゃいますか?」

「えぇ、なんだかまだ慣れなくて。そちらは?」

「子供がいると大変ですよね。そこへいくと、片山先生のところは暢気にもうインド料理を食べにいらしたそうですよ。」

「まあ、そうなの。私はまだここのサーバントの料理も食べられないのよ。」

「うちのコックの料理はなかなかいいですよ。一度一緒に食べませんか。?」

「ありがとう、片岡さんも呼びましょうよ。情報交換はしたいわ。」

「そうですね、電話してみます。」

と、山下文子は電話を切った。

文子は日本での人間関係も固執したものが多かったので、この三人の関係の中で、同じ子供のいる平田よう子と密にしておきたかった。

しかし、片山美沙の飄々とした態度も大いに気になり、早めにコンタクトをとっておこうと思った。


電話を片山家にすぐにかけた。

「マダムスリーピング。」

サーバントのローズが応えた。

文子はほくそ笑んで、またかけると言って電話を切った。

1時間ほどして、折り返し美沙が電話してきた。文子は

「お休み中にかけてしまってゴメンナサイね。いかがお過ごしかと思って。」

「すみません、起こしてもらえばよかったのに・・ローズが気兼ねしたらしくて。」

「いえ、いいんですよ。いいですねえ、ゆっくり眠れて・・・」

美沙はここではじめて、文子の人となりにいくばくかの疑問をもった。

「実はインド料理が合わなくてお腹を壊して夕べ眠れなかったので・・」

と、言い訳した。

文子は少し笑いたい衝動を抑えて

「もうインド料理に挑戦したのね。素晴らしいわね・・さすがだわ」

と、返してきたが、美沙はそれを厭味であると少し感じ取った。


電話を切ってから、子供のいない者に対する言い知れぬ差別を感じながら

それも予想していたとおりの展開なのだ、と諦めて、これからのデリーの暮らしに対し

自分の手綱を締めなおそう心に決めた。

子供がいる人たちは確かに大変である。

少しでも何か役に立ってあげられればもう少し、気持ちも通じるかもしれないと、

思いながら、翌日の夕飯に招待してくれた文子には感謝していた。

今日はとにかく、この腹痛をなんとかしようと、お粥をすすって気を引き締めるのだった。

そして、ローズには

[電話はいつでも私に取り次いでね]と、必死の英語で伝え、うかうかしてはいられない

日本人同士の暮らしにも一石が投じられたように感じたのであった。

つづく
# by akageno-ann | 2007-12-16 18:31 | 小説 | Comments(4)

洗礼 その2

デリーのトイレ事情は、いろいろで、水洗のような水洗でないような・・・

ウオシュレットのようなそうでないような、いたって複雑・・いや実に単純な
状況にあった。

住宅街の寝室にはきちんとバスルームがあって、水洗トイレもついていた。

美沙の家には二つのベッドルームにそれぞれのバスルーム。

一つのほうにはきちんと浴槽もあった。だがそれは美沙たち日本人のために
あつらえたのであって、本来はシャワーだけ・・。

オーナーのバスルームを見せられて、なるほど特別仕立てだとわかった。

とにかく、ピンクの浴槽でなかなか大きく良い感じだと、美沙たちは喜んだ。

だが、このバスルームは本当にいろいろな問題をはらんでいたのだ。


美味しいカレー料理を食べたその夜から、二人はそれぞれのバスルームに

足しげく通う羽目になってしまった。

食中毒にあたった、というのではなく・・どうやらなれないここのギーという牛乳からできる油にお腹がまだ慣れていなかったらしい。

その夜不安で二人は抗生物質を呑んで休んだが、翌朝まで何度トイレに通ったか・・

しかも水の出がすこぶる悪くて・・・気分が悪い。

しかたないので、浴槽に水をはって、手桶で水をトイレのタンクに移して流すということの繰り返しを何度したことか・・・これがデリーの現状だと・・・思い知ったような・・辛い夜を過ごした。

二人とも同じ症状・・・とにかく水分を補わねば、と朝サーバントのローズが作ってくれたボイルドウオーターをまめに呑んでいた。

ミネラルウオーターも買ってはみたが・・こういう体調の悪いときはなんだか不安で呑めない。

水はタンクから降りてくるから停電の時間は自然に断水になる。

しかも停電の時間が毎日必ずある。


朝の仕事はまず水つくり・・・ろ過器を持ち込んでフィルーターを通した水を大きな薬缶で沸騰させること15分・・・気のすむまで煮沸して・・湯冷ましにしたり、麦茶にしたりして冷蔵庫へ。

麦茶は日本から持ち込んだものであった。

お腹はそれほど痛いわけではないが、しぶり腹である。

翌朝も同じ状態、翔一郎は月曜日までには治るだろうと高をくくり、3日目はおかゆをたいて二人ですごした。

が、トイレ通いは収まらず、ついに月曜日に。

この状態を学校でもやれるのか不安になりながらもスクールバスに乗り込む。

美沙はなんとかつくったお弁当を翔一郎が満足してくれるのか不安であったが、見送ったあとはベッドに倒れこんだ。

翔一郎こそしんどい体のまま仕事だが、日本での準備に勤しんだ彼女はそこで力尽きるようにベッドに倒れこみ眠った。

日中は暑くなるが、四月はまだ眠ることができた。

夕べトイレ通いで眠れなかった分を取り返すように。

そして日本でゆったりお風呂に入っている夢をみた。

つづく
# by akageno-ann | 2007-12-15 20:54 | 小説 | Comments(5)

洗礼 その1

3日が経った。

美沙と翔一郎は、この不思議な世界に降り立って、新しい出来事に驚かされながらも一日一日真剣に生活し始めた。

幸い、心配していたサーバントというお手伝いの女の子も利発な元気な者に恵まれたようだ。

日本ではお手伝いさんを雇うということが最近は稀なことで、ましてや異国で現地の人間が家庭に入って家事を取り仕切る、ということを聞いていても、ただ不安になるだけであった。

が、美沙は最初の夜に世話になった、安岡家のサーバント マリーの存在を見て、意外に自然に溶け込んでいることに、美沙の家のサーバントにもかすかに期待した。

新しいサーバントはローズと言う名前だった。

初めて美沙が自分の新居に入っていくと、すぐにやってきて、少しはにかんだように

[グッド、モーニング マダム]と挨拶した。

細身の、肌の色は黒く、目の大きな女の子だった。
年は26歳、既婚者で子供は二人いるという。

サーバントは各家に併設のクオーターという部屋が宛がわれていて、ローズもまた美沙の住む家の続きに 出入り口を別にしてある一室に家族四人ですでに住み込んでいた。

安岡夫人が日本人会の婦人部の紹介で新しく見つけたサーバントだった。

インド人の中流以上の家庭には大抵家事を手伝うこういうサーバントがいるが、インド人のサーバントにとって、こうして外国人に仕えるというのは待遇もよく、希望者は多いという。

しかし、既に日本人宅で何年も仕えたものは日本人の気質や、日本食についての知識が多く、新しい日本人家庭にそのまま継続して勤める場合は家のことなどよく承知していて、大変便利で助かることだ、と美沙は聞いていた。

が、新しいサーバントは自分で指導していかねばならないので、やや緊張していた。

平田家や、山下家は家もサーバントもその前年の教員一家からのひきつぎであったからそのまま自然な流れで生活が始まったようだ。

子供のいる家庭はそれだけでもこの新しい暮らしが大変であるから、夫婦二人の美沙たちにこの新しい家とサーバントが宛がわれたのであった。

それはそれで、まだ日本人を知らないその若いローズとともに新しい生活を作っていくようで美沙は楽しみになってきた。

それはローズの笑顔がとびきり明るかったからだ。

最初の晩はさっそく彼女にインドの家庭料理を作ってもらった。

まだ航空便で電気釜もお米も届いていないので、しばらくはインドの料理を試そうということにした。

その日彼女が作ってくれたのは、キーマカレーというマトンのカレーをチャパティという主食で一緒に食べるものであった。

ささやかな、多分粗末な食事らしいが、カレーはそれはスパイシーでチャパティの焼き加減は抜群・・しかも焼き立てを次々に運んでくれるので、さながらインドレストランだった。

美沙も翔一郎も大変満足した。

食が楽しめるというのはその国に住む上で一番大切なことなのではないだろうか・・

その夜、片山家は幸せだった。


翌日は土曜日で学校も半日。昼食はホテルのインディアンカレーを食べようということになり、安岡夫妻に案内してもらい、住宅地をちょっと出たところにある小さなホテルのチャイニーズインディアンレストランに赴いた。

このあたりに住む日本人に人気の店ということだった。

薄暗い店で スパイスの香りでいっぱいだった。

チキンティッカという鶏肉のスパイシー焼き、ホット&サワースープという辛くて酸っぱいスープ、炒飯、その三点は、中でも人気があるということであった。

「一つ一つがはじめての味ですが、とてもおいしい。」

美沙は大喜びだった。

夫たちはインドのビールキングフィッシャーで喉を潤す。

「ちょっと変わった味ですね。でもなかなかいけますよ。」

と、到着して3日なんとか過ごせたデリーに腰を下ろし始めた。


だが、インド洗礼はこの日を境に美沙たちに襲い掛かるのだった。



つづく
# by akageno-ann | 2007-12-14 22:46 | 小説 | Comments(3)

デリー最初の日 その3

デリーの四月は夏が始まったばかり、その少し前にホーリーという夏を知らせる祭があって
色粉を皆で掛け合いながら、はしゃいで、これから来る暑い日々を元気に過ごそうと祝うのだ。

夏の暑さは少しずつ にじり寄るようにやてくる。

デリーで最初の夏を迎えようとする、美沙やよう子たちは、その壮絶な暑さをまったく予想することもできないまま、新居を構えるための準備に勤しまなければならなかった。

美沙の家はカーテンがついていなかったので、先ず日よけのカーテンが必要だった。

二階のフロアーを間借りする美沙夫妻は二晩目のデリーの夜を、ガランとした部屋で過ごすことになった。

明日から家具もカーテンも整うから、今夜一晩だが、

「ああ・・大変な生活だなあ・・・」 と ちょっと思わねばならなかった。

しかし、翔一郎も、最初の学校の様子を元気に嬉々として語った。

最低限のベッドとマット・・・ソファセット・・・ダイニングテーブルはある。

シーツと枕はその日に美沙が買ってきていた。

「買い物はどうだったの?」

「それが、意外になんでもあるのよ。なんでもあるじゃない
が、口癖になりそうよ。」

「そうか・・まあやっていけそうだね。」


「今までに逃げ帰った人はいないそうよ。」

「今夜の日本人会も盛会だったしね。」

「この家から一番近い教頭先生の奥様がいらっしゃらなかったわね。」

「どうやら奥さんは病気らしいぞ。」

「何の病気なの?私は何も聞いてないわ。」

「詳しいことはわからないよ。今日はもう学校のことで手一杯だったから」

「どんな校舎だったの?」

「小さいんだ。教室も狭い。まあ一クラスの人数は10人以下だから、
家で家庭教師してる雰囲気だな・・」

「きれいなの?」

「いや、それは残念ながら古いし、あまりきれいとはいえないな。」


翔一郎の落胆はそこにあったようだ。

3年先に新しい校舎が新築予定、と聞いたらしく、結局翔一郎たちはそこには入れずに帰国になる。

しかし学校の運営は、比較的上手くいっているようであった。

何しろ様々に不便で過酷な状況があるということが、人々の協力体制を作っているという。

日本人会総会は、皆の顔合わせの場所であり、この4月の総会は新しい赴任者を紹介する場になっていた。

美沙たちもきちんとよそ行きで出かけた。

新参者たちは衆目の的。特に日本人学校の教員は、保護者からの視線も熱いと聞いていた。

緊張して出席し、一人ひとり紹介されて、代表として平田久雄が挨拶した。

「憧れていたインドへ赴任することができました。」

ほんとうか?

しかしこの最初の挨拶は保護者たちを大いに安心させたようであった。


つづく
# by akageno-ann | 2007-12-13 22:23 | 小説 | Comments(3)

デリー最初の日 その2

同じ頃平田よう子もまた、最初の宿を提供してくれた教員一家の家で朝を迎えた。

一人息子と三人の教務主任の家であった。
青森から赴任してきた熱血漢と言った感じのその家の主人坂田は話したいことが山ほどある、と到着の午前3時から結局5時まで学校の事情を細やかに話し出した。

平田久雄は次期教務主任候補だったので、これもまた熱心に

「私は飛行機で寝てきていますから、」と質問もさまざまにしながら話あった。

妻のよう子は体調がすぐれないので、と断って、娘明子と共にベッドルームへ案内してもらっていた。
表情もくらいので、坂田夫人は少し気が重くなっていた。

坂田夫人は学校の夫人たちの中でも なんでも卆なくこなす人として一目置かれ、中学校の音楽の教師であったことを生かして、音楽の非常勤講師をしていたから、学校のことにも発言権がかなりあった。

小学校教員であった平田よう子に、是非自分のポストを譲ろうと考え、この初対面を楽しみにしていた。 しすぎていたのかもしれない。

到着し、広々としたセッティングルームに通して冷たい檸檬ティを出したが、一口のんだだけで、話にも殆どのってこない。

やはりデリー赴任は重荷なのかも知れないと思わせる雰囲気で、腕の中で眠る一人娘明子を放そうとしない。

坂田家にはアヤという職種の子守のベテランがいて、さっそくそのアヤに面倒を見させようとしていた坂田夫人の思惑はすっかり外れてしまった。

坂田夫人はこれから一週間よう子を面倒見るのであったから、自分の張り切りだけが浮いてしまった形になった。
明日から他の二組とも一緒に買い物をと思っていたが、これは別行動がよそさそうだ、と既に頭をめぐらせていた。

「う~~ん、これは難しいものね。」坂田夫人はどうしたものか、悩んだ。

「でも、まだ一日目。しかたがないかもしれないわ。」そう自問自答した。

他の二組のお世話をしている夫人たちに電話をしてその日の日程を別行動で行うことを伝えると、それぞれに快諾、車を彼女が出すことになっていたが、皆それぞれにタクシーなど調達するという。


「よう子さん、とお呼びしていい?」そう気さくに坂田夫人はよう子に話しかけた。
「はい、すみません、ご心配かけます。急に自信がなくなりました。」

「わかります。私も最初飛行場が古い駅舎みたいで、ほんとにショックを受けたの。今年は新しい空港だったけど日本と違いすぎるかしら?」

「インドの人の目が怖いです。空港から出ようとした時の射抜くような目を見たら、外には出られないです。」

夫人ははっとした。こんなに小さな子供をつれて、この地を初めて踏んだら、それは正直な感想だと。

「そうだわね。私はもう気にならなくなってしまったんだわ。」

「慣れるものでしょうか?」

「えぇ、慣れますとも。でも今夜早速ある、日本人会のレセプションに明子ちゃんを置いていくのは不安だわね。」

「え?私もどうしても出なくてはなりませんか?」

「毎年恒例でね。よほどのことがなければ出席した方がいいわ。病気か何かと思われて、すぐに噂になってしまうから。でも貴方の気持ちは同じ一人っ子を持つ私はよくわかるので、今夜は私が欠席して明子ちゃんをお世話します。貴方は頑張って紹介をうけていらっしゃい。」

そう申し出てくれた坂田夫人の気持ちに打たれて・・よう子は

「ありがとうございます。でもこれからなれなくちゃなりませんから、今日もお宅のアヤ(子守)さんに明子をお願いします。」

健気なよう子を愛おしいなと、坂田夫人は思った。

それから二人は気持ちが打ち解けて、新しいよう子の家のためのカーテンはじめ、家財道具を買いに行こうということになった。

よう子は高級志向で、何でも買い物は吟味してきた。
だがここでの暮らしはそんな悠長なことを言ってはいられないようだ、と悟った。

坂田夫人に習い、導いてもらわねば、お金を換金することもできないのだ。

まず、T銀行に向かった。コンノートプレイスという中心地に近かった。

比較的立派なビルの一階にその銀行はあった。

内部はセピア色の風景のようなレトロな感じの場所であった。
よう子はまだ自分がデリーに住んでいるという感覚はなく、映画のワンシーンでも見ているように、呆然としていた。


一方、住宅街を歩いて、これから住む家に向かう、美沙と安岡夫人は新しいオーナーがシーク教徒であること、ターバンを巻いている男性はシーク教徒というヒンズー教とは異なる宗派の人々であることなど話してくれていた。

「感じの良い人ではあるけれど、私たちもまだ一度しか会っていないので、最初からあちらの言いなりにならないようにしてくださいね。」
と、念を押された。

家賃の交渉はこれからだからである。

安岡家とその新しい家とは川をひとつ隔てたブロックだった。
不思議なことにその住宅街は殆ど人が歩いていなくて、車の横行も少ない。

「こんな静かな住宅地があるんですね。」
美沙には何もかもが驚きの連続であった。

まもなく見えてくる家並みのちょうど三軒目が美沙たちの新居だという。

レンガ色に塗られた壁は新しい感じがした。
美沙たちは三階建ての2階のフロアーを間借りすることになっていた。

1階にオーナーが住んでいるのだ。

門番が立っていた。
深々とこちらに頭をさげて、

[グッドモーニング マダム]と言って、安岡夫人を知っているといったそぶりで、中のオーナーに知らせにいった。

今日からこの家に住む・・・その感慨で胸がいっぱいになる美沙だった。

つづく
# by akageno-ann | 2007-12-13 11:12 | 小説 | Comments(2)

デリー最初の日 その1

安寿と厨子王という森鴎外の物語。
母と子供たちが離れ離れに引き裂かれて・・・日本海の荒波を
二艘の船が・・別れ別れになる図を絵本で見て、幼心に残っている・・・

美沙はついそんなことを考えてしまうほど、あたりは暗闇でこれから到着する場所はいったいどんな場所なのか・・・意外に・・・ということは起こりうるのか・・・デリーの生活上先輩である教員たちの家族は一行の到着を家で待っていてくれるという。

4月のデリーはまだ夜中のせいか予想していた暑さはない。

「実際は楽園でした~~~~」ちょっとサプライズ・・・なんてことはないだろうと・・・
考えを逡巡させながら・・明るく明るく振舞っていこう・・・と決心しながら

バスに揺られ・・40分ほどもたったであろうか・・・立派な佇まいの家並みがつづく住宅街に入ってきた。ポツンポツンと日本のそれと同じように、明かりのついた家がある。

同乗してくれている今晩の宿を提供する安岡カズオがにこやかに
「お疲れになったでしょう、今日はゆっくり・・といいたいのですが明日はもう学校ですから・・まず休んでください。」と話した。

その身なりのすっきりとした雰囲気にも安らぎを感じて、一段と煌々と2階の部屋の明るい大きな住宅の前に到着したことを片山夫妻は知った。

ご近所への配慮は?と、美沙たちは思ったが、比較的どっしりとした建物で、隣が隣接はしているがさほど迷惑ではないようで、かなり賑やかに二人の荷物は降ろされ、バスの運転手や荷物運びのためのスタッフに安岡は軽い労いのことばをかけて、その家に入っていった。

美沙は深々と頭を下げて彼らを見送った。日本ならここでご祝儀、外国だからチップは?と思ったが、安岡に任せていた。

「さあ、どうぞどうぞ。用こそいらっしゃいました。」
明るい若々しい声が二階から聞こえてきて、美しい日本女性が現れた。
安岡夫人だった。その後ろにひっそりと上品なインド人女性がいて、マリーというお手伝いさんだという。

美沙はまたここでとびっきりの笑顔で安岡夫人とは握手し、マリーには会釈した。

さっそく夫人の手で冷たい麦茶が出され、マリーは美沙たちの荷物を寝室に運んでくれたようだ。
「如何でしたか?フライトは・・順調でしたか?」
「はい、とても穏やかな飛行で時間も予定通りだったように思います。」

女二人はそこでかなり打ち解けて話をしているのを見て、男たちも明日からのスケジュールをさっそく話し合った。

時計はすでに午前三時をまわっていた。

安岡は
「積もる話は明日以降ゆっくりできますから先ずは今日は横になってください。」
と打ち切った。

逸る気持ちを抑えて美沙たちも与えられた寝室に入った。きちんとバスルームのついた
古いけれど暖かい部屋に落ち着いて、ベッドに横になるや一応は少し眠ったらしい。

6時にはもう目が覚めていた。うつらうつらの状態であったので美沙はここの主人たちが起きてきたら寝室を出ようと用意した。

[マリー、朝食は四人前よ]
と英語で指示する安岡夫人の声を聞いて、部屋のドアを少し開けてみた。

「あら、おはようございます。少しは眠れましたか?」

「はい、ありがとうございます。気持ちの良いベッドでした。」

部屋は朝の光と風が入ってきていて、爽やかさがあった。
開け放された大きな窓からベランダに出た美沙は、その清清しい空気に感動していた。
「こんなに涼しい朝なのですか?」
「えぇ、でも朝だけなんですよ。これからあっという間に気温が上がります。」

しかし、酷暑の夏をイメージしたデリーの初日の朝に清清しさを感じられただけでも嬉しいと、美沙は思った。

サーバントと呼ばれるお手伝いのマリーは年配だが細身で大変綺麗なインド人だった。
[グッドモーニング、マダム]とはにかむ姿にも楚々としたものがあっていい感じであった。
美沙の方も航空会社のお土産サービスで用意した、干物を土産の一つにしていたら
その朝の食卓にも塩鮭や卵焼き、味噌汁に白米がきちんとした膳に載せられている。
目を見張ったのは、その食卓を用意しているのは、マリーなのだ。

「こうしていつも彼女が作るのですか?」
「えぇ、はじめは教えましたが、今はもうこの朝の食事は彼女だけで作れるんです。片山先生のお宅の子はローズといいますが、若くて頭のよさそうな子ですよ。」

美沙はその言葉に大きな期待を寄せた。
翔一郎も元気に起きてきて、さっさと仕度もすませていて、やるき満々である。
おそらくほっとしているのであろう、と美沙は想像していた。

デリーの第一印象は相当に良かったのである。

夫たちは、7時過ぎに、昨日ここまで彼らを運んでくれたバスが、また迎えに来て、二人で乗り込んでいった。何人かすでに子供が乗っていて、今日は本来のスクールバスとして稼動していた。
綺麗な女性はコンダクター役で、にこやかに新参の教員の片山に挨拶した。
それに向かって手をふり、またコンダクターにも会釈して挨拶する美沙の笑顔は明るかった。初日は二重丸だと、美沙は思った。

「お茶にしませんか?」
と安岡夫人に声をかけられ、思い切り優雅な雰囲気を作り出そうとしてくれるその人に感謝をした。
女たちはこれからまた、ここでの新しい暮らしのために動き出さねばならない。
8時過ぎにはほんの2時間前の涼しさはどこへ行ったのか?と思わされる太陽の光の強さを感じられた。
ふたりのマダムはそれから9時頃まで様々な話をしたあと、新しい美沙たちの家にむかった。安岡家から歩いて10分ほどの場所であった。

 つづく
# by akageno-ann | 2007-12-12 00:03 | 小説 | Comments(6)

デリーへの道 その3

空港は想像以上にきれいで、白を基調とした壁も本当にまっ白い。

大きなエレベーターがあり、三家族の全員が乗ることができた。
一行と一緒に『ブ~~ン』と一匹の蚊が入ってきた。

美沙の夫の翔一郎が

「あ!蚊が」
と小さく叫んだ。
航空会社支店長は落ち着いた声で

「蚊はおります。」と応えた。
一同は思わず苦笑した。

蚊がすべてマラリアの媒体の蚊ではない。

なんと臆病なものたち・・・新参者の教員チームは一瞬にして自分たちがある種の畏れを持ってここへ到着したことを見破られてしまった・・と苦笑いになった。

だが、そのことを偉そうに説明するでもなく

「蚊はおります」とにこやかに言ってその場の雰囲気をとりなした航空会社支店長の風格は新参者たちに大きなエネルギーを与えた。

エレベーターも無事二階から、一階まで降りた。

片山夫妻と、平田久雄は、この時のことをその後もずっと覚えていた。

入国審査は外国人枠に並び、パスポート片手に係官の前にたつ。
一人ひとりに長い時間がかかり、これほどパスポートを裏も表もひっくりかえしてまじまじと眺める図は珍しいとヨーロッパにちょこっと旅行しただけの知識でも、美沙には異様に感じられた。

夫の次に並んでいたので、無愛想につったっていた翔一郎を見ながら、美沙は初めてここで会話するインド人に思い切り笑顔で接しようと決めていた。

[ハロー] と、明るい声で挨拶して、にこやかな表情で相手を見た。

係官は相好一つ崩さず、美沙が差し出したパスポートを片手で開き、顔はこれ以上ない、というほど胡散臭そうに・・見返していた。

「デリーは甘くない・・」と美沙が感じた瞬間だった。

到着ロビーを抜けて預けた荷物の出てくるターンテーブルに向かう。
既にインド人のスタッフが何人もいて、それが各家族に3人ずつあてがわれ、二人はカートを、一人は回ってくる荷物を持ち主に確認してもらいながら、順調に取得していった。

キビキビと動き、にこやかな笑みまで新参者の美沙たちに向けて、一家に二台のカートに積まれた大きなトランクや超過料金をかなり支払って持ち込んだ、ダンボール箱数個を出口に向かって押して行った。

そのあとをなるべく間をあけないように注意されながら、先ほどの領事の方が厳しい顔になって、次々と到着ゲートに誘ってくれた。

何人ものインド人係員がその荷物をじっと見守る姿をみて、

『そうだ怪しまれて、そこで荷物検査に引っ掛からないための緊張感だ』とわかった。
幸いどの荷物も引き止められることもなく、無事出口へ、真夜中1時半を過ぎていたが驚くほどのインド人の人の波に息を呑んだ。

匂いも、日本のそれとは全く違って、異臭ではないが、これがインドの匂いと印象付けられる、まだ得たいの知れないものが流れていた。

その中に一列横に広がるように5~6人の日本人男性たちが、これはもう本当に日本人の笑顔!!という明るい顔で手を振ってくれていた。

現地日本人学校の先輩教員たちだった。
女性のインド人スタッフもいて、美しい山吹色のマリーゴールドで作られたレイを新参者一人ひとりにかけてくれた。平田よう子は、ちょっと怯えて、抱いている娘の明子をしっかり抱きなおし、そのレイは夫の久雄が受け取っていた。

よう子はますますの緊張感があるのだ、と美沙は感じていてが、彼女は相変わらずの笑顔を振りまくことに専念している。

「ようこそ、デリーへ。お疲れさまです、お待ちしていました。」

出迎えの日本人のその力強い言葉に『待っていてくれた、』という感動が伝わってきて、

『この初心を支えにしよう』 と平田久雄は強く感じていた。

美沙もまた、

[マダム、こちらへ]

というインド人スタッフの言葉にいい知れぬ感動を覚えていた。

この日から、3年間はまぎれもなく、インドに住む日本人マダムであった。

中型の日本製のバスは、日本人学校のスクールバスで、毎年この時期は任期を終えた家族を送るときと、こうして新任の一家を迎えるときにに一台ずつあてがわれることになっていた。

初対面の簡単な挨拶を インド人の烏合の衆のギラギラと闇夜に光る目に驚きながら、交わして三家族はここでばらばらにバスに乗り込む。

このときから三年間、三家族は様々に変化しつつ、また重い荷物を自ら運ぶことなどほぼなくなることに、まだだれも気付いていず、されるがままについていく美沙たちだった。

インド人の群れは全てが迎えの人々ではないのだ。
その人々の群れがどういう目的なのかもこれからわかるのかもしれないと、美沙も他の者たちも口にはしなかった。

空港はさすがに煌々と明かりがついていたが、車が長い空港へのアプローチである道路を抜けると、すぐ、そこは予想通り、いや予想以上の暗黒の世界だった。

灯り一つなく、バスが照らすヘッドライトの光だけで走っている、かなりのスピードで。
その光に映し出される家らしい陰も静まり返り、かなりみすぼらしいものが点在していた。
眠いはずだが、バスから外を食い入るように見る片山夫妻の目は爛々としていた。

つづく
# by akageno-ann | 2007-12-11 11:43 | 小説 | Comments(4)

デリーへの道 その2

成田を午後4時に離陸した飛行機は、途中バンコクでトランジット、一緒にここまで乗ってきたスリランカ組はここで乗り換えることになっていた。

初めて出会った人々も多い中で、また機内で親しく話すというのでもないのに、これから始まる未知の生活への不安が、互いの連帯感をつないで、およそ15人ほどの大所帯で空港待合室で記念写真を撮った。

皆一応に明るい表情をしていたが、平田よう子だけは幼い娘の明子を抱いたままひどく暗い表情であったのが美沙は気になっていた。
デリー組のもう一家族、山下文子は、ここでは二人の男の子を連れて気丈な明るさを示していた。

バンコクからデリーは4時間ほどのフライトで、そのとき既に現地時間、夜の8時を回っていたから、到着は真夜中になることは間違いなかった。

最後の機内食が出たとき、添えられてくるワインや、フォークナイフのセット、ジャム、バターの至るまで、美沙は食欲が落ちていたのを言い訳に、それらを使わず、そっといただいて、手提げカバンに忍ばせた。

ふいに明日からのデリーでの食事をどうするかが急に不安になったのだ。

こんなに行き届いた食事がいきなりデリーでできるかどうか自信がなかった。

パンは、ご飯は、そして夫のお弁当は・・・何度も反芻して考えていたはずの細々したことが、再び蘇り、すべて闇の中に落ちていった。

出発までの疲れがあったために一寝入りしたらしく、しばらくして、美沙はふと目覚めて機内から窓の外をのぞいた。

眼下は真っ暗でもう1時間もすればインディラガンジー国際空港に到着と言うのに灯りがないのはどういうことなのか?

暗黒の世界にでも降り立つような覚悟でもしなければならないように緊張感が走った。

機内では入国審査のカードが配られ、不慣れなのでガイドブックを読みながら記入していった。職業・・ハウスワイフ・・主婦と初めて書いた。

機内放送が流れて、いよいよ高度が下がる。もう一度眼下を見下ろすと、ほのかな灯りが見え始め、黄土色のような大きな建物が見えてきた。

その建造物からは太い広々とした道路がまっすぐに走っていて、そこだけが美しい光景だった。
インド門・・・パリの凱旋門のように素晴らしいものであった。

リンドバーグの「翼よあれがパリの灯だ。」の名言をふと思い出し、
「そうだ、ここも外国。きっと心ときめく素晴らしいできごとも待っているに違いない。」
と一抹の不安を心から追い出そうとしている美沙がいた。

夫は比較的冷静で、これから始まる日本人学校の教師としての人生にかなりの期待感を寄せている。しかし、すべてそのプロジュースは自分の肩にかかっていることをこのときはまだあまり感じていなかったのかもしれない。

日本からほぼ9時間かかった、ここまでのフライトによって、日本での生活は完全に過去のものになってしまっていたのだ。

機は着陸態勢に入った。

いよいよ美沙たち三家族は、インドニューデリーの地に降り立つことになった。
日本の地方の空港のような大きさのそれでもしっかりとした白亜の空港ビルが見えた。しかも蛇腹のゲートが飛行機のドアにつけられるようだ。

「ちゃんとしているじゃない。」 
美沙がデリーの地で最初に発した言葉だった。
小さく自分のために。

無事に着陸し、出口は開けられた。殆どがインド人の乗客たちが・・ざわざわと降り立ったあと、最後まで残された三組の教員チームが、客室乗務員の丁寧な導きで飛行機を降りた。

その降り口には二人の日本人が立っていて、

「ようこそ、デリーへ、お待ちしていました。」と迎えていた。

一人は航空会社のデリー支店長であり、もう一方が在インド日本大使館の領事だった。

その丁重さに驚きつつ、教員チームはぞろぞろと彼らについて、入国審査に向かった。

立派な建物で、新しく綺麗だった。どれほどその三家族の面々がほっとしていたか想像できないであろう。
新築したばかりのこの空港であったことはデリー初対面の彼らにはかなりの幸運であったといえよう。

1年前のこの空港はどこか小さな異国の古びた駅舎のようで、初めて到着した人々を恐れおののかせたと、今年の新参者は聞いている。

せめて玄関で『ぎゃふん』と言わせまいとするその堂々としたたたずまいは、美沙たちを歓迎するように感じられた。

つづく
# by akageno-ann | 2007-12-10 08:47 | 小説 | Comments(4)

デリーへの道 その1

一口に海外派遣といっても、それは国によって全く印象も心構えも異なるのはあたりまえだが、単に東南アジアというのと、インドというのでも、またその感触は全く違ったものになる。

美沙のインド行きが決まってから、職場の先輩、同僚、後輩ともに様々な反応を示した。
「え?片山先生・・・インド。あのバナナの皮にカレー載せて食うとこでしょう?」

美術の先輩教師だった。

「マラリヤの蚊がいるんじゃないの?蚊に刺されたら大変じゃないの?」

「ええ、なんだか予防薬というのがあるそうよ。」

「ああ、そう、うちの犬も5月から毎年飲んでるわ。」

「それはヒラリヤでしょう・・心臓がやられる・・」

仲良しの同僚の女性教師とこんなやり取りもした。


生徒の方は、美沙のインド行きを聞きつけると
「片山先生、インド行くってほんと?コブラ使いとかみるの?」

「先生、あっちでも学校の先生やるの?インド人教えるの?」

「海外青年協力隊に入ったの?もう帰ってこないんですか?」

と、支離滅裂な質問を投げかけてくる。

しかし無理もない、大人だって、いやこれから間もなく渡印しようとしている美沙自身
でさえ、赴任先のインドを殆ど知らないのだから。

美沙は大人達のほうの、単なる軽い好奇心は捨ておいて、前途洋々の好奇心旺盛の子供たちにはきちんと話をしておこうと、ホームルームの時間を使って自分の知っていること、考えていることを話し始めた。

「私は、この3月で中学校を退職し、主人が今度、インドのニューデリーにある日本人学校に赴任することになったので、一緒に現地に行き、暮らします。
今のところ私の仕事は決まっていませんが、きっと何か役に立つことがあるように思います。

皆の卒業まで一緒にいられなくて残念だけれど、私も新しい場所で新しい気持ちで頑張るので、皆にもこれから自分の人生をどう切り拓いていくか、考えながら進んでほしいと思っています。」

突然、一番前の席に座っていた女生徒が泣き出した。
「先生なんで、やめるの?」

「えぇ、私も本当は昨年の今は全くこのような事態は想像していませんでした。
でも主人と相談して、(本当は主人が勝手に決めたことだったが・・ここは夫をたてておくことにした)新しい挑戦をすることにし、主人が試験を受けました。

私が受けたんだったら、辞めないでまたここに戻って教師になれるんだけど、二人で受けちゃったら、場所も違うしね・・」とここはみんなで笑った。

『私が受けたら女だったから、もう少し安心な国だったろうか?』
など邪な思いも過ぎったが、それも笑って心にしまっていた。

「この制度は公立や、私立の、小中学校の教員に海外で暮らす日本人の子供たちの教育をなるべく日本と同じように与えられるように、考えられたものなの。
もちろん日本人学校の無い国もあります。だから日本人学校のあるインドは、日本の企業や商社、また国同士の交渉をする外務省やそのほかの省庁の人たちが家族と共に現地に住み、その子供たちが学校で勉強しているわけです。
皆も社会でいろいろな国の勉強をしているでしょうけど、インドのことはどれくらい知っているの?」
と、問いかけてみた。

子供たちは、それぞれにインドに対する思いをめぐらしてみているようだ。

「先生、やはりインドはカレーを食べるんでしょうか?」

「インドは英語なの?」

「インドは暑いんですか?」

次々に、子供たちは答えとも質問とも違う、自分たちのうる覚えの事柄を述べ始めた。

「そうね、実は私も皆と同じくらいの知識よ。だからインドに決まったときは、どんな準備をしたらいいのか、戸惑いました。そして調べてみると、日本とはずい分違うようなのです。

先ず、食事、私は皆も知っているとおりの食いしん坊でしょう、何をおもに食べるのかはとても大事なことです。」

子供たちはとてもいい目をして、真剣に聞いていた。

「やっぱり、三食カレーらしいのよ。でもね、日本の人々は工夫して日本食を食べているようよ。だから私もお米、味噌、醤油、いっぱい持っていきます。」

クラスは和やかな笑いに満ちた。

「そして、言葉はヒンドゥ語なんです。
メーラ、ナーム ミサ カタヤマ へーイ」

勘の良い生徒が 笑いながら
「マイ ネーム イズ~のことでしょ?」と口を挟んでくれた。

「そうそう、似てるわね。でもちょっと文法が日本語的かもね。
へーイが 日本語のデスに当たるようだわ。」

「先生、すごい、もうしゃべれるんだ。へーイ・・って可笑しいね」

「あはは、これだけよ。でもね、幸いなことにニューデリーの第二外国語は
英語なの。昔イギリスの植民地だったこと、習ったでしょう。」

「なんだ、そうか。でも英語はしゃべれるの? 先生!!」

「鋭いねえ、君たちは・・・だめよ、だから中学校の英語の教科書持っていくわよ。日常会話は今の あなたたちの英語力だって、しゃべろうと知る気持ちで通じるのではないかしらね。」

子供たちのまだまだ純粋な気持ちとこうして触れ合っていられる時間が
この時の美沙には何物にも代えがたい貴重な時間に感じられた。

様々な会話の最後に美沙は

「私はこうして教師をしているのは、小学校の時に読んだ、『赤毛のアン』という小説の主人公アン シャーリーがやはり教師をして、それから夫について様々な引越しをし、そこの人々と触れ合い、子供を育てて、人生を深く生きていく姿にとても感動したからなの。

その中でね、確かアンが結婚するころ・・『アンの夢の家』・・だったと思うんだけど、結婚式に出席してほしい仲良しだった友人の一人が、ご主人が宣教師で、日本に赴任中でアンのいるカナダに帰ってこられないっていうのね。
そしてその時、かつてその友人はインドに行くかもしれないと言っていたのに、今は日本よ・・とアンがいうところがあったと思うけど・・・・」

と、いう不確かな話にも、美沙自身ここではっとしたことがあった。そして

「アメリカや、カナダの人から見れば、インドも日本も 遠くの全く未知の国であることには変わりはないのだわね。だから私もきっとインドで元気で暮らせると思うわ。」

と、結んだ。デリーへの道の第一歩を踏み出した。

生徒たちは、特に女生徒には、この時の美沙の言葉はその後も深く印象に残ったようであった。

 つづく
# by akageno-ann | 2007-12-09 00:09 | 小説 | Comments(4)