アンのように生きる・・・(老育)

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かけがえのない日本の片隅からの発信をライフワークとして、今は老いていくにも楽しい時間を作り出すことを考えています。

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インドを侮るなかれ

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インド駐在から帰国して20年がたちます。
この度 海外ブログインド情報に参加しました。

この内容は小説ですが、登場人物はフィクションでありながら、デリーでの生活は
実生活を元に書きました。

インドに赴任することが決まった夜の、衝撃と悲しみは人生の中で大きなものでしたが、
「そこでの経験は何物にも代えがたいもの」と先輩たちに言われ、励まされての赴任でした。

何も知らなかったインドについて俄勉強で渡りました。

第一日目から驚きは大きかったのですが、生活自体は決して悲惨なものではありませんでした。デリーの懐は広く大きく、異国の新参者を自然に受け入れてくれました。

旅行者ではなく、住宅街に住むこのうら若い日本人をさりげなく支えてくれていました。

戻ってすぐに懐かしくて戻りたくなったという気持ちも本当です。

しかし、酷暑といわれる夏のデリーの暮らしは確かに大変でした。

日本食を求めて国外に出ることも必要でした。

現在のインドはIT産業が盛んで、ずい分と近代化された国に評されますが、あの貧困の中にも必死で働く人々はおそらくそのままに国は富んでいるのだと想像します。

新しい車社会でもありながら、牛車もオート三輪のリキシャも、のんびり歩く牛もそのまま存在しているはずです。

その厳しい日常の中で、日本人駐在員の家族たちは明るく愉しく暮らそうと努力していました。

子供たちは日本人学校などで暑さと戦いながらもしっかりスポーツに学習に取り組みました。

その生活が、20年経った今でも、年とともに変化する生活環境の中で、力強く生きようとする源となってくれていることに気付きました。

様々な人間関係の中にもデリーならではのものが生きています。

日本の高齢化社会に直面して、介護することも、あのときのデリーでのサーバントたちとの暮らしが生きていると、感じることもあります。

デリーでともに頑張りながら、帰国して既に別の世界に旅立たれた人々もあります。

その人々との思い出は、また残された者の中にしっかりと息づいています。

この小説は「赤毛のアン」を愛した、二人の日本人女性の友情を元にデリーの生活を掘り起こそうとするものです。

インドの情報、インド人の生き方を深く感じ取った今、日本人が忘れかけている大切な生きる力を取り戻したいと願っています。

異国にいて初めて知る日本人としての自分、日本のあり方を考え続けています。

写真はデリーの街中で水を売る男と、壜に入ったメダカをうろうとしている男の様子を偶然捉えました。不思議な状況が多々ある中でインド人の逞しさも感じられます。

小説をどうぞお楽しみいただけますように・・・


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# by akageno-ann | 2008-01-16 16:26 | 番外編 | Comments(8)

お土産

「美沙さん・・どう?かたづいたかしら・・・」

夕方になって近所に住む北川怜子(さとこ)が船荷がついててんてこ舞いの美沙の家を訪ねてきた。

「どうぞ~~~このありさまですよ~~~~」

美沙はここに移り住んでから人々が気楽にやってきて、気楽に家にあげるのをとても愉しく思っていた。

日本では勤めていて、日中家にいることは少なかったが、たまの休みも忙しい家事に追われ、近所の人が尋ねるなど皆無だった。
一方姑の信子の方はかなり近所付き合いの良いほうで、昼間は互いを訪問しあってお茶など楽しんでいたようだ。

そうして会話することは年配者の暇つぶしと、思っていたが、なかなかどうしてこの関わりは大変に愉しく会話も実のあるものが多いと知ったのだ。

主婦の生活を知らなかった美沙は仕事にかまけて、意外な一般常識も知らないことが多いことを知った。

料理もクッキングスクールに通っていたので、いろいろ知っているつもりだったが、ここの日本の主婦たちは苦労して工夫して日本食を極めようとしている。

チャパティというここの主食のようなクレープと同じ薄い円形の食べ物を作る茶色の中力粉を使って、ビールで煉って糠床をつくり、野菜を漬けていたが、驚くほど糠漬けに近い味で、暑い夏の夜の酒のつまみとしても日本人の来客時に喜ばれていた。

貝割れ大根は種を持ち込んで台所で水耕栽培して、やはりさっぱりとしたサラダに使用している家庭があった。
とても大切にサーバントがその栽培を引き継いでいた。


「北川先生の奥様・・ご視察ありがとうございます。」

美沙はおどけて怜子を招じ入れた。

「あれまあ・・きれいにしてるじゃない・・」

美沙は片付け上手なので一箱ずつきちんと片付けながら船荷を解いていた。

「こうして開けてみると大したものが入っていないような気がしてくるのですけど・・」

「そうなの・・日本ではあんなに吟味していれたつもりなのに、でしょ?
私もそうだったわ。」

美沙は微笑んで、怜子に一つの包みを渡した。

「第二段のお土産です。」

その包みを開いて、怜子は胸が熱くなった。

そうしてその二人は心を分かち合っていたのだ。

箱の中身は怜子の故郷でもある高知の特産柚子ポン酢や柚子唐辛子のセットだった。

姑信子がデリーでのご近所付き合いに、と故郷から取り寄せて荷物に入れてくれたものだった。

さすがに年の功、付き合いの機微がわかっているな、とこのとき二人はそれぞれに思っていた。そういう支えにも援けられてここでの人間関係もつながっていくのだ、と美沙は強く感じた。

初めて、一家といってもささやかな二人の家庭だが、それでも美沙の家庭が築かれていくのだ、気持ちが引き締まるようであった。


 つづく

# by akageno-ann | 2008-01-15 22:19 | 小説 | Comments(4)

人足 (にんそく)

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船荷は各家庭に古いリヤカーや牛車で運ばれた。
「牛車はぎっしゃと読む」と高校生で源氏物語の試験で出たことを思い出しながら
その荷物を迎えた。

美沙の荷物は日本で使い古した冷凍冷蔵庫、同じくエアコン、洗濯機、カップボード、円形のダイニング五点セット、などを全て船荷にした。

その上に茶箱に衣類、米、乾物、缶詰、など重いものをしっかり詰め込んだはずだった・・
日本の手狭な部屋ではそれらが目いっぱいな感じで部屋をうめつくし、たしか大きめのダンボールばこ50箱に及ぶものがこのデリーの家に運び込まれても・・それほど多く感じられないのが心もとなかった。

だが冷蔵庫を二階のフロアにどうやって運ぶかというと、どこから集められたのか、あまりきれいとはいえない服装の人足という輩が数人雇われてきて運び入れるという。

かつて日本で引越し荷物を運びこむときに、あぶなっかしかった日本の若者とは違って、一人目の不自由な年寄りがいたことがこの時、一番の不安材料だった。

しかも大物の冷蔵庫を運ぶのに、彼の背中に容赦なくもたせ掛けて、他の人たちが支えて運ぶというのだ。美沙は思わず目を覆いたかった。

だがその下敷きになっている男はものすごく力があり、しかもものすごい力で支えてくれているのだ。

途中から不安は信頼に変わった。連れてきている理由もはっきりとわかり、インドの人々の働くということに対する真剣さを感じたほどであった。

そして全てが順調に小一時間かかってフロアに運ばれると、遠慮気味に支払いの金を待っている。

だが付き添ってくれた学校の事務のジョンさんは、『彼らには一人10ルピーでいい』という・・
「だって・・これだけ・・」と言おうとしたが、ジョンさんにはインドの相場はいつも教えられているので、黙って従った。

しかもその日本円で100円ほどの10ルピーというチップをそれは喜んでもらっていくのだ。
盲目の男も同じであった。

彼らは一日1ルピーにも足りない金額で生活しているというのだ。

インド恐るべし・・・・けっして侮れない国である、とその時感じた。


さて、皆が退散した後、ワクワクして一箱ずつあけるのであるが、それは確かにいろいろ入ってはいるのではあるが、衣類にいたっては・・・こんなに日本のものがひつようだったか?とすぐに疑問になった。

インドのパンジャビスーツもサリーもシルクであっても比較的買いやすかったのだ。
しかも夏の暑さの中では一番必要な普段着は夫婦共々短パンTシャツだったのだ。

衣類よりもっと日本食品だった・・とすでに後悔している美沙がいた。

しかし、母が言ってくれた、「日本のものが少しでもたくさんあれば心が和むでしょう」と

入れてくれた、人形や花瓶、和食器は確かにその瞬間から心を和ませてくれたのだ。

同じ頃、平田家もまた山下家も子供たちが歓声をあげながら、日本のお菓子やおもちゃを
開いた荷物から取り出していたのだ。


 つづく
# by akageno-ann | 2008-01-14 19:58 | 小説 | Comments(5)

袖の下

いよいよ船便が到着するという。

その数日前に中身のチェックが英文で細やかに行われ、日本の食品の
海苔や出汁の素や、煎餅や味噌や、と英単語にするのは大変なところだったが
この学校の事務をながくやってくれているジョンさんにすっかりお任せして
手続きの書類を書いてもらった。

ジョンさんは美沙のところで、山下文子のことを心配するような話をした。

「彼女はインド人があまり好きではないようだね、決して自分から話をしない。
困ったものだ。」と、少しがっかりしていた。

日本人もいろいろで閉鎖的な人もこうして海外に出て来てしまうのだ。
美沙であっても、好んでここへついてきたわけはなかったが、こうして様々な人に
出会うと愛着も湧きそうに思えるし、ここでも『住めば都』の様子がありそうに感じていた。

カシミールの旅も一つ一つはずい分大変なことが多かったが、こうして過ぎてしまうとどれも面白おかしく話せる内容で、人々との集いの中ではいい話題提供になっていた。

もちろん、日本人同士の喧嘩のような内容は一切話さず、インド人とのかかわりだけに搾って話すだけで十分だった。

あるパーティでは調度日本からの旅行者が一緒によばれていて、これからカシミールへ旅するという、あとから知ったことではあったが、印度とパキスタンの関係が宗教上から良くないらしく、小さな争いが絶えないという話題になった。

「ところで、片山さんたちはカシミールへ行って来たんでしょう・・?」とふられて
おずおず返事をしたら、

「いや、遠慮しないで情報いれてやってよ・・最新情報なんだから。」

と、言われて翔一郎と美沙は話し始めた。

「ここも戦時下なのか、と感じたのは、グルマルグという高地からタクシーで降りて来る時なんです。その日はオベロイに一泊する予定でしたからゆっくり午後に出発しました。
ところが30分も走ると、軍服を着た男たちに車を止められて、運転手はどういう客をどこまで運ぶかを聞かれたようなんです。それで日本人であることを確認しに車内を見に来ました。」

一同はもう興味津々で聞き入っている。そのことに快感を覚えてしまった美沙が翔一郎を受けて続けた。

「その車には平田さん一家と我家が乗っていたのですが、平田先生が降りていって、事情を聞いてくれました。そうしたら前夜の雨でがけ崩れがあったから通れないというんです。
そこで主人も降りて言って、平田先生と二人で交渉を始めました。二人が戻って話すには所謂袖の下を渡せば何とかなりそうだ・・というのです。

まったく・・この国はって思いましたが、背に腹はかえられませんでしょう?
50ルピーを渡してみると、あっさりよろしいということになりました。いやだなあ、また日本人が甘く見られると思いましたが、そんなところに滞在している時間はないわけですから。
でもその上にその軍人一人を麓まで同行させろと言うんです。

こういう時ってどうしようもないでしょう。結局その軍人を乗せたのです。」

「はあああ・・・聞きしにまさる話ですね。さすがインド!!」と、同席していた旅行者は言った。

「その軍人は運転手とヒンディ語で話しながら車は進むので、本当にどこに連れて行かれるのか・・と心配でしたが、まあある軍事施設のところまで来ると、一応『サンキュー』と言って降りていきました。あの時は、ただ乗りたかっただけじゃないの・・など気楽に考えていたんですけど、おそらくあの50ルピーで私たちを守ってくれたのかもしれません。」

インドの袖の下の話はそれまでも色々聞いていたが、美沙はあまりそういう手立ては感心できないと思っていた。しかし、この国の事情をしらないで行動したことにも問題があると、反省した。

やがて船便の荷物がリヤカーで運びこまれた。古いリヤカーだった。

 つづく
# by akageno-ann | 2008-01-13 14:41 | 小説

留守宅

暑いさなかの6月初旬には3月20日に日本の自宅から出した船便の荷物がデリーに到着した。日中の暑さはそのまま夜まで外気温が下がらず、家の中の衣類、食器に至るまで熱く感じられるのが、哀しかった。

荷物はきっと高温に蒸されているだろうと思うと、大量に入れた白米などのことも心配になってきていた。

しかし、デリーの税関で足止めされ、中身の照合と税金の計算でさらに日は過ぎていった。
日中の一番暑いときに平田久雄はじめ三名の新人教員は学校の車でインド人の事務員と一緒にその税関まで足を運んだ。何やかにや日本製品の持ち込み理由を聞かれて、その日は
「では書類を作成して提出するように・・・」とのことで、その日は立たされ坊主のように突っ立ったまま事務員と税関の職員とのやりとりを見ていた。

片山翔一郎は憔悴しきって帰宅し、水を飲んだあとベッドに倒れこみ夜の8時まで寝ていた。
何をするにも体力を消耗するところだ、と美沙は夫の体を案じた。

その翌日あの山下文子が電話をしてきて、遊びに来たいという。

美沙は、多少なりとも文子が少し気持ちを軽くしてくれたかな・と、つまらない期待をして待った。

「ご無沙汰しました。お元気でしたか?」

「はい、カシミールではお世話になりました。」と、美沙は型通りの挨拶を先にした。

その言葉には文子は何も応えず、

「聞いてます?今回の船便では平田さんところの新しいエアコンがネックになってて、こんなに引き取りに時間がかかっているのですよ。あちらは何かと面倒な問題が起こると思いませんか?」

立て続けに話す文子を見て、彼女の本性を知り、気の沈む思いがした。

「お子さんたちはお元気ですか?」

「えぇ、今日はお友達のところに行ってます。お陰さまで、子供関係で知り合いが増えて楽しくなりました。」

「まあ、良かったですネエ。何よりですね。」

美沙は、文子の心が平穏なことに安堵した。
文子はそれ以上に付き合いの相手のことを聞いてくれない美沙に苛立ちを感じた。

「美沙さんは、どなたか親しくなった方はいらっしゃるのですか?」

「いいえ、まだですよ。子供もいないし仕方ないです。のんびりやっていきます。」

その返事に満足して文子は

「お茶ご馳走様でした。美沙さん私の家の方にもどうぞ遊びにいらしてくださいね。」

車を待たしてあると言って、帰っていった。車はタクシーをチャーターしていた。

その後しばらくして、平田よう子が電話してきた。

「ねえ、今山下さんの奥さんいらしたけど、お宅へも寄ったんでしょう?」

「えぇ、特に用はなかったみたいよ。」

「何言ってるの、ひとしきり貴方のこと呑気で誠意がない、って悪く言ってたわよ。」

「それだけ?」拍子抜けしたような声で美沙は聞き返した。
「うん、それくらいのことだけど。」と、よう子は笑いながら応えた。

「そうなのね、きっと憂さ晴らしに各家を回っていたのね。私には親しい人ができたかどうか、聞いていったわ。」美沙も気楽に話した。

「聞いてたわ、うちでも。不安なのかしらね。」

「猜疑心が強い人なのでしょうか?」美沙がとうとう文子を評した。

「そうみたいね、そして自分を大事にしてもらわないと気がすまないみたいなのね。」

「こういう場所では難しいわよね。」

こんな風に話しながらよう子と美沙の距離はかえって近くなってしまっていた。

文子がもう少し明るい気持ちで過ごそうとすればどんなにか三人で楽しく過ごせるだろうにと残念で仕方がなかった。


午後になって郵便が届いた、何通目かの姑信子からのエアメールだ。

「美沙さん、お便りをありがとう。インドの暮らしを頑張っているようで安心してます。

ご苦労をかけますね。こちらはもう帰国する三年後を一日千秋の思いで待っていますよ。

新しい環境では大変なことも多いでしょうが、どうか体に気をつけて・・・・・・・」と長い手紙には寂しさが綿々と綴られていた。

ここでの人間関係のことで少々気持ちが塞いでいたが、考えてみると、日本を出て以来実家や夫の母のことを思い出すことが次第に少なくなっていたことに気付いた。

美沙のこれまでの人生で自分たちだけのことを考えている日々は滅多にないことだったのだ。

様々な問題は起こって当然のことである。

美沙は、親たちに送る手紙の中にはできる限りインドの面白さを書き込んでいた。

せっかくやってきたこの異国の不思議なできごとにも果敢に挑戦しているような自分を知らせたかった。心配をさせずに三年間を過ごすことができれば、また自分たちの自信につながって日本へ帰ることができるはずだ。

小さな問題はこちらだけで解決し、そのことに煩わされないように日々を大切にしようと・・日本の留守宅からの手紙で気付かされていた。

それにしても、美沙は山下文子が気持ちを明るくもってくれるように心の中で願っていた。

 つづく
# by akageno-ann | 2008-01-12 18:21 | 小説 | Comments(4)

八ヶ岳のようなカシミールから帰って夏休みの後半は瞬く間に終わりそうになった。
夏休みの間は日本人はそれぞれの予定で動き回るので、静かなデリーの暮らしが坦々と行われていた。

新人三組も次第に脱皮し始め、少しずつ個人的な食事会などにも招待されたり各々の知り合いを増やし始めた。

北川怜子と親交を深めた美沙たち夫妻は北川家の小さな夕飯の席に招ばれて、独身の大使館員、子供の小さな商社員夫妻、新聞記者夫妻と同席した。子供は家に子守と残して来ていたが。

皆ゴルフ仲間として親しいらしく爽やかな夕食会になった。

「片山さん、どうですか?デリーの夏は・・・これからどんどん暑い日は続きますからね、こうやって皆で飲んで歌って、暑い暑いといいながら過ごしていくのがいいのですよ。今度は一緒にゴルフやりませんか?」

片山翔一郎はゴルフを好むので道具を持って来ていたが、派遣のための研修中に

『娯楽性の強いものに父兄とあまり同席するのは好ましくない』と聞いていたので、曖昧に返事してにこやかに過ごしていた。

美沙は、その夫に対して、『もう少し愛想よくしたほうがいいのに・・』など思いながら、奥方たちとの会話を楽しんでいた。

翌日北川家に昨日持ち込んだ一品料理の皿を受け取りに尋ねると、また怜子がお茶に誘った。

「美沙さん、まだ緊張があるかもしれないけど、昨日の仲間は遠慮は無用よ。皆本当に気が良くて、心から貴方たちを歓待してるわ・・さっき新聞社のK夫人がお礼の電話をくださって、貴方たちの謙虚な雰囲気がとても良い感じなので今度は是非ゴルフに誘って・・って言ってたわ」

「まあ、ありがとうございます。」美沙はまるで面接試験に受かったような気持ちになった。

「片山先生がゴルフの誘いに躊躇する気持ちわかるし、正しい!!
でもわきまえて付き合っていかないと、ここの社会は狭いから保護者ばかりだし。
それに皆インドで頑張ってるということには変わりないもの・・大丈夫少しずつ気を
許していっても・・3年間たのしまないとね・・」

「はい!!ありがとうございます。私もゴルフやれるのかなあ?」

「もちろんよ、ここは安いし、そしてクラブのインド料理が美味しいし、孔雀たちは遊んでるし・・あ!!でもブッシュにはコブラの赤ちゃんもこの時期いるから気をつけてね・・」と
悪戯っぽく怜子は笑った・・

「コブラの赤ちゃん!!」

絶句する美沙をみて、サーバントまで笑っていた。

インドはまだまだ面白いっことがあるらしい、と美沙は思ったことだった。

「そうそう、カシミールでのできごとはもう結構噂になっているから覚悟してきなさいね。」

「え?なんで?誰かしゃべったの??」

「多分ね、学校関係の誰かにしゃべれば。悪気はなくても、伝わっていくのがここの社会・・でも大丈夫よそんなことで人を評価するような人とは深く付き合わなければいいし、堂々としてればいいの。貴方は分が悪いかもしれないけど、何も言わない方が得策ね。
山下さんの奥さんはどうもおしゃべりだし、話題が乏しい分あることないことしゃべってるわね・・でも、それもストレス解消方法!!
彼女はそうでもしないとお子さん抱えてこの地での暮らしはきついんだと思う・・
かく言う我々も、こうしてしゃべってるわけだし・・・・」

美沙は呆れて言葉を失ったが・・気持ちがふさいでも、いた仕方ないことなのだ、と
諦めざるを得なかった。

それよりもこうして情報を入れてもらえることに感謝した。

ここはなかなか厳しいデリー日本人村なのだ。

この旅も皆三組がさらに仲良くなって帰ってこれるかどうか、皆こうやら注目していたらしい。

教員仲間でもさりげない探りがあったこと、また怜子には美沙も全て話してしまった。

すごく自然なことであったし、文子にしてみれば、かなり被害者意識が強くなっている。
そう感じて、大人しく静観しようと、心に決めた。

人と付き合い人を信じていくにも、こうして語る・・ことが大きな手段になると人生の中での大きな試練を迎えているらしいことも感じていた。

 つづく
# by akageno-ann | 2008-01-11 09:20 | 小説 | Comments(2)

カシミール その後

「やってしまいました。」

美沙は北川怜子の家の居間で、カシミールのできごとを話していた。

カシミールに意気揚々と出かけたのはつい1周間前である。

オベロイに前後1泊ずつ、ハウスボートに1泊、パハルガムというヒマラヤの麓に2泊、グルマルグという高原に1泊して一応無事デリーに戻ったところである。

帰りの飛行機はほぼ2時間を全ての人々が沈黙して、またグッズリ眠って、行きの飛行機で機体の古さを心配したことなども忘れて戻ってきた。

この1週間、三組の新人がいよいよ新人から足を洗った感じに、脱皮し、しかもその脱皮の仕方は各々に方法が違っていた。

山下文子は、一番己をさらけ出し、いわばもう怖いものなしになっていた。

顔つきも最初の頃よりさらに目が引きつってみえ、時としては取り付く島がない様子を見せた。

平田よう子は日和見主義を露呈、優柔不断なのは片山美沙だった。

夫たちは妻の素性が知れたらもう気取ることはないと思ったのか、かえってフランクに話し合っている。

夫たちはさすがに、日本の役所を背負って働きにきたことを自覚したのかもしれなかった。

「それで、どうだったの?」

怜子(さとこ)は興味深げに聞き入った。

「山下さんはとにかく自分の家族が第一で、子供がない私に対しては大きな偏見を持っています。平田さんと教員同士の繫がりがあることにも嫉妬するし。最後は取り付く島がなくなってしまって」

と、美沙は疲れきった様子で話し始めていた。

「あたりまえでしょう・・自分に小さな子供がいてごらんなさい、それは母親として当然のことだわ・・・・・・と思ってあげないとね。」

怜子の言い回しにちょっと笑って気持ちがほぐれた美沙は、ほっとしてさらに話しを続けた。

「インドに来ているのですから、多少はこちらの風土だって認めないといけないと思うんですよ、平田さんにいたってはお子さんが風邪を引きかけたといってはグルマルグの全てを否定しようとするし、もう会話についていけなくて。日本で電話しているときはそんな人じゃなかったんですけどね。」

グルマルグはオベロイよりは山間部にあって、イスラム教徒が多くいるせいか少し欧州の香りもし、山ふところに抱かれた小さな宿舎では食事も粗末な上に雨に降り込められて少々怖い思いもしたのであった。

「まあ、3人3様なのだから、まだなれない場所での暮らしには不安がつきまとい、そこを人に話し、時には当たることで気持ちを落ち着けていくというタイプの人もいるわよ。」

「主人たちはのんびりしていて、気楽なんですよ。」

「そうよ、それでいいの。ご主人の仕事は過酷よ。
その上奥方たちのいざこざに巻き込まれると大変なことになるから、なるべく良い環境を作ってあげてね。
と、かくいう私はこうして病気になって日本に帰っていたのだから、偉そうなことはいえないわ。主人の足を引っ張ったことになるもの。」

「そんなあ、病気は仕方がないことでしょう・・・」

美沙は怜子の言葉を強く否定した。

「ありがとう、美沙さん、でもね、デリーでこんなことに、しかも私は医療関係にいたでしょう。
だから、ここまできて自分の健康管理ができていないって、言う人はいるのよ!」

美沙はびっくりした。その顔を見ながら怜子は、

「日本じゃないの、ここは。皆必死でここでの仕事を遂行させて帰国することが第一!!
家族は遊びに来たんじゃないの。その仕事をする夫のサポートよね。単身の人の家族は殆どお子さんの教育問題がここではうまくいかないから、止むを得ず日本に残り、奥さんが留守宅を守ってるんだと思う」

穏やかながらしっかりしたその言葉に意見を差し挟むことは、今の美沙の知識ではできることではなかった。

「とにかく、厳しいことをいうようだけど、ここではまず自分の家庭がうまくいくことが第一、友人はできないと思って、こうしてちょっと話が合いそうな人々で集まって日ごろの憂さをちょっとだけ晴らす・・あとは黙って静観する。それがここで無事に生きていく処世術なのかもしれないの」

最後の言葉を曖昧にしてくれたことが、この時の美沙にとって唯一の救いだった。

「私はまだまだここの生活がわかりませんけど、こうしてたまに聞いていただけますか?」

と、怜子の機嫌を伺うように美沙は尋ねた。

「ええ、これから学校関係でない人たちとのお付き合いもでてくるし、そういうことをまた大事にしていくのも生活が少しでも楽しくなるこつよ。今度若い方で私の友人を夕食に呼ぶから一緒にいらっしゃいね、学校関係はいないわよ。」

と、ウインクする怜子の茶目っ気に大いに期待してしまう美沙がいた。

カシミールの後半は人間関係は冷えてしまって、そのあとのパハルガムというヒマラヤの麓の壮大な場所でのポニーに乗ってのトレッキングも最後に大雨に降られてびっしょりになってしまったこともあって、楽しい思い出にならなかった。

しかもそこへは結局平田家は娘のめい子の風邪気味を理由に、きまづい関係になっていた山下一家との二組で出かけた。

平田家はオベロイが気に入って、そこに戻ってしまったのだ。

夫の久雄が、常に妻の機嫌をみて行動するその家庭が、美沙にはこのインドにおいては少し羨ましくなっていた。

 つづく
# by akageno-ann | 2008-01-10 11:15 | 小説 | Comments(4)

ハウスボートでの事件

その夜、事件は起こった。

食事は思ったより美味しいと、平田よう子が認めたから、間違いなくここのインド料理は上品な味わいだった。

ホテルオベロイのダイニングのバイキング形式のインド料理を美沙と翔一郎は思い切り堪能していたが、子供連れの二組はあまり食が進まず、美沙たちを半ば呆れ顔でしかし

「いいわね、片山先生のお宅はインドが合ってらして・・・」という言い方で羨ましがれられた。

美沙は彼女の中学校時代から進学校にいたせいか友人たちも好奇心旺盛・・前向き志向・・と、個性豊かな連中に囲まれていたせいか、
「人は人、自分は自分という思いの中にも協調性というものを尊ぶ」その学校の校風でどんなところでも同じ精神で進んでいく力を身につけていた。

多少の厭味も笑って受け流すという術を知っていた。

兎にも角にもこの旅を成功させて、次のデリーの暮らしに役立てたかったのだ。

が、いくつもいくつも押し寄せるインドの試練は果たしてそいう果敢な気持ちでいる美沙をくじけさないでおくことができるだろうか?

それが今の一番の疑問だが・・本人はおそらくできる・・・とこのときは思っていたのだ。

6人の大人と3人の子供たちが、まあまあの広さの船のダイニングで集って日本語だけで和気藹々と食事が摂れたのもこのハウスボートならではのことで、一同は一様に喜んでいた。

その様子を見ながら、オーナーの男と召使の男も心なし嬉しそうに佇んでいた。

片山夫妻と山下氏はインドビアのキングフィッシャーという銘柄を飲んでそれなりに美味しく感じ、 ほろ酔いだった。

その時、山下文子が叫んだ・・・

「いやだ・・このミネラルウオーター・・新しくないのじゃないの??
蓋が簡単に開くわよ・・だいいちこのボトル古いじゃない・・・」

ミネラルウオーターを見ながら叫んでいるから・・たとえ日本語でもオーナーには理由は歴然と理解できた。

「ノーマダム・・ノープロブレン」

慌ててそのボトルを取り上げ そうにして叫ぶオーナーに向かって文子は言った。

「シャーラップ・・・だまりなさい・・私たちを甘く見ないで・・・」

その顔を赤くして怒りをあらわにするフ文子の様子に一同は一瞬たじろいだが

そのオーナーのインド人はひるむ様子もなく、

「この男が悪いのだ!」

と、まるで活劇を見るように召使の初老の男を突き飛ばした。

「子供たちの前だわ・・やめて!文子さんも気を落ちつけて」と
美沙が取り成したことで、かえって文子はエスカレートしていった。

「貴方ね、子供がいないからそんな暢気なことが言えるのよ。こちらは子供の命がかかってるわ。」

その言葉に初めてたじろいだ美沙は押し黙った。

「いや、美沙さんはそんなに無神経な人じゃないでしょ。」とよう子が取り成すと

「あなたたち二人は最初から教員同士で仲が良いからそうやって庇いあうのね!
いいのよ、私はいつもこうして一人で戦ってきたわ。」

そういう女たちのバトルをみて、オーナーはこの三組の日本人は今までの客の日本人とは様相が全く異なる、と初めて甘さに気付くのであった。

「文子、やめなさい、それは君がちょっと言いすぎだ。」

初めてゆったりと文子の夫の山下氏は口を挟んだ。

穏やかな美男子で物言いが全て決まる。

「また貴方がそうしてのんびりしているから、私が子供たちのために苦労するのですわ。」

雲行きはそこここに暗雲たちこめているようで、それぞれのこれまでのインドの生活の憤懣にさらに油を注ぎ火をつけるような勢いになった。

平田家の明子(めいこ)が泣き始めた。

その哀しい泣き声に一同は改めてはっと気付かされだれともなく

「ごめんなさいね・・悪かったわ」と

声のトーンを落とすのだった。

そして、その場はオーナーが

「食事代は無料にするから。」と謝罪を述べて、一先ずその場は収まりを見せた。


 つづく
# by akageno-ann | 2008-01-09 10:56 | 小説 | Comments(6)

ハウスボート

カシミールの過ごし方には日本人には日本人の、一応セオリーがあるようで、オベロイホテルで過ごしたあとは、付近のダル湖かナギーン湖というあまり美しいとはいえない湖にこれまたあまり綺麗とはいい難い船上ホテルが何隻もならんでいる、そこへ宿泊するのも一考らしい。

その一団も その中で、世界の有名人も泊まるという一隻の大きな釣り船風のホテルを三組で借り切った、と聞いていたので、ホテルから例のタクシーでダル湖に向かった。

何が起こるかわからない・・これぞミステリーツアーだと大きな声で言い切れるインドの国内旅行。

予想に反さず・・予定通り、次のお約束は・・あった。

タクシーが川岸について、三組の家族は荷物共々下ろされ、向こう岸近くに停泊する船宿まではシカラという渡し舟で川を渡るという・・・風情があるようだが・・なんとなく怪しげな雰囲気が漂っていた。

川岸にはとにかく浮浪者のようなインド人の男がたむろしていて、別に危害を加えそうな雰囲気はないのだが・・・きた来た来た・・・という感じで一つの荷物に3人くらいずつが一斉に群がる。

その浅ましいまでの仕事の取り合いを眺めているわけにはいかない・・自分の荷物の確保と共に誰に頼むかを即決せねばならない。

北インドが人が悪い、とまで言わせるのは・・・・この職業難があったのだ。

観光客相手の仕事など、そうたくさんわるわけでなく、ひとたび捉まえた客をそう安々と手放せるわけもない。

しかも、日本人は金離れがいい、チップや物をくれるのだ。

しかもこの子連れの一団体はかなりリッチな旅をしているようだ。

と、彼らはピラニアのようにくいついている。

平田よう子は もう  うんざりだといわんばかりに泣き始めた。

「パパ、もうだれでもいいわよ・・早くして!!」

「はい、もう貴方と貴方・・あとは帰りなさい」と山下文子は二人を雇った。

一番綺麗気な男だった。

片山翔一郎は憮然として

「自分で運ぶからいい」といって荷物を奪い返した。

別に捕られるわけではないが、どうなるのかは流石に不安になった。

平田久雄は申し訳なさそうに一人を選んであとはお引取り願った。

だが外されたインド人が暴動を起こすわけでもなく・・静かに散っていったことが逆に不思議だったくらい、あっけなく彼らは去っていった。

しかしこの手のやりとりはここにいる限り永遠に続くのであったが・・・

シカラはあまり大人数は乗れないので、三艘にわかれてそれぞれの荷物と一緒に乗り込み、泊まり先のハウスボートに到着した。

若い男と、その召使いをしているような初老の男が待ち受けていた。

大歓迎をするような手振りで。

先ず船内ツアーを行った。

しかしどうも平田よう子などはすぐにもオベロイホテルに帰りたいような顔をしていたが、
誰一人不満を言わないので、かろうじて抑えていたようだ。

片山美沙は興味津々に各部屋を覗いている。

その彼女を少々嘲笑うように見て、山下文子は毅然と

「この一番大きな部屋をいただいていいですか?」

と、語った。

平田家も片山家も異存はなかった。

その次に問題になったのはその夜の食事だった。

台所は岸にある家の方だ、というので女たちは子供を夫たちに任せて
見学に行った。平田よう子はしっかり日本米を持って来ていた。

「今日はこれを炊いてもらいましょう。」

インドの主食に米はあるので、釜はある。簡単なものだが日本と同じように炊くことを知っていた。

台所には先ほどの若い男の妻なのか、若くて小奇麗な女がいて、にこやかに迎え入れた。

インドのカレー料理の香りがしていた。

すでに用意しているのだ。

主菜は鶏肉でチキンティッカという焼き鳥だそうだ。

まあ痩せてはいるが、鶏が捌かれていた。

この状況にも日本の女たちは既になれていた。

米は自分たちで炊かせてほしいというと、快く場所を提供した。

水はミネラルウオーターを頼んだ。

気休めであっても日本米を完全に炊き上げたい思いからだったのだが

ご飯をミネラルウオーターで炊くことが果たしていいのかどうかわからなかった。

ただただそこの水が信じられなかった。

そんな3人の女のやっていることをオーナーの男はニヤニヤしながら見ていたのである。

 つづく
# by akageno-ann | 2008-01-08 21:27 | 小説 | Comments(2)

カシミール oberoi

オベロイホテルの部屋は全て1階で、広い中庭に面し、部屋の窓を開けると爽やかな涼風が入ってくる。

「ここは八ヶ岳のようだわ・・」

と、中学校の教員だった美沙は日本の夏の八ヶ岳の合宿施設で感じた高原の風を思い出していた。

すったもんだがあったせいで、昼食をとる前にすっかり疲れ切った三組の家族は、まずそれぞれの部屋でゆっくりしようということになり、三々五々に別れた。

一応3時のお茶を一緒にしようと、約束して・・・・

部屋に入ると落ち着いた高原のホテルの部屋は日本のそれと殆ど変わらず、一瞬で寛げる空気を感じ取ることができた。

美沙は子供のようにベッドに飛び乗って

「あああぁぁぁぁぁぁぁ・・・・つかれた~~~」とその旅の洋服のまま倒れこんでしまった。

「これが避暑かあぁぁぁ~~~~~」と実感する翔一郎と共にそのまま睡魔に襲われてしまったのである。

「寝れる寝れる・・・」と夢の中で小さく叫びながら、それぞれの睡眠に深く落ちていったのだ。

夢をたくさん見ているようだが・・・あとで思い出すことはできなかった・・・・

体はもうベッドに張り付いたように離れず、時間はどんどん過ぎているとわかっていても目を開けることができなかった。

しかし・・約束がある・・・と思いつつ、時計をみると 三時半だった。

「あなたあ・・・もう時間だわ」

夫もそれはもう深い眠りに落ちているので、美沙は一人でとりあえずロビーに出てみた。

日本人はだれもいなかった・・・

庭を見回しても子供たちも遊んでいない・・・

美沙にはすぐに理解できた。

皆疲れているのだ・・・むさぼるようにこの涼しい空気の中で美味しい酸素を吸いながらゆっくり眠りを楽しんでいる。だからまだだれもここへ出てはこないのだ・・・

美沙はゆっくりひとりで庭を散策し始めた。
少し肌寒いような空気に変わり、この空気はちょうど日本を発つ時の日本の気候だ・・と思った。

庭の向こうに大きなテントがあるので行って見ると、野外のティルームになっていた。

インド人スタッフがにこやかに迎え入れてくれた。

「グッド アフタヌーン・・マダム」

優しい声かけにフラフラと誘われてテーブルについた。

「ウジュ ライク サム ドリンク?」

デリーで日ごろ使っている ジャパニーズイングリッシュとは異なる正しいイギリス英語が耳に優しい。

「ティ プリーズ」

少し気取って、だが思い切り笑顔でオーダーした。

「イエス、マダム」

先ほど空港でもめたタクシーの運転手との会話とは全く違う、客への丁寧な英語だったのだ。

美沙は一人で味わう初めての北インドの空気と一人のマダムとしてのホテルライフを満喫していた。

「美沙さん、楽しそうね・・・」

お茶を飲んでいると、平田よう子がやってきて、笑顔で横に座った。

「よく眠れたわね・・・今皆さん集まりましたよ。」

「私も寝過ごしたと思って急いで来てみたけど皆さん疲れていたのね。」
と、美沙もよう子に紅茶を勧めた。

その午後は皆それぞれにゆっくり過ごす事にして、よう子と美沙はしばらくその場に身を置き、

ホテルの部屋の前の庭のブランコで幼い子供たちがよう子の夫や山下一家と一緒に遊ぶ姿をまるで一幅の絵画を見ているように穏やかに眺めるのだった。

 つづく
# by akageno-ann | 2008-01-07 22:52 | 小説 | Comments(4)