アンのように生きる・・・(老育)

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かけがえのない日本の片隅からの発信をライフワークとして、今は老いていくにも楽しい時間を作り出すことを考えています。

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どの局でもイチロー選手のことを取り上げて、その偉業を讃えている。
常にストイックな回答をするイチロー選手はこの日涙をこらえていた。
皆に最後の勇姿を期待されて、その1本が出ないことへの残念さを
一番感じていたのもイチロー選手だと思うが、最後のゴロが内野安打に
ならなかったことも 彼の引退決意の大きな要因だったのだ。
それを自ら認めて、見事に第一線を退いた彼へ改めて敬意を表します。

まだ45歳・・しかしその姿は老成していて、さらに年配にみえた。
白髪をそのままに年をとられたな・・と感じた。
それだけ人より苦労し努力し前進し人生に謙虚・・

本当の謙虚さというのを知る人は少ないのだな・・と思った。
父コウイチローは 謙虚さを追求していたが その域には達することは
なかった。
勝ち気で娘には絶対に負けたくなくて・・
しかし他人には 常に謙虚でいたい、と努力していた人だが
同族だからわかるのだが、勝ち気さが残る以上不可能なのだ。
ここまできたら中途半端なストイックさより素直に楽に生きてほしい
父がそれができないのならせめて私たち姉妹はそうしていこうなど
父の病床で話したりした。
父は娘たちが行くより、その連れ合いが見舞いに来ることを喜び
孫たちが来ることに感動する・・
なんとも古い形の日本男児・・

イチロー選手が引退会見で静かに奥様のこと飼い犬の柴一弓ちゃんの
ことに触れたのも温かくてほっとした。

父コウイチローの病床にあっても男子優先の頑なな心に疲れるが
そこは笑ってやり過ごさねばならない。
生い立ちの中で何かそういう辛い部分があったのであろう。
実の母を終戦の満州からの還り船でほぼ亡くしてしまうことになるような
人生であったことも 実父の嘆きを見ながら自分が家長の代理をしなくては
ならないと心を強くしたことも
貧しさから一念奮起して東京に出たことも 今成り行きでここにいる
私とは精神の作りが違うのだから親だからと言って決して批判できない。

しかしどうぞ父よ・・心安らいでほしい。
医師も看護士も若々しく爽やかな雰囲気の病棟に運んでもらえた。
そのことに感謝し、進んでいきたい。

外は寒の戻りのような寒さだが桜は一輪ずつ咲き始めている。

# by akageno-ann | 2019-03-23 23:28 | 老育 | Trackback | Comments(0)

3月20日

今日は父の孫が一緒に見舞ってくれた。
一昨日大学を卒業し、「おじいちゃんに会う」と言ってくれて
私も同行者が増えて有り難かった。

孫が来たと知り、父は一瞬泣いた。
それを見て孫は少し驚いた。
「どう?おじいちゃん・・」と聞くと
「予想はしていたけれど、ちょっと・・」と言葉を濁した。

正月に集まったときからおじいちゃんの様子は急に変化していたというのだ。

しかし父は私と母の前ではそして近所の人の前でも自分は何もかわっていない、と
家長としてしっかりと君臨していたのだ。
病院へも一人で行きたがったし、買い物も当たり前のように一人で、しかし
同じものを何度も買ってきたし、病院が新築したのでドアを開けることができなくなっていた。

一つ一つ混乱していると思っていた私は間違っていた。
混乱ではない。できるはずのことをよく考えて確かめて不安になっていたのだ。
舅の時は35年一緒に住んでいたから次第に弱まっている力をこちらがすぐに手助けできたが
父はなんとか自力でというプライドがしっかりとあって、娘に助けられるのは
とても嫌だったのだ。
それが病院のベッドにあって、起き上がれなくなって・・屈辱を感じているようだった。

看護もリハビリもとてもよくやってくださっていても、父は自分で普通の暮らしをしたくて
しかたがないようだ。
見舞っていて、頑張って・・という言葉は一番父には合わないのだ。
頑張ってきたのだ。この2年は特に母の介助を真剣に自分のカリキュラムにのっとって
行っていた。
「いいんだ、かまうな・・」とよく檄を飛ばされ、けんかすれすれになったが
あの怒りは自分の中の思うようにいかないもどかしさだった。

病床にある父との暮らしがここに始まった。
母は私と盃一杯だけの日本酒を楽しみ、女子の世界フィギュアスケートを
のんびり楽しんでいる。
母娘の二人きりの暮らしも二週間になった。

夫は犬の介護と子猫の飼育をしっかりやってくれてるようだ。

# by akageno-ann | 2019-03-20 22:52 | 老育 | Trackback | Comments(1)

3月18日

前兆   というのは 必ずある
しかし その前兆は様々な経験と健康に対する謙虚な気持ちがないと
気づくことは難しい。
ましてわかい人はまさか・・と思う気もちがあるから発見が遅れることも
あり、また病院に行く時間がない、と後回しになることも・・
今回の父は一週間程前から足がつる、と言っていた。
頭痛をあまり訴えなかったのでさほど心配していなかったのだが
寝付きが悪くて、朝が遅い・・朝は寝室を覗いて呼吸を確かめるのは
舅の時と同じであった。

今回幸いだったのは 父がベッドを嫌っていたことだ。
ベッドの方が立ち居が楽なのではないか・・と提案していたのだが
立ったり座ったりを全く苦にしていなかった父はそのまま布団を
敷いて寝ていた。その朝起き上がれなかった父は布団から少しはみ出した
状態でヘルパーの方に見つけていただいて助かった。

従妹の時は頭痛がひどくて少しベッドに横たわり・・その後ベッドから
落ちてしまったのだった・・

高血圧はわかい人も起こりうるので十分気をつけられたい。
父はこれまでストイックに生きていたので病床にあることが
辛くて悔しくて仕方ない様子だ。
この頃は体をさすらせてくれるので短時間だが体中をさすって帰る
それだけ・・・
四肢が動いているので少しでも立って歩く練習ができるといいのですが・・
と 機能回復士の方が努力してくださっている。

ただただ感謝なのだが・・従妹の時と同じようにまだ気力が戻ってこない
従妹がとにかく声援を送ってくれていることを告げると「わかった」といい
孫が大学の卒業式だ、と伝えると そうだったか・・と
反応した・・・
母は しっかり二時間ほどを留守番してくれた。
「お父さん、どうだった?」と案じている母は認知症の進みが
止まったようにも思える。
今日は二人でちらし寿司と天ぷら蕎麦を半分こで食べた。
「おいしいね、お父さん食べられないのね」と
母が呟いた。





# by akageno-ann | 2019-03-18 22:21 | 老育 | Trackback | Comments(0)

3月16日

この頃アポ電強盗などのニュースが痛ましいお年寄りの殺害にまで
至っていることもあり、よそ事ではありません。
危険は高齢者に確実に忍び寄っています。
我が両親もそういう電話におびえたことがありました。

一昨年春 一年の留学を終えて、帰国するという孫からの連絡を待ちわびて
いたその日電話がありました。
「おじいちゃん・・」とかかってきたので 非通知だったようですが、疑うこともせず
「Yか!」と名前を呼んだのです。
「そうそう!あのね お金盗まれちゃって・・」と話は続き
空港からのはずが会社からというので 父もそこで気づき、いったん電話を切り
すぐに警察に相談しますと 警察がすぐに来て 電話に出て話を聞き
それにのってほしい・・との提案があったそうですが やはり二度目の電話には
懐疑的に会話をしたせいか相手が切ったようです。

こんなタイムリーもあるのですから、待ちわびる孫の帰国に気持ちも動転したようで
私もすぐに実家に行き、様子を聞いたものでした。

この頃から妹と代わりばんこに実家に通っていたので、異変に気づくことができ
なんとかここまで大きな事件には巻き込まれずにいましたが、小さな出来事はいろいろ
ありました。

まず 近くの地域の金融機関でATMの暗証番号がわからなくなり、窓口に行くと
印鑑をもって来るようにいわれ、持って行った印鑑が違ったものでけんもほろろの
待遇を受け途方にくれて佇んでいる両親に実家に向かっていた私と夫で出会い、
急いで一緒に窓口に行くと やはり一人の女子に厳しく言われたので一旦家に帰りました。

いくつもある印鑑のうちの一つであろうと思われましたが、ここは元銀行員の妹に
連絡を取ると翌日すぐにかけつけてくれて、家族四人で金融機関に赴きました。
すべての印鑑の中にあてはまるものがあり、ほっとしましたがあまりに高齢者に厳しい
態度に これはこちらはやめた方がいいな・・と引き上げました。

金融機関が厳しいのは正しいのですが、あのときの惨めなほどしょんぼりした両親の
様子は忘れられません。
それ以来郵便局も銀行も必ず同行するようになりました。

そういう意味では厳しくされてよかったのです。
高齢の親とともに歩むということが必要な時代になってきました。




# by akageno-ann | 2019-03-16 21:35 | エッセ- | Trackback | Comments(1)

3月14日

母は父のいないこの家の家長となってしっかりとしてきた。
認知症といっても私との暮らしの中で70パーセント理解していると思える。
認知症でも成長すると感じる。家庭のなかでは叱るという場面が出てくる。
母に対して失礼なのだが、瞬時そのことはだめよ・・と言った方がいいときが
ある・・「ごめんなさいね こんな娘で」と時に謝ることがあるのは言い過ぎることが
あるからだ。

しかしその時の母は許してくれる。
この頃とても自慢話をするようになって ご近所の方やヘルパーさんに同じこと
何度もいうので申し訳ないのだが、許してもらいながらも母にやはり注意している。
いいのよ・・と専門家はいうが、それでいいのだと思えない。
何事もやってみるという私の癖は母にはまだ可能性を見る。

父は回復しているが、今までのように動き回れないし、まだ水や食事を自由には
とれないもどかしさに苛立っている。
今日は私が父をなだめようとすると
「大丈夫ストレスを解消してるだけだから言わせてくれ」との言葉はしっかり
父が戻ってきていると感じているが、しんどいことだと思う。

若いリハビリ士の方には本当にお世話になります。

若い人に会えるのは私もとても嬉しい・・今日はお隣の大学生が母上と
母を見舞ってくださり、小さい頃から親しんでくれていたので暖かい気持ちに
本当に支えていただいた。
ここに両親の手伝いに戻って 様々な新しい出会いがあり、心から嬉しい・・
それも両親の加護なのかもしれない。

# by akageno-ann | 2019-03-14 21:58 | 老育 | Trackback | Comments(0)

3月13日

父は幸いにも起き上がることができるようになり、若い機能回復士二人に促されて
今日は立ち上がり車いすに移してもらった。これからが大変なリハビリになるのだが
教員だった父を時に「先生」といって励ましの声をかけながら行ってくれているのを
今日は見させてもらった。

実に早い対応の新しい病院でこうなると自宅に戻る日を想定しながらこちらもいろいろ
準備をしなければ、とヘルパーのリーダーさんと妹とで話し合っている。
従妹の発症した当時私もまだ若く舅と彼女の世話を元気に行っていたが
これからは自分の体のきくような生き方をしなくては・・と妹や従妹のケアマネージャーからも
言われ、なるほどと思っている。ありがたい・・
出会えたヘルパーステーションは様々な経験があるようで実によく提案をしてくれる。

そのことがずばりとあたるので本当に驚くし、感心する。
その中に「大丈夫安心してください。」という言葉をかけてくださるので
心も軽くなる。
父が何かおかしな行動をするようになったのはこの正月からだった。
私がだめよ・・ということを余計にしてしまうような天邪鬼な行動があり
一番困っていたのが タバコだった。
灰皿は居間のテーブルの上と玄関先の水屋と決めていても灰皿を自室に持っていったりして
私に叱られていた。
ヘルパーさんに だめよ・・というより 私のいるときは吸っていいですよ・・と
言ってます・・と聞いて、まねしてみるが なかなか安心できなくて終始監督してして
しまっていた。
正直今の状態は大変ほっとしている。
おそらく神様に守られた・・と思う。

父の暮らしには多くのルーティンがあるが、とにかく居間の神棚に丁寧に拝むことだった。

この二週間ほどは夜何度も何度も拝むので最初は 「もう拝んでいたわよ」と
話したりしたが、これで心が安定するならと、夜中もじっと黙って見守っていた。
そのルーティンに守られたように思う。
今のヘルパーステーションとの出会いも元々は父の発案だったと思い出した。
懇意にしている親切な街の電気屋さんのビルの一階にあり、「お気軽にご相談ください」との
一行を私も父も妹も通りがかってはみていたのだ。
昨年夏頃に 「一度行ってみようか・・」と最初に言ったのは父だったのだ・・

私は当時の地域のケアマネージャーに相談したが回答がなかったので とにかくその後秋に
なって思い切って尋ねてみた。
それが今の私たちを幸せに導いてもらっている。
お仕着せにすがるのではなく、自ら働きかける・・私の老後の暮らしはそんな風に始まっている

そしてこの日ヘルパーさんに母を頼んで夕方の銭湯に行ってみた。
不思議な出会いがあり、父と同い年のとても若々しくお元気な女性と出会った。
それはやはり年配の女性がその人に声をかえたことから始まった。

声をかけた女性も一人暮らしの後期高齢者だったがその父と同い年の方もずっと一人暮らしだと
いう。矍鑠として体は若々しくお風呂は心配だから銭湯にしているという。
いい生き方だな、と心まで温まった。

# by akageno-ann | 2019-03-13 21:46 | 老育 | Trackback | Comments(1)

3月11日

2011  3.11  この日は平成の中で一番日本にとって不運な震災が起こった。
ちょうどあの日は 近隣のコーラスの仲間が我が家で8人ほど集まって、少し歌って
お茶会になった。最高齢は81歳 母と同い年の方が二人いらしたがお二人とも一人暮らしで
頑張って暮らしていらした。今もお二人はそのまま頑張っていらっしゃる。

午後2時46分 埼玉の我が家も 大きく揺れた。幸いものが落ちることはなかったが
皆で心配してテレビをつけた。
信じられないことが起ころうとしていた。
津波 その恐ろしさを昔話のように知っていたとしても あのような想定できない範囲の
津波が東北地方太平洋側に起こるとは夢にも思わなかった。
友人たちも住んでいるし、一応ダメ元で電話したがもちろんつながらない。

我が家のお茶会はそのまま一人暮らしの方の一時避難場所になった。
家族との電話はメールはつながるが電話はつながらず、夜まで何人かが残った。

その頃から少しずつ被害状況は報道され・・しかし仙台空港が水浸しになる様子や閖上地区が
多くの被害を受けていることなど恐ろしいニュースばかりで阪神淡路大震災のときよりも
拡大しているようにすぐに感じ取れた。

とにかくまだ揺れる可能性もあるのだろう。
舅も家にいたし 実家ともなんとか連絡が取れてそれからテレビのニュースに釘付けに
なった。
あれから8年 それぞれ皆とそれだけ年をとり状況も変わってきている。
ふと今のこの現状をありがたいと思わねばならないとも感じている。

人間が命を落とすのは寝床の上・・それが一番幸せなのだ・・と祖母が言っていたが
つくづくそう思う。
昭和一桁生まれの戦争中に青春を過ごした人々が今80代の後半を迎え、我が父のように
自分の人生の終末期を迎えている。
自分たちでなんとか最後まで生き抜きたい・・との意志強くいた父が命はつないでいるが
初めて病院のベッドに過ごして一週間になる。
夢をみるのかいつも今の状況を把握できていない。
しかし今は安心させることしかできなくて、「そうよ・・大丈夫 疲れてるのだから
ゆっくり眠って」と繰り返すと 眠りにつく。
話しかけるとそれに必死に返事しようとするから
静かに見守ることにしている。

従妹も2週間眠り続けた・・そして目ざめた。
母を連れて行く日を様子を見ながら、母を父の代わりに守らねばならない。
震災のためにご家族を失ったり様々な形で未だ大変な状況下頑張っていらっしゃる
方々に対する敬意を持ちながら進んでいる。

# by akageno-ann | 2019-03-12 22:54 | 老育 | Trackback | Comments(0)

3月3日

少し遡るが雛祭りの日に父の誕生日をささやかに行った。
埼玉の地酒のよいのを主人が持ってきて一緒に飲み父はご満悦であった。
本当は孫たちにも声をかけてほしそうだったが この時期忙しいようなので
取りあえず我々だけで・・
一日にも小さなケーキを食べたし今月はバースデイマンスリーということで何度やってもよい
と思っていた。
米寿の祝いも簡素にした、父によればあまり派手にすると命が縮むと誰かに聞いたらしい。
しかし父は後輩のかつての同僚たちに囲む会を正月にしていただいていた。

幸せなことだと話していた。
3日は主人とほどよく日本酒の杯を重ね、雨であったが二人でタクシーで近くの神社に
参拝した。

毎月お一日は必ず一人でも行っていたが、最近足がおぼつかないので主人が付き添ってくれたのだ。
それをずっと喜んでいた。

そして昨日覚醒したときに「3日はよかった、神社にも行けて」と話していた。
かなり記憶が戻ったと思ったが、10日の今日は自宅にいると錯覚しているのがわかった。
その焦る父の思いが気の毒で長くはいられなかった。

明日はまた親族の青年がきてくれることになっている。
喜んでくれると思う。

# by akageno-ann | 2019-03-10 22:12 | 老育 | Trackback | Comments(0)

3月9日

3日間痛みをうわごとのように訴えていた父は今日は看護士さんに
促されて寝ながら手足を動かすまでになっていた。
15年前の従妹が脳内出血で倒れた時とは入院してリハビリを開始するのが
早くて有難い
おおお前か・・と私の名前をしっかり呼び、続けて来てくれた父の従弟の娘も
しっかり認識できた。
ぐっときた。
右手は動いていた。足はまだ知覚できないでいたが何度か試してくれていた。
従妹のときもこのくらい早くから機能回復のリハビリが始まっていたらと
今も悔やまれる。
あれ以来リハビリは実に進歩してきている。
従妹も父のことを一番に考えて、私のことはいいからと言ってくれるが
そのことの方が胸がつまる。

私の中ではいつも悔いが残っているが、仕方がないとなってしまう。
ただこれを読んで下さる方に何か役立ててもらえればと思う。

父は昨年11月に大変痛がった帯状疱疹に罹った。
最近のニュースで、その後脳梗塞を発症する率が高いと聞いたが頷けることがあった。
あの痛みのひどさで父は多分脳の中にストレスのようなものがあったように思う。
あれ以来様々な奇異な行動があり目を離せなくなりつつあったのだ。
自分の思うこととやるべきことがちぐはぐになり苦しんでいた。
しかし今日は素直に疲れたことを口にしていた。
勝ち気でストイックの塊のような父の心が癒えていて欲しい。

# by akageno-ann | 2019-03-09 22:39 | 老育 | Trackback | Comments(0)

3月6日

父が倒れた
前日夜の電話では「明日何時に来る?」とのいつものしっかりとした
声の父だった。
早朝は最近ヘルパーさんに頼んでこの日は妹が午前中の実家当番
私は朝から従妹を訪ねて スマホの使い勝手が難しいとの話をして
ちょっと機種変更を考えようと、自宅に9時に戻ってきた。
さて今日は午前中久しぶりにゆっくりして池袋の本屋によってみようか?と
考えていたところに実家のヘルパーさんから電話があった
しかもリーダーの携帯から
「なにかありました?」と自然に恐る恐る受信すると
静かな声で「お父様が起き上がれないでいらっしゃるの」と
その穏やかな声に本当に救われた。
今熱をはかって毛布で温かくして一緒に寝室にいます

その受け答えで夫はすぐに車を出してくれた。
「妹が向かっていますが、私もすぐにいきます」

「待っています、一緒にいますから」大丈夫」
その声に本当に救われた。
こちらがタクシーに乗り換えるころ車で実家についた妹は
「お姉ちゃん これは救急車がよいかも」との連絡
父は意識はしっかりしていたが」動けないという。
45分後私も実家到着
頭を膝にのせて 父に話しかけながら待っていてくれたヘルパーさんの
様子に安心しながらも119番に電話する
「火事ですか?救急ですか?」
「救急です」
場所を言い 父の様子を話すと すぐ出ると言ってくれた。
救急隊の判断がよく 総合病院に搬送し早速脳内の検査結果を
昼前に聞くことができた。
穏やかな脳神経外科医のS医師がMRIの画像を見せてくれて
「脳内出血があります、がまだ少しですから入院治療しましょう」
そう言ってくださった。

# by akageno-ann | 2019-03-08 00:57 | エッセ- | Trackback | Comments(1)