音楽会
第3章 その3
美沙と理子、そして時折めい子との3人の集いはそれからも続いていた。
めい子は律儀な礼儀正しさを持っていて、それはやはり両親によって授けられたものらしく、日ごろ美沙がご馳走する食事に対するお礼のようであるが、理子をコンサートに誘ったりした。
めい子自身ピアノが堪能らしく、本人によれば、デリー時代に美沙が弾くピアノに大いに刺激を受けた、ということであったが、幼かっためい子を思えば、その後彼女にピアノのレッスンを熱心にさせたのはおそらく母よう子であっただろう、と想像できた。
いずれにしても、子供は親によってよりよい方向に導かれることを、美沙は痛感した。
よう子自身が少し子供っぽい性格であったように思い込んでいた美沙は、今 理子という同じように一人娘を持ったときに、自分こそ、彼女の本当の苦悩を理解していなかったのだ、と思われた。
人とのかかわりで大切なのは、似たような人々との関わりよりも、全く違ったものを持つ人々との関わりの中から新しい感覚を得ることが多いことであった。
夫の翔一郎が脳梗塞と言う病を得てからも、余計に新しい人々との関係が増えて、始めは戸惑いと不必要なほどの悲しみを喚起させられることもあったのだが、次第に落ち着きを取り戻し、その人々からの大きな支援を素直に受けられるようになっていったことも感じていた。
そんな折のめい子の出現は、インドニューデリー時代に少しひとりよがりになっていた美沙の感覚に新しい空気を入れてもらえたようで、人生の一つ一つのできごとは運命だと思って受け入れていく方が感覚が豊かになっていく、と感じられて、ふと幸せになった。
最近全く行かなくなっていた、コンサート・・・
めい子がチケットを持って来てくれたのはチャリティコンサートでピアノや声楽を織り込んだ国内の人気オーケストラのファミリーコンサートで東京オペラシティの武満徹メモリアルホールでのものだった。
気持ちも高揚させて、そのコンサートが素晴らしかったと、帰宅した理子はめい子をすっかり姉のように慕っていた。携帯電話のメールアドレスも交換していて、二人は愉しくメール交換をしていたのだ。
このようなことをめい子の母 平田よう子はどう思っているのか、美沙はメキシコに住む平田家に夫への見舞いの礼状を出すことにしていた。
つづく
ブログ「ひげじい~脳梗塞からの軌跡」のひげじいさんの作品です。
注 「ここに使われる絵や文章の無断転載は固くお断りいたします。
よろしくお願いします。」
「小夏庵」ものぞいてくださいね。
by akageno-ann | 2009-02-19 07:41 | 小説 | Trackback | Comments(5)
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at 2009-02-19 09:02
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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crystal_sky3 at 2009-02-19 12:07
今日のお話もいろいろ考えさせられました。
夫婦も一緒で、価値観は同じ、または似ていても、どこか自分のもっていないものを相手に求め、惹かれるものですよね。
逆にあまり似たもの同志すぎても、考える子とが一緒すぎて、
あまり学ぶことがないのかも・・・ですね^^
ひげじいさんの作品、温かくて何度見てもほっとしますね★
夫婦も一緒で、価値観は同じ、または似ていても、どこか自分のもっていないものを相手に求め、惹かれるものですよね。
逆にあまり似たもの同志すぎても、考える子とが一緒すぎて、
あまり学ぶことがないのかも・・・ですね^^
ひげじいさんの作品、温かくて何度見てもほっとしますね★
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ann
at 2009-02-20 11:02
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クリスタルさん、そうなんです。同じ考えでいいよ~~って言い合ってばかりでも成長できない互いを感じてします・・夫婦の間ではよくあって・・笑 まあそれも意味のあることなのですが、人から受ける刺激はやはり異質の物を持った方とであったときかも知れません。
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ann
at 2009-02-21 10:53
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cacaoponさん、美沙の中によう子はずっといるのですね。
そしておそらく、よう子の中に美沙はしっかり根付いているんですね。特に娘が彼女に憧れているのはきついですよね。
そしておそらく、よう子の中に美沙はしっかり根付いているんですね。特に娘が彼女に憧れているのはきついですよね。