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メキシコからの手紙

第4章 その2

平田めい子は、その日、母平田よう子からの手紙とメキシコの土産を持って現れた。

片山翔一郎の見舞いを月に2度は必ずしてくれるようになっていたが、めい子自身、美沙や娘の理子と過ごす時間を楽しみにしていた。

「今日は母からの便りとメキシコのお土産品を持ってきました。直接そちらに送らずに私経由にした母の気持ちわかってください。」

そう言って、めい子の差し出した一通の手紙と色鮮やかな美しい民芸的な織物のバッグだった。

「お母さんからなの?この様な素敵なバッグ、さすがに趣味がいいわね。」

美沙は、インドのデリー時代にお洒落で美しいものが好きだった平田よう子を身近に感じ思い出していた。

手紙は美沙が1ヶ月ほど前にめい子がたびたび翔一郎の見舞いに訪れてくれることへの礼状だった。

平田よう子の手紙

美沙さん、大変ご無沙汰しました。

先日はお便りをありがとうございます。
懐かしい貴方の美しい文字に久しぶりに触れて大変嬉しく思いました。

この度のご主人片山翔一郎先生の突然のご病気のお知らせは 北川先生がくださいました。

主人はしばらく言葉も失ってすぐにもお見舞いに飛んで行きたいと思いました。

それでめい子に電話して知らせたのです。

美沙さん、大変でしたね。

インド時代の溌剌とした片山先生の姿しか浮かばない私たちはまた元のように学校へ復帰していただきたいと切に願っています。

私たちはここメキシコシティの郊外になる日本人学校で、インド時代を思い出しつつ生活しています。

あの当時は普通の教員でしたが、管理職で渡ってくるとなかなか大変な問題もあり、デリー時代の校長先生ご夫妻のご苦労が改めて偲ばれます。

ただ気候はとても過ごしやすくて治安もいいほうなので、安心です。

めい子を連れてきたかったのですが、希望の大学に入ったところでしたから、本人の希望で日本に一人残しました。

あの子が一人暮らしというのはご存知のように主人は事のほか心配して心を痛めましたが、子供というのはちゃんと成長していますね。

一人暮らしにもなれて、今のところ順調のようです。

また美沙さん、そしてお嬢さんの理子ちゃんに出会えて、喜んでいるのですよ。

どうぞよろしくお願いしますね。

片山先生に2年後の帰国のときにお会いするまでにどうか少しでも回復していただきたいと思います。

主人は今はどう手紙を書いていいかわからない、というのでまた追ってお便りするでしょう。

最後になりましたがお送りいただいたお菓子(こちらの方が先についてしまってお手紙が大変遅かったので、あなたのお気持ちを量れなくてお礼が遅くなりました)日本を思い出しつつお客様をおよびして一緒にいただいてます。大変美味しいです。ありがとうございました。

こちらの織物は大変美しいものがあり、またここでも買い物を楽しんでいます。

貴方も一度ここへいらしてくださったらいろいろご紹介できるのに、と願っています。

でも今はどうかお体に気をつけてご主人の看病をなさってくださいね。

どうぞお大事に

お会いできる日を楽しみにしています。

                                              平田よう子

美沙の心の中にデリー時代に共に歩み、時に苦しみ、時に喜び合ったことが急速に蘇って、感動していた。

校長夫人という立場で、心が大きく成長しているよう子がそこにいた。

長い間、デリーから持ち帰ってしまった、互いの心の軋轢はここで、残念だが夫翔一郎の病のせいで解けているようにも思えた。

そして嬉しいことに娘理子がよう子の娘平田めい子に心を許している。

時の流れというのはこういうものなのかもしれない。

                                         つづく
今日は いっちゃんの美味しい食卓 おしゃれな簡単料理」がエキサイトブログのピックアップブロガーに紹介されてます。そしていっちゃんがこの小説をそちらで紹介してくださいました。こちらを覗いてくださった皆様ありがとうございます。


メキシコからの手紙_c0155326_741043.jpg
小金井公園
ブログひげじい~脳梗塞からの軌跡ひげじいさんの作品です。

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片山美沙は夫翔一郎の在外派遣教員としてのインドデリー赴任に伴い、中学校教員という職を辞して渡印した30歳前半の女性であった。

子供もまだおらず、デリーで始まった異文化の中での暮らしは戸惑うことも多く、一緒に渡った夫の同僚教員の家族との交流から始まった暮らしであったが、子供のいる家庭とそうでない家庭のここでの日々の違いから、1年早く同じ立場でここに居住していた、高知県出身の北川怜子(さとこ)の家と近くであることから、次第に親しく交流するようになった。

怜子夫妻にもやはり子供はなく、怜子自身は日本で看護士という職を退いて夫に伴われてきえいたことにも互いに共通点を見出していた。

しかし、怜子は1年目の終わりころに、子宮癌が発覚し、一時日本に帰国して手術し、抗がん剤治療を行っていた。

怜子は抗がん剤治療の半ばでその薬をインドに持ち込みながら、再びデリーに戻ってくるという強靭さをみせた。

北川、片山両夫妻は互いに打ち溶け合って、デリーの暮らしを二分するように、喜びも暑さによる苦しみも共に分かち合うのだった。

美沙の二年目の夏は二夫婦はヨーロッパに旅に出て、さらに親交を深めたかのようであった。

デリーの暮らしは厳しい暑さと戦いながら、インドの人々の文化やしきたりを学び、その中で強く生きていかねばならないことを美沙も、怜子もそれぞれの立場で感じていた。

とりわけ美沙は最初の酷暑の中で早期流産をしていまい、心と体に少なからず打撃を受けていた。

二人の女性は偶然同じ、互いの愛読書「赤毛のアン」のシリーズ本を心の支えに、インドの暮らしを自分の中に取り込み、時に心揺るがせながらも勇気を持って生活していく。

生まれ育った環境も、年代も違う二人の日本女性が、厳しい環境、異文化の中で、次第に寄り添おうとする姿を、そして癌という病のためにまた確実に別れが迫っている二人をインドの風物と季節のうつろいと共に描いている。

三年の任期をあと数ヶ月で終えようとしていた北川夫妻に、訪れた試練、それは怜子の癌の再発の恐れと早期帰国の決断を迫られた。

怜子という一人の強い意志を持つ女性の力によって支えられていた片山夫妻と怜子の夫北川の葛藤、死を決意したように一人で日本に帰ろうとする怜子本人の思いをもって
終章に入る・・・・・・
そしていよいよ怜子は日本の実家高知県に帰る。
病気を心配して美沙は自分の健康診断をかねて同行する。

一人でまたデリーに戻った、美沙はいよいよ最後のインド生活の年を迎えようとしていた。

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by akageno-ann | 2009-03-05 07:34 | 小説 | Trackback | Comments(6)

Commented at 2009-03-05 07:57
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by CHIL at 2009-03-05 16:12 x
よう子さんもインドから戻ってから、長い月日を過ごし
娘を1人前に育て上げて変わっていったんですね(^^)
たった1枚の手紙で、
美沙さんとよう子さんの心のわだかまりが解けたような・・・
そんなすがすがしさを感じます☆
Commented at 2009-03-05 17:23 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by akageno-ann at 2009-03-06 08:02
CHILちゃん、ありがとう
人って成長するよね・・双方で
そうありたいし・・
Commented by cacaopon at 2009-03-10 00:46 x
♪ よう子さんからのお手紙 私も読みながら
なんだか ほっとしてしまいました。

前回のインドと 今回のメキシコでは
よう子さんの心のありようも随分と違うでしょうね。
守るべきモノも また変わってきますしね。

美沙さんと よう子さん その環境や立場がまるで180度に
交代したかのようにも見えますが
インドの時代からその後 お互いそれぞれに
更に経験を増やし 精神的な苦労も積み重ね 

そんな 時の流れを感じます。

10年後・・・

私は どんな人間に成長しているかしら 
はたまた 成長できているのかしら・・・

Commented by ann at 2009-03-11 09:18 x
10年、20年という歳月はやはり重いですね
重いという表現はこの場合いいようにですが
相手と交流がない場合は時として愕然とさせられることも
ありますね・・きっと
精一杯生きていたい・・と思いました
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