人気ブログランキング | 話題のタグを見る

蘇る日々

第4章 その3

美沙は翔一郎を間もなく家庭に迎えて共にリハビリの生活に入る。

本当は夫の病後の退院は待ちに待ったもののはずだが、そして表面上そう気分を盛り上げてはいるが、実際はとても不安でしかたがなかった。

無理はしない、と心に決めても、ここはどうしてもある程度の無理をしなければならないと思っていた。

義母信子の落胆は病気発症から約8カ月過ぎたところで、息子のこの状況をやっと受け入れられたのに、自宅に戻るということでひどく傷つき、心乱れている様子が美沙に手に取るようにわかるのだ。

近隣に住む人々にも話してはいるが、見舞いなど辞退していたので実際の今の翔一郎の様子を知らない。

それなのに、その不自由になって表情も変わっている翔一郎を皆にさらすのは辛いことであった。

美沙も本当はそういう気持ちも心の奥底にあるのかもしれなかったが、『前向きに前向きに・・』と言い聞かせて歩んでいる。

インドに派遣される直前のときと同じような忙しさと心の負担が蘇り、『あのインドでの暮らしがきっと役に立つ』と信じていた。

ただあの頃の 自分の20年前という若さ、インドの言い知れぬエネルギーがほしかった。

インド 美沙の住んでいたのは首都ニューデリーだったが、そこも貧富の差の激しさを目の当たりにすることがあり、また牛も犬も同じように路上に存在し、家にはサーバントというお手伝いのインド人の女性がいて、若い美沙の生活をなにくれとなく手伝ってくれていた。

『シャンティ、』 美沙は心の中でサーバントだった彼女の名をよんだ。

『あの子がいてくれたら・・』

そう思わずにはいられない暮らしが間もなく始まる。

平田よう子からの手紙で美沙はデリー時代を心の中に蘇らせていたのだった。


つづく

蘇る日々_c0155326_2253457.jpg

ブログひげじい~脳梗塞からの軌跡ひげじいさんの作品です。

 「ここに使われる絵や文章の無断転載は固くお断りいたします。
    よろしくお願いします。」

小夏庵ものぞいてくださいね。

にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ

この小説の冒頭は・・こちらへ






前作「アンのように生きる インドにて」のあらすじ

片山美沙は夫翔一郎の在外派遣教員としてのインドデリー赴任に伴い、中学校教員という職を辞して渡印した30歳前半の女性であった。

子供もまだおらず、デリーで始まった異文化の中での暮らしは戸惑うことも多く、一緒に渡った夫の同僚教員の家族との交流から始まった暮らしであったが、子供のいる家庭とそうでない家庭のここでの日々の違いから、1年早く同じ立場でここに居住していた、高知県出身の北川怜子(さとこ)の家と近くであることから、次第に親しく交流するようになった。

怜子夫妻にもやはり子供はなく、怜子自身は日本で看護士という職を退いて夫に伴われてきえいたことにも互いに共通点を見出していた。

しかし、怜子は1年目の終わりころに、子宮癌が発覚し、一時日本に帰国して手術し、抗がん剤治療を行っていた。

怜子は抗がん剤治療の半ばでその薬をインドに持ち込みながら、再びデリーに戻ってくるという強靭さをみせた。

北川、片山両夫妻は互いに打ち溶け合って、デリーの暮らしを二分するように、喜びも暑さによる苦しみも共に分かち合うのだった。

美沙の二年目の夏は二夫婦はヨーロッパに旅に出て、さらに親交を深めたかのようであった。

デリーの暮らしは厳しい暑さと戦いながら、インドの人々の文化やしきたりを学び、その中で強く生きていかねばならないことを美沙も、怜子もそれぞれの立場で感じていた。

とりわけ美沙は最初の酷暑の中で早期流産をしていまい、心と体に少なからず打撃を受けていた。

二人の女性は偶然同じ、互いの愛読書「赤毛のアン」のシリーズ本を心の支えに、インドの暮らしを自分の中に取り込み、時に心揺るがせながらも勇気を持って生活していく。

生まれ育った環境も、年代も違う二人の日本女性が、厳しい環境、異文化の中で、次第に寄り添おうとする姿を、そして癌という病のためにまた確実に別れが迫っている二人をインドの風物と季節のうつろいと共に描いている。

三年の任期をあと数ヶ月で終えようとしていた北川夫妻に、訪れた試練、それは怜子の癌の再発の恐れと早期帰国の決断を迫られた。

怜子という一人の強い意志を持つ女性の力によって支えられていた片山夫妻と怜子の夫北川の葛藤、死を決意したように一人で日本に帰ろうとする怜子本人の思いをもって
終章に入る・・・・・・
そしていよいよ怜子は日本の実家高知県に帰る。
病気を心配して美沙は自分の健康診断をかねて同行する。

一人でまたデリーに戻った、美沙はいよいよ最後のインド生活の年を迎えようとしていた。

この小説の冒頭は・・こちらへ

by akageno-ann | 2009-03-06 07:06 | 小説 | Trackback | Comments(6)

Commented by panipopo at 2009-03-06 16:35 x
いよいよ翔一郎さんが帰宅するんですね。
信子さんもやはりありのままの自分の息子を受け入れる心の準備が整ったみたいですね。
やはり今まで、素晴らしい出来た息子さんだったから余計に辛い気持ち、なんとなくわかります。

美沙さんも開拓者のような気持ちで臨まないと大変なんだろうな、って思います。
人ごとのように考えていることもできないですよね。
なんだか介護とか介助なんて考えたこともなかったので、ちょっと勉強になります☆

ブログ村、今日はシステムがおかしくて動きません。なので、応援ポチできませんでした。
Commented by crystal_sky3 at 2009-03-07 02:30
annさん、おはようございます♪
遂に翔一郎さんも自宅に戻られるんですね。
翔一郎さんにしても、ご家族にしても最初は一からのスタートに
感じてしまうかもしれませんが、じょじょにお互い慣れていくしか
ないのかもしれませんよね。
よう子さんからの手紙で月日の流れを感じました。
同時に、人生は紆余曲折・・・いいことも、悪いことも自分にとっては予期せずにして起こるけど、ちゃんと意味があってのことなんだな~ってしみじみ思います。

素敵な週末をお過ごし下さいね★
Commented by ka-chan-anone at 2009-03-07 17:08
CHILです☆
ついに在宅になるのですね。
私の実家はポジティブ一家でしたが、
父が早すぎた退院をした在宅の1年が一番きつかった頃です。
初めて帰宅拒否症になりました。私が(^^;)

翔一郎さんと家族の毎日はどんなものになるのか。
インドでの生活が美沙さんを強くしてくれていることが良かったです。
でも信子さんは・・・。どうなるのでしょう。
続きを読みたいです★
Commented by akageno-ann at 2009-03-07 21:04
ぱにぽぽちゃん、いつも応援メッセージありがとう
開拓者のような気持ちという言葉をいただいて、ちょっと
思い出すことがありました。今日はその本を探しまして
読み耽り、かつてわからなかったことが今ふとわかったことがあるの。そのことを書いてみようと思っています。
Commented by akageno-ann at 2009-03-07 21:05
クリスタルさん、週末にいいコメントをいただきました。少し自分も考える時間を持ちました。『人生は紆余曲折・・・いいことも、悪いことも自分にとっては予期せずにして起こるけど、ちゃんと意味があってのことなんだな~』の言葉・・そうですね・・本当に意味があるのですね。アンの小説にもそのことがいくつも感じられました。
Commented by akageno-ann at 2009-03-07 21:07
CHILちゃん、ポジティブ一家・・そうなのよね・・ポジティブであることでかえって疲れることもある・・でもやはり最終的に進む方向に行くんだと思います。ポジティブに生きるための試練てあると思うんですよ。家族それぞれの立場もありますよね。ありがとう・・いい示唆になりました。
名前
URL
削除用パスワード