本当の哀しみ
第5章 その4
人はその家に不幸が訪れると様々な形で反応する。
その行動の仕方はそれぞれに心の込められたものであるはずだが、ある時には何気ない言動でさらに深い悲しみに陥れてしまうことになる。
翔一郎と美沙の友人の中には、インドでの出会いを通した友人がいる。
インドで培った友情はそのまま日本でも繋がれていた。
美沙は翔一郎の不慮の病を必要以上には広めたくはなかった。
それはインドに行くというあの年に感じた 人の感性のあまりに異なる表現に出会ってしまったことがあったからだ。
インド・・・その国を何も知らずに蔑む人々があった。
いや、しかし美沙ですらインドを知らなかったから逆の立場になったときにどんな態度を表すかはわからない。
しかし、同じ人間、日本人でありながらも残念ながら、人は同じ感覚ではないことを思い知ることがある。
それまでもかなり親しいと思っていた、美沙の友人が退院後すぐに見舞いに来てくれた。
大勢でなく、ほんの2人で、友人の代表として、多額の見舞金を届けてくれたのだ。
恐縮する美沙に
「もちろん治られたら快気祝いをちょうだい。」
と 彼女たちは冗談を言って、できる限り翔一郎の役に立ちたい、と申し出てくれた。
彼女らは、多くを聞かず、また語らず、ただ静かにこれまでの病状を美沙から聞いて、
「どこかへ出かけたいとか、音楽会のコンサートや映画鑑賞などで刺激を与えたいと思ったら、私たちに連絡をくださいね。」
と、具体的な提案をしてくれていた。
病気などになってみて、初めて知る人の心の篤さだった。
インド時代にわかった、人の本音のところを感じ取る力を持ってしまっている美沙は、本能的に心地よい見舞いの言葉を述べてくれる人を選んでしまっていた。
あまりに気の毒だ、大変ね、可哀相、などと哀れまれることは、かえって哀しみを倍増させられた。
こうして大変と思われる家族であっても、笑うこともあれば、楽しい夕餉を囲むこともある。
その日、幸せを感じているときに、突然に現れた見舞い客にあまりに大きく慰められると、また再び哀しみの底に押し込められてしまうような気がしていた。
だから美沙は、本当に会いたい人を より分けてしまっていたようだった。
美沙自身は本当は一番哀しみを持っているのだ。
その美沙が絶望の淵に追いやられぬように・・と 考えてくれる友人こそが真に心をわかつことのできる友だったのである。
つづく

牧場公園
ブログ「ひげじい~脳梗塞からの軌跡」のひげじいさんの作品です。
注 「ここに使われる絵や文章の無断転載は固くお断りいたします。
よろしくお願いします。」
「小夏庵」ものぞいてくださいね。

この小説の冒頭は・・こちらへ
by akageno-ann | 2009-03-20 23:33 | 小説 | Trackback | Comments(9)
とてもいいお話でした。
0

人を思いやる気持ちって難しいですね。
これって、受け取る側と受け取ってもらう側の気持ちがあってればいいのでしょうけれど。。。
よかれと思って言ってみたりしてみたりしたことが相手にはうまく伝わらなかったり。
このごろつくづくと思います、思いやりの心って一番と難しいって。
美沙さんは一番傷ついてますよね。わかります。
翔一郎さんも一番辛いですよね、きっと。
これって、受け取る側と受け取ってもらう側の気持ちがあってればいいのでしょうけれど。。。
よかれと思って言ってみたりしてみたりしたことが相手にはうまく伝わらなかったり。
このごろつくづくと思います、思いやりの心って一番と難しいって。
美沙さんは一番傷ついてますよね。わかります。
翔一郎さんも一番辛いですよね、きっと。

ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
思いやりの心、表すのって難しいですね。
私はいつもあれこれ考えて、結局出た声かけが言葉足らずで、
余計に相手を傷つけたかもと落ち込んだり、
それが怖くて結局何も声をかけてあげられなかったり・・・
美沙さんのお友達が冗談を言いながら具体的な提案・・・
さりげない思いやりの心を感じました。
具体的に・・・親友だからこそ出来た言葉かけがあったな・・と
今一人で昔を思い出しています。
すみません、私の思い出です(^^;)
教わりました、心が晴れました。ありがとうございます。
私はいつもあれこれ考えて、結局出た声かけが言葉足らずで、
余計に相手を傷つけたかもと落ち込んだり、
それが怖くて結局何も声をかけてあげられなかったり・・・
美沙さんのお友達が冗談を言いながら具体的な提案・・・
さりげない思いやりの心を感じました。
具体的に・・・親友だからこそ出来た言葉かけがあったな・・と
今一人で昔を思い出しています。
すみません、私の思い出です(^^;)
教わりました、心が晴れました。ありがとうございます。
ba-chama 今日はありがとうございました。次の小説に載せさせていただきます。
ぱにぽぽちゃん、そうですよね・・でも何度も声をかけているうちに
わかってくるように思います。失敗と思ったことがあとになってわかってもらったり、長い年月の間に互いが学び合うように思えます。
思いやりや慰めはやはり一生懸命考えれば答が出てくると思うんです。傷ついた心も必ず癒える時があるとも思うんです。
わかってくるように思います。失敗と思ったことがあとになってわかってもらったり、長い年月の間に互いが学び合うように思えます。
思いやりや慰めはやはり一生懸命考えれば答が出てくると思うんです。傷ついた心も必ず癒える時があるとも思うんです。
鍵ちゃん・・・ありがとう
頑張れそうです!
頑張れそうです!
CHILちゃん、心が晴れたという言葉は本当にとてもありがたい励ましです。たくさんの大変なことから学ぶものは多くて、その都度であった人々によって知らされる心というのもあったと、今思うのです。
それでもまだまだ分かってくることがあって、あの時の心残りを今少しでも埋めていったりしています。
それでもまだまだ分かってくることがあって、あの時の心残りを今少しでも埋めていったりしています。

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