土佐のいごっそう
第7章 その4
翔一郎が土佐に帰ると親族は一堂に介して久しぶりの大勢の来訪を喜び合った。
翔一郎の従兄の賢一は、翔一郎の病をことの他残念がったが、こうして高知に来れるまでになった様子を誰よりも喜んでいた。
賢一は体格の良い土佐のいごっそうと言われる男で、酒に強く人の世話が良くできる人間だった。
その時も車椅子から翔一郎を軽々と抱き上げて風呂にいれたり、トイレの介助をしたりと、信子はこういう男性が家にいてくれたらどんなに息子翔一郎が心丈夫であるだろうに・・と思ってしまったほどだった。
翔一郎も始めは少しはにかんだ様子だったが、酒も少しだが共に飲み、心が解放されるような姿を久しぶりに皆に見せた。
そういえば翔一郎は酒好きだったのだ。
脳の病気はアルコールの摂取しすぎはよく問題になるが、倒れた時に大酒を飲んでいたわけでもなく、その後も梗塞や血管からの出血もみられないので、普通の食事と嗜む程度のアルコールは許可されていた。
賢一はそれを喜んで少しの日本酒を翔一郎と酌み交わし、これからのことを話し合っていた。
「翔一郎君。こちらへ帰ってこないか?ここでリハビリしながら教育相談員をやってくれないか?」
翔一郎が教師として頑張っていたことや、インドへ赴任したことも賢一は、この地方から憧れをもって見つめていた。
自分は高校の修学旅行で東京に出たがそのときに大学を東京にしようとは思わず、地元の高知大学を卒業した。
この土地ではエリートと言われて、そのまま役場に勤めて、今は課長までになっている。
人事権も少しは持っていて、特に教育行政を強化しようとしている現在の状況から、翔一郎に仕事に就かせたいと、心から考えていたのだ。
賢一はこの土地で実に堅実に土地の発展のために仕事してきた。
土佐が大好きな賢一は頑固一徹土佐のいごっそうとしての自負があった。
「いごっそう、てのはそんな簡単に説明できるものじゃないわい。本気で土佐のこと考えてる男だけに与えられるに称号みたいなもんじゃき・・」
酔っぱらったように楽しむ賢一は翔一郎を本気でこの土地に迎える準備を始めようとしていた。
つづく

仁淀川沿いの神社に伝わる大俵 男たちがこれを引いて競い合う

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by akageno-ann | 2009-05-08 14:56 | 小説 | Trackback | Comments(7)
人情のある町ですね^v^
人とのつながりを大切にされているんですね。
下の宴は、お料理にも思いやりが一杯ですね^v^
人とのつながりを大切にされているんですね。
下の宴は、お料理にも思いやりが一杯ですね^v^
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新しい風が吹いて来ましたね。
賢一さんは、いごっそうさんというのがちょうど当てはまる好人物ですね。
翔一郎さんが、もしそうなったら、きっと彼のリハビリのためにはいいことでしょうね。
やはり世間と少しでも関わりがある方が、少しでも良くなるような気がします。
人間、諦めたり、あるいは努力なしには悲しいかな、リハビリにはつながらないのかな、って思います。
どうなるのか新しい展開があるのかどうか楽しみにしてますね☆
賢一さんは、いごっそうさんというのがちょうど当てはまる好人物ですね。
翔一郎さんが、もしそうなったら、きっと彼のリハビリのためにはいいことでしょうね。
やはり世間と少しでも関わりがある方が、少しでも良くなるような気がします。
人間、諦めたり、あるいは努力なしには悲しいかな、リハビリにはつながらないのかな、って思います。
どうなるのか新しい展開があるのかどうか楽しみにしてますね☆
土佐の方々の人情が厚いのですね。
皆さんが翔一郎さんを温かく迎えてくれているその様子をきっと
ご家族は嬉しそうに見つめているのだろうな~と想像しています。^^
賢一さんの案、いいかもしれませんね。
自分が誰かの役に立つ、という意識が翔一郎さんの意識の中でも
大きな前進になれそうですもんね。
土佐の温かい人情と風土でイキイキと第二の人生を歩みだすのも
いいのかもしれないな~なんて私も思います。
皆さんが翔一郎さんを温かく迎えてくれているその様子をきっと
ご家族は嬉しそうに見つめているのだろうな~と想像しています。^^
賢一さんの案、いいかもしれませんね。
自分が誰かの役に立つ、という意識が翔一郎さんの意識の中でも
大きな前進になれそうですもんね。
土佐の温かい人情と風土でイキイキと第二の人生を歩みだすのも
いいのかもしれないな~なんて私も思います。

ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
曽祖父が亡くなって 60年以上経ったある年に 高知新聞の方が 記事にしてくれました。
そこに彼が住んでいたその土地の発展の為に つくしたり貧しい学生を大学に行かせたりととありました
曽祖父も又 いごっそう だったんですね。
マンゴは好きでよく食べます
高知でいまは 作られているんですね。
お料理美しいです。
今日もありがとうございます
そこに彼が住んでいたその土地の発展の為に つくしたり貧しい学生を大学に行かせたりととありました
曽祖父も又 いごっそう だったんですね。
マンゴは好きでよく食べます
高知でいまは 作られているんですね。
お料理美しいです。
今日もありがとうございます

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