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土佐とインド

小説を書いています。
今介護の生活について書いていますが、舞台は土佐の高知に移っています。
インドに住むことになったとき、高知という地に生まれて育ったことが偶然とは思えなかったのです。
祖父母は私と同じ年齢の頃に高知から当時の中国大陸満州に幼い一人息子を連れて渡りました。
それが私の父です。
インドは特殊な国というイメージのあった20年前に先ず
「それもよかろう」と賛成したのは祖父でした。
祖父がそういったことを父は安堵していました。

「インドは大変とは言っても、日本の子供たちもそこで元気に生活しているんだから、住めば都
人間万事塞翁が馬だよ」というのが父でした。

私は特別な教育を受けたこともなく、ごく自然に成長していましたが、インドはとても異文化を感じました。
しかしあの地で原書の「Ann of Green Gables」を読んだとき沸々と勇気が湧いてくるのを感じたことを今また懐かしく思い出します。
土佐とインド_c0155326_8184682.jpg

Wikipediaよりプリンスエドワード島の家

第7章 その5

信子は賢一の親切な申し出を嬉しく感じていた。
結局結婚して関東に出てしまってから信子はこの生まれ故郷土佐にもどることは許されなかった。

本当は自分の親の介護も少しは手伝うべきであったのに、遠方であるということに甘えて、いつも遠来の客という態度をとってしまっていた。

そのことが今度の息子翔一郎の病の介護を手伝うことになったときに、また大きな後悔として心を襲った。

『人はやはり一人だけ、楽に暮らすということはできないのだ。』

そのことを思い知った気がしていた。
しかしまだ若い孫の理子にまでその大変な思いをさせることになってしまったことが辛かった。

理子はこの久しぶりの高知を同行のめい子と屈託なく楽しんでいるように見えた。

親族が一堂に介するというのは大きなエネルギーをもらえるのかもしれないとも感じていた。

美沙は懐かしいインド時代の友人北川怜子(さとこ)の家を訪ねられることも今回の土佐旅行のメインに考えていた。怜子はすでにこの世にないが、夫の北川氏はここで教職に就いている。

昨年翔一郎がこの病に倒れたことを知って、はるばる東京の病院まで見舞いに来てくれたこと、またその様子を現在メキシコで日本人学校校長をしている平田氏に知らせてくれた。

その繫がりが、今 平田めい子がまるで家族のようにここにいることに派生しているのだ、と感謝の思いを深くしていた。

家族は決して血のつながりだけではない、大きな絆によって構成されるのだ、とも美沙は思いを強くし、大好きなアンこそ、そのことを知らせてくれた恩人のように思うのだった。

 つづく
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小夏庵ものぞいてくださいね。

この小説の冒頭は・・こちらからです

by akageno-ann | 2009-05-10 08:33 | Trackback | Comments(5)

Commented by fmutu at 2009-05-10 13:37
そうですね。。。
何もない日常では気付く事のないことですが。。。。
人は一人で生まれてきてたくさんの方に支えられて、
生かされているんですね。。。。
感謝ですね。。。本当に^v^
Commented at 2009-05-10 17:26
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by panipopo at 2009-05-10 19:50 x
いろんなつながりがあって、まるで織物のようにひとりひとりが1本ずつの糸のように縦に横に自分の役割を織り込んで行って、素晴らしい人生模様を作って行っているような気になりました。
今日のお話を読んでいて、そう思いました。

ひとりひとりがいるから、これまたお付き合いも広がるし、また深まる。
いいことですね☆
Commented by ann at 2009-05-11 19:26 x
fmutuさん、今あなたのブログで癒されました。
めぐり合うって素晴らしいことだと思います。
そこにある優しいエネルギーを感じられる出会いに
感謝です。
Commented by ann at 2009-05-11 19:28 x
ぱにぽぽちゃん、あなたのブログでもあなたの人とのお付き合いを大切にしている雰囲気を映像も通して感じます。そして人においしいお菓子を作ってくださる・・これほど素晴らしいことはないですね。
人を持て成すことの大切さも感じています。
私も様々に人とのつながりを大事にしたいと思いました。
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