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土佐の再会

第7章 その6

片山ファミリーの土佐の旅は2泊3日の短いものだったが、たくさんの再会が詰まっていた。

親族は従兄弟関係が中心になって、翔一郎を励ますように集まり、幼い頃一緒に遊んだ思い出話に花を咲かせた。

仁淀川は水深3mにもなる場所があり、かつて鉄橋の橋げたから飛び込みを競った河童の様に泳ぎの達者な仲間たちがそこに集まっていた。

翔一郎は体格がよく、運動能力が高く、活発だった少年時代をここで泳ぎや魚釣りをして楽しんだのだった。

小学校は関東に移り住んでいたので、一年一度、正月か夏休みに帰郷して細々と友情を育んでいた。

手紙を書くわけでもなかったが、こうして何年かぶりに障害者になった翔一郎がここに戻ったとしても、皆昔と変わらない気持ちで触れ合うことができた。

いやむしろ、関東で教師をし、インドという異国での在外生活も経験した翔一郎は、いわゆるこの地の出世頭だった。

しかしそのことは次第に土地の者たちとは一線を画すものに発展した時代もあった。

酒の席で明らかにあてつけがましく、ふるさとを捨てた家族として片山信子翔一郎の親子は思われていたこともあった。

だが、今こうして若くして障害者となって帰郷した彼に対して、大きな同情を寄せるものもある。

同情を素直に受ける翔一郎がそこにいた。

従兄弟の中にはその柔らかくなった翔一郎の今を憂えるものもあったが、この地へ戻ってくれば、皆で支えて暮らせるのに・・と皆口々にいうのだった。

娘の理子は、ほんの少し、大人たちの勝手な会話が悲しくなっていた。

自分も一緒に高知へ来なくてはならないのだろうか?

自分は今の祖母と両親と平田めい子のいる今の家が一番好きだ。

父は病気になって優しくなって、理子を今までよりもずっと可愛がってくれていた。

その父が一人ここへ来るはずもないが・・

ふと不安になった。

だが、高知最後の日に理子とめい子は嬉しい再会が用意されていた。

翔一郎たちがインドで一番親しくしていた、北川先生に会えることだった。

北川先生に会うことは美沙も嬉しいことだった。

彼の家に立ち寄って、亡き北川怜子にも心の再会を願った。

つづく
土佐の再会_c0155326_23203050.jpg

脳トレと銘打った、貼り絵のキットを見つけて、従妹と作成中です。
パズルの要素もあり、色合いを楽しみつつ、簡単な貼り絵をしつつ作品を仕上げます・・
もうすぐできます
小夏庵ものぞいてくださいね。

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by akageno-ann | 2009-05-13 23:19 | 小説 | Trackback | Comments(4)

Commented by crystal_sky3 at 2009-05-14 21:29
annさん,こんばんは♪
私も前回のお話を読んでいたとき、理子ちゃんやめい子さんはどうするんだろうな~って思っていました。
親戚の皆さんの好意はすごく嬉しいのだけれど、内心複雑なものがあることは確かですよね。
家族あっての自分がある。
これからのストーリー、どうなっていくのか楽しみにしています!

貼り絵、楽しそうですね♪
これは布ですか?色合いもとっても素敵ですね^^
Commented by akageno-ann at 2009-05-15 00:08
クリスタルさん、丁寧な感想にいつも感謝しています。
理子の成長に伴った何か・・が出てくるような気がしますが
子供をやはり中心に考えたいですね・・
家族・・その家族は広がりを見せるかもしれません。
貼り絵・・・これは厚手の紙なんですが・・このキットとても
良くできています。少し文字を入れて仕上げてみました。
次に写真を載せました・・楽しく作れました。
Commented by cacaopon at 2009-05-18 09:22 x
♪ 読む事に一生懸命で コメントを残せずにいました。
小説と一緒にみなさんのコメントも参考に一話づつ
ゆっくり楽しませていただいてます。

家族三代そろっての 帰郷 それぞれにそれぞれの複雑な思いが
あるようですね。
これからの展開に気が抜けなくなってきました。
Commented by ann at 2009-05-18 12:23 x
cacaoponさん、一生懸命読んでくださって本当に感謝です。
私もいつも貴方や皆さんの言葉に救われています。
辛い気持ちではじめた作品なのに元気になっています。
ポジティブはこうしてできるのかも
感謝です。
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