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土佐の母の味

終章 その3

3日間という短い旅ではあるが、その内容はとても凝縮されていて、一日がその二倍あるかのような感覚を皆がもっていた。

土佐の人々は遠来の客を飽きさせず退屈させず、と必死でもてなすことが多い。

皿鉢料理にいたっては、祝い事や法事に突如参列してくれた人々をも、心から喜んでもてなしたいという思いの現れの様だ。

だから余るほどの皿数を必ず揃える。

信子はその若き頃の様々な思い出を蘇らせていた。

土佐の母の味_c0155326_7281570.jpg

信子の母は薬やの娘で不思議な人を癒す力を持った人だった。

実家からいつも薬をもらっているのか、特に小さな容器に入った軟膏を「おばあちゃんの薬」といって
信子が怪我をしたり、虫に刺されたりするとつけては治してくれた。

アロエを栽培してアイロンで火傷をすると、長い時間をそのアロエの透明な中身をずっと患部に貼っては炎症を抑えてくれていた。

孫の翔一郎が発熱すると、信子に触らせることもせず、自ら翔一郎に張り付くようにして看病をし、治してくれていた。

その母の得意料理は板取の煮付けや、リュウキュウという青物の酢の物、寒天を晒して作るみつ豆や心太だった。

特に祝い事の時は夜なべしてたくさんつくり、仕出しの皿鉢に加えて、家の大きな皿や鉢に その手作りの料理を並べていた。

子供たちは特にそのみつ豆をエンドウ豆とさくらんぼを競って食べたことを思い出した。

心太は関東のものとは異なって、ソーメンつゆに生姜汁をしぼって食べていた。

ソーメンは小豆島のものをたくさん茹でて、薄味のソーメンつゆにやはり生姜をすりおろして宴の最後の〆のように食べたことを思い出した。

今回の旅は翔一郎を親族に改めてその病気と共に紹介することであった。

信子自身も80歳を越え、そういつまでも気丈に生きているわけにもいかないことをわかっていた。

自分はなるべく人の手を煩わせないように人生を閉じられたら、と思っている。

しかしこの一人息子の翔一郎を妻の美沙と、娘の理子だけに背負わせるわけにもいかない。

親族に力を借りていかねばならない、と考えていたのだ。

つづく

小夏庵も覗いてくださいね。

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by akageno-ann | 2009-05-21 07:42 | 小説 | Trackback | Comments(5)

Commented by happygeko at 2009-05-21 08:16
写真が入ってるので、よけいに美味しそうに
読めました^^;
annさんの小説を読むと、土佐がとてもいとおしく感じられます。
きっと土佐はannさんの原点なのですね。
土佐は私ども夫婦の新婚旅行の地であり、私にとっても
忘れられない場所です。
「なんで新婚旅行が土佐なの?」 って、よく聞かれます^^;
Commented by akageno-ann at 2009-05-21 08:42
gekoさん。うれしい・・言葉をありがとう
本当に貴方のコメントに励まされました。
原点・・そしてあなたのご夫妻の原点でも
あられる・・嬉しいです!
Commented by crystal_sky3 at 2009-05-21 11:16
annさん、こんにちは♪
みんなの楽しい時間をお写真と共に一緒に楽しみながら読ませていただきました。
北川先生のやさしい美沙さんへのいたわりの気持ち・・・。
私の胸にも響きました。
信子さんもこの旅行の中で今後のことを色々考えているんですね。
どうなっていくんだろう・・・。
手漉き和紙、一度体験してみたいです^^
Commented at 2009-05-21 17:45
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ann at 2009-05-22 10:23 x
クリスタルさん、そう手すき和紙の風合いきっと貴方は気に入られると思います。いろいろ工夫されるでしょうね・・旅は人生の転機を考えさせてくれますね。今回の小旅でさえ、私も一つの区切りを考えました。そしてさらに進んでいく方向を考えたり。家庭から離れる時間も大切ですね・・
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