コスモスのように・・その3
小説を再開しました。
コスモスのように
その3
恵子を退院させるにあたって、夫の紘一郎は家庭のあり方を考え直さねばならないと思っていた。
自分の父親の面倒を看てもらおうと、結婚の当初から同居を恵子に頼み、恵子の両親は決して賛成ではなかったが、恵子の純粋な自分への愛情から舅との暮らしを優先してくれたことを今さら感謝していた。
だが、こうして病気になった妻恵子を見ていて、それは彼女にどれほどの負担を強いていたのかを改めて思い知ることになったのだ。
自分の父親は所謂大正生まれの家長制度の名残りをしっかりと持っている男だった。
今でこそ孫たちにその権威は振りかざさないが、結婚当初の恵子に対する横柄な態度は正直に腹立たしいものがあった。
こちらは居候に入ったわけではないのに、恵子に対する態度は明らかに家長としての権力を振りかざすようところがあった。
恵子の手料理を誉めたり、恵子に感謝の言葉を述べられないのは、その妻つまり紘一郎の母に対する態度以上のところがあった。
若く熱心だった恵子はその男のために機嫌を取るようなことをしていたかもしれない。
とにかく、不自由させないようによく気を配っていた。
いつだったか、紘一郎の友人が遊びに来たときに、手料理でもてなしながら、階下の舅への気遣いをする恵子を見て、
「いいなあ、いい奥さんもらったなあ」と、あまりに羨ましがるので鬱陶しくなった記憶が蘇った。
そんなことを何気なく優越感として感じていた自分はこの父親と同じく本当はとても不遜であった、と感じた。
そのことは以前にも感じたことはあったが、具体的にそこから彼女を救い出そうとはしていなかった。
だが、今回の恵子の重病の様子には ほとほと参っていた。
このまま家に戻しても殆どはまた同じ暮らしの繰り返しになる、と紘一郎は考えていた。
だからといって、今さら父親との別居は無理であるし、恵子自身もそのようなことを望むものではないこともわかっていた。
先ずは紘一郎は台所の改装を考えた。
大きな改装はできないが、システムキッチンを入れて、食器洗い機をつけようと先ずは考え付いた。
幸いエレベーター会社の母体は大手の家電販売業を営んでいたので、そこのリフォーム部に相談すると快く見積もりを出し、恵子の退院までに完成する約束をしてくれた。
その工事の監督をわざと高齢の父親に任せた。
この父親はこの度の嫁恵子の一大事を少しは深く受け止めているはずだった。
つづく

コスモスのスケッチ画はブログの友人 CHILさんの作品を拝借しています。
☆ これからまた作品を書かせていただきます。
どうぞ気楽に覗いてください。よろしくお願いします。
Y.N.

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by akageno-ann | 2009-11-05 21:25 | 小説 | Trackback | Comments(6)

紘一郎さんの優しい思いやりはうれしいですね。
ちゃんと恵子さんの気持ちも汲み取った上で、これ以上の負担を減らすためにシステムキッチンを取り入れるのは名案でしたね。
お舅さんをその監督役に選んだことも、前進を表しますね。
ちゃんと恵子さんの気持ちも汲み取った上で、これ以上の負担を減らすためにシステムキッチンを取り入れるのは名案でしたね。
お舅さんをその監督役に選んだことも、前進を表しますね。
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annさん、こんばんは♪
ありがたい、大変だな・・・って気持ちは普段はどこかに必ずあっても
甘えてしまってなかなか感謝の気持ちを表現できないのが実際のところかもしれませんね。
とりわけ日本の男性はそういうところがニガテかもしれませんよね。
紘一郎さんが妻を心から想ってくれている姿が自分のことのように
嬉しくなりました^^
ありがたい、大変だな・・・って気持ちは普段はどこかに必ずあっても
甘えてしまってなかなか感謝の気持ちを表現できないのが実際のところかもしれませんね。
とりわけ日本の男性はそういうところがニガテかもしれませんよね。
紘一郎さんが妻を心から想ってくれている姿が自分のことのように
嬉しくなりました^^

ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。

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