コスモスのように・・その7
京都に行っていました。
幼馴染と歩く京都はちょうど中学校や高校時代の古典の時間を思い出させてくれたり、あの頃の記憶がふと蘇ることが旅を余計に楽しいものにしてくれました。
高尾の神護寺の境内までの2000段とも言われる石段を登りながら・・ふとサスペンスを考えてしまったり・・
鴨川の美しい土手沿いを通り抜けながら、テレビのサスペンスの場面を思い出したり、話題は尽きません。
お時間ありましたら・・小夏庵へもお立ち寄りください。京都の旅など綴ってます。

小説を書いています。
コスモスのように その7
長谷田美津子と対面した恵子は 女の子の育て方というものを考えていた。
我が娘 沙耶は もしも結婚相手の母親と対面したときに美津子のようなしなやかな態度がとれるのであろうか?とふと不安にもなった。
が、まだまだ大学を卒業していない彼女のことを思うと そのまま子供っぽくいてほしい、という気持ちにもなってしまっている。
娘に恋の話一つされないのは心配ではあるが、年上の中村との恋愛に終止符をあっさり打った後、沙耶は女友達と実に楽しく伸びやかに過ごしていた。
そしてその矢先に母 恵子の病気入院に対峙して、彼女は実に熱心に看病にあたってくれた。
娘として十分な心遣いであったのだ。
その間の優しさはきっとこれから先も恵子自身の心の支えになると、わかった。
そういう意味からすると 長男の嫁になってくれるかもしれない 長谷田美津子は全く違う存在価値なのだと自然にわかってきた。
その人をこの堀田家に馴染ませようと無理強いは決してしまい、と心に決めた。
彼女は長谷田家の大切なお嬢さんとして大事にしていこう。
考えてみると姑が早逝したために、その後を当然継ぐような形で主婦の仕事一切を受け継いだ恵子は、もしかして大切な女性として扱われそこなったのではないか・・と思った。
それはそれでしかたがないが、やはり自分と同じように美津子も沙耶もさせたくはなかったのだ。
沙耶はきっといずれ他家へ嫁いでいくであろうし、その時に自分をしっかりと持ちながらも相手の家の雰囲気を飲み込んで役に立っていこう、と考えられるような女性になってほしい・・と切に願う恵子がいた。
恵子はこうして、心も次第に元気になっているようであった。
そして舅の待つ我が家へ、少しずつ元通りに戻っていくことを願うようになっていた。
つづく
夫の絵本ブログ「かあちゃんに あいたい」も覗いてみてください。

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by akageno-ann | 2009-11-17 23:13 | 小説 | Trackback | Comments(2)