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アンのように その23 介護という言葉

小説を書いています

かけがえのない日本の片隅から

アンのように その23 介護という言葉

正一郎は入院以来 優しい顔つきになったと同時に 少し記憶の力が弱まっているように感じられた。それを一番に感じたのも嫁の恵子だった。

先日の叔母克子の訪問の際の正一郎の態度は 考えてみるとひどく子どもっぽかった。

そしてニ、三日すると その訪問を忘れているようなところがあって、危惧された。

恵子は夫 紘一郎にもその見解を述べて、大手術をして もしこの父 正一郎が呆けるというようなことがあっては、元も子もない・・ふとそのような思いがこの夫婦の頭を過ぎった。

昔は60歳を還暦といい 子どもに帰る、というような感覚で受け取ったが、間もなく50代半ばの紘一郎は自分も還暦か?と想像してもその子ども帰りの年寄り的な感覚は全くない・・と思われた。

今や日本の平均寿命が80歳を越えようという日本において、お年寄りというのは少なくとも70歳を越えた者にあてはまるのではなかろうか。

「恵子、親父がもしも退院後、呆けてしまうようなことがあれば、それは施設を探すということも考えよう。君が主体になって面倒をみるようなことがずっと続けば、君の方が先に逝ってしまうことにもなりかねない。」

そう真剣に心配する夫を恵子も無視できなかった。

「あなた、ありがとう・・そう言っていただけるだけでも私は頑張れるような気がするの。もう病気になるまで無理はしないから大丈夫よ。」

恵子も素直に応えた。

夫婦は結婚してから20年ほどを越えると、親よりも、いや親のことも自分の子どものことのように客観的に考えることができるようになるものなのか?

だがそうなるには・・この堀田家にとっても 恵子の大病があってやっとこぎつけたことでもある。

長い時間 親との生活をしながら 体得したことだった。

恵子は 夫が我が親を施設に・・などと きっと断腸の思いで語ったと想像していた。

自分の親を自分の手で介護できないのは哀しいことだ・・と

このとき初めて この堀田夫妻は 「介護」の言葉をそれぞれの胸に刻んでいた。

つづく

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これまでの作品はこちらから「アンのように生きるインドにて」

by akageno-ann | 2010-03-18 23:33 | 小説 | Trackback | Comments(3)

Commented by nanako-729 at 2010-03-20 08:43
annさん、おはようございます!
私の祖父母は50歳代で亡くなっているので、お爺ちゃんと呼んだ
記憶もありません。自分が今その年代に近づき、あぁもっと長生き
したかっただろうにと思います。まだやりたいこといっぱいあるもの
80歳代…親にはそれ以上に元気でいてほしいです。
Commented at 2010-03-22 15:09
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by akageno-ann at 2010-03-22 21:59
nanakoさん、50代は本当にお若かったんですね・・
ほんとまだまだこれから楽しめると・・いう戦争を
通ってきた方たちには余計にそう思います。
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