アンのように その26 終章
小説かけがえのない日本の片隅から
拙い小説を長い間お読みいただきまして本当にありがとうございました。
この小説は今日でひとまず終わります。
現代社会のあまりにも変化の激しい時勢を眺めつつ、「かけがえのない日本」への思いは日々強くなるばかりです。
春は今日東京は桜が満開になった地域が多かったです!

その桜を眺めながら、日本はまたもっと頑張っていかなくてはならない、と感じました。
老いた母を その桜の花の下で写真を撮りました。
親へ感謝しました。ここまで頑張ってくれた人たち・・戦後の立ち直りは今のお年寄りと言われる年代の人々の努力あってこそ・・だと思いました。
このタイトルでポプラ社の懸賞小説に応募することにして、今新たな小説を書き始めました。
ここまでここに書かせていただいたことがとても大きな経験になりました。
感謝して、また自分なりの努力を続け、日本をかけがえのない国として大切にしていきたい思いを綴ります。
ではこの小説の最終章をここに書かせていただきます。
かけがえのない日本の片隅から
その26 最終章
沙耶は5月1日付けでK出版社の先ごろ経営し始めたケアハウスの受付事務に就職した。
老人の為の施設であるからもっと陰気な雰囲気があるのでは、と思いながら出社した沙耶は、すぐに自分の思い過ごしに気づいた。
確かにデイケアや滞在型のこの施設にお年よりは多かったが、スタッフは思いのほか若い人々がたくさん勤務していた。
皆明るく、謙虚な姿が身についていた。
入社式はK出版全店合同で行われたが その時の社長の訓示は次のようなものだった。
「21世紀は老人社会だと言われています。老人はある意味ですでに自分の時代を終えて、老後を楽しむために人を頼って生きているように思われがちですが、その人々の内在する力を決して侮ってはいけません。こちら側はお世話をする者ですが、接するときに必ず謙虚に教えを請う気持ちを忘れないでください。
お年よりはまだまだ社会に貢献できる力を貯えています。我々はその内在する力を少しでも引き出せるようにお手伝いするだけなのです。」
沙耶は家族の今病気療養中の祖父を思った。
祖父は堀田家の礎を作った人だった。
そう父紘一郎に言われたことがあった。
その言葉が今ふと蘇り、父のいう好奇心が謙虚な心を上回ってはいけない、と今理解できたようだった。
祖父は母 恵子が本当に実の親のように接していることに感謝しているのだろうか?
いや母はそのことでそんな小さな心で過してはいなかった。
沙耶は母恵子が家族の中心になって行動していたことを思った。
施設はそんな家族から離されたお年寄りがたくさん見られた。
まだまだ元気で家庭生活ができそうな人でも 一人では不安だということからこの施設に入った、という人々だった。
若いスタッフたちはまるでその人の家族であるような自然な接し方をしている者が多かった。
沙耶もまたそんな風にここで接していけるスタッフになられるよう願っていた。
この章を終わります
明日からは写真エッセーを綴ります。
by akageno-ann | 2010-04-04 00:10 | 小説 | Trackback | Comments(4)

ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。

ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
annさん、リンク張って頂きありがとうございます。annさんのページから美しい桜のお花見させていただきました。小説を少し読ませていただきましたが、ケアハウスに居り、最近めっきり痴呆の進んだ母と重ねてしまいました。電話でついつい自分の声が荒くなっていることに気付きハットする事がありますが、生きていてくれる事に感謝しなくては、、、、それにしても小説を書かれるなんて、作文が嫌いだった私には、羨ましいすばらしい、才能です。
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ak-joifulさん こちらへもようこそお越しくださいました。この出会いに感謝したいです!ケアハウスでのできごとは役立つことばかりで、これからもまたエッセーで書いて行きたいと思っています。私は手仕事がすきなのに下手で・でもあなたの作品も拝見してとても素敵な刺激をいただきました。どうぞよろしく!