no.11 みち子の思い
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かけがえのない日本の片隅から
Live 第二部 no.11 みち子の思い
姑という言葉は何か姑息という言葉と繋がって感じられる。
姑という文字には「しばらく」という意味がある。
「しばらく」というのは古語ではひとときの・・というほどの時間をいう。
姑息な手段は 間に合わせの手段とでもいうものだろうか?
そんなことを紐解いていくと、ひどくずるいという意味につなげてしまった。
この時代はそんな言葉よりも「義母」という普通の言い方が使われている。
義理の母・・主人の母 それでいいのだ。
みち子は決して嫌味な女ではない。
心豊かで優しさも充分にある。
愛情が細やかで 幼いものや心弱いものに対する思いは人一倍強い。
その心がつい初孫の牧子の長男貴一への養育に横槍を入れることになってしまった。
一度介入したものは責任感の強いものほど、徹底的に手を入れてしまう形になっていった。
そのうちに貴一は祖母の愛情にすっぽりと包まれて育っていった。
初めての子育てに自信を持てないままにいた、その母の牧子は心で育児放棄をしてしまっていたのだ。
そのことにみち子が気づいたのは牧子が倒れてからのことだった。
「もう少し自分の我を抑えるべきであった。」
そう思った時は既に遅かったのだ。
人はわかりながらも、反省をしながらも我を通してしまうことが暫しあるものだ。
思いがけない大きなことが起ってやっとそのことに気づき、人生を少し多めに遡って失敗したことを取り返そうとすることがあるのだ。
佐藤みち子は今そんな思いにかられていた。
そして牧子をしっかりと支えていくことを静かに決意したのだった。
つづく
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by akageno-ann | 2011-01-03 23:27 | 小説 | Trackback | Comments(3)
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by
kinnnikumans at 2011-01-06 01:13
annさんあけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします^^
小説応援しています(^^)/ ポチ。
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at 2011-01-06 01:16
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented
by
ann
at 2011-01-06 13:46
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ジャックちゃん いつも応援どうもありがとうございます。
私も一生懸命書かせていただきます。
私も一生懸命書かせていただきます。