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no.13 一つの別れ

小説「かけがえのない日本の片隅から」第3部です。
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LIVE 第3章 no.13 一つの別れ

病院の中ではいくつもの哀しい別れがある。

哀しさにも種類が様々あるが、美しい哀しさに出会うと、医師もスタッフもその患者の最後に立ち会えたことに感動があり、忘れることのない記憶になる。

同じ場面に立ち会った者たちは一つの思い出を共有することになる。
笹島は救急患者が運び込まれると、とにかく命を助けたい、と先ず思う。

そしてできる限り元の生活ができるように回復させたいと祈りながら全力を尽くすことを心情としていた。

だが、なかなか想いの通りにはいかない。

かなりの重症で運び込まれることもあり、必死の治療も虚しく終わることも少なくない。

だが、思いがけない暖かい家族の一言に、人の人生の素晴らしい最後に出会えた実感を味わうこともある。

悦子と笹島の当直の夜、88歳の婦人が足の骨折の疑いで運ばれてきた。

老人用の買い物カートを引いて歩行中の転倒に寄る大腿骨骨折だった。

「母は 最近も自転車に乗るほどの運動神経の発達したお転婆さんで、まさかこちらの用意したカートにつまづくとは・・」

と息を詰まらせる長男夫妻に

「大丈夫ですよ、ワイヤーで固定して養生すればきっとまた歩けますから・・」

と、笹島は勇気付け手術に入った。

手術は成功し、本人のやる気もあってリハビリに入ろうとしていた。
その矢先に、患者は誤飲性の肺炎を起こした。

足の手術の経過が良かったので、医師もスタッフもこのような別の理由で彼女を死なせてはならぬ、と必死だった。

だが、病状は良くならず、家族を呼び、事情を説明し・・笹島は詫びた。

「大変申し訳ありません。水を飲まれるときに誤飲されて、肺炎を起こしました。今懸命な治療をさせていただいてます。」

笹島はこういう詫びをすることが、訴訟に繋がっていくことをいつも覚悟していた。
悦子たちスタッフもその笹島の信念を指示していたが、病院の経営上ではかなり問題視されている向きもあった。

そして治療の甲斐もなく、その患者は亡くなった。

だが、その患者の長男はこう応えた。

「いや、この母の寿命というものがあると思います。私も母に老人用の買い物カートを与え、母はこんなもの・・と嫌がっていましたが、自転車からそれに代えることでなんとなく皆ほっとしていました。母もそんなに粋がることなく、素直になっていましたしね。先生本当にお世話になりました。手あつい看護もしていただいて大変感謝しています。」

もちろんその家族の誰も病院側の手落ちなどと言う言葉を発することなく、「感謝」の念を持って遺体と共に帰って行った。

                                        つづく

by akageno-ann | 2011-02-19 20:18 | 小説 | Trackback | Comments(2)

Commented by nanako-729 at 2011-02-19 21:16
annさん、こんばんは!
人にはそれぞれ寿命というのがあるような気がします。
だから最善をつくしたのならしかたないんでしょうね。
何が正しいかという答えは難しいですね…

Commented by higeji-musume at 2011-02-20 15:56
ミスしたわけでなくてももしも容態が悪くなったら
申し訳ない気持ちになってくださる先生、
ありがたい気持ちなのに
謝ったら訴訟になる危険性を考えなくてはいけないなんて
なんだか切ない時代ですね。
昔はお医者様も学校の先生もとにかく尊敬されていました。

産婦人科は訴訟が多く、なり手が少ないと聞きます。
新しい命をこの手で受け止める素晴らしい仕事なのに・・・。

いろいろ考えさせられながらも、
小説を毎回楽しみに読んでいます。

こちらの髭じいブログも久し振りに更新しました。
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