新 アンのように生きる 出発まで その1
昨日のニュースにインド政府が日本の食糧の輸入規制を引いたとあった。
かつてインドに住んだときに、日本の食材が手に入らなくて苦労した日々のことを思った。
あの頃日本からは工業品や電化製品ですらそんなに多い印象はなかったように記憶しているが、
昨今は食料もかなりあるのだろうか?
そのインドからのそのような通達はひどく哀しいものに思えたが、どうしても放射能に対する危惧は大きいのだろう、と思えた。
小説の再録を続けます。
アンのように生きる インドにて 出発までその1
3学期の始業式で平田久雄は心も晴れやかに次年度の在外教育施設派遣教員としてインドニューデリー赴任の辞令を受けた。
発表から2日後のことである。
しかし思いがけなくも、発表の日の大きな落胆と言いようのない不安は、妻よう子の一言で払拭された。
『日本人の子どもが住んでるんでしょう・・大丈夫よ、行きましょう』
結婚して10年になるが、よう子のことを久雄はまだ知らなかった部分が残っていたことをここで思い知らされた。
一見 お嬢さん育ちで、わがままで、マイペース・・しかし久雄にとって実に可愛らしい女性である よう子、久雄はパリか、ニューヨークへでも派遣されるのを楽しみにしている様子だった彼女が、インドのニューデリー派遣を聞いて、
『私は行かない、そんな国行かない』と、絶対に言うだろうと覚悟の上に、あらゆるポジティブなデリーの情報を・・と考えて内示の当日にはついにそのことを言えなかったのだ。
しかしそれをそのままにしておくわけにもいかず、もちろん辞退するなど久雄の律儀な性格ができるはずも無く、だが・・インドの情報は全く厳しいものばかりで、八方塞がりを感じるばかりだった。
だが、翌日の朝食の時に、よう子が
「パパ、昨日はお風呂も入らないでどうしたの?風邪?すごく具合悪そうよ?」
の言葉に、続けて
「ママ、一生のお願いがあるんだ。ぼくにずっとついてきてくれるか?」
よう子はちょっと顔をこわばらせたが・・
「どこに決まったの?ニューヨークじゃないの?」
「ニューデリー」
よう子は一瞬・・『それはえ~~とどこ?』という風に瞬きしながら
「インド!!!??」
「そうなんだ・・・インド・・」
しばらく沈黙は続いたが、
「パパ、いいわよ。どこでも行く覚悟してたから。」
「ありがとう、よう子。君と明子を僕は責任を持って守るから。」
と、喘ぐように言う久雄を見て、よう子は微笑んだ。
「パパ、日本の子供がいるんでしょ!!!大丈夫よ!」
久雄は、その時ほどよう子を頼もしく思ったことはなかった。
学校では久雄のインド行きを誰もが驚き、
「平田先生、大丈夫ですか? 奥さんは?」
「明子ちゃん、まだ2歳ですよね、あの国は汚いんでしょう。」とか
「イヤア、平田先生には一番向かない国のような気がしますが・・」
などいろいろと心配されたが、その時の久雄にはよう子が素直に愛娘明子と一緒に
ついてきてくれるということが何よりもの強みになっていたのだ。
出発まではもう三ヶ月を切っていて、これからの果てしも無い準備の忙しさを想像するだけでため息になりそうだったが、久雄はよう子とそれに向かって進んでいく心構えが
しっかりとできていたのである。
つづく
小夏庵にも→☆
by akageno-ann | 2011-04-07 08:14 | 小説 | Trackback | Comments(1)