インドへの 出発まで その3
今年も公立学校の教職員の間には来年度の在外派遣教員の応募を間もなくする季節になった。
どこの国へ派遣されるかは、先方の国の派遣施設の特別な要請が無い限り応募者の希望は全く通らない。それよりも筆記試験通過後に面接も重視され、持っている教員免許の種類、家族構成 などによって今はその年の暮れに発表がある。かつて20年ほど前は翌年の1月に入ってからの発表で、相手国の情況によっては三ヶ月に満たない準備期間はまことに短いものであった。
が、しかし 企業の人々はもっと厳しい情況の転勤命令が下っていた。
小説「アンのように生きる インドにて」
インドへの 出発まで その3
「何故?このタイミングなの?」
「お母さんより、私には先に話してくれなくちゃ!?
私は仕事を辞めなくてはならないんでしょう?
私の仕事ってそんなに軽いものなの?」
いくつもの疑問を夫翔一郎に投げかけたが・・「いけない」と思いつつも
泪が止まらない・・・
その日は階下の母信子が息を潜めて聞いているのを十分意識しながら美沙は不満をぶちまけていた。
翔一郎はその日の最後の捨て台詞に
「それじゃおれが一人で行くからいいよ」と言い残して、先に寝てしまった。
昨夜の食事の時に初めて翔一郎の海外への希望を聞いた二人の女たちは全く別の感慨で朝を迎えていた。
美沙は初めてその早朝一人だまって家を出て出勤した。
『親子二人で暮らせば良いのよ』と心で泣きながら呟いていた。
今夜は帰れるかどうかわからない・・・
しかし朝学校につくやいなや、教頭が
「片山先生、お電話ですよ、ご主人から」と少々冷やかし気味に取り次いだ。
美沙がいつものような軽口で受け取らず、少し緊張気味に受話器を握るのを見逃さなかった。
「はい、なに?」
『美沙、夕べは悪かったな、今日は夕食は外でしよう。お袋には言ってあるから心配ない。
池袋に出るからそこで待ち合わせしよう。』
電話の向こうの翔一郎は美沙に有無を言わせない。
「はい。わかりました、では。」
簡単に終えて職員室を出て、担任している教室に向かった。
2年生の一クラスを担任しているが、35人のクラスの子供たちは最近心身共に成長し、時には美沙にも友達のように接してくる。
美沙が比較的話のわかる教師であることを認めてはいるが、逆にそこで甘えが生じるらしい。軽い朝の挨拶を交わしながら、昨日の夜のことを忘れようと心がけた。
「先生、どうしたの?顔色悪いよ。」子供というのは時として、何気なくドキッとするようなことを言ってくれる。
「そうかしら?今日は気をつけてね・・機嫌悪いかもしれないわよ。」
と、美沙がいつになく暗い返事を即座に返したので、何気なく口にしたであろうその生徒のほうがちょっとひるんだ。
「さあ、朝自習始めなさいね。」
教室に入って、生徒の顔を見ながら、
『きっと、この1年で私はこの子達と別れることになるのだ。』と、わかっていた。
その日の夕刻7時に池袋の、昔よく待ち合わせをした駅の改札口で美沙と翔一郎は会い、しばらく歩いて、気に入りのパブに入った。
二人が好きなギネスビールにフィッシュ&チップスを頼むと、翔一郎はおもむろに語り始めた。
「わるかった、昨日は。あまりに突然だったよね。」
「わかっていたわよ。三井君がフランクフルトに赴任するって聞いた時の貴方の顔は、ようし俺も行くぞ~~て顔してたもの。」
「わかった!?さすが美沙ちゃん」とすぐにおどけるので
「あのネ、調子に乗らないでね、だからって、いきなりお姑さんと同列はないわよ。」
「ごめんごめん、でもね、多分あの形の方がお袋は簡単に承諾すると思ったんだよ。」
「なるほどね・・そこまで考えていたのなら許すと、言いたいけど、もっと簡単に考えていたよね、君は・・」
美沙はギネスのハーフパイント一杯目で酔ってしまう弱さだが、気持ちも楽になっていたようだ。
姑を持ち上げるのは、少し悔しさも残るが、
『これでもし受かって、派遣となればお姑さんを一人にすることになるのだ』
と現実的に考えると、これも仕方の無いことなのだと、美沙は納得せざるを得なかった。
これから先の二人の長い道のりは、この日を境に急に方向がかなり変更になったのを二人それぞれに再認識して、その夜はあまり遅くならずに、ヤキモキして二人を待ちわびる母 信子のいる家にもどった。
まだ年度初めの5月の爽やかな空気の夜だった。
つづく
小夏庵にも→☆
by akageno-ann | 2011-04-09 10:31 | 小説 | Trackback | Comments(0)