四月のデリー
再録アンのように生きる インドにて
四月のデリー
デリーの四月は夏が始まったばかり、その少し前にホーリーという夏を知らせる祭があって
色粉を皆で掛け合いながら、はしゃいで、これから来る暑い日々を元気に過ごそうと祝うのだ。
夏の暑さは少しずつ にじり寄るようにやてくる。
デリーで最初の夏を迎えようとする、美沙やよう子たちは、その壮絶な暑さをまったく予想することもできないまま、新居を構えるための準備に勤しまなければならなかった。
美沙の家はカーテンがついていなかったので、先ず日よけのカーテンが必要だった。
二階のフロアーを間借りする美沙夫妻は二晩目のデリーの夜を、ガランとした部屋で過ごすことになった。
明日から家具もカーテンも整うから、今夜一晩だが、
「ああ・・大変な生活だなあ・・・」 と ちょっと思わねばならなかった。
しかし、翔一郎も、最初の学校の様子を元気に嬉々として語った。
最低限のベッドとマット・・・ソファセット・・・ダイニングテーブルはある。
シーツと枕はその日に美沙が買ってきていた。
「買い物はどうだったの?」
「それが、意外になんでもあるのよ。なんでもあるじゃない
が、口癖になりそうよ。」
「そうか・・まあやっていけそうだね。」
「今までに逃げ帰った人はいないそうよ。」
「今夜の日本人会も盛会だったしね。」
「この家から一番近い教頭先生の奥様がいらっしゃらなかったわね。」
「どうやら奥さんは病気らしいぞ。」
「何の病気なの?私は何も聞いてないわ。」
「詳しいことはわからないよ。今日はもう学校のことで手一杯だったから」
「どんな校舎だったの?」
「小さいんだ。教室も狭い。まあ一クラスの人数は10人以下だから、
家で家庭教師してる雰囲気だな・・」
「きれいなの?」
「いや、それは残念ながら古いし、あまりきれいとはいえないな。」
翔一郎の落胆はそこにあったようだ。
3年先に新しい校舎が新築予定、と聞いたらしく、結局翔一郎たちはそこには入れずに帰国になる。
しかし学校の運営は、比較的上手くいっているようであった。
何しろ様々に不便で過酷な状況があるということが、人々の協力体制を作っているという。
日本人会総会は、皆の顔合わせの場所であり、この4月の総会は新しい赴任者を紹介する場になっていた。
美沙たちもきちんとよそ行きで出かけた。
新参者たちは衆目の的。特に日本人学校の教員は、保護者からの視線も熱いと聞いていた。
緊張して出席し、一人ひとり紹介されて、代表として平田久雄が挨拶した。
「憧れていたインドへ赴任することができました。」
ほんとうか?
しかしこの最初の挨拶は保護者たちを大いに安心させたようであった。
つづく
声援に感謝します。
小夏庵にも→☆
by akageno-ann | 2011-05-03 11:55 | 小説 | Trackback | Comments(2)
「アンのように・・・」を最初から読ませていただきました。
インドでの生活の様子がとても生き生きと描かれていて、
私もご一緒しているような気持ちになりました^^
ちなみにアンさん、、、じゃなくて、美沙さんがお仕事を
辞められたのはご主人の海外赴任がきっかけだったん
ですね。。。
あ、そこはフィクションなのでしょうか??いろいろと考えて
しまいました^^
インドでの生活の様子がとても生き生きと描かれていて、
私もご一緒しているような気持ちになりました^^
ちなみにアンさん、、、じゃなくて、美沙さんがお仕事を
辞められたのはご主人の海外赴任がきっかけだったん
ですね。。。
あ、そこはフィクションなのでしょうか??いろいろと考えて
しまいました^^
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akageno-ann at 2011-05-04 10:22