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混沌 の中の真実

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日本人学校は本来どの地においても日本と同様の教育が受けられるように・・・と配慮されるべく、派遣教員は使命を帯びている。

その学校運営はその地域の日本人会、進出企業のトップ、在外公館職員、日本人学校長、保護者代表などにより、運営委員会がもたれていた。

その日新学期始まって最初の運営委員会が開かれ、学校側からは校長、教頭の二名が参加していた。

「新任の三人の先生方も少しずつインドの暮らしにも慣れられ、張り切っているようです。」

との校長挨拶に

「『憧れのインドへ赴任して』と挨拶くださった平田先生の言葉ありがたいですね。」

と、まず大使館の領事が言うと

「片山先生は子供たちのためにいろいろ文具を日本からお持ちいただいたようで、うちの子供の話によると図工の時間に先生のカッターを借りて一人ひとり切り紙ができた、と言ってますが、ありがたいことですね。」

と、一人の保護者が言った。

だが、その発言はちょっと物議を醸して、赴任教員にそういう教育に必要な物品を託していいものだろうか・・・・・

それは学校運営上話し合って日本から別個に輸送してもらうべきではないか・・というのである。

校長は大らかな人でにこやかに

「いや、今年の先生方は気が効くなあ」 などと気楽な発言をしていたが、

北川教頭は新任の教員を集めて日本と違う現状や保護者、子供たちへの発言で共通理解が必要だと、感じていた。

デリーはこういう僻地であるからこそ子供たちにより良い教育を与えたいという気持ちが大人たちの間で共通理解をされていて、在インド日本大使館の大使はじめ職員や、各企業の人々がかなりの力を注いでいてくれた。

また古いインド人の屋敷を改装してやっと教室を間に合わせている現状の学校校舎を 近い将来に新しく建設する予定が立ち、その委員会も発足していた。

このインドの地に日本人学校の校舎を建てるというのはまことに難解なことでもあった。

児童生徒は小中あわせて100人をわずかに下回るという状況で、この厳しい環境の中でも子供たちは元気に学習、運動に勤しみ、友情を深めていた。

4月はまだ大したことはないといわれる暑さも5月の声を聞くと、一年で一番の酷暑の時期になる。最高摂氏48度を記録する日もある。

そんな日に限って電圧が低下したり、停電があったりと、クーラーの効かない狭い教室で子供たちは・・教師は・・頑張っている。

学校にはジェネレーターといって自動発電機があったが、容量は小さく、なかなか校舎全体にいきわたらなかった。

 平田久雄は長身の痩せた体躯ではあるが精神力のしっかりとした男で、新しい環境をじっくり眺めながら率先して仕事をするタイプである。
さっそく6年生を受け持たされて、心身共にきついのであるが、不平は決して言わず、家庭でも妻にこぼすことはなかった。

6年生は12人のクラスで、比較的まとまっている。こういう小さな社会では子供たちもあまり我侭な行動に出ないという特徴がある。
自我を抑えなくてはならない場面が日本にいるときより多いかもしれない。

それだけにストレスもあるはずだが、子供たちは実に環境に順応していると久雄には感じられた。

『この子達のために、できるだけのことをしてやりたい』、と、強く感じていた。

山下哲夫はやわらかい関西弁で日本語はしゃべるが、中学の英語を担当していた。
考えてみるとここデリーでは英語が公用語であるから、よけいに大事な教科で、山下はなかなか堪能な英語力を持っていたので学校側としても大いに期待するところだった。

英語ができるというのはまずこうした外国生活には大変役立つことであったのだ。

駐在の人々もそれ相応の語学力を身につけてきているので、教員は大してしゃべれない、というイメージを払拭てくれるようで、頼もしかった。


片山は数学と美術を担当した。中学生にはなるべく本格的な技術を身につけさせたいと、様々な用具や材料を持参してきていた。

人数も少ないし、こういう場でこそ本領発揮できるのではないか、と期待するのだった。
またインドの風物にも目をむけて、日本ではできないこともやってみたいという希望をもっていた。

対外的には国際交流としてインドや他の外国人子弟の学校との交流も深めたいと考えていたのだ。

北川教頭は早急に新任教員たちを自分の家に招こうと考えていた。

妻の怜子はまだ本調子ではないが、アフターディナーの用意ならコックのシンさんで十分できるし、彼女もまた新しい先生方と知り合うことは喜ぶであろう。

さっそく週半ばではあるが、3人の教員を招いた。

食後とはいえ、まだ若い3人である、アルコールにつまみはインドのサモサという揚げ餃子のような香ばしいスナックやパパドゥという薄い大きな煎餅のような珍しいものを用意させた。

3人は初めてゆっくり男同士で飲めることに喜び、ほぼ1週間すぎたデリーの、4月だというのに夜になっても涼しくならないこの気候を改めて感じていた。

「いやあ、やはり暑さはじわじわっときてますねえ」 と平田が口に出した。

「いや・・・・まだまだこれからですよ。暑くなるのは・・」

「でも、思った以上に面白い興味深い場所ですね。」とは、片山が語った。

「片山先生は美術専攻だからこういう風物をやはり絵などにしたい、と思われるんじゃないかな」と、北川は受けた。

「ええ、正直まだどんな風に作品にするかなど全く思い浮かばないほど衝撃を受けています。」

と、率直に語った。

北川はその場を借りて

「先日の美術の時間に片山先生はご自身のもっていらしたカッターを子供たちに貸して授業された、と保護者が感動してましたが・・」

「はい、カッターは切り絵にの場合刃が新しいことが大切なので、たくさん用意してきました。子供たちも真剣に取り組んでくれました。」

「自分のものを提供していくときりがありませんから、どうか必要なものは言ってください。なるべく現地のものを代用していくのが本意ですが、どうしても必要なものに対してここの親御さんたちは熱心に協力してくれますから。」

と、いう北川の意見に

『なるほど、勝手な行動をしない様に』という示唆が込められていることを3人それぞれに汲み取った。

ここではここの掟があり、いわゆる足並みを揃えるということを日本と同じように、いやもっと気をつけねばならないのだと、感じていた。

山下は静かに好きな酒を楽しみつつ飲み、その後は談笑になって、男たちの寛いだ時間が初めて訪れていた。

北川怜子はこのとき既にこの3人の新任教員たちの性格を分析して、今後のデリーの暮らしの中での役割を想像しながら、夫の横で静かに微笑んでいた。

デリーの夜は長く、8時に集まった3人も結局11時過ぎまで話し込んでいった。

つづく

by akageno-ann | 2011-05-13 07:41 | 小説 | Trackback | Comments(0)

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