酷暑を乗り切る技
小説を書いています。
6.11 今日は東日本大震災からちょうど三か月の鎮魂の日です。
この小説は2007年に書いたものの改編採録です。よろしくお願いします。
アンのように生きる インドにて
5月のデリーの太陽は容赦なく照りつけて、憔悴して勤務から帰る夫にエネルギーをつけようと美沙は食事はなるべく和食にしていた。
インド料理は美味しいが最初に物見遊山で食べ歩いた時にお腹を壊してから少し控えてしまっている。
別に体に悪いものではなく、むしろ香辛料はこの暑い夏を越えるにはかえっていいらしいという話も聞いている。
お腹を壊したのは、油が日本から来たばかりの人間には消化酵素がうまく働かなかったようだ、と勝手に解釈した。
美沙は幼い頃から何でも食べてみる、食わず嫌いはいけないと、育てられているので食に対する感覚は前向きであった。
一度や二度口に合わなかったりしても諦めず、果敢に挑戦する気持ちがあった。
しかもインド料理は美味しい。
他の新人一家は小さなお子さんがいるために外食は避けていたので、美沙たちは先住の人々からも誘われては出かける意欲を次第に持ち始めていた。
夏休みに入ると、皆国外やインド旅行を楽しむ人々が増えて、デリーの日本人会はすっかり閑散とした状態で、寂しくなっていたが、一番近い日本人で同僚の北川家は今年は怜子の病後もあるのでここでのんびりするという。
「美沙さん、遊びに来てね。」という言葉のままにすっかり日参するようになっていた。
日本の状況より気楽なのはサーバントがお茶だしをしてくれて、病後の怜子に気苦労をかける必要がないから、美沙は日本のちょっとしたお菓子を少しずつもって尋ねるのだった。
考えてみると、こうして病後である怜子が気を紛らすことがここには不足していた。
ふとぼんやり、これからの自分の状況を考えてしまいがちな日々に新入りの美沙たちとの会話はまことに良い気分転換になった。
またこの夏の終わりごろ友人夫妻が夏休みを利用して、怜子の見舞いを兼ねてここデリーへ旅行に来るという。
ほんの少ししんどさもありながら、この美沙たち夫妻に助けてもらってその友人たちを歓迎しようという思いもあった。
「ねえ、美沙さん、この8月に私たちの親友夫妻がここへ遊びに来る予定なの。高知からなのよ。どうか是非いっしょに迎えてやってくれるかしら?」
唐突であるようなこの話も 美沙にも大変嬉しいことに思われ、
「まあ、高知からいらっしゃるんですか?ご夫妻で仲良しなんですね?」
と弾んで聞き返すと、怜子は嬉しくて教頭の北川との馴れ初めからを詳しく語り始めた。
北川夫妻は同級生結婚だった。
高知県は中学校から私学への進学者が多くて二人とも同じ私立中学高校へ進んだ。
大学は夫の北川はそのまま地元の国立大学の教育学部へ進み、怜子は他県の医学部へ進んでいた。怜子は優秀で医師を目指していたが家庭の事情で途中から看護学に移り4年で卒業し県内の赤十字病院で勤務していた。
中高一貫教育の学校に学んだ二人は偶然にも同じクラスでいる期間が長く、友人も共通で友達づきあいが長かったのだ。
「医学を勉強しながら、このありさま・・」 と、今現在闘病中の彼女は我が身を恨んだが、
「だからここでへたってるわけにはいかないの・・」と気丈さを見せる。
美沙はそういう前向きな怜子が好きであった。
「私も是非ご一緒に楽しませていただきたいです。お手伝いすることがあったら言ってくださいね。正直この長い夏をどうやって過ごそうかと思っていました。旅行も北インドにちょっといくだけですから・・」
「カシミールへ行くのね・・・あそこは八ヶ岳のような気候よ・・・・きっとよく眠れると思うわ。
そして新しい仲間たちとの旅でこれからの関係が決まるように思うわ。」
と、怜子は語った。
「え?どういうことですか?」と 美沙が訝しげに問うと
「うちはね、同期の人とカシミールに二組で行ったんだけど・・・結局その時の気まずさがそのまま尾をひいてしまってね、今はご挨拶する程度なの。」
デリーの夏は まだまだ試練がありそうであった。
つづく
追記
この小説は2007年から1年間掲載したものを再録しています。
声援に感謝します。
小夏庵にも→☆
by akageno-ann | 2011-06-11 09:23 | 小説 | Trackback | Comments(0)