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カシミールのその後

「やってしまいました。」

美沙は北川怜子の家の居間で、カシミールのできごとを話していた。

カシミールに意気揚々と出かけたのはつい1周間前である。

オベロイに前後1泊ずつ、ハウスボートに1泊、パハルガムというヒマラヤの麓に2泊、グルマルグという高原に1泊して一応無事デリーに戻ったところである。

帰りの飛行機はほぼ2時間を全ての人々が沈黙して、またグッスリ眠って、行きの飛行機で機体の古さを心配したことなども忘れて戻ってきた。

この1週間、三組の新人がいよいよ新人から足を洗った感じに、脱皮し、しかもその脱皮の仕方は各々に方法が違っていた。

山下文子は、一番己をさらけ出し、いわばもう怖いものなしになっていた。

顔つきも最初の頃よりさらに目が引きつってみえ、時としては取り付く島がない様子を見せた。

平田よう子は日和見主義を露呈、優柔不断なのは片山美沙だった。

夫たちは妻の素性が知れたらもう気取ることはないと思ったのか、かえってフランクに話し合っている。

夫たちはさすがに、日本の役所を背負って働きにきたことを自覚したのかもしれなかった。

「それで、どうだったの?」

怜子(さとこ)は興味深げに聞き入った。

「山下さんはとにかく自分の家族が第一で、子供がない私に対しては大きな偏見を持っています。平田さんと教員同士の繫がりがあることにも嫉妬するし。最後は取り付く島がなくなってしまって」

と、美沙は疲れきった様子で話し始めていた。

「あたりまえでしょう・・自分に小さな子供がいてごらんなさい、それは母親として当然のことだわ・・・・・・と思ってあげないとね。」

怜子の言い回しにちょっと笑って気持ちがほぐれた美沙は、ほっとしてさらに話しを続けた。

「インドに来ているのですから、多少はこちらの風土だって認めないといけないと思うんですよ、平田さんにいたってはお子さんが風邪を引きかけたといってはグルマルグの全てを否定しようとするし、もう会話についていけなくて。日本で電話しているときはそんな人じゃなかったんですけどね。」

グルマルグはオベロイよりは山間部にあって、イスラム教徒が多くいるせいか少し欧州の香りもし、山ふところに抱かれた小さな宿舎では食事も粗末な上に雨に降り込められて少々怖い思いもしたのであった。

「まあ、3人3様なのだから、まだなれない場所での暮らしには不安がつきまとい、そこを人に話し、時には当たることで気持ちを落ち着けていくというタイプの人もいるわよ。」

「主人たちはのんびりしていて、気楽なんですよ。」

「そうよ、それでいいの。ご主人の仕事は過酷よ。
その上奥方たちのいざこざに巻き込まれると大変なことになるから、なるべく良い環境を作ってあげてね。
と、かくいう私はこうして病気になって日本に帰っていたのだから、偉そうなことはいえないわ。主人の足を引っ張ったことになるもの。」

「そんなあ、病気は仕方がないことでしょう・・・」

美沙は怜子の言葉を強く否定した。

「ありがとう、美沙さん、でもね、デリーでこんなことに、しかも私は医療関係にいたでしょう。
だから、ここまできて自分の健康管理ができていないって、言う人はいるのよ!」

美沙はびっくりした。その顔を見ながら怜子は、

「日本じゃないの、ここは。皆必死でここでの仕事を遂行させて帰国することが第一!!
家族は遊びに来たんじゃないの。その仕事をする夫のサポートよね。単身の人の家族は殆どお子さんの教育問題がここではうまくいかないから、止むを得ず日本に残り、奥さんが留守宅を守ってるんだと思う」

穏やかながらしっかりしたその言葉に意見を差し挟むことは、今の美沙の知識ではできることではなかった。

「とにかく、厳しいことをいうようだけど、ここではまず自分の家庭がうまくいくことが第一、友人はできないと思って、こうしてちょっと話が合いそうな人々で集まって日ごろの憂さをちょっとだけ晴らす・・あとは黙って静観する。それがここで無事に生きていく処世術なのかもしれないの」

最後の言葉を曖昧にしてくれたことが、この時の美沙にとって唯一の救いだった。

「私はまだまだここの生活がわかりませんけど、こうしてたまに聞いていただけますか?」

と、怜子の機嫌を伺うように美沙は尋ねた。

「ええ、これから学校関係でない人たちとのお付き合いもでてくるし、そういうことをまた大事にしていくのも生活が少しでも楽しくなるこつよ。今度若い方で私の友人を夕食に呼ぶから一緒にいらっしゃいね、学校関係はいないわよ。」

と、ウインクする怜子の茶目っ気に大いに期待してしまう美沙がいた。

カシミールの後半は人間関係は冷えてしまって、そのあとのパハルガムというヒマラヤの麓の壮大な場所でのポニーに乗ってのトレッキングも最後に大雨に降られてびっしょりになってしまったこともあって、楽しい思い出にならなかった。

しかもそこへは結局平田家は娘のめい子の風邪気味を理由に、きまづい関係になっていた山下一家との二組で出かけた。

平田家はオベロイが気に入って、そこに戻ってしまったのだ。

夫の久雄が、常に妻の機嫌をみて行動するその家庭が、美沙にはこのインドにおいては少し羨ましくなっていた。

                                   つづく

追記
 
この小説は2007年から1年間掲載したものを再録しています。

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小夏庵にも→☆

by akageno-ann | 2011-06-24 07:35 | 小説 | Trackback | Comments(2)

Commented at 2011-06-24 12:42
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by priya at 2011-06-25 06:03 x
とても興味深く読ませていただいています。
私もこれで3度目の外生活ですが、お国は変われど、
時代は変われど、いろいろな縛りの強弱は変われど
駐在先での人生模様あまり変わらないかもしれませんね。
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