老育
かけがえのない日本の片隅から
老育
幼児教育が大切なように、老育もかなり重要な位置を占める。
「老いては子に従え・・」という諺はすでに死語かもしれない。
老いて尚自我は強くなるのが人間の性のようだ。
人に従えるようになったときからもしかしたら老いが始まっているとも最近感じる。
と、いうのは従ってのんびり暮らしたい欲求があるのだ。
何かを手伝うのは楽しいが、何かで皆を引っ張っていくのはしんどい。
友人が15年はやく60歳になったときに、彼女はこういっていた。
「これからはあまり主体的でなく、従属的に過ごしていきたい・・」
と。
なるほど、その意味が今はっきりと理解できた。
彼女は人生を逃げたのではない。
自分の役割を年齢とともに仕分けしたのだ。
それから10余年彼女はなくなるその日まで、家族のためにひたすら生きた。
途中に得た病はかなり厳しいものであったが、病を引き受けた人間であるように、
まじめに病と向き合っていた。
もちろんひとりでそうしてかっこよく生きれたわけではないが、
家族をうまくまとめて引きあげていた。
そう思えてしかたない。
私の祖父の死も、正に何かのまとまりをもとめるような時期だったと
改めて思う。
彼らは老いてなお、学習を重ねていた。
決して頑固にならずに・・
つづく
小説「アンのように・・」は友人から再録を希望していただいて、ここにリンクの形でこのまま続けさせていただきます。 →☆「アンのように生きる」
声援に感謝します。
小夏庵にも→☆
by akageno-ann | 2011-06-27 14:53 | 小説 | Trackback | Comments(0)