老育 そして「アンのように生きる再録」
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「かけがえのない日本の片隅から」
老育
祖父の最後は心不全だった。
古い家屋の二階に最後まで寝室を置いていた。
祖父の死後10余年後に、祖母が介護施設に移ったことを機にこの家の改修を行った。
重い雨戸、建具 トイレは一階の風呂場の奥で、冬は南国土佐といえども寒く遠かったはず。
土間は私たちには便利なものでも、年老いた人々には降りるのにも難儀であったはず・・
と改修のための話し合いを工務店の人としながら、祖父母の暮らし方に敬意を持った。
その二階の寝室から遅い寝起きの祖父が 階段の軋む音をさせながら降りてきて、すぐに倒れたという。
長いこと長男の父は東京に住んでいたから、祖父の隣家の父の従弟から祖父入院の連絡があって父はとるものもとりあえず飛行場に向かった。
四月の早朝だった。
ためらうように早朝の私の電話が二度鳴って止んだ。
祖父が弱っているとは思ってはいなかったが、何か予感がしてすぐに実家に電話をした。
まだ携帯電話のない時代で父は
「悪いな、おじいちゃんが入院して危ないらしい、お父さんは今から空港に向かう。」
その言葉を聞いて、
「私もすぐに出ます。」と即答していた。
父は
「無理をするな、お舅さんにもきちんと許しを請うてからでいいのだよ。」
「わかってます。お父さん気をつけて。。」
父はすぐに行くと言った私に満足しながらも、あえて嫁ぎ先に気を遣う性格だった。
私はそのときすでに後悔をしていた。
つづく
声援に感謝します。
小夏庵にも→☆
by akageno-ann | 2011-06-28 23:45 | 小説 | Trackback | Comments(0)