老育 「アンのように生きる再録」
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「かけがえのない日本の片隅から」
老育
お年寄りを大切に・・その言葉は小さなころから教育の中に取り込まれ、自然に体の中に入っていたはず。しかし海外赴任から帰国して、真っ先に祖父に帰国の電話をしたが、遠方であることで顔を見せに行くことを先延ばしにしていた。
それはそれまでも年に一回法事や祝い事などのきっかけで帰郷していたにすぎない生活パターンが、そのまま祖父の死に際に立ち会えなかった後悔になった。
それでも海外赴任から戻り、その葬儀に間に合った、というだけで、親族からは許された。
だが、その後たった一人残った祖母について、私たちはどれほど心を砕いてあげたか・・
その思いを今私は自分の親に対してまじめに取り組む大きなきっかけになった。
祖母は祖父にとって後妻であった。
私にとっては生まれた時からその人が「おばあちゃん」だったので血がつながっていない、という印象もなかった。
祖母は私の父が18才でこの家に入ったから、そのまま自分の子供を持たずに人生を過ごした。
すでに40代になっていたので、あのころは高齢出産は無理しなかったのかもしれない。
だがその祖母が私の子供のないことへの一番の理解者だった。
田舎に戻ることの中で一番のつらさは、結婚はしても子供のないことだった。
辛辣にそのことに触れる男たちを憎んだこともあった。
心配のあまり、少々怪しげな治療院に無理やり連れて行かれたこともあった。
皆女の方に問題があると決めつけている。
そういうことに次第に慣れていった。
だが、時代は不思議な方向に進み、そうした人々の身内が結婚しなかったり、結婚を解消したりということがあって・・次第に
「子供のないのがいいよ。」などと投げやりに言うようになる傾向も見てきた。
そんな中に祖父母は本当に自然な優しさがあった・・とつくづく感じる。
年をとったら、さらに優しくなる・・・
こうでなければ・・正しい老いはない・・と、自分に言い聞かせている。
つづく
声援に感謝します。
小夏庵にも→☆
by akageno-ann | 2011-06-29 23:57 | 小説 | Trackback | Comments(0)