老育 一人暮らし
今日のアンのように生きるはこちらへ→☆
「かけがえのない日本の片隅から」
老育
ここ数年近隣の住宅地を見ていて、高齢のご夫妻だけの暮らし、一人暮らしがずいぶんと多くなってきた。もちろん見守る家族や機関、訪問の人々もあるのだが、静かに自分の生活を営んでいる姿に感動することもあれば、とても心配になることもある。
ここは高台の坂のある住宅地で、自宅玄関まで階段が数段ついている家が多い。
皆40代前後で引っ越してきたころは、その階段はちょっと高い位置に家がある、という利点だったはずだ。玄関アプローチは狭くとも階段に花のポットを置いたりもできておしゃれ感があった。
一人住まいになった人々もさらにその花の栽培に力を入れ、美しい花が季節を変えて咲いている。
一人を楽しんでいるようでもあり、一人を励ましているようでもある。
きちんとした生活の様子はその方の生き方を反映するようで、家族のせいにしながら散らかったままの私の部屋を恥じることもある。
己が生活を守る、ということは大変なことなのだ。
個人の家屋は修繕も自分の裁量でしなくてはならない。
経費も気も遣う。
故郷の祖父母の家もまた大変な朽ち様であった。
多分、私たちに掃除も手伝わせなかったのは、自分たちの代でこの家は終わりでよいのだから・・と言っているようにそのままに過ごしていた。
特に祖母が、家を弄られるのを拒んだ。
あとになって、もっと住みやすい家に過ごさせてあげたかった、と両親が言っていたが、祖父母たちはそれなりに暮しを確立していたのだろう。
楽しみもあったようだし・・・
今はその遺物を整理して家を大きく改修して、祖父母のそこにいた雰囲気だけを残している。
家を片づけながら、祖父母との会話がずいぶんにできた。
つづく
声援に感謝します。
小夏庵にも→☆
by akageno-ann | 2011-06-30 22:20 | 小説 | Trackback | Comments(1)